2019年6月に公開された映画『海獣の子供』は、五十嵐大介の同名マンガをアニメーション化した作品だ。原作マンガは2006年から2011年にかけて「月刊IKKI」(小学館)にて連載された作品であり、連載終了後8年を経て生まれた本作では、手描き作画と3DCGそれぞれのスタッフの技術が、高いレベルで結実したことにより、新しい映像世界が展開されていた。

『海獣の子供』キービジュアル

まずは作品の簡単なあらすじを確認したい。海辺の町に住む中学生の少女・琉花は、夏休みにジュゴンに育てられた兄弟・海と空と出会う。2人の兄弟は、原初の生命を海の底で再び誕生させるという「祭り」の鍵を握る存在だった。その謎を探る研究者たちとのせめぎ合い、そして祭りの参加者に選ばれた琉花が見届ける、壮大な奇跡を描く物語だ。
アニメーションを制作したSTUDIO4℃は、1986年にプロデューサーの田中栄子と、アニメーターの森本晃司、佐藤好春により設立された。映画作品では湯浅政明監督『マインド・ゲーム』(2004)や、マイケル・アリアス監督『鉄コン筋クリート』(2006)など、国際的な映画祭で高く評価された作品を世に送り出してきた。また、ケン・イシイ『Jelly Tones』(1995)の初回限定盤のCD-ROMに収録されていた「EXTRA」のミュージックビデオは、アニメによるミュージックプロモーションの先駆であり、STUDIO4℃はその後も国内外の数々のアーティストのミュージックビデオを制作し、そのいずれもが、アニメーターの個性が前景化した映像表現を実現している。『海獣の子供』の監督を務めた渡辺歩によると、本作の制作期間はシナリオの制作を含めて6年ほどの歳月を費やしたそうだ(註1)。個々のアニメーターの表現力を重視し、それが求められる市場を切り開いてきたSTUDIO4℃だからこそ『海獣の子供』は成立したといえる。

手描き表現に限りなく近づけた3DCG

本作の企画書を提出したのは、CGI(撮影処理)監督を務めることになる秋本賢一郎と、同じくCGIスタッフの平野浩太郎であった。原作の大ファンであったという平野が秋本に原作をすすめ、アニメ化への思いが高まった2人が企画を提出したという(註2)。プロデューサーの田中栄子によると、かつて『海獣の子供』は社内で映像化の話が出たそうだが、そのあまりに壮大な内容のために見送った経緯があったそうだ。田中は2人に原作の魅力をアニメ化することの難しさを前提にその意思を確かめたそうだが、2人から「絶対にできます!」という確信的な返事を聞き、企画を進めることになる(註3)。
CGIを担当する2人から始まった企画だが、映画化にあたっては五十嵐大介の原作が持つ独特な絵をどのような形でアニメに落とし込むのかが重要な検討事項となった。キャラクターデザイン、総作画監督、演出を務めた小西賢一は、『海獣の子供』の原作の魅力を「五十嵐さんの絵そのものが作品の魅力の多くを占めている」と語っている。小西は原作者の五十嵐から「もうちょっとアニメっぽい、受け入れやすい画にしてもいいんじゃないですか」ということも言われていたというが、できる限り原作のタッチを生かしながらキャラクターデザインを行った(註4)。結果、丸ペンとボールペンを組み合わせながら、フリーハンドの線で絵づくりを行う五十嵐の線が(註5)、アニメにおいても生き生きと表現されている。

『海獣の子供』作中カット

キャラクターデザインのみならず、波や海など自然現象の表現についても、小西の手描きへのこだわりが見て取れる。小西はこれらの表現について「手描き作画で描くということは、イコール、キャラクター化するということで、人や生き物と同義に魂が宿ることになる」と語っており(註6)、3DCGではなく手描きにこだわって表現することで、自然現象にも登場人物と同様に魂が宿ったような動きを与えることを志向した。
一方、『海獣の子供』の企画書を出した秋本、平野をはじめとするCGIスタッフは「CGっぽくないCG表現」によって、3DCGの担当部分においても、原作の持つ印象を忠実に再現することを目指した(註7)。本作では40種類以上の実在の海洋生物が3DCGによって制作されたが、水族館で魚の動きを観察したり、ウェブの動画で骨格の構造を学ぶなど、実在の魚の泳ぎ方を徹底的に研究して反映し、CGモデルがただ動いているという印象を払拭している。これらの魚の3DCGは、大量の魚群のような、手描きで表現するには労力的に難しい部分に生かされている(註8)。
しかし制作当初、CGIスタッフは「他のメインスタッフ(筆者註:手描きで作画を行う原画スタッフ)とのレベルの差をひたすら思い知らされ」ていたという(註9)。総作画監督の小西が「CGなりに上手くいっているというのではなく、手描きアニメーターに対するのと同じつもりのチェックをする」と決めていたように(註10)、3DCGへの要求は非常に高いものであった。原作の雰囲気を反映した手描きという絶対的な基準に、どれだけ近づくことができるのかが、強く要求されていたのである。
手描き表現に限りなく近づいた3DCGを知る箇所として特に注目すべきなのが、人型の模様を腹に持つザトウクジラ「ヴィーナス」が、琉花の前で海面から跳ね上がるシーンだ。このシーンは小西が手描きで進める方針を示していたが、平野は3DCGで挑戦したいことを訴え、1カ月間このカットを集中的に制作した(註11)。3DCGのモデルを、作画監督による手描きの線に忠実に重なるように調整し、カットごとにモデルを動かす骨格であるセットアップを組み直す。さらに、ヴィーナスの腹部の人型の模様のテクスチャも、カットごとの形の変化に合わせて変形の処理を施し(註12)、さらに総作画監督補佐の嶋田真恵による手描きの水が加わることによって、手描きと3DCGが高いレベルで統合されたシーンが完成している(註13)。3DCGを手描きの表現にいかに近づけるかという研究の積み重ねにより、手描きか3DCGかという分類を許さない、新たな領域の視覚表現が実現されている。

『海獣の子供』作中カット

アニメ映画だからこそ表現できる物語の芯

これまで見てきたように、手描き表現への徹底したこだわりにより、五十嵐の原作の持つイメージを映像化するという目的は大いに成功している。加えて最後に、アニメ映画という媒体だからこそ表現できた領域も見ておきたい。主人公の琉花について、監督の渡辺は「14歳という非常に危ういバランスで成り立っている少年少女の佇まいをいかに表現するかといった部分でぼくと小西さんの間で何度もキャッチボールをしました」と語っている(註14)。確かに琉花は、細い手足の関節の動き、汗の臭いが伝わってきそうな濡れた髪の毛の重さ、体温を持った肌の質感など、14歳の中学生の生々しさが知覚できるような作画が行われている。本作は「一人の少女のパーソナリティに収めたかったんですよね。琉花が経験したこと、理解したことの範囲で描いていく」と渡辺が方針づけたように(註15)、原作の複雑なエピソードを、琉花の視点に絞って描くことで劇映画としてのまとまりを持たせており、超人的な能力を持つわけではない、どこにでもいる少女としての琉花像を提示することに成功している。原作の絵が持つ魅力を手描き表現で再現しながら、新たな『海獣の子供』をつくりだした。
「手描きと3DCGの融合」という語りは、ここ十数年、数々の作品について繰り返されてきたが、本作は手描きの作画を優位とし、3DCGは徹底して手描きと同様のアプローチで制作することが選択されている。手描きアニメーション内で使用される3DCGは、手描き表現との差異が当たり前のものとされることも多いなか、これほど明確な方針を示しながら完成形を探り出した例はこれまでになかったと言っていい。このような作品の出現は、アニメ史においてひとつの特筆すべきことだと言えるだろう。

『海獣の子供』作中カット

(脚注)
*1
WEBアニメスタイル [先行公開]渡辺歩・小西賢一が語る『海獣の子供』 前編 描くべきだった事とあえて描かなかった事
http://animestyle.jp/2019/07/09/15754/

*2
『海獣の子供』劇場パンフレット 秋本賢一郎インタビュー

*3
『海獣の子供』劇場パンフレット 田中栄子インタビュー

*4
『海獣の子供』劇場パンフレット 小西賢一インタビュー

*5
NHK 浦沢直樹の漫勉 五十嵐大介(2016年3月17日放送)
https://www.nhk.or.jp/manben/igarashi/

*6
『海獣の子供』劇場パンフレット 小西賢一インタビュー

*7
『海獣の子供』劇場パンフレット 秋本賢一郎インタビュー

*8
CGWORLD.jp 映画『海獣の子供』公開記念! STUDIO4℃のCGスタッフが語る制作の舞台裏:第1回〜海洋生物篇〜
https://cgworld.jp/feature/201906-kaiju-no-kodomo01.html

*9
『海獣の子供』劇場パンフレット 秋本賢一郎インタビュー

*10
『海獣の子供』劇場パンフレット 小西賢一インタビュー

*11
『海獣の子供』劇場パンフレット 平野浩太郎インタビュー

*12
CGWORLD.jp 映画『海獣の子供』公開記念! STUDIO4℃のCGスタッフが語る制作の舞台裏:第1回〜海洋生物篇〜
https://cgworld.jp/feature/201906-kaiju-no-kodomo01.html

*13
『海獣の子供』劇場パンフレット 平野浩太郎インタビュー

*14
『海獣の子供』劇場パンフレット 渡辺歩インタビュー

*15
WEBアニメスタイル [先行公開]渡辺歩・小西賢一が語る『海獣の子供』 前編 描くべきだった事とあえて描かなかった事
http://animestyle.jp/2019/07/09/15754


(作品情報)
『海獣の子供』
公開日:2019年6月7日(金)
上映時間:112分
原作:五十嵐大介「海獣の子供」(小学館 IKKI COMIX刊)
監督:渡辺歩
音楽:久石譲
アニメーション制作:STUDIO4℃
声の出演:芦田愛菜、石橋陽彩、浦上晟周ほか
https://www.kaijunokodomo.com

© 2019 五十嵐大介・小学館/「海獣の子供」製作委員会

※URLは2019年7月19日にリンクを確認済み