6月1日(土)から6月16日(日)にかけて「第22回文化庁メディア芸術祭受賞作品展」が開催され、会期中にはさまざまな関連イベントが行われた。6月1日(土)には日本科学未来館で、アワードカンファレンス[アート部門]キーノート『特異点を超えて、ふたたび』、セッション1「多様な表現分野からメディアアートへの転換」、セッション2「狂気性を孕んだアートはどこへ?」が開かれた。まずキーノート(基調講演)に審査委員・主査の森山朋絵氏が登壇。続くセッションには、受賞者から古舘健、石橋素、菅野創の各氏、モデレーターとして審査委員の阿部一直氏と池上高志氏、および選考委員の伊村靖子氏が登壇。さらにゲストとしてアーティストの福原志保氏が参加した。本稿ではその様子を、主にセッションでの議論を中心にレポートする。

セッションのメンバー。左から、審査委員の阿部氏、池上氏、選考委員の伊村氏、受賞者の菅野氏、石橋氏、古舘氏、ゲストの福原氏
写真:中川周

「多彩な表現の場」を超え次の時代へ

カンファレンスは、まず森山朋絵氏による基調講演「特異点を超えて、ふたたび」でスタート。文化庁メディア芸術祭アート部門の「今回、これまで、そして今後」が、その変遷をたどりつつ語られた。続く2部構成のセッションは、今回の受賞者らを迎え、アート部門の「今後」を考える議論となった。
セッション1は「多様な表現分野からメディアアートへの転換」。まずモデレーター3名が、今回の審査結果についてコメントした。阿部一直氏は、国際賞である同芸術祭にて、今回は日本人作家の受賞が多いことに言及。この日の登壇作家である古舘健氏のサウンドインスタレーション『Pulses/Grains/Phase/Moiré』は大賞、石橋素氏らのダンスインスタレーション『discrete figures』(真鍋大度、MIKIKO、ELEVENPLAYとの連名作品)と、菅野創氏のメディアインスタレーション『Lasermice』はいずれも優秀賞を受賞した。3氏ともにIAMAS(岐阜県立国際報科学芸術アカデミー、情報科学芸術大学院大学)で学んだ経歴を持つことなどから、ある意味での教育成果を今回の受賞結果にみることもできるのでは、と阿部氏は語った。
池上高志氏は、AIやディープラーニングがアートともつながる現代において、大賞の『Pulses/Grains/Phase/Moiré』はそれらを直に扱うわけではなく、しかし作家の経験や世界観を通して普遍的なものに迫っている点を評価。コンピュータ制御で音と光を生成するユニットの集合体である同作の、空間的/時間的スケールの拡張性にも関心を示した。
伊村靖子氏は、自身と世代も近い古舘氏や菅野氏の活動を見てきたこの10年を振り返り、過去のメディアアートや文化庁メディア芸術祭のアート部門について、年月を経たことで考えられる批評的意味もあるのではと語った。またそうした歴史的視点から、今回の受賞結果が日本のメディアアート史の系譜づけを意識させるものでもあったとコメントした。

キュレーターやアートプロデューサーとして活躍する阿部氏(左)。伊村氏はIAMASの講師を務める(右)
写真:中川周

アートが発する生命性と、それが問いかけるもの

続いて作家陣にマイクが渡った。古舘氏はこれまで関わってきた活動から、サウンドアートプロジェクト『The SINE WAVE ORCHESTRA stay, The SINE WAVE ORCHESTRA in the depths and A Wave』(第21回文化庁メディア芸術祭アート部門審査委員会推薦作品)を紹介。音の最も基本的な要素と言われるサイン波を、不特定多数の参加者がそれぞれひとつ使える、というルールで合奏するプロジェクトである。パルスなどのミニマムな要素を拡張させて豊かな現象を生み出すアプローチは、今回の大賞作品『Pulses/Grains/Phase/Moiré』にも通じる。同作が世に出たのは、かつての青函連絡船「八甲田丸」の船内(現在は海上博物館として活用)だった。場所性を生かした展示だが、以降もフランスでは6×64mの長大なインスタレーションに形を変え、今回の受賞作品展ではホワイトキューブ的空間を使用。環境に応じて展開できる作品である点も特徴だという。

Pulses/Grains/Phase/Moiré

アーティスト、ミュージシャン、エンジニアとして活動する古舘氏。コンピュータープログラミング、メカトロニクスなどを用いて、インスタレーション、ライブパフォーマンスなどを行う
写真:中川周

次に石橋氏が『discrete figures』を解説した。同作はダンスパフォーマンスにAIや機械学習を介入させ、新たな身体表現を探る試み。舞台上では映像投影フレームやマイクロドローンを駆使し、生身のパフォーマー5人と、機械学習で生成された振り付けを踊るARダンサーが競演する。感情を表すキーワードと、関節角度等の動きとを紐づける振り付け生成プログラムも導入したという。池上氏は自身も機械人間『Alter』(第20回文化庁メディア芸術祭アート部門優秀賞)に関わる立場から「人にできない生成能力を生むカギは何か」に関心を示した。石橋氏によれば、サンプルデータの収集法から生成アルゴリズムのパラメータ設定まで、その探求は奥深そうである。伊村氏は、同作が観客のデータを使ったダンサーも登場させることなどを含めて、他者性を取り入れた表現の展開として、AIをどのように位置づけるかに関心を寄せた。

石橋氏はエンジニア、アーティストとしてデバイス、ハードウェア制作を主軸に活動。真鍋大度氏とともにライゾマティクスリサーチを率いる。『discrete figures』のみならず自身が関わった『Perfume × Technology presents “Reframe”』がエンターテインメント部門で優秀賞を受賞したほか、『Deleted Reality』と『OK Go “OBSESSION”』が、それぞれアート部門とエンターテインメント部門の審査委員会推薦作品に選出されている
写真:中川周

Lasermice

菅野氏は受賞作『Lasermice』誕生のきっかけとして、鳥や魚の群れが見せる同期した動きへの関心を語った。同作は、60台の小さな自走ロボットが有機的にリズムと光を生成するインスタレーション。個々のロボットは互いの発するレーザー光に呼応し、自らもレーザー光と打撃音を発生させる。結果、音と光のリズムは収束と分散のあいだで刻々と変化する。自然の不可視のネットワークに着想しつつ、独自のアルゴリズムで新たな空間表現を紡いだ。池上氏は、先ほど『discrete figures』に投げた問いはここでも通底し得るとコメント。ディープラーニングにおいても、単純すぎる同期的現象は必ずしも効果的ではないことなどに言及した。阿部氏はこれを受け、メディアアートが美術館に回収されるだけでなく、より広く社会と関わり、あるいは適用される可能性を考えるうえで、多様な周辺環境からの提言も重要だと述べた。
ゲストの福原志保氏は、バイオテクノロジーを用いた表現で注目されるアーティスト。今回の審査委員であるゲオアグ・トレメル氏らとのユニット、BCLの活動でも知られ、自身も前回まで選考委員を務めた。これまでの作品から、架空のキャラクター・初音ミクのDNAを編集し、人工の心臓細胞に組み込んで生命の境界線を問う『Ghost in the Cell』などを紹介。自分にとってアートとは「光の当て方によって真実の見え方も色々である」ことを示すものだとし、ここまでの議論に奥行きを加えた。

菅野氏は、テクノロジーの進化や変化により事物の本質が変わっていくなか、新しい視点をもたらすべく制作活動を行う。第21回文化庁メディア芸術祭でも、やんツーとともに制作した『アバターズ』がアート部門優秀賞に輝いた
写真:中川周

狂気と恐さを感じさせるアートとは

セッション2では、「狂気性を孕んだアートはどこへ?」として同じ登壇者で議論が進んだ。これは池上氏が今回の審査過程で発した言葉に由来するテーマだという。氏の講評から引けば「先端技術は当然のごとく多くの作品に影響を与えている一方で、作品には技術とは関係のないところで蠢く恐さが必要なのは言うまでもない」ということだろう。
関連して福原氏は、今回の受賞作群には「コントロールできるのにあえてしていないところがある」印象も受けたとコメント。菅野氏は、自然がそうであるように、作品にもある程度そうした部分を残したいとし、ただし自分にとってはそれも「想定内の想定外」という感覚だと応答。表現の「本質的なミューテーション(突然変異)の可能性」ということでは、近年活発なバイオアートの領域などにその可能性が大きいのではとの問いかけもあった。これを受けて阿部氏や福原氏のあいだでは、テクノロジー(およびそれらと関わるアート)にもジャンルごとの隆盛はあり、ある時期に下火になったものが、いわば周期的に復興することなども話題に上った。福原氏いわく、いま注目されるバイオテクノロジーも、遡れば農耕文化の発祥時から続く最古のテクノロジーであり、AIも昨今のコンピュータの処理速度向上で新局面を迎えている点は同様である。
当然ながら技術も芸術も、単線的ではない歴史のうえで、社会的・経済的・政治的動向と深く繋がっている。そのことの再認識ともいえそうなやりとりだったが、ではそこで池上氏のいう「狂気」「恐さ」が作品に宿るには何が必要なのか? 池上氏は審査に用いた個人的な基準として「『がんばってるな』と感じる作品は評価しなかった。狂気や恐れはそれを超えたところから生まれると思うからです」と語った。阿部氏からは「狂気の『解像度』がかつてに比べより高くなっている、という問題もある」との示唆的な発言もあった。手なずけ難いテクノロジーとの関わり方も含め、これらはつくり手側/批評側がともに考えたいテーマではないだろうか。

複雑系科学の研究に携わり、東京大学大学院総合文化研究科で教授を務める池上氏
写真:中川周

時代とともに「アートとは何か」を考え続ける

こうした議論の延長線上で、福原氏からは「そろそろ『メディアアート』という呼称を考え直しても良いのでは」との大きな問題提起もなされた。ロンドンでの活動を経て帰国した同氏は、当初、自身のバイオアート的実践がメディアアートシーンには受け入れてもらいにくく、アウェイ感があったと告白し、そこに日本の特殊性をも感じたという。

アーティストの福原氏。トレメル氏らとのユニットであるBCLでは、サイエンス、アート、デザインの領域を超えたコラボレーションを行っている
写真:中川周

そもそもあらゆる芸術は「メディア」を用いている、とはよく言われてきたことだが、これは文化庁メディア芸術祭のアート部門をめぐって常に議論されてきたこととも関わるだろう。枠組みや定義づけの問題についてはキーノートでも森山氏がふれており、ひとつ例を挙げるなら第20回では募集規定から「デジタル技術を用いてつくられた」ものという規定が外された経緯がある。結果、今回でいえばタンポポの綿毛を用いた造形物がゆらめく、(euglena)氏の『watage』が新人賞に選ばれるなど、アート部門が扱う領域は拡張を続けてきたと言える。他方、今回の受賞作品群においてはメディアアート領域の表現が主軸を成し、そのなかでの多様性が見られたことも事実である。
来場者との質疑応答では、こうした議論の流れから「メディアアートの定義がわからなくなってきたので教えてほしい」との声が挙がった。古舘氏は作家としての率直な気持ちとして「自分の作りたいものを、できるかたちでやる」だけだと答えた。伊村氏は定義することの難しさに言及しつつも、コンピュータとインターネットが普及し始めた90年代以降のメディア環境に対する問いを背景に、新たに登場した芸術表現と捉えてみてはどうかと提案した。阿部氏は、人の最大の進化は自分たちにとっての「外付けハードディスク」的存在を生み出したことであるとの言説を先の議論で引いたことも受け、メディアアートを「アートの外付け」として位置付ける意義について言及。そこに「野生の復活」の可能性もあるかもしれないとしたのは、池上氏のいう「狂気」とも絡めての考えであろう。こうした回答に続いて池上氏は、複雑系科学などにも通じる視点として、「隠す」ことで意味が成立する、そうした側面もメディアアートにはあるのではと語った。

アート部門をめぐる議論の多様さが、そのまま反映されたようなカンファレンスであった。必然、単一の進むべき方向を共有し合うわかりやすい帰結とはならなかったが、各登壇者が模索のなかでも自身の思想を持ち、それらを交わすなかで議論の深化を目指す力強さがあった。審査陣、アーティスト、そして観衆がそれぞれの形で「これまで」を受け止めつつ、多様性のなかで、来るべき「今後」を築いていく進展に期待したい。


(information)
第22回文化庁メディア芸術祭 アワードカンファレンス[アート部門]
・キーノート「特異点を超えて、ふたたび」(森山朋絵[アート部門審査委員・主査])
・セッション1「多様な表現分野からメディアアートへの転換」
・セッション2「狂気性を孕んだアートはどこへ?」
※受賞作品展会期中に3セッションを開催

日時:2019年6月1日(土)11:00~12:50
会場:日本科学未来館 7階 未来館ホール
出演:受賞者 古舘健、石橋素、菅野創
   モデレーター 阿部一直、池上高志、伊村靖子
   ゲスト 福原志保
主催:第22回文化庁メディア芸術祭実行委員会
http://festival.j-mediaarts.jp

※URLは2019年6月19日にリンクを確認済み