平成25年度[第17回]メディア芸術祭「アート部門」の受賞者は、審査員の三輪眞弘氏が審査員コメントに寄せたメッセージ「何が『エンターテインメント』なのかは多くの人が知っている。しかし、何が『アート』なのかは今、必ずしも自明ではないだろう。あなたの作品でこの『アート』という言葉を新しく定義してほしい。」に応答するアーティストであったように思う。
今年度の受賞作品は以下の通りである。
大賞:《crt mgn》Carsten Nicolai、ドイツ、メディアインスタレーション
優秀賞:《 を超える為の余白》三原 聡一郎、日本、メディアインスタレーション
《Dronestagram》James Bridle、英国、ウェブサイト
《Situation Rooms》Rimini Protokoll、ドイツ・スイス、インタラクティブアート
《The Big Atlas of LA Pools》Benedikt Gross、ドイツ、データアート
新人賞:《Learn to be a Machine︱DistantObject #1》Lau Hochi、香港、インタラクティブアート
《Maquila Region 4》Amor Munoz、メキシコ、メディアパフォーマンス
《The SKOR Codex》La Societe Anonyme、フランス、グラフィックアート
イタリアの美術批評家でキュレーターのドメニコ・クワランタ氏(Domenico Quaranta、1978年-)は、自己充足的に展開されてきたメディアアートを批判するうえで、レフ・マノヴィッチ氏が提示した「デュシャンランド」と「チューリングランド」の愛憎関係を引きつつ、美術史の主流と傍流の議論を軽々と超えるアーティストたちとして、オラファー・エリアソン氏や今回大賞を受賞したカールステン・ニコライ氏らを挙げた。そして、現在、現代美術を道連れにしてその文脈と歴史をシフトするフェーズに入っていると指摘する(Don’t Say New Media!,
FMR Bianca No.5, 2008)。また、今年度、功労賞を受賞した阿部修也氏と松本俊夫氏は共に既存の芸術制度や概念を拡張しようと実践してきた人物である。
馬定延氏がメディア芸術カレントコンテンツの過去の記事で「メディアアートの本質的な力というのは、芸術を取り巻く既成制度のような内側からの働きかけではなく、その外側からのベクトルで主流芸術に向かって働きかけてきた点だと理解することはできないだろうか」と指摘するように、過去60年間における、ニュー・メディアを取り巻く現象と密接であった偏狭地としての「メディアアート」は免罪符的な役割を終え、アートの潮流を形づくる主体として荒野に解き放たれたといえるかもしれない。
今年度のメディア芸術祭「アート部門」は、メディアアートと現代美術それぞれの前提や定義の解放を垣間見せてくれるフェスティバルになりそうだ。
平成25年度[第17回]メディア芸術祭「アート部門」受賞作品
http://j-mediaarts.jp/awards/gland_prize?locale=ja§ion_id=1
平成25年度[第17回]メディア芸術祭「功労賞」
http://j-mediaarts.jp/awards/special_achievement_award?locale=ja
関連記事
書評『Rethinking Curating: Art after New Media』
http://mediag.bunka.go.jp/news/cat3/rethinking-curating-art-after-new-media.html
中京大学「パイク・アベ・ビデオ・シンセサイザーをめぐって」開催
http://mediag.bunka.go.jp/article/post_234-743/
追記:末文となってしまいましたが、今回のメディア芸術祭「アート部門」の審査員をつとめ、2013年12月29日に急逝された後々田寿徳氏のご冥福をお祈りします。後々田氏の功績をここで私が述べる必要はありませんが、福井県立美術館の学芸員であられた頃、メディアアートのみならずテレビゲームやアニメを公立美術館で取り上げ、日本独特の「メディア芸術」の本質にいち早くするどい視点を投げかけたことも再評価されたいと考えています。