2014年2月9日、国立新美術館にて第17回文化庁メディア芸術祭関連シンポジウム「エンジニアリング!ナム・ジュン・パイク」が開催され、筆者も登壇した。今回の功労賞受賞者である阿部修也氏(1932年生)と日本メディアアートを代表する石橋素氏(1975年生)という、二人の「エンジニア/アーティスト」を中心に、芸術と技術による新たな表現形式の変遷を辿る企画であった。

モデレータの松井茂氏は、昨年度の同賞受賞者がNHK電子音楽スタジオの佐藤茂氏だった事実を取り上げながら、最近のアートの状況が技術を基盤とする比重が増していることで、現在の歴史の編み直しが起きていると指摘した。松井氏による阿部氏の仕事の紹介を受けて、筆者は「エンジニア/アーティスト」に対する美術史的評価について問題を提起した。当時からナム・ジュン・パイク氏が阿部氏とのコラボレーションの重要性を積極的に表明してきたのにもかかわらず、阿部氏は近年までも《Robot K-456》(1964年)と《パイク・アベ・シンセサイザー》(1969年)など、アーティストのパイク氏による特定作品を技術的にサポートした日本人のエンジニアとしてしか記録されてこなかったのである。美術史のなかで繰り返されてきた、「これは芸術なのか、芸術ではないのか」という偏狭な観点に対して、対等なコミュニケーションを通して思想とコンセプトまで深く理解しあう、アーティストとエンジニアとの本格的なコラボレーションの嚆矢という今回の阿部氏への贈賞理由は、「メディア芸術」という枠組みで読み直された創造性の系譜の意義を示唆しているのであろう。

体調不良による阿部さんの欠席というアクシデントがあったなかで行われた本シンポジウムの軸となったのは、「エンジニア/アーティスト」としての石橋素氏の発表だった。石橋氏は、ライゾマティクスの仕事は基本的には「裏方」的なものであるが、「裏方」としての仕事を可能にするために、時には「表」に出る必要があると述べた。興味深かったのは、発表のなかでライゾマティクスの裏方、すなわち「裏方の裏方」のお仕事も紹介され、プロジェクトごとに変化し続ける「裏方としてのあり方」などが言及されたことである。また、質疑応答では、専門集団化・分業化された舞台演出のパラダイムシフトなど、今日の制作環境をめぐる議論が行われた。

後日、シンポジウムの報告を兼ねて行った筆者とのインタビューで阿部氏は、数十年間「表」に出なかった理由を3つ取り上げた。アーティストであるパイク氏のために裏方に徹した方がよいという判断。そもそも阿部氏自身のためではなく、パイク氏のためにした仕事だったという事実。そして、当時の技術の限界、予算、時間などの現実的な制約のため、エンジニアとして100%満足できるものをつくることはできなかった点。とはいえ、放送局のなかでの仕事でありながらNTSC方式の規制を乗り越える《パイク・アベ・シンセサイザー》という試みが、将来芸術の分野で評価されるようになることは予想していたと阿部氏はいう。

1970年代当時にはあまりにも画期的だったため、この機械に圧倒されたまま、無言で帰った人々が少なくなかったそうだが、2014年第17回文化庁メディア芸術祭の会場に設置されている《パイク・アベ・シンセサイザー》の革新性をいまの若い世代に伝えるには言語が必要となる。いつかはライゾマティクスの作品も古典となる日がくるだろう。その時、未来の世代は「当時」という前置きなしにどこまで理解できるのだろうか。今日の批評と研究は、その日に役に立つものになりうるのだろうか。表現の主体と作品/プロジェクトの制作と発表のプロセスなど、メディア芸術の表裏に関する考察への手がかりを提供してくれた石橋氏の発表を聞きながら、隣席で筆者は批評と研究の課題について自問していた。

第17回文化庁メディア芸術祭功労賞受賞記念シンポジウム「エンジニアリング!ナム・ジュン・パイク」

http://j-mediaarts.jp/events/symposium?locale=ja

第17回文化庁メディア芸術祭功労賞

http://j-mediaarts.jp/awards/special_achievement_award?locale=ja

石橋素氏のホームページ

http://www.motoi.ws