日本マンガ学会第19回大会が、2019年6月22日(土)、23日(日)に熊本大学で開催された。22日にはマンガ学会員による研究発表、総会、23日にはシンポジウムが開かれた。本レポートでは、研究発表とシンポジウム、そして24日(月)に会員限定で行われたエクスカーションツアーについて報告する。

日本マンガ学会第19回大会パンフレットより

日本マンガ学会の大会は年に1回催され、京都と東京を基本としながら、数年に一度はマンガ関連施設のある地方都市でも開催されている。今回は2017年に合志マンガミュージアムがオープンし、2019年4月より熊本大学文学部にマンガやアニメなどを研究する「現代文化資源学コース」が新設され、そのほか県レベルで「マンガで街おこし」に沸いている熊本が舞台となった。日本マンガ学会事務局によれば、両日合わせて参加者がのべ350人を超え、多くの人が集まり賑わいをみせた。

研究発表・シンポジウムの会場となった熊本大学文学部本館

22日:研究発表

22日の研究発表では、学会史上最多の5会場に分かれ、学会員による少女マンガ、教育、歴史的調査、視覚表現の分析、他メディアとの比較など25もの発表が行われた(すべての発表タイトルについてはマンガ学会のHP発表者には、海外からの研究者の姿も多くみられた。コピローワ・オーリガ氏(東北大学)は「形、線、背景――マンガのアニメ化におけるスタイルの変換」について報告した。『HELLSING(ヘルシング)』(2001〜2002年)や『逆境無頼カイジ』(2007〜2008年)などのテレビアニメとそのマンガ原作作品の表現を比較し、マンガ版からの変更点をマンガとアニメのメディア的特性と関連付けて考察した。
熊本におけるマンガ教育活動の報告として、小川剛氏(崇城大学)は「地域×デザイン×マンガ教育の可能性――崇城大学マンガ表現コースでの取組を事例に」で、2014年に開設された崇城大学芸術学部デザイン学科マンガ表現コースのカリキュラムや授業内容、学生の取り組みを紹介した。質疑応答では、地域プロジェクトとして学生が熊本県内の企業や自治体から依頼を受け事業に協力する受託研究を実施する際の具体的な方法等についての質問が投げかけられた。

小川剛氏

23日:シンポジウム

23日は、「時代を超える「時代劇」」というテーマのもと、マンガ家を招いたシンポジウムが開催された。
午前から始まった第1部「歴史編」では、川崎のぼる氏(マンガ家)、みなもと太郎氏(マンガ家)、成瀬正祐氏(貸本研究家)、橋本博氏(合志マンガミュージアム館長)、宮本大人氏(明治大学准教授)が登壇した。

左から宮本大人氏、川崎のぼる氏、みなもと太郎氏、成瀬正祐氏、橋本博氏

司会の宮本氏はまず、日本における時代劇の歴史的な変遷について、戦前の宮尾しげをの漫画漫文から始まる時代劇マンガが、戦時中の1938年に内務省より出された「児童読物改善ニ関スル指示要綱」による発禁を経て、戦後占領期に復活するまでの概略を紹介した。
その後、成瀬氏が戦後における貸本マンガを中心とした時代劇ジャンルの発展や、劇画を背景とした残酷表現・リアリズムの向上について述べた。また白土三平の「狐塚」(1959年)、および「狐塚」と同じ題材を扱った小島剛夕、平田弘史の作品を比較し、それぞれの作家の特徴についての解説を行った。
橋本氏は、長年自ら多数のマンガを蒐集してきた経験から、なぜ「忍術・忍者」のマンガが多数存在してきたか、について発表した。『さすがの猿飛G』(2017年〜)、『アンダーニンジャ』(2018年〜)などのタイトルを挙げ、大体10年から20年おきに忍者ブームが巻き起こり「2015年頃から再び忍者マンガがキている」として、忍者マンガに共通する物語構造や設定などに切り込んだ。橋本氏によれば、忍者マンガは構造が単純であり、少し設定を変えればエスパーものにもスパイものにも、西部劇にもなるように汎用性が高く、登場人物が技を繰り出す忍法は自然現象を基にネーミングされている場合が多いために、登場人物の個性や技の内容が伝わりやすく、そうした要素が『ドラゴンボール』(1984〜1995年)などの格闘マンガにも受け継がれているとし、少年マンガを中心に日本マンガのひとつのジャンルとして幅広い人気を獲得してきた理由を分析した。
それを受けて川崎氏は、実際に貸本マンガを描いていた経験から、血しぶきなどの具体的な描写法について言及したほか、劇画工房の一員であり「劇画」の表現を確立したとされるさいとう・たかを氏の元でアシスタントをした経験についても語った。自身の作風を確立するまでの過程についても興味深い話が語られた。みなもと氏による「貸本末期にアクションヒーローのシリーズを持ったとき、川崎の作品には単行本の上の部分に『アクション劇画長編読み切り爆発版』と普通書くところを、『アクションマンガ長編読み切り爆発版』とある。『劇画』という言葉を使いたくなかったのか?」という質問に対して、川崎氏は「『劇画』という言葉にこだわりはなかった」として、当時主流になりつつあった劇画的スタイルを踏襲するよりも、あえて線を丸くするなどして自分独自のスタイルを確立しようと試みたという。劇画というジャンルに括られる作品の中の多様性についてうかがい知ることができる貴重な証言であった。

川崎のぼる氏

午後の第2部では、「現在編」として、吉村和真氏(京都精華大学教授)司会のもと、みなもと太郎氏、崗田屋愉一(岡田屋鉄蔵)氏(マンガ家)、大柿ロクロウ氏(マンガ家)が登壇した。まず司会の吉村氏が、「時代劇マンガ」とは、「時代劇時代」とでも形容すべき舞台を扱うものであり、歴史に関する学習マンガのように、厳密な時代考証を
必要とするマンガとは異なるジャンルであるということを確認した。その後、崗田屋氏、大柿氏それぞれが自身のマンガへの原体験や作品のこだわりについてのトークを行い、それを受けてみなもと氏を交えたトークセッションへ移るという形で行われた。

左からみなもと太郎氏、大柿ロクロウ氏

崗田屋氏は、作品制作における自身のこだわりとして世界観の作り込みを挙げ、演出にあたって時代考証的に正確でないものをあえて入れることもあるものの、作品内のすべての事象を自分で説明可能なレベルまで作り込んでいると述べた。そうしたマンガ家のあり方を、崗田屋氏は「RPGのなかにいる、英雄を称える吟遊詩人」に喩え、作中で登場人物を魅力的に描くことで、読者にその人物の「史実における姿」にまで興味を持ってほしいという気持ちで描いていると述べた。
大柿氏は「週刊少年サンデー」で連載を行った自身の作品『シノビノ』(2017〜2018年)を取り上げ、主人公の忍者・沢村甚三郎の史料がほとんどなかったことを、「一流の忍びだからこそ、後世に何も残さなかった」と逆手に取ることで、エンターテインメントとして自由に表現できたと述べた。ただし、そうした自由な表現の土台となる世界観は、綿密な調査や取材、人物設定に基づいていなければならないと強調した。
崗田屋氏、大柿氏の話を受け、みなもと氏はジョン・フォードによるアメリカ映画『駅馬車』(1939年、日本公開:1940年)のインディアンが馬を撃たないこと、、黒澤明『七人の侍』(1954年)における百姓の描写が時代考証上は誤りであることを事例に、ノンフィクションとリアリズムは別の問題であることについて言及。時代劇に嘘は必要であり、その嘘をどうひねるのかが問題であると述べた。トークセッションのなかで、崗田屋氏、大柿氏ともにみなもと氏の時代劇マンガから影響を受けていることが判明し、みなもと氏以降で時代劇マンガの叙述の仕方が広がったと語られた。
シンポジウム第2部の最後では、崗田屋氏が譲り受けた小島剛夕の肉筆画のコピーが公開された。アナログゆえのペン一発描きによる圧倒的な画力と迫力のある線、衣服や小道具の正確さが紹介され、「いつまでも越えられない山」として、『子連れ狼』(1970〜1976年)などを生み出した小島剛夕の大きさが語られた。時代劇マンガを通してベテランから若手へと表現や技術が継承・発展していくという、まさに「時代を超える『時代劇』」を締めくくるにふさわしいシンポジウムであった。

24日:エクスカーションツアー

24日には希望者のみを対象に、熊本県内のマンガ関連施設を大型バスで回るエクスカーションツアーが開催された。ツアー参加者はまず初めに、熊本県庁前に設置された『ONE PIECE』(1997年〜)のルフィ像を訪れた。ルフィ像は2016年に起きた熊本地震の復興支援活動の一環として、尾田栄一郎氏の寄付により建てられたものであり、現在ルフィの仲間である「麦わらの一味」メンバーの像も熊本の各所に設置が予定されている。像の見学終了後、バス車内では、ルフィ像をどのように活用すれば熊本県に復興資金が集まるシステムがつくれるのかについてのアイディア出しが参加者間で行われた。

参加者を乗せたくまモンバス
ルフィ像

続いて参加者は2017年に開館した合志マンガミュージアムを訪れた。ミュージアムまでの道中では館長の橋本氏より同館が熊本各地のマンガミュージアムのモデルケースになっていることや、他県のマンガミュージアムとの連携構想が語られた。また、ミュージアム館内では書庫の見学会が行われ、参加者は貴重な資料を手に取って見ることができた。
なお同ミュージアムについては、記事「地域密着型「第3のミュージアム」としての合志マンガミュージアム――館長 橋本博氏に聞く」も参照されたい。

合志マンガミュージアムの様子。中央にたたずむのは、中に座って本を読むことができ、展示スペースにもなる「キューブ」

最後に参加者は少女雑誌コレクションで知られる菊陽町図書館を訪れた。菊陽町図書館では少女雑誌コレクションを寄贈した村崎修三氏により、黎明期から少女雑誌がどのような歴史をたどっていったのかについて、大変貴重な現物を交えて解説がなされた。内容や雑誌の規格などについて触れられたほか、表紙を飾る少女の服装から当時の世相が読み取れることについても語られた。

村崎修三氏

筆者が熊本大会に参加して感じたのは、熊本全体がマンガを軸として活性化されているという事実のみならず、それを支える人々の草の根的活動と熱意である。合志マンガミュージアムの館長橋本氏や熊本大学現代文化資源学コースの鈴木寛之氏をはじめとする「KUMAMAN(特定非営利活動法人熊本マンガミュージアムプロジェクト〔2011年設立〕」メンバーの活動がなければ、今回の大会は実現できなかったであろう。地道な活動が合志マンガミュージアムの開館、熊本大学文学部コミュニケーション情報学科現代文化資源学コースの開設につながり、今回の大会開催へとつながったのである。マンガを学術的に研究する場を広げることとその維持のためには、地道で細々とした日々の活動がなければならないことに気付かされた地方開催であった。
(シンポジウムの記録は、2020年3月末発行予定の日本マンガ学会学会誌『マンガ研究』に掲載予定。)

執筆・撮影協力:坂口将史


(information)
日本マンガ学会第19回大会
日時:2019年6月22日(土)13:00〜18:00(研究発表、総会)、23日(日)10:30〜16:00(シンポジウム)、24日(月)10:30〜16:00(エクスカーションツアー)
会場:熊本大学
参加費:会員 各日1,000円、一般 各日2,000円、学生(※要学生証提示、大学学部生以下)1日目500円・2日目1,000円
https://www.jsscc.net/convention/19