最近、日本国内でメディアアートの過去を振り返る動きが目立つ。1989年から2010年まで、ICC自らの活動を中心に、主要作品、プロジェクト、展覧会、それらの取り囲む社会や技術、出版の動向までを網羅した「ICC × メディアアート年表」や、アニメ、マンガ、ビデオゲーム、モーショングラフィックス、インターネット、そしてメディアアートからなる、日本のメディア芸術の15年を要約する試み『メディア芸術アーカイブス:15 Years of Media Arts』(古屋蔵人、庄野祐輔、塚田有那編、BNN新社、2012)などは、誰もが一目でメディアアートの軌跡を見渡すことを可能にしてくれる基礎的な参考資料として有用である。

これらとは対照的に、『MediaArtHistories』(Oliver Grau編, The MIT Press, 2007)は、一目でわかる「メディアアート史」を期待する一般読者を見事に裏切る書籍である。なぜならば本書は、時代順に過去の出来事を整理している一般的な意味での歴史書ではない上、1冊で分野全体を概観する入門書として読むには難解すぎるからである。ところが、この裏切られたかのような感覚が、「歴史」に対する見解の違いに起因するものであることを考えると、この書籍から読み取るべきことが明確になってくる。それは、すなわち、メディアアート史に対する問題意識と、この書籍を出発点として、いかなる歴史をいかに書いていこうとしているのか、という方法論と目的意識である。

『MediaArtHistories』が提起している問題意識は自明である。それは、メディアアートが、主流の芸術界、諸文化機関、関連学界の中で、十分受容されていないという現状である。この事実は、今までメディア芸術カレントニュースの書評を通して紹介してきた他のメディアアート関連書籍の問題意識とも共通しているため、この分野全般の問題意識として理解しても差し支えないだろう。

以上の問題意識に基づいた学会が、メディアアート・サイエンス・テクノロジー史のプラットフォームとしての国際学会「Media Art History」である。「re」を接頭語にする副題で2年に1回開催されてきた、この学会の学術大会の初回「Refresh!」(2005)の成果が、The MIT Pressによる「Leonardo Book」シリーズとして出版される、この『MediaArtHistories』である。毎回の学術大会を書籍化するという当初の計画は、まだ完全には実現されていないが、関連資料はウェブ上のアーカイブに蓄積されていくことになっている。運用と管理のための予算など、ウェブという形態にも現実的な困難があるとはいえ、メディアアート史に関する学会の活動が、そのままメディアアートの歴史につながっていくための最低限のシステムは揃っているといえよう。

それでは、このようなシステムが用意された上で、語られるメディアアート史とはいかなるものであろうか。美と視覚、創造をめぐる芸術心理学の巨匠、美術史・映画史家のルードルフ・アルンハイム(Rudolf Arnheim: 1904-2007)の「イメージの往来」から始まり、『物語について』(海老根宏他訳、平凡社、1987)と『イコノロジー:イメージ・テクスト・イデオロギー』(鈴木聡、藤巻明訳、勁草書房、1992)の著者、W.J.T.ミッチェル(W.J.T. Mitchell)氏の「視覚メディアは存在しない」を経て、高山宏氏の一連の翻訳で日本にも広く知られている、『アートフル・サイエンス:啓蒙時代の娯楽と墜落する視覚教育』(産業図書、1997)、『ボディー・クリティシズム:啓蒙時代のアートと医学における見えざるものへのイメージ化』(産業図書、2006)などの著者、バーバラ・M・スタフォード(Barbara Maria Stafford)氏の文書で終わる全体の構成を見てもわかるように、『MediaArtHistories』の目論んでいるメディアアート史は、学際的な学問であるイメージ学(image science)を中心的な軸としている。この事実は、編著者のオリヴァー・グラウ(Oliver Grau)氏、個人の研究領域とも深く関係している。

それと同時に、近くはマルセル・デュシャン(Marcel Duchamp)の発明から、1960年代のキネティック・アートとオップ・アートの美術史、遠くは、18世紀の幻灯機、19世紀の映画を含めるメディア考古学、そして地理的・文化的な距離と多様性を配慮し、13世紀イスラムの機械装置論と20世紀日本のデバイスアートにいたるまで多様な広がりを視野にいれている。エドワード・シャンケン(Edward. A. Shanken)氏、レフ・マノヴィッチ(Lev Manovich)氏、ディーター・ダニエルズ(Dieter Daniels)氏などの主要理論家だけではなく、初期Ars ElectronicaとZKMのペーター・ヴァイベル(Peter Weibel)氏、元V2のアンドレアス・ブロックマン(Andreas Broeckmann)氏、ホイットニー美術館ののクリスティアンヌ・ポール(Christiane Paul)氏などのメディアアートの代表なキュレータたちの実践に基づく論考が、ひとつのムーブメントとしてのメディアアートの歴史を裏付けている。このように、『MediaArtHistories』は、明確な問題意識と方法論に基づいて、「複数のメディアアート史」が同時多発的に展開し、交差されていく諸相を眺望することを可能にしてくれる書籍なのである。

いかなる対象に関しても、ひとつだけの歴史は存在しない。そのため、歴史を書くという行為は、本質的に政治的な身振りにならざるをえない。冒頭にふれたメディアアートの年表や書籍、あるいは、以前、メディアアートの入門書としてメディア芸術カレントコンテンツにて紹介された和書を読む時にも、それぞれ異なるメディアアートの定義と歴史観によって、お互いに重なり合う部分とそうではない部分を批判的に読み解いてみることを進めたい。メディアアート史の逆説的な魅力は、それが決して、過去完了時制ではなく、現在進行時制である点にあるからである。

書籍のウェブページ

http://www.mediaarthistory.org/pub/mediaarthistories.html