ニューヨーク在住のマンガ家、アーティストである近藤聡乃(こんどう・あきの)氏の初の回顧展が2019年10月12日(土)~11月10日(日)に福岡・三菱地所アルティアムで開催された。近藤氏は大学在学中の2000年にマンガ家デビューした後、アニメーション、ドローイング、エッセイなどを国内外で発表し、現在はマンガ『A子さんの恋人』(2014〜)、『ニューヨークで考え中』(2012〜)を連載。本展覧会では、未公開作品も含めた彼女のこれまでの作品が一堂に会した。さらに、会期中の10月13日(日)には来日した近藤氏による、トークイベント「2019年も考え中」も行われた。前編では、本展覧会の模様を写真とともにお伝えしたうえで、後編では近藤氏へのインタビューをお届けする。

本展メインビジュアル

まず本展が福岡で開催された経緯であるが、会場である三菱地所アルティアムのディレクター山田晃子氏が直接近藤氏へ打診して実現したという。
山田氏によれば、「現在連載中のマンガ『A子さんの恋人』で、アーティストとしての近藤さんの活動を知らない読者も増えている。現代アートに関心のない層にもアピールできるこのタイミングで、近藤さんの作品群を網羅的に紹介することは効果的だと思った。また、『A子さんの恋人』で初めて近藤さんに興味を持った人にも、初期作品から知っている人にも、等しく深い鑑賞体験をしてもらうためには、近藤さんの多岐にわたる表現を包括的に見せることで浮かび上がってくるものを、展示空間で提示できなければならないと企画当初から思っていた」とのことである。本展の作品選定や空間構成のイメージは山田氏と近藤氏でメールのやり取りを中心に進め、そうした山田氏の思いや近藤氏の個々の作品に対する捉え方を空間でより明確に見せるための空間構成のプランをデザイナーの豊嶋秀樹氏(gm projects)に依頼し、展示が形づくられた。その結果、本展は近藤氏にとっての最大規模の個展となり、回顧展という形での実施へとつながった。

近藤氏のこれまでの展示では、アニメーションとマンガやその他の作品は別々のものとして扱われ同時に展示されることが少なかったが、今回はそれらが同時に展示されていることが特筆すべき点である。

5つの展示構成と内容

本展示は年代ごとに5つのパートに分かれている。以下ではそれぞれのパートの内容を紹介しよう。

1. 初期作品~アニメーション『電車かもしれない』

第1パート展示風景

このパートでは、学生時代の初期作品からアニメーション作品『電車かもしれない』(2001〜2002)までが展示されている。冒頭で登場するのが、近藤氏が高校3年生の時に初めて描いたマンガである「女子校生活のしおり」(1998)の原画である。この作品では、後に繰り返しモチーフとして描かれるおかっぱ頭の「英子ちゃん」というキャラクターがすでに登場している。学生時代から「月刊漫画ガロ」に憧れて作品を描いたという近藤氏の独特の世界観に驚かされる一作であり、本展覧会で初公開された貴重な資料でもある。一般的にマンガ家が使用する原稿用紙やGペンなどの画材ではなく、コピー用紙にゲルボールペン等で描かれているのが印象的である(詳しい画材や制作方法については後編のインタビュー記事参照)。
そのほか、「密着アルバム」(立体物:2002、マンガ:2005)、《染み込む花園》(2003)、《月の花》シリーズ(2003、2004)など、大学の授業の課題で制作した立体物や絵画が並ぶ。

「女子校生活のしおり」原画(1998)
「密着アルバム」立体物(2002)、原画(2005)
左より《染み込む花園》(2003)、《月の花vol.2 不意の花園》(2003)

このパートの最後には、『電車かもしれない』がモニターで映し出され、来場者はヘッドホンをつけながら作品を視聴することができる。本作は、知久寿焼(元たま・現パスカルズ)の同名の楽曲を使用しており、もともとは大学のアニメーションの課題で制作されたものだが、NHKのテレビ番組「デジタル・スタジアム」で紹介されて話題を呼び、2002年に第6回文化庁メディア芸術祭アニメーション部門奨励賞をはじめ数々の賞を受賞し、近藤氏の名を世に知らしめた初期の代表的作品といえる。

『電車かもしれない』(2001〜2002)

2. アニメーション/マンガ『てんとう虫のおとむらい』、関連作品
つづくパートでは、アニメーション作品『てんとう虫のおとむらい』(2005〜2006)が中心となる。部屋の中央の壁に掛けられたモニターでアニメーションが上映され、周囲にそのマンガ版「てんとう虫のおとむらい」(2002、2003)やドローイング作品《夜の鼓動》(2005)、立体作品が配置されている。

第2パート展示風景
マンガ版「てんとう虫のおとむらい」(2002、2003)

本作品はマンガ版が先につくられ、それをアニメーション化し、両者が大学の卒業制作として提出された。ただ、その際にアニメーション版は未完成であったため、数年後に完成版が作り直された。今回展示されているのはその完成版である。このパートの壁の下にはアニメーションに現れる赤いボタンがあしらわれており、音もヘッドホンではなく会場内に流れているためひとつの作品の世界観に入り込める空間づくりがなされている。

3. エッセイマンガ「春まで1/15秒」とエッセイ文「20年後の皺寄せ」からの抜粋
本展覧会のメインであるアニメーション『KiyaKiya』(2010〜2011)の部屋へと続く通路にクッションのように展示されているのがこのエッセイのコーナーである。ここでは、近藤氏のアニメーション制作にまつわる「時」への感覚に焦点が当てられている。短編エッセイマンガ「春まで1/15秒」(2006)では、彼女のアニメーションに使われる原画の数が1秒間に15枚であることから、ほんの1秒のアニメーションのために3日かかることもある、という途方もない作業と近藤氏が感じる時の流れに対する感覚を伝えてくれる。
その原画の横にはエッセイ集(『近藤聡乃エッセイ集 不思議というには地味な話』ナナロク社、2012年)の一編「20年後の皺寄せ」から抜粋された文章があり、なんとこれは近藤氏本人が直接壁に描いたものであるという。本人の直筆でエッセイが物語られることにより、展示を見た人々は同じ場所に作者がいたということを実感できる嬉しいスポットであるといえる。

「春まで1/15秒」原画(2006)
エッセイ集の一編「20年後の皺寄せ」より抜粋された本人による直筆文章

4. アニメーション『KiyaKiya』と関連するドローイング、エッセイ
この展覧会のメインとなる四方が黒で囲まれた暗い部屋では、大きなスクリーンにアニメーション『KiyaKiya』が映し出される。この部屋だけが個室のような雰囲気になっていることから、来場者はこのアニメーションにより没入して鑑賞できる。スクリーンの手前にはアニメーション制作のためのラフスケッチが多数置かれており、その量の多さと質の高さに驚かされる。周囲の壁には、関連するドローイングやエッセイが展示されている。

『KiyaKiya』(2010〜2011)を中心とする第4パート
『KiyaKiya_painting02』(2011)

アニメーションでは具体的なセリフや解読可能な文字がほとんど登場しないが、関連作品では『KiyaKiya(きやきや)』というタイトルの由来や、「文字や言葉に対する感覚」や「人と植物の交わり」に関わる内容が展示されており、この関連作品を見た/読んだ後、再びアニメーションを見ると作品についてより深く理解できるように構成されている。

5. マンガ『A子さんの恋人』と『ニューヨークで考え中』
最後のパートでは、『A子さんの恋人』(2014〜)と『ニューヨークで考え中』(2012〜)という近年のマンガ作品の原稿が並ぶ。前者はマンガ家の「A子(英子)」が、日本の元恋人「A太郎」とアメリカの恋人「A君」との関係で思い悩む物語で、「ハルタ」にて連載中(既刊5巻、KADOKAWA、2015〜2018年)。後者は、近藤氏のニューヨークでの生活をもとにしたエッセイマンガで、現在はウェブマガジン「あき地」で発表されている(既刊2巻、亜紀書房、2015・2018年)。会場には、『A子さんの恋人』の第1話の原稿や、「A太郎」と「A君」それぞれの印象的なシーンの原画、『ニューヨークで考え中』からはニューヨーク市内の様子がよく描かれている原画が展示されている。モニターが設置されており、来場者が『ニューヨークで考え中』を電子書籍のようにスライドショー形式で読めるようにもしてある。最後に、近藤氏が「次回のアニメーション作品のための構想」と位置付ける、6点のドローイングも展示されており、こちらも本展覧会で初公開されたものである。

第5パート展示風景
『A子さんの恋人』(2014〜)原画
『ニューヨークで考え中』(2012〜)原画

「呼ばれたことのない名前」が意味するもの

近藤氏が「この展覧会を物語で捉えたい」と位置付けたように、本展覧会は近藤氏の作家人生を振り返るものであり、作品制作の軌跡をたどるものとなっている。3つのアニメーションを中心としながら、マンガやドローイング、立体やエッセイなど多様な媒体の作品が一度に展示されている。それにより、それぞれの作品単体を鑑賞するだけでは見えてこなかった近藤氏の作品同士の関連性やアーティストとしての一貫性がうかがえる展示でもある。
そのひとつが、本展覧会のタイトルである「呼ばれたことのない名前」が示すとおり、「言語化しづらい記憶や感覚」を形にすることであるといえる。本展覧会ホームページに掲載されている近藤氏の文章には、こう述べられている。

展示作品のひとつである《KiyaKiya》は、「胸がきやきやする」という古い日本語からタイトルをつけたアニメーション作品です。私は澁澤龍彦『少女コレクション序説』中の一編「幼時体験について」でこの言葉を知りました。「何とも説明しがたい、懐かしいような、気がかりなような気分」、「既視感(デジャ・ヴュ)」の気分を表すこの言葉の存在を知った時、それまであの気分を形容する言葉を知らなかったことに気がつきました。そしてあの気分の「名前」を知ったことで、一瞬で忘れてしまうあの気分を、以前より確かなものとして感じられるようになりました。
何かの名前を知ることで、その存在が確かになることがあります。何かを作るという行為は、まだ呼ばれたことのない名前を呼ぶようなことかもしれません。

三菱地所アルティアムホームページ「近藤聡乃展 呼ばれたことのない名前」より

不確かであるが心に残っている感覚や気分、一般的には言語化、具現化され得ないようなものさえも、独特の感性によって形にしていくこと――それが初期から現在に至るまで近藤氏の作品に貫かれている姿勢である。本展を通して、さらにそれが圧倒的な量の「手」作業でなされていることを実感することができる。
そして、作品の表現そのものを鑑賞しながら作品に近づくことで、来場者は自分の子どもの頃の遠い記憶や思い出、忘れていた、もしくはまだ感じたことのない感覚について思いを馳せる時間を持つことができるのである。

近藤氏の描き下ろしメッセージ

複合的なメディアによる展示の可能性

展示全体に関していえば、近藤氏の活動を回顧展という形で展示することにより、結果的にマンガ、アニメーション、ドローイング、エッセイ、立体など、さまざまな形式の作品を同時に展示するというおもしろい試みの展示に仕上がっている。特にマンガやアニメーションを扱う作家の作品が美術館で展示される場合、その展示がマンガファンに向けられた原画展か、アート系のインスタレーションを中心とする展示かに分かれることが多いが、本展覧会はそのどちらでもなく、両者を統合し複数の楽しみ方ができる展示であったといえる。それは、会場である三菱地所アルティアムが過去に「岡崎京子展 戦場のガールズ・ライフ」(2016年12月3日(土)〜2017年1月22日(日))や「小林賢太郎がコントや演劇のためにつくった美術展」(2016年1月21日(木)〜3月13日(日))など、複合的なメディアの作品が混在する展示を行ってきた経験がなせることであったと考えられる。
また、会場に置かれた来場者からのコメントを記すノートにも、福岡、九州以外の本州などの遠方から来た来場者も多くいたことがうかがえ、ファンにとって注目度の高い展覧会であったといえる。そしてそうしたファンのみならず、アニメーション、マンガ、現代アートを一度に楽しめる展示であり多くの人が近藤氏の活動を知る機会となった。

トークイベント「2019年も考え中」

後半の近藤氏へのインタビューへと続く前に、本展の関連イベントである近藤氏本人と本展覧会を企画した山田氏とのトークイベント「2019年も考え中」についても触れておこう。このトークイベントは会期2日目の10月13日(日)に開催され、展示された作品や、今回展示されなかった作品も含めて、作家活動を初期から現在まで本人による解説とともに詳細に振り返るという、とても充実したものであった。アニメーションやマンガの制作方法についても具体的に語られたほか、それぞれの作品のモチーフやアイディアの源についても語られた。特に、今後の制作活動について語られた際に、長年近藤氏の作品に登場してきた自身のビジュアルイメージともなっているおかっぱ頭の「英子ちゃん」というキャラについて、「おかっぱの女の子はもう出てこない気がしています」と語られ、会場からの質疑でもその点について質問が投げかけられたことが印象的であった。(当日の詳しいレポートは、三菱地所アルティアムホームページ「「近藤聡乃展 呼ばれたことのない名前 近藤聡乃トークイベント「2019年も考え中」レポート前編」参照。)

トークイベントの模様(写真提供:三菱地所アルティアム)

後編では、今回展示された作品や制作模様についての近藤氏本人へのインタビューを掲載する。


(information)
近藤聡乃展 呼ばれたことのない名前
会期:2019年10月12日(土)~11月10日(日)10:00~20:00
   ※10月15日(火)は休館日
会場:三菱地所アルティアム(イムズ8F)
入場料:一般400円、学生300円、高校生以下無料
http://artium.jp/exhibition/2019/19-06-kondo/

近藤聡乃トークイベント「2019年も考え中」
日時:2019年10月13日(日)14:00〜15:30
会場:セミナールームA(イムズ10F)
参加費:500円

※URLは2019年11月8日にリンクを確認済み

後編▶