日本初のメディアアートの学校、情報科学芸術大学院大学[IAMAS](イアマス)。前半では24年前の開学の経緯と現在のメディアアートを取り巻く状況について話を伺った。開校当時から変わらない大きな特徴は「プロジェクト」という授業だ。その名の通り、教員と学生が一緒にひとつのプロジェクトに取り組むことで、あらゆる分野の知見が共有されている。その横断的な取り組みで、これからの社会で生き抜くために必要なスキルが磨かれていくのかもしれない。

授業「アクション・デザイン・リサーチ」プロジェクトでの、ディスカッションの様子
撮影:丸尾隆一

アートは分野を横断するものであり、枠組み自体の再定義が必要

カリキュラムについては、IAMASの特徴とも言える「プロジェクト」と通常の座学の大きく2つにわけられると言ってよいでしょうか。

三輪:そのほかに木工や金工など制作の授業もあります。ただ修士研究の比重がかなり大きいですね。むしろ修士研究を補強するためにさまざまな授業があると言っても過言ではありません。
それからIAMASらしさといえば、1年生の前半に「メディア表現基礎」という共同授業があります。バックグラウンドがバラバラな学生が、共通言語をお互いに探る半年間です。テクノロジーの基礎を学んだり、実際に物をつくってみたり、情報をまとめてみたり。そうしたあらゆる分野の授業を一緒に受講します。
そして2年生の修士研究では、作品をつくることと、それについて論文を書きます。どのような分野の成果でもIAMASでは「作品」と呼んでいます。ソフトウェアの開発も、美学的な研究も、コミュニティデザインのような活動であっても「作品」と呼び、そこで何を試みたのかを論文として書く。そういうスタイルです。
私としてはIAMASには3段階あると考えています。最初に「夢を見る、目標を立てる」。次に、その実現を目指して「やってみる」。そして3段階目がそれを「説明する」。言語化です。

言語化とは、プレゼンテーションや論文のことでしょうか。

三輪:特に論文です。美大でしたら作品制作のみで卒業できることもあるかもしれませんが、IAMASは専修学校時代から論文を義務づけていました。論文さえなければ学生も教員もどれだけ楽かわかりません(笑)。これまでも卒業の条件は「作品だけで良いのでは?」という議論もありましたが、いまだに残っています。

デジタル工作機械などを備える「IAMASイノベーション工房」(IAMASキャンパス内)
撮影:今井正由己

IAMASを修了した学生は、その後どのような道に進まれるのでしょうか。入学したときの背景とは別の道に進むこともあるのでしょうか。

三輪:入学前のバックグラウンドは本当に千差万別ですね。例えば僕の専門ですと、音大に行っていた学生が、1学年に1人いるかいないかくらいです。デザイン、理系、社会学を専門とする学生もいます。それから今は専門の教員はいないのですが、建築がバックグラウンドの学生も必ずと言っていいほどいますね。

伊村:IAMASに限らず、近年ではどの研究分野も新たな研究手法を取り入れ、領域を横断してきています。

三輪:そのなかで、IAMASとしてはアートを西洋美術の領域と位置付けずに、さまざまな分野すべてを横断するもの、結ぶものと考えています。そこで土台になるのは人間的な価値観や倫理です。例えば最先端の科学やテクノロジーを開発することだけがすごいのではない。それを使うことが、いったい何を意味しているのか。そこまで考えられなければ未来はないと思っています。科学や技術の研究であっても、アートのような感覚的、哲学的な視点が絶対に必要なのです。同時にアートそれ自体の再定義も必要だと考えています。

作品展示のほか、コンサートやワークショップなどにも使用可能な「ギャラリー」(IAMASキャンパス内)
撮影:今井正由己

美術以外の分野でも修了制作では「作品」と捉えるとおっしゃっていたことが、まさにアートの再定義ですね。横断的に学んだ結果、それまでの専門とは違う道に歩む卒業生もいるのですか。

三輪:そういう学生も少なくありませんが、何かを夢見てそれをやってみるときに、それまでにやってきたことを土台として大いに生かしなさい、と学生には必ず言っています。例えば、ピアノが弾ける人にとって、そのことは当たり前のことかもしれないけれど、弾けない人から見たらとんでもないことができるわけです。逆に言えば、大学の学部で学んだ知識や技能はそれだけ重要だということを自覚しないと、大学院に来て何にでもなれるというのは間違いなのです。
卒業生は、すぐに就職が決まる学生ばかりではありませんが、数年後には必ず何かしらやっています。実に多様な分野で世界に羽ばたいています。

撮影用の「ビジュアルスタジオ」(IAMASキャンパス内)
撮影:今井正由己

自分の頭で考える能力こそが、生き延びるための唯一の方法

メディアアートの分野で活躍する卒業生として、株式会社Rhizomatiks(ライゾマティクス)の真鍋大度(まなべ・だいと)さんが思い浮かびますが、芸術以外の分野で活躍されている方もいますか。

伊村:具体的な企業名はすべて挙げられませんが、多くの卒業生が新しい教育機関や文化施設などに就職しています。そのほかにも、IT関連企業、ウェブ、グラフィック、プロダクトなどのデザイナー、プログラマー、アーティスト、起業、博士課程への進学など、さまざまです。最近では、文字を読み上げる眼鏡「OTON GLASS(オトングラス)」をつくり、メディアで取り上げられた島影圭佑(しまかげ・けいすけ)さんや、2019年にヴェネチア・ビエンナーレの日本代表になった作曲家の安野太郎(やすの・たろう)さんがいます。

三輪:真鍋さんも島影さんも起業していますが、IAMASで学ぶと、すでに存在する仕事に就くことよりも、自分で仕事をつくる人が多いのかもしれません。仕事を創造していくほうが合っているのですね。

伊村:アーティストとして活動することの意味を広げていくようなタイプの卒業生がいるのもIAMASらしさかもしれません。例えば、アルス・エレクトロニカでも受賞するなど国内外で活動するアーティストの三原聡一郎(みはら・そういちろう)さんは、リサーチも含めた活動形態があり、表現のアウトプットの方法や扱うメディアが多様です。

三輪:美術ももちろんですが、例えば作曲といったときに、うまく作曲できることはもはや問題になっていないのです。そうではなくて「作曲するとは何か」を再定義することができなければならない。既存のジャンルのなかで評価されようとするのは、20世紀の考え方ではないでしょうか。
それから教育の世界ではよく「人材育成」といいますが、その言葉の使い方に僕は違和感を持っています。産業の世界だったら「人材」かもしれないけれど、人を働き手としてしか見ていないのではないでしょうか。この言葉は「社会に役に立つ人しか意味がない」と言っているようにも聞こえます。これからの社会に負けない人を育てなさい、と。でも人は負けないために生きているわけではありません。その存在だけで価値があるのです。若者に限らず「人」を育てることが教育の基本で、「材」ではない。

伊村:「メディア表現」というひとつの研究科のなかに、バックグラウンドが異なる教員や学生がいることが重要だと思います。互いに違う考えを持つことの必要性が正当に意識され、共有され、ディスカッションされること。そうした基本的なことが、教育としてきちんと機能していく場であってほしいと考えています。

三輪:とにかく学生には生き延びてほしい。IAMASとしてはそれがすべてです。学生には「これからどうやったら生き延びられるかを考える人生最後のチャンスだ」と言っています。日本の教育機関や大学では、学生が自分の頭で考える訓練をほとんどしない。だから、学生はひとりで考えることこそをIAMASで学ぶべきだと思っています。数年後に会社がなくなっているかもしれない、これまでの仕事をAIがやっているかもしれないなど時々刻々これだけ世界が変わっていくなかで、生き延びる手段とは、その時々にどれだけ自分の頭で考えて決断し行動できるか。その能力がすべてです。それはどんな分野でもどんな状況のなかでも同じ。それが学べるなら、IAMASが存在する理由があると僕は思っています。


伊村靖子氏(左)と三輪眞弘氏(右)

三輪眞弘(みわ・まさひろ)
情報科学芸術大学院大学[IAMAS]学長、教授。作曲家。コンピュータを用いたアルゴリズミック・コンポジションと呼ばれる手法で数多くの作品を発表。第10回入野賞1位、第14回ルイジ・ルッソロ国際音楽コンクール1位、第14回芥川作曲賞、2010年度芸術選奨文部科学大臣賞(芸術振興部門)ほか受賞歴多数。2007年、「逆シミュレーション音楽」 がアルス・エレクトロニカのデジタルミュージック部門にてゴールデン・ニカ賞(グランプリ)を受賞。

伊村靖子(いむら・やすこ)
情報科学芸術大学院大学[IAMAS]講師。アートとデザインの歴史的区分を再考することにより、芸術と商業活動、産業との横断的な表現領域を研究対象とする。2013年京都市立芸術大学博士号(芸術学)取得。博士学位論文「1960年代の美術批評──東野芳明の言説を中心に」。岐阜おおがきビエンナーレ2019「メディア技術がもたらす公共圏」のディレクターを務める。


(information)
情報科学芸術大学院大学[IAMAS]
〒503-0006 岐阜県大垣市加賀野4-1-7
TEL:0584-75-6600
https://www.iamas.ac.jp

※URLは2020年2月21日にリンクを確認済み

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