9月23日(木)から10月3日(日)にかけて「第24回文化庁メディア芸術祭受賞作品展」が開催され、会期中にはトークセッションなどの関連イベントが行われた。10月3日(日)にはパナソニックセンター東京にて、『縛られたプロメテウス』でアート部門大賞を受賞した小泉明郎氏、庭劇団ペニノ主宰/劇作・演出家のタニノクロウ氏、アート部門審査委員/メディアアーティスト/東京藝術大学教授の八谷和彦氏、アート部門審査委員(第25回)/山口情報芸術センター[YCAM]パフォーミングアーツ・プロデューサーの竹下暁子氏を迎え、「アート部門大賞『縛られたプロメテウス』トークセッション」が開催された。本稿ではその様子をレポートする。

トークセッションの様子。左から、竹下氏、八谷氏、小泉氏、タニノ氏
以下、撮影:畠中彩

有限な身体を持つ現代のプロメテウス

あいちトリエンナーレ2019のパフォーミングアーツ部門において、作品制作の委嘱を受けた小泉明郎氏は、キュレーターの相馬千秋氏から本作同タイトルのギリシャ悲劇の戯曲を渡されたという。「最初は難しかったのですが、何度も読むうちに見えてくるものがありました。ひとつは、未来を予見する能力を持っているがゆえに、ゼウスという絶対的な力に対しても屈しないというモチーフ。もうひとつは、痛みの表現の違和感です。プロメテウスは、拷問を受けても身体はまた再生して、また拷問を受ける。不死ゆえに永遠に拷問を受け続けるプロメテウスの身体は、神の身体であり、不死の身体です。対して、我々人間の身体は有限の身体であり、痛みとは、その身体が有限であるがゆえに、生き延びたいという防衛本能自体が作りだす生理現象です。なので不死のプロメテウスの痛みと、有限なる私たち人間の痛みは本質的に違い混同するべきではない、そしてこの作品では有限なる人間の痛みの本質を捉えるべきだと考えました。そのうえで、動けない、磔にされた有限な身体を持つ現代のプロメテウスと考えたときに浮かんだのが、ALS(筋萎縮性側索硬化症)の患者さんでした。たまたま、プロダクションチームに武藤さんと繋がりのある方がいて、ご紹介いただきました」と小泉氏。本作の出演者である武藤将胤氏は、2013年にALSを宣告された直後から、自ら団体を立ち上げ、ALSの啓発活動を精力的に行う人物だ。小泉氏は武藤氏を、「超人的で、現代のプロメテウスにぴったりの人物」と話す。ALS宣告後の平均寿命をすでに過ぎた武藤氏が限られた時間のなかで発する言葉は、そのすべてが心に届いたという。作中で武藤氏の声で語られる言葉は、小泉氏によって構成は練られたものの、できるだけ本人から出てくる言葉でセリフが構成されていった。

そして受賞作におけるもうひとつの重要な要素、VRについては、そのプロフェッショナルである制作会社ABALの存在なくては、成り立たなかったという。「身体がなくなってしまうような、なにかとても宗教的な体験ができるような、とにかく最高に気持ちいいVR作品をつくりたいので協力してほしい」という小泉氏の申し出にABALがOKを出したという。

『縛られたプロメテウス』
©︎ 2019, Meiro Koizumi

物語と登場人物、そしてVR
要素の見事な合致による作品の強度

VRを用いた経緯について小泉氏は、「僕はテクノロジーの発展には不安や恐怖を抱いています。行動パターンが数値化されるにつれ、身体性が軽視され存在そのものが情報として捉えられてしまうのではないか。私自身の抱くそんな危機感が、プロメテウスの神話と武藤さん、そしてVRを繋いだのだと思う」と語る。無知の人間に「火」という発展のきっかけを与え磔にされたプロメテウスと、身体とテクノロジーとの切り離せない関係を体現する武藤氏(徐々に身体機能を失っていくALS患者は、視線を検知して文字を入力する装置を用いるなど、その生活や意思疎通にテクノロジーが不可欠となる)、そして、体験者から身体感覚を剥奪するVR体験。それらの要素が見事に合致し、美術作品としての強度を構築していることが、今回の受賞理由の大きなひとつだと八谷和彦氏は語る。「小泉さんは、誤解を恐れずに言うと、怖い作品をつくる作家、さらに言えば、取り扱い注意の作家という印象です。ちゃんと人間の本質にかなり踏み込んだ作品をつくるから、それを公開する側にも覚悟がいる。そんな優れた作家が、作品の一要素としてVRを選択し、かつ、ABALというプロフェッショナルと協働する選択をしたことで、完成度の高い、演劇的な体験を伴う美術作品になった。これはけっこう奇跡的なことだと思っています」と八谷氏。

本作の受賞は、審査会でも特に異論なくスムーズに決まったという。受賞について小泉氏は、普段の個人での映像制作とはまったく異なる、武藤氏、ABAL、そして演劇チームなど複数のチームで協働したからこそできた今回の制作について「方向性を示すことはしたが、私自身はあまりなにもした感覚がなくて……チームがとにかく素晴らしかったのだと思います。皆でトロフィーを掲げられたのが、すごく嬉しかったです」と振り返った。

また八谷氏は、VR演劇の性質上限定性が高くなってしまう作品の発表の場をひとつ増やすことができたのは、メディア芸術祭としてもよかったのではないかと補足した。

小泉氏

身体がなくなってしまうような感覚の可能性

自身の活動場所である山口情報芸術センター[YCAM]では、テクノロジーを用いた作品の構築プロセスには、特定のテクノロジーを使ってどのような表現が可能になるか探る場合と、作家の意図ありきで、それを実現する手段としてテクノロジーが付随してくる場合の2通りがあると竹下氏は話す。VRを取り入れた作品をすでに3作手掛けている小泉は、VRにはほかにはない可能性を感じていると語る。「ヘッドセットをつけると、自分の身体がなくなってしまったような感覚になります。初めて使ったとき、映像とは根本的に違うその体験に衝撃を受けました。映像は社会的にも政治的にもすでに大きな存在ですが、VRという技術はさらに、我々の主体性や人間の定義といったものを揺るがすものなのではないかと、期待と怖さを感じています。ただ、まだヘッドセットが重いので、ハード的にはまだ至らない部分がありますが、ヘッドセットが軽くなってより没入感が増した時にはもう、脳はその体験に抗えなくなるでしょうね」。その言葉からは、竹下氏が先述した2通りのうち、小泉氏は後者のようでいて、実は前者でもあったことが読み取れる。本作は、作家が技術側への理解を深めていたからこそできた作品ともいえよう。

竹下氏

『縛られたプロメテウス』のVRの用い方で特徴的なのは、ひとつは、ヘッドセットを装着しながらも外界の様子を見ることができ、そこに映像を重ねることもできる「シースルー」モードを一部に利用したこと。そしてもうひとつは、複数のヘッドセットで同時に同じ映像を見ることができる、ABALが独自に開発した多人数同期システム利用したことである。このシステムなら、同じ夢を見ながらそれに操られる人々が表現できると、ABALから提案があったという。それにより、小泉氏が「群衆」と表現する、体験者が演者と化すことで作品の一部となる表現が可能になった。ABALの多人数同期システムを以前デモ体験したことがあったという八谷氏は、「僕が体験したときのデモは、恐竜がいるところを集団で移動するような、エンターテインメント性が高いものでした。その技術をこんなかたちで利用するとはと、感動しました」と、エンターテインメント性の強い技術が、作家のアイデアと結びつくことでまったく違う表現に昇華されたことへの驚きを述べた。

庭劇団ペニノの演劇作品「ダークマスターVR」

ここで、話題は庭劇団ペニノの主宰を務めるタニノクロウ氏へ。タニノ氏は2020年10月に東京芸術劇場にて演劇作品「ダークマスターVR」を発表、本作は同氏が手掛けた舞台作品「ダークマスター」(2003年初演)を、コロナ禍においてVR作品としてリメイクしたものである。洋食屋のマスターの身代わりになることを突如要求され、隠れて指示を出すマスターに操られるかのように店を切り盛りすることになった主人公が、徐々にマスターとの境界線を失っていくさまを、主人公の視点で体験する。体験した竹下氏は「とても五感を刺激される体験でした。今VRでできることはなにかを試す作家の好奇心が感じられて、興味深かった」と話す。受賞作と同様、その実現にはABALが関わっており、シースルーを利用するなど、受賞作との共通点も多い。

受賞作を体験し、タニノ氏は、自身が研修医時代に関わったALS患者の死と、その体験の大きさから、自身が当時の恋愛や生活に支障をきたしたことなどを回顧したと話し、作品体験が自身にとって大きなものだったと、感想を述べた。「ヘッドセットをつけることは主人公になること」と話すタニノ氏。自身のVR作品については、まず一人称的に体験できる物語であったことがVR体験と合致したという。「僕もまだ、VRでできることはまだまだ限られていて、初期のファミコンくらいだと捉えています。だからこそ、そのなかでできることを考えるのが楽しいというところもあり、それもまた今ある本質的なおもしろさなのだと思います」と話す。加えて「ダークマスターVR」で重要だったのは、VRだけではなく、劇場の機構を使いさまざまな演出を加えることだったという。匂いや風を送るなどといった仕掛けを施すことは、劇場という場でなければ難しい。VRはコロナ禍という状況のなか、劇場でしか体験できない作品をつくるための、要素のひとつであったのだ。

タニノ氏

ライブの怖さとレコーデッドの安心感

受賞作とタニノ氏の作品にはいくつか共通点が見出せるが、いずれもライブ(シースルー)とレコーデッドの映像を両方使っている点が興味深い。主に映像を表現手段とする小泉氏は「この作品は(あいちトリエンナーレの)パフォーミングアーツ部門での発表を前提としてつくったものですが、僕にはライブを扱うことが怖すぎて、完全な演劇作品はつくれませんでした。ただ、そこから一歩踏み出したのが、第1部のシースルーを用いて周りの人々に映像を重ねた部分と、第2部の、ヘッドセットをつけて第1部を体験している人々を、踊らされている群衆として見る部分です。ただそこも、動きをアフォードする映像にしているとはいえ、踊らさているように見える回と、見えない回があるんですよね」と、ライブ要素を作品に取り込むことへの怖さと難しさを語った。

対して舞台作品を主とするタニノ氏は、「良くも悪くも、演劇は手を加え続けることができるために結局完成しない。でもVRの場合はどこかで、このテイクが一番いいと思い込んで撮影を終わらせなきゃいけない。おかげで、その一時期は気持ちが明るくなりました」と、作品を発表前に完成させることが新鮮な体験だったといい、そこに両者の対極性が垣間見えた。

VR演劇とは?

八谷氏からタニノ氏へ、「VR演劇」というカテゴリーについて疑問が投げかけられた。小泉氏の受賞作もそう称されながらも、パフォーマティブなインスタレーションとでもいうような中間的立ち位置とも取れる。タニノ氏は、「自分の作品もVR演劇とされることはあるものの、VR演劇が何たるかはわかっていない」と前置きしたうえで、作品発表時、劇場にいる必要のないはずの俳優が、普段の公演と同じように毎日劇場に来ていたというエピソードを紹介。劇場に来ずにはいられない俳優たちのその様子に、演劇的なものを感じたという。また、VR作品において没入感を持続させるためにはワンカットを長くすることが重要であり、長尺の演技スキルを持つという点では、舞台俳優はVRに適していると言えるのかもしれないとも述べた。小泉氏はABALとのやり取りにおいて「VR映像と2次元の映像とはまったく異なる」と言われたことを引き合いに出し、VR映像をつくることは空間をつくるようなものであり、その点では演劇的なのかもしれないと語った。

八谷氏

VRを体験しながら、ストーリーを聞くことはできない

第2部で、第1部を体験する人を外から見るという仕掛けは受賞作の大きな特徴のひとつだが、その演出は、「VRを体験しているあいだは、エフェクトが勝ってしまいストーリーを語っても耳に入らない。何か伝えたいなら2度伝えないといけない」というABALからのアドバイスがきっかけとなった。そこで2部構成を決め、さらに「VR体験をしている人を外から見るのは滑稽で楽しい」という気づきから、体験者を外から見るという演出を考えていったという。

また、作中で語られる物語に2つの異なる結末を用意した意図については、「テクノロジーの発展によって、例えばALSが治せるといった素晴らしい話も出てきている。一方で、人を情報として管理したりする手段としても有効な側面があり、不安は常につきまといます。その両方の狭間で宙吊りにされている状況を描きたかった。それを、切迫したテクノロジーへの希求と、身体の有限性、その狭間にまさに宙づりにされている武藤さんが語ることによって、そこにアイロニーの入る隙がない、切実な訴えとして届く表現になったのだと思っています」と語った。

ちなみに、「ダークマスターVR」においても、ヘッドセットをつけた自分や他者を見るという場面がある。その演出についてタニノ氏は、「バーチャルな世界が発展していくことへの疑念を抱えながらつくっていた、その矛盾を作品に込めたかったのだと思います」と、小泉氏と近い意図を持ってその演出を盛り込んだと話す。

先の見えない状況のなかで

トークも終盤となり、小泉氏からタニノ氏へ、コロナ禍の経験を経た舞台作品制作の状況について、質問が投げかけられた。まだまだ先が見えない状況に鬱々としながらも、とはいえ、テクノロジーの恩恵を受けて演劇作品は徐々につくりやすくなっていると話す。実は演劇の現場でも、VRや360°カメラというのはコロナ禍以前から導入されており、それは再演の際に、小道具やカンペの位置などが思い出しやすいように舞台の状態を記録するためだとのこと。その存在により、稽古を含む創作時間は以前より短く済むという。

最後に、2019年の初演時には想像もできなかったコロナ禍という状況における受賞作の再演について小泉氏は、「VRの体験で一番素晴らしいのは、ヘッドセットを外した瞬間だと、ある本に書いてありました。外した瞬間に、解像度も他人の存在感も濃密なこの世界を感じられる。そのための装置だと書かれていて、まさにそうだと思いました。このパンデミックを経て、実際に人と会ったり空間を共有したりすることが、我々にとって根源的に必要であることを、今世界中で再確認しているところだと感じます。楽観的かもしれませんが、この経験は人間にとってひとつの財産だと思っていて、パンデミックを経た今、この作品はそれが実感できるものになっているのではないかと思います」と締めくくった。


(information)
第24回文化庁メディア芸術祭
「アート部門大賞『縛られたプロメテウス』トークセッション」
日時:2021年10月3日(日)17:00~18:00
配信日時:2021年10月29日(金)18:00~
会場:パナソニックセンター東京
登壇者:小泉明郎(アート部門大賞『縛られたプロメテウス』/アーティスト)
    タニノクロウ(庭劇団ペニノ主宰/劇作・演出家)
    八谷和彦(アート部門審査委員/メディアアーティスト/東京藝術大学教授)
    竹下暁子(アート部門審査委員(第25回)/山口情報芸術センター[YCAM]パフォーミングアーツ・プロデューサー)
定員:20名
主催:第24回文化庁メディア芸術祭実行委員会
https://j-mediaarts.jp/
※トークセッションは、特設サイト(https://www.online24th.j-mediaarts.jp/)にて配信後、12月24日(金)17:00まで公開

※URLは2021年11月19日にリンクを確認済み