馬定延著『日本メディアアート史』が2014年12月に上梓された。

本書は『日本メディアアート史』というタイトルを掲げているが、英文タイトルは「A Critical History of Media Art in Japan」であり、「あとがき」にもある通り、一つの決定的な正史を確定しようとするものではなく、ある一つの観点から日本のメディアアートの歴史(主に1970年から2000年まで)を語ろうとするものである。

本書の帯には、大きな文字で「草月アートセンター、大阪万博、つくば科学博、ARTEC、セゾン文化、ARTLAB、ICC、そして大学教育のなかで──」と書かれている。そこに作家や作品の固有名がないことに、驚きや戸惑いを覚えた読者もいるのではないだろうか。しかしそこにこそ、本書の類例のない特色がある。その特色は、本文を読み始めればすぐに明らかとなる。著者が文中で繰り返している通り、本書は「メディアアートの作品論と作家論を可能な限り排除」し、「個別の作家や作品ではなく、その背景を成す時代像に焦点を当ててみる」という方法論で書かれたメディアアート史なのである。

では、そのような方法論によって書かれた本書から我々は何を学びとることができるのだろうか。その前に本書の概要を見てみたい。本書は全7章(5章+序章と終章)構成になっている。

序章
第1章 起源としての実験
第2章 アートにおけるコンピュータ
第3章 つくばという場
第4章 80年代と90年代の連続性
第5章 情報社会における芸術
終章

序章では「メディアアート」という言葉がひとつの決定的な瞬間に生まれたものではなく、複数の場所と文脈の中で徐々に形成されてきたものであることが書かれている。また、研究の目的、対象、方法論が宣言されている(本書はもともと博士論文として書かれたものを大幅に増補したものである)。

その後の章はおおまかに年代順に進んでいく。第1章では1960年代後半の状況から1970年代の日本万国博覧会(通称大阪万博)を経て、日本にビデオアートが定着するまでを描いている。第2章では、プログラミング、アルゴリズムという発想から創作をスタートされた川野洋氏、CTGといった先駆者の活動を取り上げ、さらに1980年代のSIGGRAPHで活躍した河口洋一郎氏と藤幡正樹氏の方向性の違い、日本におけるCG界の発展過程を追っていく。第3章では、アメリカと経済で肩を並べ、科学技術立国を標榜するに至った日本の1980年代を舞台に、国際科学技術博覧会(筑波科学博)からデバイスアートまでを「つくば」をキーワードにつないでいく。第4章では、1980年代と1990年代の連続性が扱われるが、特にグループ・アールジュニから「ハイテクノロジーアート展」を経て、名古屋国際ビエンナーレ(ARTEC)に至る連続性が強調されている。第5章では西武・セゾンの文化活動、キヤノンARTLAB、NTTインターコミュニケーション・センター[ICC]がピックアップされ、背景と理念から丹念に掘り起こしてそれぞれの違いを描いている。終章では、メディアアートを支える教育研究機関を紹介している。

本書を一読して気づくことはメディアアートをめぐって、構造的に反復される問題の存在である。たとえば、メディアアートに対する批判として、
・技術に偏重しておりコンセプトが弱い(技術のデモンストレーションになってしまっている)
・技術は新しくとも、表現内容が古い
・(そのため)時代を経て技術が一般化すると見るべきものがなくなってしまう
・技術に対する見方が楽観主義的すぎ、技術がもたらす負の側面への視座が欠けている
・企業の広告塔のようになってしまっている
などといったものがある。これらは紋切り型といえば紋切り型であるが、そのような批判を甘受せざるを得ない状況が、メディアアート側にあり続けていると見ることもできる。

そもそも、なぜメディアアートは国や企業、大学と密接な関係を持っているのか(持たざるを得なかったのか)。それはメディアアートの多くが、当時の先端的で(それゆえ高価な)テクノロジーを用いたアートだったからであろう。たとえばコンピュータグラフィックスがよい例である。はじめは少数の限られた人々がそれを使うことができた。マシンは大学や研究所などにしかなく、本人がエンジニアとしての素養を持っていたか、あるいはエンジニアとのコラボレーションをすることができた人々のみが、そこからアートを作り出せた。やがてそれらの技術はプロ用の機器を経て民生化され、最後には万人の手のひらに収まることになった。むろん、そうでないシナリオのものもある。ローテクを用いたメディアアートについては本書にも言及がある通りだ。CGM(Consumer Generated Media)やデジタルファブリケーションのような動向もある。しかし、たとえば今でも高輝度高精細のプロジェクターやディスプレイを企業がアーティストに提供しているという構図は変わらないし、バイオアートなどでは大学などの研究機関との共同作業は避けて通れないだろう。

近代以前の西洋芸術においては、教会や王侯貴族といった芸術の庇護者の存在は重要であった。しかし、それらを排除して自律した近代以降の芸術では、個としての芸術家は他の権力の影響を排除して自由に表現を行うことが望ましいとされてきた。権力が自らに不都合なものを覆い隠し、技術が人々を忘却へと誘う力に抗して、芸術はジャーナリストとは違った形で、人々の覚醒を促す使命を持つべきであると。

それではメディアアートは「不純」なアートなのだろうか。しかし、これは何もメディアアートだけの問題ではないのではないか。地域振興を目的としたアートイベントや、建築や都市開発、ファッションと結びついたアートは、同型の問いを抱えているとはいえまいか。とくに2020年のオリンピックを控えた現在、状況は切実である。本書の著者は、大阪万博を論じた部分で、吉見俊哉氏の言葉を引きながら、「アートを愛するエンジニアとの互恵的で自発的な出会いという、アート&テクノロジーのビジョンよりも」「企業パビリオンが「豊かな未来」のイメージを前衛的な映像によって描き上げていく。そのような体制が、大阪万博から始まり、その後の日本のメディアアートに見事に継承されている」と述べ、その歴史に対する冷静な反省が必要であると指摘している。著者は研究者らしく、バランスを失わず、慎重に対象を取り扱っているが、その内容は決して無味乾燥な事実の羅列には終わっていない。批判すべき点には勇気をもって声を上げ、大胆に価値判断を下しており、本書からは著者の声が聞こえてくる。

もう一つ、本書を読んで考えさせられたことがある。それは、メディアアート史の記述可能性についてである。本書の著者は「自分に何をいう権利があるか」を歴史家として慎重に見極めながら筆を進めている。著者は40人を超える関係者からインタビューを取ったという。また、単に人々の記憶に頼るのではなく、十分な文献調査をしてその裏付けを取っていることが窺える。しかし、そもそもメディアアート作品自体、展示の機会が少なく、作品自体の永続性に乏しい。さらに、絵画や彫刻など伝統的な芸術に比べ、文章や写真から作品の全容をつかむことが難しい。そのような悪条件の中で、若い研究者が歴史を記述することは容易なことではない。それゆえ、本書を読んで「これがない」「あれがない」と思われる読者もおられるかもしれない。

しかし、再び冒頭部分に立ち返って言うならば、本書は確定した「正史」ではないのである。修正、拡張、アップデートされていくべきものである。本書が海を描いたものであるとするならば、次には個々の島がどんな姿であったのかが気になってくる。本書で描かれたような「状況」のなかで、個々の作家は何を考え、どんな作品で応えたのか、それを知りたくなるのは自然であろう。実のところ、著者は作品論、作家論をしないと公言しつつも、わずかにその部分に足を踏み入れてしまっている。しかし、それは本書にとってマイナスとはなっていない。その踏み出し方もまた魅力のひとつである。

『日本メディアート史』
著:馬定延
出版社:アルテスパブリッシング
出版社サイト
http://www.artespublishing.com/books/86559-116-3.html