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「動態論的メディア研究会」は、デジタル技術の発展とグローバル化の進展の中、ダイナミックに変容をとげるメディア及びメディアに関わる表現文化について学術的にアプローチを行う研究会である。「メディア」を基軸に、思弁的実在論、メディア生態論や新しいカルチュラル・スタディーズなど新たな思潮や問題関心も踏まえながら、異なる分野の研究者が分野横断的に意見や関心を交換する場づくりを目指している。立命館大学 映像学部 映像学科教授の北野圭介氏と同学科准教授の北村順生氏によって立ち上げられた。第四回目となる今回は、「藤幡正樹とともに考える〜メディア、技術、アート」と題して、2017年1月7日に京都国立近代美術館1階ロビーにて開催された。ゲストスピーカーの藤幡正樹氏は、1996年にアルスエレクトロニカでゴールデンニカ(最優秀賞)を受賞するなど、日本におけるメディアアートの第一人者である。藤幡氏の過去の代表作の映像や、昨年にフランスで出版された作品集『Anarchive No.6:藤幡正樹』の紹介も交えながら、ディスカッサント役をつとめた北野氏とともに活発な議論が交わされた。以下では、「人工知能(AI)の未来予測と『事故』の可能性」「インターフェース/モダリティ」「メディアアート作品のアーカイブ」というキーワードを軸にレポートする。

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人工知能(AI)の未来予測と「事故」の可能性

藤幡氏はまず、人工知能(AI)を搭載した自動車の開発など、最近大いに話題になっている人工知能の技術的進歩から話題をスタート。コンピュータが膨大なビッグデータを機械学習し、解析結果から導き出す未来予測が、人間が経験の積み重ねから推論して下す判断よりも速いスピードで行われるようになってきている。そうした人工知能による未来予測に対して、人間に残された仕事は「事故」、すなわち予測不可能なアクシデントや不連続性をどう組み込んでいけるかが今後問われていくと述べた。

さらに藤幡氏は、「事故からの回復」が求められる社会に対して、芸術作品が果たす役割についても述べた。通常、私たちの暮らす一般社会では、「事故」が起こることは極力避けられ、物事が摩擦なしにスムーズに動くことが望まれている。そうした消費者の欲望に応えることが、企業の商品やサービスの開発を駆動させてきた。しかし、摩擦や凸凹が完全に排除された世界は、現実感を失ったものになる。つまり、実際に事故が起こり、世界の不完全さや摩擦に直面した時に、リアリティが立ち上がるのではないか。問題は、「事故からどう回復するか」にあると藤幡氏は述べる。すぐに穴やギャップを埋め戻して何事もなかったかのように振る舞うことは、「現実とはどういうものか」に気づく機会を手放すことであり、このことが顕在化したのが3.11の原発事故だったと藤幡氏は言う。そして、理解不可能なものを「理解した」として終わりにするのではなく、理解できないものをつくるのが詩の世界、つまり芸術作品であり、芸術作品は(本当の事故を起こす代わりに)ある種のシミュレーションとして問題提起すべきではないか、という考えが述べられた。

また、「人工知能は芸術作品をつくれるか?もしつくったとしたら、次世代の芸術はどうなるのか?」という会場からの質問に対しては、「ヒューマニスティックな考えかもしれない」とことわりつつ、「結論としてはありえない。あくまで芸術は人間が中心にあるという考えは、アーティストとしてゆずれない」という自身の芸術観を述べた。

インターフェース/モダリティ

また、もう一つのキーワードとして「モダリティ」という言葉が登場した。コンピュータのマウスやキーボードなど機械と人間の接触面に対して、従来は「インターフェースのデザインが良い/悪い」という工学的な言い方がなされてきたが、藤幡氏は、人間側から見た場合、「モダリティ(modality)」という語を用いることを提唱した(本来、モダリティとは、推測や可能性など、命題に対する話し手の判断や感じ方を表す言語表現を指す)。同じマウスであっても、どのような「モーダル(modal)」「モード(mode)」に従って出来ているのかによって、モダリティが変わってくるということが起こりうると藤幡氏。例として、昨年に立命館大学 映像学部 映像学科の学生に向けて行ったワークショップを紹介した。このワークショップでつくられた映像では、別々に撮られた2つの映像が画面の左右に配置され、マウスでカーソルを合わせた方の画面が再生されることで、左右の映像を切り替えることができる。これは原稿用紙に例えると、1行に入る文字数を何文字に設定するかによって、表現内容に制限や幅が生まれるのと同様に、インターフェースのデザインないしモーダルが変わることで、そこに盛り込まれる内容も自ずと変わってくる。つまり、メディアの制約によって表現者の行う表現が変わってくる。このことを書籍や原稿用紙のレベルで行ったのがマラルメだった。

一方、70〜80年代以降、従来の「絵画」「彫刻」「書籍」といった比較的安定したメディアに対して、メディアアートが新しいメディアそのものをつくり出す時代になった。新たな「原稿用紙」を設定することと、中身をどう埋めるのかが、今のデジタル環境において同時に起こっていると藤幡氏は指摘する。しかも原稿用紙の設定の仕方の選択肢は、アナログの時代に比べてはるかに多様性に満ちている。フレキシビリティの高いメディアを前にして、どのように自分だけの原稿用紙をつくるのか、そこにどのような言葉を盛り込もうとしているのか。その両者の関係でメディアアート作品ができてくると藤幡氏は述べた。

メディアアート作品のアーカイブ

また、昨年にフランスで出版された作品集『Anarchive No.6:藤幡正樹』についての紹介も議論の主要テーマとなった。「Anarchive(アナーシーブ)」は、ビデオアートやメディアアートの研究者であるアンヌ=マリー・デュゲ(Anne-Marie Duguet)の企画による、コンテンポラリー・アートのデジタル・アーカイブシリーズ。これまで、アントニオ・ムンタダス、マイケル・スノー、ティエリー・クンツェル、ジャン・オットー、中谷芙二子の5巻が、マルチメディア・アーカイブとして出版されており、藤幡氏の巻が6巻目の刊行になる。この作品集では、藤幡氏の1970年代のアニメーション作品、CG作品、コンピュータによる彫刻、90年代以降のインタラクティヴ作品、GPSを用いた大型プロジェクトまで、ほぼすべての作品が網羅され、研究者の論考や作品分析のための資料も収録されている。加えて特筆すべきは、AR(拡張現実)技術を用いて、作品の記録動画や3Dモデルで再現されたインスタレーション作品が見られる点だ。iPhoneやiPadなどの端末に専用アプリをダウンロードし、本のページに表示されたマーカーを読み取らせると、それに従った動画や3Dモデルが再生するように設計されている。

近年、メディアを取り巻く環境変化や技術的進展に伴い、メディアアート作品の保存修復が急務となっている。藤幡氏は、2015年度に京都市立芸術大学芸術資源研究センターが中心となって行った、古橋悌二《LOVERS―永遠の恋人たち》(1994年)の修復事業を例に挙げ、物理的な機構の修復のみならず、プログラムから解析した情報を元に仮想空間で作品を再現する「シミュレーター」の構築が、メディアアート作品のアーカイブの方法の一つとして有効であると述べた。AR技術を用いて作品の記録動画や3Dモデルを再生できる『Anarchive No.6:藤幡正樹』もまた、作品集=本という従来的な形態を取りつつも、シミュレーターを内蔵させた複合的なアーカイブと言える。このように、メディアアート作品のアーカイブ自体が新たな形態や表現メディアを生んでいる点は非常に示唆的であり、今後の議論にとって画期的な試みとなるだろう。

第四回動態論的メディア研究会
「藤幡正樹とともに考える〜メディア、技術、アート」
日時:2017年1月7日(土)
場所:京都国立近代美術館1階ロビー(ホワイエ)
スピーカー:藤幡正樹
ディスカッサント:北野圭介(立命館大学)
司会:北村順生(立命館大学)

「動態論的メディア研究会」ウェブサイト
http://mediadynamics.wixsite.com/mdri