ニューヨークのNew Museumのオンラインプロジェクト「Frist Look」で、アマリア・ウルマン氏(Amalia Ulman)の《Excellences & Perfections》が公開されている。

ウルマン氏に関しては2013年7月24日の記事で、「ETHIRA」というリアクションが生じる余地を完全に排除してデザインされたTwitter(のような)アプリを紹介したが、今回の《Excellences & Perfections》はそれとは反対に、Instagram及びFacebookという既存のSNSでフォロワーからの多くのリアクションを集めながら行われたパフォーマンスである。

1989年生まれのウルマン氏はインターネットとともにある人々のアイデンティティをめぐる作品を制作しているが、《Excellences & Perfections》は彼女自身が別の人格をインターネット上につくるものであった。また、今回の作品はInstagramとFacebookで行われており、そのパフォーマンスを保存するためにRhizomeが開発した「Colloq」というツールが使われている。

2014年4月19日にウルマン氏は自身のInstagramに「Part1」と書かれた画像を投稿した。それが《Excellences & Perfections》の始まりだった。その後、ウルマン氏は9月14日に「THE END-EXCELLENCES AND PERFECTIONS」という「場所」から「白黒の薔薇」の画像を投稿してパフォーマンスを終えるまで、ひとりの幸せな夢見る女性が、不幸のどん底に落ち、そこから復活していく様を演じていくことになる。

ウルマン氏はInstagramで入念につくり込まれた画像を投稿し、ハッシュタグやコメントを巧みに使い、Facebookのプロフィールも心境の変化に合わせて変えていった。そこには確かに「アマリア・ウルマン」という女性がいた。実際、多くの人はそこで行われているのが《Excellences & Perfections》というパフォーマンスであることに気づくことなく、ウルマン氏がアップロードする写真に「Like」をつけ、コメントをしていた。パフォーマンスの中盤で、ウルマン氏が不幸から抜け出した際に投稿した「ハート」の画像と「感謝と謝罪」の言葉に対して、「これはアートであって、すべてはパフォーマンスだ」というコメントがユーザからつけられてもいる(そのコメントは「Colloq」で保存されたInstagramでは削除されている)。しかし、そのようなコメントがあった後もウルマン氏は「ウルマン」氏であり続け、フォロワーたちからもこれまでと同じように、画像に「Like」やコメントがつけられていった。そして、「白黒の薔薇」の画像につけられた164の「Like」と「拍手」のコメントとともに《Excellences & Perfections》は終わる。

ウルマン氏は今回のパフォーマンスを実施するために、週の半分をInstagramの撮影に使い、残りは自分の生活をしたとしている。それは《Excellences & Perfections》のなかでの「ウルマン氏」と、それを演じているリアルのウルマン氏のバランスを保つために必要だった。また、今回のパフォーマンスを始めるにあたって、作品のことを教えていない友人・知人とのリアルの社会的関係を一度やめる必要があったとウルマン氏は述べている。それは、Instagramだけでなく、Facebookとも連動したパフォーマンスであるため、リアルのウルマン氏をタグ付けした写真がネットにあがる可能性をなくすためである。たった1枚のリアル・ウルマン氏の画像が、《Excellences & Perfections》でつくりあげられた「ウルマン」氏を台無しにしてしまう。ウルマン氏は「嘘をつき続けると、それは本当のことになる。その偽物の真実は言葉でつくられたものより、画像によってつくられたもののほうがより正当性をもち、真の真実となる。画像は言葉よりも力があり、つくられた視線から逃れることは難しい」と述べている。

このように画像の力を認識しているからこそ、彼女は「アルマ・ウルマン」をつくるためにPhotoshopで画像を入念に加工したり、時には他人の写真も使ったりもした。そしてその画像の力はウルマン氏だけが認識しているのではない。なぜなら、Instagramに溢れる、セルフィーやフィルターで雰囲気を演出された上で自分をより良く見せようとして取られた画像もまた、「嘘」とまでは言わないが自己をより良く演出するためのものなのだから。

ウルマン氏が今回の作品制作において徹底していたのは、週の半分の撮影だけでなく、それ以外の部分でリアルな人間を一度切断して「アマリア・ウルマン」をめぐる画像のコントロールをしたことにある。このように考えると《Excellences & Perfections》というパフォーマンスの範囲には、InstagramとFacebookに投稿される画像とコメントだけではなく、ネットにあげられることがなかったウルマン氏の「リアルライフ」と呼べる部分も入ることになる。

「パフォーマンスの範囲」ということでもうひとつ興味深いことは、作品の保存範囲である。InstagramやFacebookといったSNSは頻繁にその仕様を変えていくため、今回のような作品はそれが発表されたときの状態で見られなくなることがよくある。Rhizomeはそのような事態を防ぐために、作品とそれが発表されたネット環境をセットで保存する「Colloq」というアーカイブツールを開発した。ウルマン氏は「Colloq」を使って、《Excellences & Perfections》を行ったInstagramのみを保存した。Instagram以上にリアクションがあったFacebookを保存しなかったことに関して、ウルマン氏は「誰もパフォーマンスだと知らなかったし、作品をアーカイブすることと人々のプライバシーを守ることの関係は本当に複雑だ」と述べている。

SNSにあるコメントならば自分の意思でそれを削除できるが、「Colloq」などのツールでアーカイブされるとユーザはそれができなくなる。《Excellences & Perfections》のようにそれが「パフォーマンス」だと知らされていない場合は、このことは大きな問題になる。しかし、作品の性質上、リアクションがなければ成立しないし、最初から「パフォーマンス」だとばらすわけにもいかない。同時に、SNSという人工的環境は頻繁に変更されていくので、アーカイブツールを使わない限りは「パフォーマンス」をそのまま保存できない。今までのネットアートのように「儚い」存在として作品を扱い、作品が機能しなくなったり、消えてしまったらその周辺の記録だけでよしとするのか否か、インターネット上の作品に関しての大きな選択が迫られている。同時に、プライバシーの観点からFacebook社(Instagramを保有)をはじめとするネット企業は保有するデータの取り扱いに慎重になっており、「Colloq」のようなツールが今後使えるのかどうかは不透明である。今回の作品に関してFacebook社はコメントを拒否している。

ウルマン氏の《Excellences & Perfections》は、SNSとともにある私たちの行為のどこまでが作品となるのか、そして、その行為がどこまで作品に影響を与えることになるのかという問題を提起している。さらに、「Colloq」というアーカイブツールによって、どこまでを作品として保存するのかという問題も提起されている。それは作品の範囲と作品として保存する範囲を一致させるのかどうかという問題も同時に示している。ウルマン氏の作品が「演出性」や「リアクション」などSNSが成立する前提をあぶりだし、ネット上の私たちの行為の本質を明らかにしていくものだからこそ、私たちの生活にすっかり浸透し文字どおり誰もが参加できるようになってきた「インターネット」という人工的環境での作品保存の問題も考えなければならない。

Amalia Ulman: Excellences & Perfections
http://www.newmuseum.org/exhibitions/view/amalia-ulman-excellences-perfections

Amalia Ulman氏のInstagram
http://instagram.com/amaliaulman