日本と韓国を代表するイラストレーターによる『寺田克也+キム・ジョンギ イラスト集』(玄光社、2017年)は、超絶的な技巧を持つ二人が、言語の壁を越え、お互いの作品によって、絵描き同士ならではの交流をするドキュメンタリーとも言えるイラスト作品集だ。著者の一人である寺田克也さんに、キム・ジョンギさんについて、海外のアーティストについて、自身の絵を描くことに対する姿勢について、お話を伺った。

寺田克也さん。制作中の作品を前に

キムさんとの出会い、『寺田克也+キム・ジョンギ イラスト集』を作ることになったきっかけを教えてください。

実際に会ったのは2012年のサンディエゴで開催された「コミコンインターナショナル」で、キム・ジョンギがあいさつに来てくれたのがきっかけです。会う前からキムの作品は知っていて、キムも俺の本などを買ってくれていたようです。コンベンションの後にご飯を食べながら、何かよい企画があったら一緒にやりましょうと話はしていました。
キムと俺の本の前に、フランスのマンガ家ニコラ・ド・クレシーと松本大洋さんのコンビネーションのイラスト集があり(『松本大洋+ニコラ・ド・クレシー』玄光社、2014年)、その流れで2017年に本を作る運びになりました。

この本を作る前に、キムと共作をした機会があるんです。2015年に中野ブロードウェイにある村上隆さん主宰のギャラリー「Hidari Zingaro」でキムが個展を開催しました。イベントとしてライブドローイングをやると聞いて、見に行こうと思っていたのですね。そうしたら、村上さんから「キム・ジョンギが寺田克也とライブドローイングをやりたがっている」と連絡が来て、断る理由もなかったので、いいですよと返事をしました。それがイベントの前日で、翌日サンディエゴ以来、久しぶりに再会したのです。
会場の壁には大きい紙が貼ってあって、「丸い感じ」でまとめようか、とだけ軽く打ち合わせて、一緒にドローイングをしました。その場で描いたのが、イラスト集の表紙になっている作品です。
主に俺がキムの絵を見ながら、そのモチーフに対応する形で何かを描くという、キャッチボールのような形で展開していきました。
どちらかというとライブドローイングは彼の得意分野。対抗しようとしても勝てないので、まずキムに描かせて、それを俺が受けるという感じで描き始めました。しかし、お互いの絵と絵が絡まないと合作としてつまらないわけで、その部分は阿吽の呼吸でできましたね。
3時間くらいかけて描いたのですが、途中で、その日がバンド・デシネの作家メビウスの命日とわかり、2人ともメビウスに強い影響を受けた背景もあって、トリビュートにしようと決めました。キムがメビウスの姿を下部に描き、いい形で絵が完成しました。

ライブドローイングで描いたイラストは『寺田克也+キム・ジョンギ イラスト集』の表紙になっている

寺田さんから見てキムさんのすごさ、個性とはどのようなものですか。

ある種のギフト(才能)に近いと思いますが、空間を把握する能力が桁外れですね。
例えば、机の奥にもう1個机があり、その向こうに本棚があるという光景を描くとします。それらの物体を同じ地平で描くには、まずうっすらでも下描きするのが当たり前なところ、キムは本棚の左方から描き始めて最終的に右下の机の端まで描き上げ、同じ空間にそれら全ての物体が設置されているかのように表現できます。同じことが人間の体でも何でもできるのです。ここに右手を描いたと思ったらこっち側にバイクのヘルメットが描かれ、それらが有機的に繋がって最終的に魚眼レンズのパースで同じ地平にいる、バイクに乗る男とオープンカーに乗る女が奥行きをもって現れる。下描きもなく、端から描いていって全部一緒になる。
彼はVRのように空間を捉えていて、実際には見えない向こう側も知っているから、手前に置いてあるものと向こうに置いてあるものの距離も描けるのです。YouTubeで彼が実際に描いている姿(https://www.youtube.com/watch?v=Rynxr6twe4w)を見た世界中の絵描きが驚いてひっくり返ったのは、その能力に対してだと思います。
キムは特殊なカメラを先天的に搭載しているので、練習したからといって皆があの地平に行けるわけではありません。出来上がった絵が似ているとしても、それは線画として似ているだけで、キムの持つすごさは真似できないとライブドローイングのときに思いました。
でも本人はいたって普通の人間です。話しかけても描きながら普通に応えてくれる。フォーカスして全部閉ざして描いているわけではないので、冗談を言うと笑います。
実際に人が描いているところを目の当たりした経験で得られたものは大きく、いま俺がライブドローイングをする時の技術の一端は、あのときのキムから貰っていると思います。

キム・ジョンギの作品。『寺田克也+キム・ジョンギ イラスト集』p.95より

お二人は年齢が10歳ほど違いますね。キムさんに対して、新しい世代と感じるところはありますか。

キムの場合は絵のタッチが新しいわけではなく、筆で描いたオーソドックスな絵です。スケッチのリアルタイムのすごさ、あの描き方自体が新しいものでした。しかし、まだ絵描きとしてのキム・ジョンギは完成しているわけではありません。スタイルもタッチも、これから変わっていくでしょうし、本人もそう思っているでしょう。
また素材の点でも、キムは紙にペンです。むしろ俺の方がデジタルツールを積極的に取り入れていますね。
今使っているのは、12.9インチのiPad ProとApple Pencil、アプリケーションはProcreateです。ProcreateはPCで言うとPainterに近いドローイング、ペインティングドローイングソフトです。今日本円だと1200円ですが、俺が買った時は700円でした。
どんな道具にも一長一短はありますし、OSのアップグレードで反応が良くなるどころか、むしろ最近重くなったかなと思うことも(笑)。でも、それを越えてデジタルツールを使うのは楽しいというところですかね。

実際にiPad Proで絵を描いていただいた

キム・ジョンギや海外のアーティストをどのように見てらっしゃいますか。特に若い頃、メビウスのバンド・デシネに興味をもったということですが、フランスの作家が特にお好きだったのでしょうか。

メビウスの絵を始めて見たのは15歳の時で、フランスのマンガ雑誌『メタル・ユルラン』が入り口でした。1970年代にメビウスらバンド・デシネ作家たちが、大人向けの作品を発表するためにつくった媒体です。
それ以前は『タンタンの冒険』のようなベルギー、フランス語圏に連綿とある新聞小説のようなマンガが主流で、決して自由な表現ができる環境が用意されていたわけではありませんでした。日本に輸入されてきたのは、『メタル・ユルラン』の英語版の『ヘビーメタル』という雑誌です。SF作家でもあった野田昌宏さんが『SFマガジン』(早川書房)で、フランス語版と英語版の両方を取り上げ、フランスのマンガがすごいとリアルタイムで紹介していました。そこでメビウスの絵をみて「こんな絵があるんだ!」と、一気に自分の世界が開いた感じがしました。

インターネットがない時代に海外の作家の状況をどうやって入手されたのですか。

英語もフランス語も読めないですし、当時は『SFマガジン』と、俺が高校生の頃に創刊された『スターログ』(アメリカの月刊SF映画雑誌で日本版も刊行されていた)しか情報源はありません。
郷土の岡山県の紀伊國屋1階には洋雑誌コーナーがあって、そこに『ヘビーメタル』が置いてあったので、まず1冊買いました。
アメリカは国土が広いので、雑誌は本屋で買うより通信販売や定期購読が主な販売形態なんですね。『ヘビーメタル』も定期購読とバックナンバーを販売するページがありました。そのページを見ると、創刊号はソールドアウトでしたが、最初の年の10冊は売っていたので、全部星を付けて購入しました。当時は1冊1ドル50セント。レートで260〜280円くらいですかね。しかし、その頃の洋書業界は1ドル360円のレートのまま続いていて、『ヘビーメタル』は日本で1冊1800円で売っていたのです。ところが、バックナンバーは1ドル50セントで売っているわけだから、日本円で300円ほどしかしない!
当時、SFファンのすごい人に柴野拓美(しばのたくみ)さんという方がいらして、『SF次元へのパスポート』(1978、住宅新報社)というSFファンの活動に役立つ情報が入った著書には海外の書籍の買い方が載っていました。その本の通りにやっただけです。『ヘビーメタル』のバックナンバーは、当時まだ創刊して4年目くらいだったので、バックナンバーを全部買ったとしても40冊あるか無いか。1冊1ドル50セントですから、全部買っても1万円しない。しかも、アメリカの雑誌は定期購読をすると1年で何パーセント、2年で何パーセントと徐々に割り引かれて、3年の契約だとほぼ半額。つまり1冊70セントくらい、日本円ではそれこそ200円くらいで買えるんです。
これは絶対に定期購読だと思って、定期購読3年にチェックをして、為替を郵便局で作って送って、2カ月待ったら段ボールにバックナンバーが届いて……。あの時の興奮は、いまだに凌駕するものがありません。自分の小遣いで買える金額だと知ることができて、本当によかったと思っています。
当時欲しいものは探さないと手に入らなかった。しかし、その方法を知っている人は他の人に教えたくなる病気をみんな持っているので、野田さんしかり柴野さんしかりで、アンテナを張っていると、情報は何となく入ってきました。海外の雑誌も買えて、バックナンバーも毎月送られてくるようになりました。自分の目で絵をみる欲を満たすもの、自分の肥やしになるものが毎月訪れるというのは素晴らしかったですね。
このような経験が自分の進む道を方向付けたことは間違いないです。もちろんそこには『SFマガジン』があり『スターログ』があって、特に『スターログ』の存在は大きく、日本に海外SFのムーブメントを持ってきたという意味では、抜きにできない存在かと思います。

海外の新しく出てきた作家で、今、マンガ、アニメーションの分野も含めて注目されている方はいますか。

あんまりマンガもアニメーションもちゃんと追いかけていませんが、韓国には上手い人がたくさんいますね。キムの絵はあくまでも進行形のすごさがあって、完成形としてのキム・ジョンギはまだ俺には見えていません。リアルタイムで見る分には制作過程も絵の価値の1つに入っていくと思いますが、やはり作者を離れると1枚の絵なので、その時にどれだけの力を持てるかという点では、俺もキムもまだまだ完成じゃないという気はしています。
大きなくくりで、「1枚絵」に行くのか、マンガに行くのかという分かれ道がありますね。
アメリカで人気のジェームス・ジーンは、若い時にアメコミのカバーの仕事をやって、その後アーティストに転身しています。また、アメリカの友達のケント・ウィリアムズも、元々『X-MEN』のウルヴァリンのグラフィックノベルを描いていて、現在はアーティストをしています。海外で彼らのような1人で制作している作家は、マンガから始まってアートの方に足を伸ばしていくという活動になっていくようです。

寺田さんはマンガやイラストレーションなどを書かれていますが、寺田さんが思うマンガの特性はどういったものでしょうか。

マンガの特性は時間軸がありますので、そこに演出が顕著に入ってきますよね。1枚絵にも演出はあるにしても、あまり時間の要素は入ってきません。
それから、視点の移動は1枚絵ではなかなか表現が難しいことです。マンガを描く時には、描く人の視点ではなく、カメラを移動させて何を見せたいのかが重要になります。
マンガはやることがすごく増えますので、労力で言うと、イラストレーションよりマンガのほうがはるかにしんどいです。さらに、マンガは分かりやすくなければいけない。その分かりやすさが、一般的な価値としてはイラストレーションの下にあるように見られるのが納得いかないところではあります。

本書に収録されているコラボレーションマンガ pp.32-33より

アニメーション作品やゲームとの関わりと、絵を描くこととの関係を教えてください。

アニメーションの『BLOOD THE LAST VAMPIRE』は、俺のキャラクターを動かしたいという監督の思惑が製作のきっかけでした。作品としてはすごく好きですし、絵を動かす人たちの技術に感動しました。ただ、これはアニメということを意識した線の数にしているので、自分の絵が動いたという意識ではないんですね。
アニメーションのように誰かの手を使って自分の作品をつくる意識はそんなに強くなく、自分で手を動かしてつくるつもりでいます。
ゲームでは『バーチャファイター2』を担当しましたが、先にゲームがあり、すでにキャラクターデザインもされている中で、後から入ったスタッフという意識です。『バーチャファイター』はゲーマーとしてもエポックメイキングなゲームでしたから、携われたのはすごくハッピーでした。仕事として出来ることをやり、結果的に、自分の名前を出してもらえた仕事としてとても重要なものになりました。
今後も、アニメーションやゲームの仕事は自分ができる形であれば関わりますが、自ら主導してアニメーションやゲームをつくることはないですね。
現在は、絵を描く人として、どこまで行けるのかというところに興味があります。
それが大きかろうが小さかろうが、マンガだろうが一枚絵だろうがあまり関係なく、手を動かした結果、その痕跡としての作品に、何が出来上がるのか。
こう言うとすごくストイックに聞こえるかもしれませんが、結局のところ、いろいろなことに手を出すほど器用じゃないし、一つのことだけ集中していれば、キム・ジョンギがそうであるように、絵描きとしての高み、さらにその先を見られるのではないかと思っています。

Photo: 中川周


(作品情報)
『寺田克也+キム・ジョンギ イラスト集』
作者:寺田克也+キム・ジョンギ
発行:2017年
出版社:玄光社
http://www.genkosha.co.jp/gmook/?p=12587