『花とアリス殺人事件』のロトスコープアニメーションディレクターやNHK「おかあさんといっしょ」の「ガラピコぷ〜」オープニングなどを手掛け、アニメーション分野でも活躍する久野遥子の、初めてのマンガ作品集が刊行された。ジャンルの垣根を越える新進作家が切り拓く、マンガ表現の可能性。

[図1 表紙]
© KUNO Yoko / KADOKAWA

鮮烈な「レンズ」の力

「チャーミングにうねる線……意思を持ったパース……ちっちゃならせんのツノを中心に回転する物語……気がつけば……見えざる桃色の渦に飲み込まれている」とは、単行本の帯に掲載された映像作家・岩井俊二のことばだが、実際に本書を読んでみないとこの意味内容はつかまえにくいかもしれない(註1)。
線によって空間を表現するマンガというメディアで、その線がうねり、パースがゆがむとすれば、おのずと意識させられるのは、作品の世界を映すカメラ=レンズの存在だ。
久野遥子の『甘木唯子のツノと愛』は映像を強く意識させる。これは第17回(2013)文化庁メディア芸術祭アニメーション部門新人賞を受賞した短編「Airy Me」からも明らかな資質だが、久野の「レンズ」は独特で、それが映し出す世界のありように、読者はまずおどろかされる。久野のカメラは動きつづける。その動きは滑らかで融通無碍、軽快で小気味いい。一コマ一コマ、一瞬一瞬、カメラに切り取られるイメージの洪水に、読者はめまいをおぼえ、やがて「気がつけば……見えざる桃色の渦に飲み込まれている」。

「Airy Me」
アニメーション:久野遥子|音楽:「Airy Me」Cuushe
©2013 KUNO Yoko All Rights Reserved.
揺れつづけるカメラワークとくり返されるメタモルフォーゼ。
久野の特異な「レンズ」の特性が、この初期作ですでに顕在化している。

ツノと愛の意味するもの

初作品集である本書には、全3話から成る表題作のほか、「透明人間」「IDOL」「へび苺」が収録されている。2010年から2017年にかけて描かれたこれらの作品群は、タイトルごとにおそらく自覚的にタッチを変えている。
いずれの作品も少女の「少女性」に焦点が当てられ、しばしば少女のメタモルフォーゼ(変容)が設定に加わる(たとえば「IDOL」なら、少女は巨大化して怪獣と闘う)。
「甘木唯子のツノと愛」は収録作のなかで、もっともマンガ的にデフォルメされたタッチで描かれた作品だ。
主人公の甘木唯子の額には、小さなツノがある。甘木唯子には兄がいて、父がいて、母はいまはいない。家族を捨てた不在の母は、ストーリーの中盤に、教会のなかの棺としてわずかに登場する。
残された兄妹は、幼少期の母との断片的な記憶を反芻しながら、ふたりだけの小さな世界を築いていた。甘木唯子のツノは、その小さな世界の象徴としてある。
というのも、ツノを恥ずかしがって外出時はもちろん屋内でも帽子が欠かせない甘木唯子(「あたしヘンじゃない?」が彼女の口ぐせだ)と、妹のツノが他人に見られないよう庇う兄の様子が描かれるなか、どうやら第三者には(父にすら)ツノの存在が認識されていないような場面がたびたび出てくるのだ。
兄と妹のふたりだけに見える、額の上にうずを巻く小さな突起。ノアの箱船とユニコーンの寓話にちなんで語られるのは(註2)、兄妹に内在する罪の意識だ。母親がいなくなったのは、もしかしたら自分たちのせいではないのか。子どもたちは無意識の自責の念から逃れられない。「私たちはきっと、方舟に乗ることができない」。
いなくなった母から、兄は写真趣味を、妹は服を受け継いでいる。「再会」がもはや叶わない母を「再現」させる装置としての、箱庭のような世界。そこは不思議と(久野がこの作品で選んだタッチのように)明るくたおやかで充足している。
しかし兄は、学校で写真部の同級生(じぶんの「レンズ」を持つ女)との出会いをきっかけに、この小さな世界から離れていこうとする。
甘木唯子が「少女」でいられる時間はかぎられている。兄と互いに溶け合い、ツノという幻想を共有するこの特別な世界は、間もなく終わろうとしている。「甘木唯子のツノと愛」のレンズは、最後のコマで、その儚い世界が終わる間際にみせる美しい輝きを捉える。
読者の脳内にこれほど鮮烈な映像を喚起させる才能が、アニメーションにしろ、マンガにしろ、あるいはほかのメディアにしろ、次にどんな形で私たちをクラクラさせてくれるのか、楽しみでならない。

図2a(p.177下部)
図2b(p.153)
図2c(p.154)
「甘木唯子のツノと愛」より。この作品では動線の描写が限りなく抑えられている。[図2a]ではバレーボールの軌跡か描かれず、カメラが切り替わったときには、兄の身体にボールがぶつかった一瞬が切り取られる。ボールの移動とカメラの移動は、コマとコマのあいだに呑み込まれている。このカットバックが効果的に行われるのが、兄によるカメラの破壊の場面[図2b,2c]。カメラの移動の軌跡はページとページのあいだに消えている。母との絆の象徴を破壊した兄は、その後、写真部の同級生と接近していく。

*1
岩井俊二と久野は劇場アニメーション『花とアリス殺人事件』(2015、原作・脚本・監督:岩井俊二)で組んでいる。久野はロトスコープアニメーションディレクターを務めた。ロトスコープアニメーションとは実写映像を素材に、トレースして制作されるアニメーション技法。『花とアリス殺人事件』では手描きのロトスコープと3DCGを組み合わせている。

*2
世界各地にいくつもある大洪水と方舟の寓話のひとつ。ユニコーンは大洪水前に実在した生き物だったが、凶暴な性格をもっていて方舟に乗るほかの動物をツノで突いたため、方舟から降ろされたとされる。


(作品情報)

『甘木唯子のツノと愛』
発行年:2017年
連載媒体:月刊コミックビーム ほか
出版社:KADOKAWA
巻数:全1巻

© KUNO Yoko / KADOKAWA