手塚治虫がテレビ、映画、ラジオなどに書き下ろした、数々のシナリオやストーリーの骨組みとなるシノプシスを、イメージボードなどのカラー口絵とともに収録した文庫オリジナル作品集。作品の制作過程で生まれるアイデアの源流ともいえる資料に触れられる貴重な資料となっている。


図1 手前『手塚治虫シナリオ集成 1981–1989』、奥『手塚治虫シナリオ集成 1970–1980

手塚治虫の未発表資料集

団塊の世代が牽引したサブカルチャーの歴史にも厚みができはじめている現在、これまで未発表とされていたものが資料として次々と掘り起こされている。それらは、たとえば音楽でいえば過去作がリイシューされるとき、「別テイク」や「デモ音源」などが「ボーナス・トラック」として収録され、われわれも触れることができるようになっている。
そして、これと同様、マンガの世界でも過去の名作が復刊される際、これまでの版では未収録だったエピソードや制作時の「ネーム」などが収録され、年間何点も刊行されている。
今回、ここで採り上げる『手塚治虫シナリオ集成 1970-1980』(以下、『1970-1980』)と『手塚治虫シナリオ集成 1981-1989』(以下、『1981-1989』)は、まさにそうやって掘り起こされた手塚治虫の未発表作品を含む資料集となる。この2冊は、内部資料として作成されたシナリオとシノプシス(「概要」「あらすじ」の意)で編まれている。多くのものは既刊の各種アンソロジーに掲載されているようだが、この『1970-1980』および『1981-1989』では時系列順にまとめて読めるようになっている。
また、いくつかの初公開の資料もあり、その一例として分量的に多いものを挙げれば、『1970-1980』には『ジェッターマルス』(1977年連続テレビアニメ全27話)のシノプシス、『1981-1989』には『ブレーメン4 地獄の中の天使たち』(1981年2時間スペシャルテレビアニメ)のシノプシス、『タイムスリップ10000年プライム・ローズ』(1983年2時間スペシャルテレビアニメ)のシノプシスがある。
手塚アニメを観ていた世代や熱心なマニアならば、この2冊は「あの作品にはこういう意図があったのか!」と作品への理解を深める助けとなるだろう。
では、リアルタイムで観ていた世代やマニア以外の人は楽しめないか? というと決してそうではないと考える。


図2a 「ジェッターマルス」(1977年)キャラクター原案(『手塚治虫シナリオ集成1970–1980』p.7)
Ⓒ 2017 TEZUKA PRODUCTIONS

図2b 「ブレーメン4 地獄の中の天使たち」(1981年)キャラクター原案・設定(『手塚治虫シナリオ集成1981–1989』p.10)
Ⓒ 2017 TEZUKA PRODUCTIONS

手塚治虫は何を夢見た

こういった「ボーナス・トラック」的な資料の楽しみ方は、とにかく「制作過程にこそ、作家の最たるものが浮かび上がってくる」ものとして読むことだ。筆者は1985年生まれで手塚アニメをリアルタイムで観た世代でも、手塚アニメのマニアでもない。しかし、『1970-1980』および『1981-1989』で興味深いところはいくつもある。
たとえば、『1970-1980』に収録された1980年代版『鉄腕アトム』の「基本構想」では、1960年代版のものが「正義の味方として科学文明謳歌というテーマにすりかえられた」とし、本来、アトムはどちらかの一方の側につくのではなく、対立するものの「両者をなかだちし、なやみながら、その解消に献身的な努力をする立場である」としている。ここから、大衆娯楽として明解な活劇が求められるなか、手塚としては複雑で哲学的な問いを描こうとした姿が見えてくる。これは、手塚が生涯クリエイターとして葛藤していたことではないだろうか。
そして、『1981-1989』収録の「『火の鳥』 第2部」とされたシナリオには、セリフやト書きだけではなく、音楽についてもかなり具体的な書き込みがされている。ノリノリになってシナリオを書いている手塚の高揚感まで伝わってくるようだ。しかし、このシナリオは実際に映像化されることはなかった。手塚は繰り返しディズニーの『ファンタジア』を絶賛していたが、このシナリオから『ファンタジア』を超えるアニメ作品を国産アニメで作ろうとした「夢」の跡を見て取れるのである。
いま述べてきたことは、復刻ものに加えられる「ボーナス・トラック」をリアルタイム世代とマニア以外がどう楽しむか、という一例である。たしかに「お勉強」的な側面は否めない。しかし、サブカルチャーの歴史を知ることで、今の流行のもの以外に楽しめるエンターテイメントがグンと拡がるはずである。若い読者にもおすすめしたい。
そして、最後に少し専門的なことに言及すると、こういった資料の掘り起こしは、新しい研究のパースペクティブも開くものになると考えられる。ここ20年ほどの手塚治虫に関わる研究は、その巨大な存在を相対化していくベクトルにあった(註1)。これらの研究により、手塚のキャリアを中心に考えられていたマンガ/アニメの歴史から、より多様な視点をわれわれは得た。ただ、次々と新しい手塚の資料も発見されてきている。こうした資料の検証から、今までとは異なった手塚治虫像もまた見えてくるはずなのである。


図3 「砂漠のクリスタル」イメージボード集(『手塚治虫シナリオ集成1970–1980』pp.210-211)
Ⓒ 2017 TEZUKA PRODUCTIONS

(註)
*1
これに関する重要文献として、宮本大人「マンガと乗り物―『新宝島』とそれ以前」(霜月たかなか編『誕生!手塚治虫 マンガの神様を育てたバックグラウンド』[朝日ソノラマ、1998年]に収録)や「ある犬の半生—のらくろと〈戦争〉」(『マンガ研究』vol.2[日本マンガ学会、2002年])、伊藤剛『テヅカイズデッド ひらかれたマンガ表現論へ』(NTT出版、2005年)、岩下朋世『少女マンガの表現機構 ひらかれたマンガ表現史と「手塚治虫」』(NTT出版、2013年)、三輪健太朗『マンガと映画 コマと時間の理論』(NTT出版、2014年)が挙げられる。また、アニメーターとしての手塚治虫に絞った論考として津堅信之『アニメ作家としての手塚治虫 その軌跡と本質』(NTT出版、2007年)がある。


(作品情報)

『手塚治虫シナリオ集成 1970-1980』
『手塚治虫シナリオ集成 1981-1989』
(以下2冊とも同じ)
発行年:2017年
出版社:立東舎

Ⓒ 2017 TEZUKA PRODUCTIONS