9月23日(木)から10月3日(日)にかけて「第24回文化庁メディア芸術祭受賞作品展」が開催され、会期中にはトークセッションなどの関連イベントが行われた。9月27日(月)には特設サイトにて、『3月のライオン』でマンガ部門大賞を受賞した羽海野チカ氏へのインタビュー音声についてのコメンテーターとして倉田よしみ氏(マンガ部門審査委員/マンガ家)、モデレーターとして川原和子氏(マンガ部門審査委員/マンガエッセイスト)を迎え、マンガ部門トークセッション「繊細かつ大胆な飽くなき挑戦者 羽海野チカ『3月のライオン』」が配信された。本稿ではその様子をレポートする。

羽海野氏のインタビュー音声を基に『3月のライオン』について解説された

「繊細かつ大胆な飽くなき挑戦者」の理由

本トークセッションは、事前に録音された羽海野チカ氏へのインタビュー音源をベースに、登壇者であるモデレーターの川原和子氏が進行しながら、コメンテーターの倉田よしみ氏が『3月のライオン』の魅力を語るという内容だ。身体的な動きが少ないためマンガとして描くのが難しい将棋というテーマを、心理描写を生かしながら表した本作。将棋マンガでありながら、登場人物の人生や成長をめぐる人間ドラマであり、恋愛要素もあり、グルメ要素もあるなど、非常に多くの要素を持った豊かな魅力あふれる作品であるという点も高く評価されている。

また、このセッションのタイトルになっている「繊細かつ大胆」とは、羽海野氏の編集担当者である友田氏が同氏を形容した言葉だそうだ。登場人物の成長の描き方や、読者の心を震わせるモノローグに象徴される繊細な部分と、まったく違う作風にチャレンジする勇気と大胆さ。その両方を兼ね備えながら長期連載のなかで新しい挑戦を続ける作者自身の言葉が届けられた。

将棋の対局をテーマにしたきっかけ

羽海野氏が「将棋」に興味を抱いたきっかけは、テレビで見た対局だったそうだ。体は動かないのに、脳がフル回転している棋士を見たときに「恐ろしい競技」と感じたという。その姿に衝撃を受けて「外面的な動きはないけれど、内面にはすごいマグマがあることを、マンガだったら心象風景で入れ込めるので、何とかこれを描きたいと思った」と語った。同作はさまざまな比喩で描かれる心理描写により、将棋を知らない読者でも引き込まれてしまう。

たくさんのマンガジャンルを詰め込んだ作品

倉田氏は同作品について「少女マンガ、少年マンガ、青年マンガいずれの要素もある。どの分野が好きな読者が読んでもおもしろいマンガではないか」とコメント。それに応えるかのように、羽海野氏は以下のように語る。「私が少年マンガも青年誌も少女マンガもレディース系も全部大好きだったので、全部大好きな人が書いたものになるといいなと思って。そうしたら私みたいな人が読んでくれるだろうと。どのマンガのジャンルが好きな人でも読めるものが描きたい」。

左から、モデレーターとして進行したマンガエッセイストの川原氏、コメンテーターを務めたマンガ家の倉田氏

一番印象に残っている対局のシーン

「一番印象に残っている対局のシーンは?」という質問がされたとき、羽海野氏が迷わず答えたのが単行本8巻に掲載されている最年長の棋士・柳原朔太郎棋匠と、島田開八段の棋匠戦だ。羽海野氏は「もうこれ以上の対局は描けないんじゃないかな」とすら思ったという。主人公の桐山零がまだ到達できない地点での戦いであり、年齢との戦いであり、しかし仲間たちのためにまだ頑張らないといけないという、究極の戦い。これは羽海野氏にとって、一番描けて良かったと思う対局だという。

また、同氏はこの場面で柳原棋匠に対する仲間たちの希望を「たすき」として表現した。「言葉だけではなくて、目で見ただけでも気持ちや情景がわかるようにしたい。どんな気持ちでたすきを掴んでいるのか、顔でも表現できる」と語り、さらに同シーンでは歌舞伎も意識していると明かした。紙吹雪が舞い、見栄を切っているような鬼気迫る表情、拍子木が鳴っているような情景をイメージしたそうだ。

トークで言及されているページが映される場面も

作画の強さはこうして生まれる

続いてさまざまな年齢や体格の人を、その性格とともに個性的に描き分けていることを問われた羽海野氏。特に老人の描き方について聞かれると「柳原さんは描いていてすごく楽しかった」と明かした。取材時に見かけた桐山清澄九段の立ち居振る舞いに「なんて素敵なんだろう、こういう方を描きたい」と考えたという。そこから生まれた柳原棋匠は、少し羽海野氏の実父にも似ているそうで、起きたら目薬をさすなどの実父の日常のルーティンを足して人物像が完成した。

ここで厚みのある人物像の描き分けについて問われると「30代と40代は外見の差はあまりないが、仕草に差が出てくる。40代と50代でも少し体型に違いが出ていたり……」と描き分けについて例を出し、「30、40、50、60、70代それぞれで描き分けられたらいいなと思う」と語った。本作で例外なのは宗谷冬司名人で、あまり年齢がわからないようにテクスチャを乗せず、幽霊のような雰囲気で描きたかったという。

このように細かな描き分けをされながら生き生きと動くキャラクターたちについて、倉田氏は「羽海野先生のキャラクターは一人ひとり考えられてつくられていて、決して置き去りにしない。最後までそのキャラクターの面倒を見ている。すごくかわいがっているなという感じがしますね。出てこないときも存在している」とコメントした。

人物描写に続き、川原氏から本作に登場する食べ物について問われた倉田氏は「『3月のライオン』を読むと料理をつくりたくなると思う。すごく楽しそう」と話し、「いつも最後はお腹をパンパンに膨らませて畳で横になっているというような、食べたら幸せになるという場面が描かれている」と食事シーンの魅力を語った。

倉田氏

詩情あふれるモノローグ表現

続いて羽海野氏への質問は、特徴的なモノローグ表現へ。黒い帯に白い文字が描かれる印象深い表現が用いられ、登場人物たちの繊細な心の機微を浮かび上がらせる。『3月のライオン』3巻182-183ページのように、モノローグは縦書きと横書き、同時に2つの心情が語られることもある。羽海野氏はこの描き方について「頭のなかで整理されていないところをそのまま描くとこうなるのかもしれない」、「感情面と頭で考えていることを、一本の流れだけでは追えなかった」と語る。「気持ちのモノローグと、後ろでその物語に合った曲が流れているようなイメージ」でどちらも必要であり、「本人のモノローグとナレーションの人の声が入るように多重音声になっている」そうだ。

この表現によって、読み進めるスピードをコントロールできるようになっている。読者はどのような順番で読むか考えることとなり、縦書きだけ追う、縦書きだけ追う、何回も読むなどその読み方は人によって異なるだろう。羽海野氏は「読むスピードを落としてゆっくり読んでもらえる」ことを期待すると同時に、読みづらくならないように一行ずつ切り貼りを繰り返し、音読をしながら文章を考えているそうだ。

また、9巻56-57ページは「回想」と「現在」が混在し、さらにモノローグが語られるという複雑な構成になっている。このような難しい構成であっても読者が混乱せずに読めるような画面を可能にしているのは、羽海野氏の過去の経験が生かされているとのこと。マンガ家デビュー前はキャラクターデザイナーとして働いていた羽海野氏は、フリーランスとして独立してから英語の参考書のカットなどを手掛けるようになる。すると、参考書はわかりやすく重要なポイントがわかるようにさまざまな工夫がされていることに気が付いた。大見出しに小見出し、色使い、字体……同じことを伝えている紙面であっても、文字の構成によって「わかりやすさ」がまったく異なるということを学んだという。

影響を受けた作家たち

影響を受けた作家を聞かれると、羽海野氏は「自分の基本ができた作家」として萩尾望都、手塚治虫、山本鈴美香、山岸凉子の名を挙げた。萩尾、山本、山岸の人体描写の巧みさについてふれ「ファッションは変わっても、人間の基本体型は変わらない。歴史にそのまま残る体型を描いていらっしゃる」「しっかり描けば長く読んでもらえるということがわかった」と語る。続いて少年マンガ、特に『スラムダンク』(1990~1996年)が大好きになり「主役脇役なしに全員が主役で、みんなが頑張っているマンガの素晴らしさ」を知ったという。ほかには松本大洋のマンガで背景の味、街の美しさに魅せられ、高野文子が描く仕草の美しさにも影響を受けていると明かし、「大好きなマンガのいいところを吸収しながら描いていきたい」と考えるようになったそうだ。

この回答に対し、川原氏が「作中の風景に温かみがある。独特の統一されたテイストには松本大洋の影響があった」ことに触れると、倉田氏から『3月のライオン』の背景について「同作で登場する東京のビル群、鉄筋コンクリート製の建物は定規が使用され、細いペンで描かれている。その一方で主人公の桐山零を温かく包み込む川本家の和風建築や和菓子屋はフリーハンド。それによって独特の味が生まれているのでは」と指摘された。

川原氏

連載を始めるにあたり意識したこと

大ブレイクしたプロデビュー作の恋愛マンガ『ハチミツとクローバー』(2000~2006年)から打って変わって将棋をテーマにした『3月のライオン』が生まれた背景とはどのようなもので、羽海野氏は何を意識していたのだろうか。同作連載終了後の彼女のもとには「ハチクロのようなマンガをまた描いてほしい」というオファーが続いたという。しかし羽海野氏は「一発屋になりたくなかった。恋愛マンガで読者に受け入れてもらったから、次にまた恋愛マンガを描いたら『ハチクロ』と比べられてしまい、おそらく失敗してしまう。それならばしっかり取材しないと描けないマンガを描いて、真面目なマンガ家であると読者の信頼を得てから恋愛マンガをまた描こう」と考えたそうだ。

そのようななかで現在『3月のライオン』の担当編集者であり、自身も大学で将棋をしていたという友田氏から「ボクシングか将棋のマンガを描きませんか」と相談があった。ちょうど将棋中継をテレビで見て棋士の姿に興味を抱いていたタイミングだったため、ぜひ取材をしたいというところから同作の構想が始まったという。将棋がわからない羽海野氏と将棋経験のある担当編集者で、協力してひとつのマンガをつくり出すことも重要だったそうだ。マンガ家として作品を描き出す自分だけではなく、担当編集者にとっても「自分の作品」だと思えることができれば、作品の道が開けるような気がしたという。

新たな表現に挑戦し続けるモチベーション

これまで見てきたように、羽海野氏は『3月のライオン』で新たな表現方法を模索し、挑戦し続けている。そのモチベーションについて聞かれると、キャラクターデザイナー時代の経験を交えながら以下のように答えた。「キャラクターデザインは、モチベーションが下がると一瞬で買う人にわかってしまう。売上が下がるとそのキャラクターは廃盤になるという厳しい世界」と話し、「マンガでもやっぱりこわい。どんどんリニューアルしないと飽きられてしまう。その恐怖から一生逃げられないみたいで」と明かした。

主人公の桐山も、羽海野氏の挑戦とともに1巻からひとつずつ新しいことができるように少しずつ成長をしている。その成長は「人と一緒にいて口を開けて笑う、今度は爆笑してしまう、笑わなくても人と一緒にいられるようになる」など、地味で小さいことかもしれないが「でもそれを大事に描いていこうと思う」と語った。

気になる今後の展開とエンディング

いよいよ物語も佳境にはいってきた『3月のライオン』。今後の展開とエンディングについて問われると、羽海野氏はきっぱりと「最初からラストは決まっている」と話した。しかしその描き方は未定だという。作中で起きる出来事は決まっているが、そのシーンを描く頃に自分の身に何が起きていて、どのような気持ちにシンクロができるか。その気持ちによって主人公の桐山零の表情が変わると考えているそうだ。「同じ出来事が起きるけど、そのとき零ちゃんは弾けるほど喜んで嬉しい顔をするのか、そうじゃないのかは私の心の機微、心の波模様で決めようと思っています」と羽海野氏。

倉田は「マンガは詰め将棋に似ている」と表現。ラストを決めていて、そこにいくまでの展開でおもしろいのは何だろうと考えながら進めている。ページ数が決められているから、そこに収めないといけない。そこの構成をどうするか……詰め将棋をしている感覚と似ていると話した。

これまで意外な展開とともに、少しずつ前進してきた『3月のライオン』。倉田氏が「終わりの予想がつかないからこそ楽しみ」だと語るように、読者は登場人物たちの成長を見守りながら、羽海野氏の挑戦を見届けるのだ。

『3月のライオン』1巻(白泉社、2008年)表紙
©︎ Chica Umino/Hakusensha

(information)
第24回文化庁メディア芸術祭 マンガ部門 トークセッション
「繊細かつ大胆な飽くなき挑戦者 羽海野チカ『3月のライオン』」
配信日時:2021年9月27日(月)18:00~
登壇者:羽海野チカ(マンガ部門大賞『3月のライオン』)
    倉田よしみ(マンガ部門審査委員/マンガ家)
    川原和子(マンガ部門審査委員/マンガエッセイスト)
主催:第24回文化庁メディア芸術祭実行委員会
https://j-mediaarts.jp/※トークセッションは、特設サイト(https://www.online24th.j-mediaarts.jp/)にて配信後、12月24日(金)17:00まで公開

※URLは2021年10月26日にリンクを確認済み