2012年12月3日、ロシアのアニメーション作家フョードル・ヒトルーク氏がモスクワ市内の自宅で逝去した。95歳だった。
アニメーションの世界におけるヒトルーク氏のキャリアは、1937年、ソ連の国営アニメーションスタジオであるソユズムリトフィルムでアニメーターとして働きはじめるところから始まった。監督としてのデビュー作『ある犯罪の話』(1962)は、当時のモスクワにおける住宅問題を取り上げた作品で、主に子供向けの作品を作っていた同スタジオのそれまでの歩みとは一線を画し、公開に際しては騒動が持ち上がるなど話題となった。採用したグラフィック・スタイルも、ディズニーを思わせる流麗かつ自然主義的なスタジオ王道のものとは異なり、1940年代後半以降世界的に流行したデザイン性の高いリミテッド・アニメーションに近いもので、この作品をきっかけに、ロシア・アニメーションの新しい流れが生まれることになる。ヒトルーク氏の存在は後続の作家にも大きな影響を与え、ユーリー・ノルシュテイン氏、エドゥアルド・ナザーロフ氏、アンドレイ・フルジャノフスキー氏などとともに1960年代から70年代におけるロシア・アニメーションの黄金期を形成することとなる。
ヒトルーク氏は、『ある犯罪の話』以後も活発に制作を続け、1969年から72年にかけて作られたロシア版「くまのプーさん」シリーズは現在に至るまで国民的な人気を誇り、1973年の『島』はカンヌ国際映画祭短編部門でパルムドール(最高賞)を受賞するなど、氏の作品は、ロシア国内のみならず、国際的にも高い評価を受けた。1975年には、ソ連人民芸術家の称号も与えられた。
1983年の『ライオンと雄牛』以降、監督として作品を発表することはなかったが、ソ連崩壊に伴うソユズムリトフィルムの弱体化後、ノルシュテイン氏、ナザーロフ氏、フルジャノフスキー氏とともにアニメーションの教育機関兼製作スタジオ「シャール」を立ち上げ、90歳になるまで教壇にも立ち続けるなど、生涯にわたってロシア・アニメーション界をリードする存在であり続けた。
ヒトルーク氏の葬儀は、12月5日に、モスクワの映画館「ドーム・キノ(映画の家)」で執り行われた。

Russian Animator Fyodor Khitruk Dies at 95 | AWN | Animation World Network
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