『江口寿志 アニメーション背景原図集』は、アニメーションの背景原図のみを集めて収録するという、これまでにはないコンセプトで作られた画集だ。背景の設計図とも言える背景原図をピックアップすることで、新たなアニメーションの見方の提示と、技術の伝達を担う一冊だ。

まず、本書に収録されている「背景原図」とはどういったものなのかを確認しておきたい。
私たちがテレビや映画などで一般的に目にする、分業制の手描きアニメーションにおいて重要となるのが、レイアウトと呼ばれる設計図だ。(註1)レイアウトとは監督やコンテマンが描いた絵コンテをもとに、原画担当(原画マン)が人物の位置や動き、カメラワーク、背景などを検討しながら、より詳細な一枚絵に整えたものである。このレイアウトにおける背景部分が「背景原図」だ。
見過ごされがちだが、アニメーションにおける背景の役割は大きい。例えばキャラクターが右から左へ走る時などは、その移動の距離だけ背景の長さも必要になるし、アクションシーンならより迫力のある動きが出せるように、高低差や障害物などを描きこむことになる。また、キャラクターを動かさず、一枚だけで状況を説明することも背景の持つ大事な役割の一つだ。
このような多くの技巧と工夫が詰まった背景原図を『江口寿志 アニメーション背景原図集』は多数収録している。これほどまでに潤沢なボリュームで背景原図を一冊にまとめたのは、本書が初めてと言っていいだろう。

図1 『江口寿志 アニメーション背景原図集』表紙

背景が担う役割の大きさ

1965年生まれの江口寿志(えぐちひさし)は、1980年代より動画マンとしてキャリアをスタートさせた。『ドラゴンボール』(1986−−89)『ドラゴンボールZ』(1989−−96)などで原画を担当して気鋭の若手として注目されるようになり、90年代に入ると押井守監督『GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊』(1995)や、大友克洋監修『MEMORIES』(1995)などの劇場作品で原画を手がける。川崎博嗣監督の劇場作品『SPRIGGAN』にて初の作画監督を務め、以後も渡辺信一郎監督『COWBOY BEPOP 天国の扉』(2001)や、今敏監督『パプリカ』(2006)、磯光雄監督『電脳コイル』(2007)など、国内はもとより世界的にも評価の高い、高度な作画技術を誇る日本製アニメーション作品で活躍。現在もフリーのアニメーターとして劇場作品、テレビシリーズ問わず名前を見かける大御所だ。
本書は、『SPRIGGAN』や『電脳コイル』といった江口の参加作品から、江口が手がけた背景原図を収録するだけでなく、本人による各背景へのコメントも記載されている。「ビル群を描く際に、あえてゆがみを持たせることで、街の奥行きや迫力を出した」「キッチンを描くときに小学生の目線を意識して少し煽り気味の構図にした」といった、そのシーンを成立させるために、アニメーターがどのように思考して背景を描いたのかを読者が追えるようになっていて、高い資料性を持つ。また、アニメーターの思考の流れを知ることによって、背景が視聴者に何を知覚させているのか、という視点が得られ、アニメーション鑑賞の楽しみもより深まるはずだ。

図2a(p.28)
図2b(p.29)

背景原図による技術伝承

アニメーションの背景原図という限られたテーマで制作された本書だが、順調に重版されたことからも需要の高さがうかがえる。それは本書が、アニメ制作の現職者や志望者はもちろん、漫画家やイラストレーターなど、仕事や趣味で絵に携わる全ての人々にとっての教科書的な一冊として認知された結果ではないだろうか。
例えば本書の巻末には「パースを使って描く背景原図テクニック」というコーナーが収録されている。三次元の物体を平面に描くために使われるパースペクティヴ(透視図法)は、描画の基本的な技術ながらも、破綻なく成立させるためには高い練度が必要となる。このコーナーではそのパースペクティヴを使って描くテクニックを、江口が背景原図を使いながら解説している。段階を追った描画の過程も記載されており、上から見下ろす俯瞰や下から見上げる煽りといった基本から、広角レンズを使ったような歪みを表現する高度なテクニックまで、多様な技術が紹介されており、絵に携わる人にとってはまたとない資料となるはずだ。
アニメーションにおける背景の役割を、アニメーターの思考と技術の両側面から知ることができる一冊。今後も、アニメーションの背景を語る上では外せない本として、長く読まれ続けるだろう。

図3a(p.46より部分)
図3b(p.47より部分)
図4a(p110)p110-111
図4b(p111)p110-111

(脚注)
*1
一般的な30分枠のテレビ放送用アニメーションにおける平均的なレイアウト数は300カットほどになる。(スタジオディーン ホームページ「アニメはこんな風に作られる!~俺の嫁がアニメになるまで~レイアウト編」より http://www.deen.co.jp/webarchives/17201528.html


(作品情報)
江口寿志 アニメーション背景原図集
単行本 106ページ
玄光社
2017年