川崎市岡本太郎美術館で「岡本太郎とメディアアート 山口勝弘-受け継がれるもの」が開催された。メディアアートという言葉からは接点のないように思われる岡本太郎。だが、アートとテクノロジーの分野で草分け的存在である山口勝弘に大きな影響を与え、山口は岡本へ捧げる作品も制作している。二人の交流と、10組のアーティストの作品を展望する。

岡本太郎の《樹人》(1971)に映像を投影した、P.I.C.S.TECH《digital sculpture 樹人》2017年

2人のアーティストへのオマージュ

会場は、普段は岡本太郎の作品のみが展示されている常設展示室。ここで山口勝弘による岡本太郎へのオマージュ作品、さらに彼らの活動の先に開花したアーティスト10組による新旧の作品が展示された。10組のアーティストの作品も、一見して岡本へのオマージュが目立つ。週末ごとに屋外では、岡本がSF映画『宇宙人東京に現わる』のためにデザインした「パイラ人」をモチーフにした高橋士郎の《パイラ人—岡本太郎に捧げるバボット》が来場者を迎え、田中敬一やP.I.C.S.TECHは音や光、映像を用いて岡本の立体作品とのコラボレーションを制作。また原田大三郎は岡本の作品をVRで表現し、幸村真佐男は岡本の名言「芸術は爆発だ!」を用い、明和電機は新作《芸術はマスプロだ!》で岡本が明和電機の作業服を着たインスタレーションを発表した。だが各作品の横にある作家のコメントを読むと、山口との思い出が語られており、展覧会全体としては山口へのオマージュという二重構造にもなっている。山口を媒介に、岡本太郎からメディアアートへの系譜をたどることができる展覧会だ。

高橋士郎《パイラ人——岡本太郎に捧げるバボット》2017年
田中敬一《light Ambient Cloud》2017年

岡本太郎が山口勝弘へかけた言葉

本展をひも解くために、岡本太郎と山口勝弘の出会いまで遡ってみたい。1928年生まれの山口は、1950年代よりさまざまなメディアを用いた作品を発表し、戦後の美術史・文化史に大きな影響を与えたグループ「実験工房」やヴィデオ・グループ「ビデオひろば」の設立に関わるなどメディアアートの一時代を築いた。
その山口が岡本に出会ったのは、実験工房設立前の1948年、東京・御茶ノ水で開かれた「モダンアート夏期講習会」でのことだった。当時山口は20歳。日本大学法学部へ通いながら芸術への関心を持った頃だという(註1)。同講習会の講師として登壇した37歳の岡本に出会い、両者の交流が始まった。受講生のなかには、のちに実験工房の仲間となる北代省三や福島秀子らもいた。この頃、芸術家によるいくつかの研究会やグループが同時多発的に起こっており、山口も北代や福島らと「七燿会」という研究会を開き他の芸術家とも交流しているが、なかでも岡本の存在は山口にとって大きなものだったのだろう。
1948年の「七燿会」の展覧会には岡本が推薦文を寄せた。そのなかの「大きな芸術の萌芽は、20代で確立されなければならない」という岡本の言葉に「強い印象を与えられた」とのちに山口は語っている(註2)。またその翌年、今後の生き方について悶々としていた山口に岡本が放った「作品は強くなければならない」という言葉は「単なる表現上の問題ではなく、オリジナルなものでなければならないという意味でもあることが心の中に刃物のように突きささった」そうだ(註1)。
1951年にスタートした実験工房の活動にも岡本は共感と励ましを続けていたという。こうして岡本から多大な影響を受けた山口は自身の代表作シリーズ「ヴィトリーヌ」で、岡本の《憂愁》(1947年)へのオマージュとして《ヴィトリーヌ No.37》(1953年)を制作した。さらに岡本の没後に制作した《黒い太陽—岡本太郎に捧ぐ》(1996年)は、岡本の絵画《夜》(1947年)へのオマージュである。

右から山口勝弘《ヴィトリーヌ No.37》1953年、岡本太郎《憂愁》1947年、《夜》1947年、《黒い太陽》1949年
山口勝弘《黒い太陽—岡本太郎に捧ぐ》1996年

教育のアヴァンギャルド

本展には、原田大三郎や岩井俊雄、森脇裕之、明和電機の土佐信道など、山口がかつて筑波大学で教鞭をとっていたときの教え子も多数出展している。山口は筑波大学開学当初から芸術専門学群のなかで「総合造形」という専攻を牽引し、多くのアーティストを輩出した。大学で美術を学んでいない山口は前例なき道を開いてきた教育のアヴァンギャルドという側面も持つ。明和電機の土佐は、山口の授業で忘れられない言葉があるという。ある授業で学生が「スランプでモノがつくれません」というと「そういうときでも、手を動かすことは続けなさい」といったという。「作品は頭だけで作るものではない、というこのメッセージは、今でも自分の“触媒”になっている」と土佐は書いていた(註3)。こうして岡本が山口へかけた言葉と同じように、山口が教え子たちにかけた言葉は現代に息づいている。
今日のメディアアートの文脈にはなかなか登場しない岡本太郎という存在。だが、岡本を介し山口の生き方そのものが前衛であり、山口を介し岡本がメディアアート分野に影響を与えたことが本展で提示された。また同時に、青年時代に出会う人、出会う言葉の重要性を考えさせる展覧会でもあった。


(脚注)
*1 山口勝弘「一九五〇年代 岡本太郎と私」(『ユリイカ』1999年10月号、青土社)より
*2 山口勝弘「絆によって結ばれた作品」(『万歳七唱 岡本太郎の鬼子たち』2000年、川崎市岡本太郎美術館)より
*3 「岡本太郎とメディアアート 山口勝弘−受け継がれるもの」パンフレットより


(information)
岡本太郎とメディアアート 山口勝弘−−受け継がれるもの
会期:2017年11月3日(金・祝)〜2018年1月28日(日)
休館日:月曜日(1月8日を除く)、祝日の翌日、年末年始(12月29日-1月3日)
料金:一般 900円 / 高校生・大学生・65歳以上 700円 / 中学生以下 無料
会場:川崎市岡本太郎美術館
参加作家:幸村真佐男、高橋士郎、中嶋興、原田大三郎、P.I.C.S. TECH(寺井弘典、弓削淑隆、坂本立羽、中村祐樹、上野陸)、岩井俊雄、田中敬一、明和電機、森脇裕之、クリストフ・シャルル
http://taroandmediaart.com/