第40回日本アカデミー賞の最優秀アニメーション作品賞や、第41回アヌシー国際アニメーション映画祭の長編部門 審査員賞を受賞し、2016年の日本のアニメーション映画を代表する一作となった『この世界の片隅に』。舞台となった広島、呉の徹底した時代考証に基づく描写や、こうの史代の原作マンガが持つ柔らかい絵柄を生かしながらもリアリティに溢れる動きは大いに話題になった。これらの突出した映像表現を作り出す原画を収録したのが『この世界の片隅に 劇場アニメ原画集』だ

表紙

本書は映画『この世界の片隅に』の原画スタッフによる原画を中心に、修正原画や作監修正画などを含めた1900枚以上を厳選収録した原画集だ。絵作りの設計図として描かれるレイアウトや、アニメーションの動きの基礎となる原画を本書で並列して見ることで、『この世界の片隅に』の作り手たちが、どのようなアプローチでアニメーションを作り上げたのか知ることができる。また、巻末には監督の片渕須直と監督補・画面構成の浦谷千恵への2万字のロングインタビューも収録されており、より深く作品の制作過程に迫れるようになっている。

当時の空気感を表現する道程

『この世界の片隅に』でまず話題になったのが、舞台となった広島と呉の街並みの描写である。本書に収録されている映画冒頭の広島の街のレイアウトは、浦谷によるものだが、店舗の看板の文字や、駄菓子屋に並んだ菓子の種類の指示、ショーウインドーの人形など、各々の豊かな表情がレイアウトの中に描かれていることが確認でき、当時の様子を表現するために積み重ねられた時間の膨大さを知ることができる。収録インタビューの片渕の談によると、通常のアニメ制作では、美術設定を作った後にレイアウトを描くという工程を踏むが、『この世界の片隅に』では時代考証の必要性と、1シーンでしか使われない背景の多さから、全体の7割以上は浦谷が自らの手でゼロからレイアウトを起こしたという。取材が進むにつれて明らかになる史実も多くあったそうで、その都度多岐にわたる修正を行ったことが、仔細に描写されたレイアウトから見て取れる。

浦谷千恵による広島県中島本町(現 平和記念公園)のレイアウト原画(p.11)

多彩な表現と技術を携えて

動きの順を追って原画を見られる本書は、人物の動きを表現するための技術を知る上でも示唆に溢れている。例えば、主人公のすずが、被爆から来る体調不良で布団に横になる妹のすみを見舞うシーンの原画が、本書には約100枚収録されている。劇場でも多くの観客が引き込まれたであろうこのシーンの原画は、原画スタッフ福島敦子の高い技量によるもので、身体の動作を追うことができる。すずが畳の上にしゃがみ込み正座する際の手足の関節の動作や、横になったすずやすみの髪の毛が床に落ち広がる様子、さらに絡み合わせた互いの手のアップにおいては、指が肉をなぞる時の柔らかい質感や指先の重量の移動などが巧みな線によって表現されていることがよくわかる。また、和室にいる2人を、下からの煽りや、上や斜めからの全身俯瞰、バストショットと言った巧みな視点の切り替えで描写していることも理解でき、カメラワークの徹底したこだわりを1カットずつ確認することができる。

多くのアニメーションファンが注目した、すずの姪が不発弾の被害に遭った後のシネカリグラフィー風のシーンも、300枚近くの原画が収録されている。これは特殊作画と演出補を担当した野村建太の手によるもので、フィルムに傷をつけてアニメーション化するシネカリグラフィーをクレヨンの手描きで模して表現している。本書収録のインタビューで片渕が語っているように、映像作家である野村は、実験的なアニメーションなどで試されてきた様々なアニメーション手法の知識を持っている。このシーンもカナダのアニメーション作家、ノーマン・マクラレン(1914-1987)の作風を意識しているといい、その為に野村はノーマン・マクラレン「Blinkity Blank」(1955)を繰り返し見ながら描きこんだそうである。野村は他にも爆弾の落下や鳥の飛行シーンで、爆弾や鳥の1枚絵をコマ打ちすることで動きを表現するなど、ロシアのアニメーション作家、ユーリ・ノルシュテイン(1941-)に代表される切り絵アニメーションのような考え方の表現も担当しており、アートアニメーションの文脈で育まれてきた表現手法を持ち込むことで『この世界の片隅に』の映像をより肉厚にしている。

以上のように、本書に収録された原画を読み解くことで、『この世界の片隅に』を支えている技術と、アニメーションという表現における幅の広さを知ることができる。『この世界の片隅に』が挑戦していたのは、これらアニメーション表現の高いレベルでの結合であり、それが成功したからこそこれほどの評価を集める作品に結実できたと確信させる、非常に魅力的な一冊だ。

左:野村建太によるシネカリグラフィー風カット(p.125)
右:福島敦子による原画、右下の2カットは松原秀典による作監修正の入ったもの(p.196)

(作品情報)
『この世界の片隅に 劇場アニメ原画集』
著者:『この世界の片隅に』製作委員会、片渕須直、こうの史代
発行年:2017年
出版社:双葉社
© こうの史代・双葉社/「この世界の片隅に」製作委員会