2018年8月に劇場公開された『アラーニェの虫籠』は、アニメーション作家として長く活躍してきた坂本サクが、監督・原作・脚本・アニメーション・音楽までを一人で手がけた作品である。坂本は、短編アニメーション『摩訶不思議』(2000)、『フィッシャーマン』(2002)で広島国際アニメーションフェスティバルに入選。その後は、押井守監督『イノセンス』(2004)にデジタル・エフェクトで参加、NHK「みんなのうた」の『花風車の森』(2006)、『風を連れて』(2012)、『七つの海』(2013)を手がけている。そんな坂本が劇場用映画を一人で制作することになった理由と、一人の制作によって得たものは何かを探りたい。

『アラーニェの虫籠』キービジュアル

『アラーニェの虫籠』はホラーと銘打たれている。まずは物語の大枠を説明したい。いわくつきの団地に引っ越してきた女子大生・りんは、救急車で搬送される老婆の腕から大きな虫が飛び出るのを目撃してしまう。その後のりんには、虫を巡っての恐怖体験や、死の危険を感じる出来事が次々と降りかかる。虫の発生とともに起こる人間たちの異常な行動や事件。りんがその原因に近づくたびに、虫たちを中心とした不可思議でおぞましいイメージが目の前に現れ、夢と現実の差も曖昧な混沌に物語は呑まれていく。

一人で挑むべき理由

『アラーニェの虫籠』のほぼ全ての制作工程を、監督である坂本サクが担ったという事実には大きなインパクトがある。しかし、作品を語るうえで本当に重要なのはその労苦への称賛ではなく、一人でつくったことにより何が実現できたのか、ということである。

そもそも本作は、なぜ監督一人による自主制作となったのか。坂本サクは、かねてより言葉にならない自分の頭の中にあるイメージを映像で表現したいと考えていた。しかし、大人数のプロジェクトの場合、イメージを言葉にしてスタッフに共有しなくてはならず、その過程で当初のイメージが変質してしまうことへの悔しさがあったという。一人での制作であればその心配は少なく、自分の中にあるものをそのまま出すことができる。プロデューサー・福谷修によれば、本作はその意向を汲むために、監督がつくりたいシーンをストーリーよりも優先し、そのシーンを繋げてストーリーの整合性を持たせていくという手順を踏んで制作された(註1)。

このような、監督の描きたいイメージを優先し、その作家性を全面に押し出すという手法は危険も伴う。物語の整合性や起承転結を求める鑑賞者と、距離が生まれてしまうことも多い。本作もやはり、鑑賞者から映像の意味内容や場面ごとの繋がりについて質問されることが多いそうで、上映後のトークでもプロデューサーが自ら物語の補足を行っており、監督の表現したい映像を優先した弊害は少なくないことは言い添えておく。

では具体的にどのような技術や手法によって、坂本は自らの描きたい表現を映像にしていったのだろうか。当初はすべての映像を3DCGで作成しようとしていたそうだが、ホラー映画では表情の表現が大切になることから、手描きのシーンを大幅に増やしたという(註2)。主人公・りんをはじめ、登場人物はバストショットの構図が多く、表情で情報を提示するための手描きの導入はかなりの手間を要したであろうが、緊迫感や焦燥感を映像で表現することに奏功している。加えて、それらの映像をより強調する音響効果や、手ブレ、ピン送りの演出など、観客の恐怖を煽る要素はしっかりと意識されていて、最後まで尽きることはない。ストーリーよりも監督の頭の中にあるイメージを映像で表現するという実験的な試みであるが、映像による恐怖の表現というホラー映画の手法を選択することにより、物語の理解を優先しなくとも観客が最後まで見ることのできる作品に仕上がっている。

3DCGが使われている状況描写のシーン(左)と主人公・りんの表情が描かれている一コマ(右)

作家性への期待

本作と同様に、監督が一人で映像から脚本までを手がけた自主制作の劇場用アニメーションとして、新海誠監督『ほしのこえ』(2002)が挙げられる。『ほしのこえ』公開当時は日本のアニメーションの多くがデジタル制作に移行した時期であり、デジタル技術が可能にした制作形態として、新海の単独でのアニメーション制作は注目された。そこで表現されていたのが、時間差や年齢差が生むすれ違いのドラマや、夕景や星空といった鮮やかな彩色による風景描写など、その後の新海作品にも続いていく、監督のアイデンティティとでも言うべき映像だ。『ほしのこえ』によって新海の作風は国内外に広く知られることになったが、それは一人での制作だからこそ自身の作家性を存分に表現できたからだと言える。

『アラーニェの虫籠』もまた、坂本サクの作家性が映像を通して強く感じられる、見本市のような側面がある。多くの労苦を伴いながら一人で本作をつくりあげたことは、坂本サクという監督の作家性をより明確にした。新海のように明確な作風を持つ表現者として、鑑賞者も坂本の次作に期待せずにはいられないだろう。


(脚注)

*1
2018年12月1日 キネカ大森初日上映のアフタートークより


*2
2018年12月1日 キネカ大森初日上映のアフタートークより

(作品情報)
『アラーニェの虫籠』
上映期間:2018年8月18日〜12月21日(金)
上映時間:75分
監督・原作・脚本・アニメーション・音楽:坂本サク
製作・プロデュース・監修:福谷修
声の出演:花澤香菜、白本彩奈、伊藤陽佑、片山福十郎、バトリ勝悟、福井裕佳梨、土師孝也
http://www.ara-mushi.com

© 坂本サク/合同会社ゼリコ・フィルム

※URLは2019年2月7日にリンクを確認済み