柳瀬正夢は1900年(明治33年)生まれの画家、マンガ家、美術家。治安維持法で検挙されながらも「転ばなかった」ことがしばしば言及されるが、いわゆるプロレタリア美術の文脈においてのみ重要な作家ではなく、日本で未来派の影響をいちはやく受け大正期の前衛美術運動体MAVOを結成するなど、大正・昭和初期の美術界に大きな足跡を残した作家でもある。第二次大戦が終わる直前、1945年5月25日に新宿駅で空襲にあい爆死したとされる。
東京都現代美術館には柳瀬の蔵書をもとにした「柳瀬文庫」が所蔵されており、100冊にも及ぶスケッチブックなど貴重な資料が保存されている。また、武蔵野美術大学美術史料図書館にも遺族によって資料が寄託されている。このように資料が比較的まとまっていることもあって、幾度となく展覧会が開かれるなど一部で根強い人気を持つ作家だが、その活動はまだそれほど一般に知られているとはいいがたい。
マンガ史においても、大正・昭和初期におけるプロレタリア・マンガの旗手として、柳瀬はきわめて重要な役割を果たしているが、今日ではあまり顧みられることがない。しかしながら、大正・昭和初期、あるいは「エロ・グロ・ナンセンス」の時代にあって、プロレタリア運動がマンガに与えた影響は無視できない。柳瀬は村山和義、宍戸左行、下川凹天などとともに1926年「日本漫画家連盟」を結成、プロレタリア・マンガとエロ・マンガが混在した雑誌「ユウモア」を刊行している。
柳瀬自身のマンガ作品としては、やはり「無産者新聞」表紙に掲載された力強いひとコマのプロレタリア・マンガが有名だが、連続物語マンガである『金持ち教育』や『パン太の冒険』(夏川八朗名義)も、読売新聞の日曜付録として発行されていた「読売サンデー漫画」や、「よみうり少年新聞」に発表している。
その一方で、後進のマンガ家を育てることも積極的に行い、当時流行していた「ナンセンス漫画」に対抗するかのようなグループ「カリカチュア研究会」(機関誌「カリカチュア」の創刊は1936年)の顧問を、池田永一治、下川凹天とともにつとめた。また、マンガ家を養成する通信講座の機関誌である「漫画の国」(1935年創刊)にも創刊当初から関わっている。
また、日本のマンガ界に大きな影響を与えた、ドイツのマンガ家ゲオルゲ・グロッスを精力的に紹介した功績も見逃せないだろう。
この柳瀬正夢の展覧会が、柳瀬にゆかりのある北九州市、東京(神奈川県)、愛媛県を巡回する。北九州市立美術館での展示はすでに始まっており、2014年2月2日まで開催される予定。そして神奈川県県立美術館・葉山館では2014年2月11日から3月23日にかけて、愛媛県美術館では2014年4月5日から5月18にかけて開かれることになっている。
展示にあわせて作られた図録もかなり力のはいったものとなっているようなので手に入れておきたい。また『柳瀬正夢全集』(全4巻+別巻1、三人社)の刊行も始まっているので、2014年度は再び柳瀬正夢が注目される年になりそうだ。
「柳瀬正夢:1900-1945展」(北九州市立美術館)
http://www.kmma.jp/honkan/exhibition/2013_yanase.html
「柳瀬正夢:1900-1945展」(神奈川県県立美術館・葉山館)
http://www.moma.pref.kanagawa.jp/public/ExhibitionNext.do?hl=h
「柳瀬正夢:1900-1945展」(美術館連絡協議会)