寒川裕人によるアーティスト・スタジオ「EUGENE STUDIO(ユージーン・スタジオ)」の国内公立美術館初の大規模個展が2021年11月20日(土)から2022年2月23日(水・祝)まで東京都現代美術館で開催されている。ユージーン・スタジオはこれまで絵画、彫刻、大型のインスタレーション、映像作品など幅広いジャンルの作品を手掛け、国内外で展示を行ってきた。本展でも多様な手法による作品が並び、展示室ごとに異なる表情を見せているが、展覧会全体に通底するテーマとなっているのは「共生」。新進作家が現代社会をどのような眼差しで見つめ、表現したのか。本展出品作より数点を挙げながら展覧会の様子をレポートする。

ユージーン・スタジオ 新しい海 展示風景 東京都現代美術館 2021年
手前:《この世界のすべて》 2021年 錫
奥:《私は存在するだけで光と影がある》 2021年 紙に水性染料
©Eugene Kangawa 撮影:木奥 惠三

ただそこに存在することの重み

展覧会は〈ホワイトペインティング〉シリーズから始まる。真っ白なカンヴァスには何も描かれていないが、この画面上には実はこれまで世界のさまざまな都市の人々がキスをしてきた。思わず制作年を確認すると2017年という数字が記載されている。本シリーズは以前開催された個展「THE EUGENE Studio 1/2 Century Later.」(2017年11月21日(火)〜12月24日(日)、資生堂ギャラリー、註1)においても展示されていたが、その当時と新型コロナウイルス感染拡大という状況を経た現在とでは、本作を前にしたときの鑑賞者の気持ちはかなり異なるものになっているだろう。マスクが日常化し、人や物との接触を避けることが是とされる今、見ず知らずの人たちのキスが重なり合ってできた本作は、久しく忘れていた「コロナ前」の感覚を思い起こさせる。本作が「礼拝建築」と評され「最小の建築でもある」ことから(註2)、同じコーナーにロシア正教のイコンの板絵《カザンの聖母》が展示されているが、今や〈ホワイトペインティング〉シリーズの存在自体が危ういバランスの上になりたっていた尊い日常のなかで結実した奇跡のようにも感じられる。

ユージーン・スタジオ 〈ホワイトペインティング〉シリーズより〈Juliette, Sandra, Mitch, Wills, Gillies, Ergas, Asheron, James, Lilly, Thomas. P, Elias, Sofia, Victoria, Mackay, Jamin, Amelius, Prince, Cathy, Valerie, Keiny, Peter, Dona, Sam, Zaret, Christina, Laurencie, Owel, James, Kairy, Frances, Thom, Sugay, Marien, Kinbary, Kalen, Morry, Callen, Mut, Elen, Bruno, Peter, Daele, Clara, Benjamin, Charlotte, Michael, Ryan, Ina, Diego, Javia, Candelas, Robin, Rucaro, Daniel, Rumi, Benney, Sarah, Emily, Jack, Peter, Kevin, Safiya, Trisha, Eric, Danielle, Paul, Floyd, Alexis, Carlos, Nydia, Samantha, Daniela, Michael, Dom, Matt, Todd, Ava, Cailin, Melissa, Kirby, Alexandra, William, McGuiness, Liliana, Francisco, Daniel, Patricia, Anna, Dalia, Ricardo, Diana, Maribel, Barbara, Gabriela, Cristel, Kenia, Lorenzo, Gladys, Alberto, Carlos〉 2017年 カンヴァス 160×160cm 作家蔵
©Eugene Kangawa

次の《海庭》に進むと天井の高い広々とした空間に出る。室内には水がなみなみと満たされ、通路から眺めると、向こう側に鏡が張られ、水面が奥へ奥へと広がっていくように見える。日が陰り始めた頃の水は薄く緑がかった乳白色で、何人かが鑑賞していたものの、展示室全体を静寂が支配していた。いったいこれは何を表しているのか、展示室の中心に水という不安定かつ展示困難であろう物質を据えた意味はなんだろうと思案する。しかし《海庭》を眺めるうちに、水や炎をぼんやりと見続けているときにも似た穏やかさに包まれていくことに気づく。作品解説には「本作品は受容と拒絶、誕生と死等のあらゆる二項対立の先にある気づきへと私たちを誘うだろう。」(註3)とあり、鑑賞者は各々の感覚と方法で自由に想像を巡らせることが許容されている。ちなみに本作は本展のタイトル「新しい海」を象徴する作品であるという。

ユージーン・スタジオ 新しい海 展示風景 東京都現代美術館 2021年
©Eugene Kangawa 撮影:木奥 惠三

〈レインボーペインティング〉シリーズは本展のテーマを最もよく体現している作品かもしれない。巨大なカンヴァスは遠くから見ると、グラデーションのかかったごく淡い色が塗られた平面作品である。ところが近づいて見てみると、その色彩が無数の点の重なりで構成されていることがわかる。一つひとつの点が微妙に異なる色や濃さを持っていて、それらが重なったり隣接したりすることで、グラデーションが生まれている。本シリーズの作品には「群像のポートレイト」というタイトルが付けられ、集団における個、社会における自分という存在、あるいは、単に集団としてのみ認識していた他者について、一歩立ち止まって思いを巡らせてみることを促してくれる。本作は本展の英語タイトルである「After the rainbow」と結びついているだろう(註4)。

ユージーン・スタジオ 〈レインボーペインティング〉シリーズ 2021年 キャンバスに油彩 作家蔵
©Eugene Kangawa

《想像 ♯1 man》(2021年)はたいへん印象深い作品である。鑑賞者は一人で真っ暗な空間を手探りで歩き、室内に置いてあるという彫像まで進み、戻ってくる。この彫像は「誰も一度もみたことがない。像はすべて真っ暗闇のなかでつくった。」「陳列に携わる者達も誰一人として実体をみることなく展示している」という(註5)。どのような姿形をしているのか作家や展示担当者でさえ把握していない像。実際に体験してみると、自分が瞼を開けているのかさえわからなくなるような闇のなか、それが目の前にあるらしいと想像した瞬間、言いようのない恐怖心や畏怖心が湧き起こる。正体がわからない、見えないという状況がもたらす感情のうねりに戸惑いながら部屋を後にした。寒川裕人氏によれば、本作に対して抱く感情は鑑賞者によってさまざまで、暗闇のなかでたどり着いたときに安堵したような感覚で涙を流す人や仏像に対するような感覚を持つ人もいたと聞いているという(註6)。未知のものと対峙したときの人の想像力の逞しさとその多様性を強く意識させる作品である。鑑賞にあたっては入場制限があり、整理券が配布される。

本展の後半に登場する《ゴールドレイン》(2019年)では、暗い空間のなかで金箔と銀箔の粒子が上から一筋の光となって降り注ぐ。水が滝となって落ちるのともまた違う、柔らかに形を変えながら舞い落ちる光の粒は、鑑賞者の内面に瞑想的な状態をつくり出す。時間の不可逆性や儚さ、偶然性、自然や物質の不思議さ、あるいはこうした特性に付随して感じられる美についてなど、さまざまな想念を惹起する作品である。

ユージーン・スタジオ 《ゴールドレイン》 2019年 作家蔵
©Eugene Kangawa
ユージーン・スタジオ 《ゴールドレイン》 2019年 金箔と銀箔の粒子
©Eugene Kangawa

強制のない共生を想像してみる

本展を通して感じたのは、多様な世界をあるがままに丸ごと受けとめようという思いである。ユージーン・スタジオの作品は声高ではない。糾弾したり教化しようとしたりせず、考えの異なる他者をも肯定し、ひたすら多様なものが存在するという事実を提示し、真の共生とは何かを想像することを促す(註7)。押し付けがましく言い切らない、そこにこそアートならではの可能性があることを気づかせてくれる。作品を振り返ると、ユージーン・スタジオの作品には「中心」が定まっていないものが多いことにも気づく。中心と周縁のない、柔軟な見方が共生する世界。まだ見ぬそんな世界を想像するための時間をもたらしてくれる展覧会だ。

ユージーン・スタジオ 《小さな共通項(36人で同時に見上げた空)》(部分) 2021年 作家蔵
©Eugene Kangawa
ユージーン・スタジオ スタジオ風景 2021年
©Eugene Kangawa

(脚注)
*1
展覧会の内容についてはこちらのURLを参照。
SHISEIDO GALLERY「過去の展覧会 THE EUGENE Studio 1/2 Century later.」
https://gallery.shiseido.com/jp/exhibition/822/
*2
本展会場で配布しているハンドアウトに掲載されている作品解説によれば、「美術批評家デイヴィッド・ギアーズは本作を『愛と記憶にまつわる移動式の礼拝建築』と評した。」とある。また展覧会会場の本作品の展示コーナーに記載された作家の言葉には、「この作品がそれぞれの人と共にあったとき、その個人と作品のあいだには、透明な建物があるようにみえた。これは個人のための作品であり、最小の建築でもある。」と記載されている。

*3
会場用ハンドアウトの作品解説より引用。

*4
本展の内容や作家インタビューなどを掲載した「美術手帖 EUGENE STUDIO After the rainbow ユージーン・スタジオ 新しい海」(監修:東京都現代美術館、編集:望月かおる〔カルチュア・コンビニエンス・クラブ株式会社 雑誌『美術手帖』編集部〕、2021年11月20日発行)において寒川氏は本展の日本語タイトル、英語タイトルについて触れており、どちらも「想像できる力」という同じコンセプトが含まれているとしている(15ページ参照)。

*5
会場用ハンドアウトの作品解説より引用。

*6
本レポートを書くにあたり行った寒川氏へのインタビューをもとにした。また本作の鑑賞体験や制作意図については、会場用ハンドアウトや「寒川裕人 インタビュー」「美術手帖 EUGENE STUDIO After the rainbow ユージーン・スタジオ 新しい海」(18ページ)、「為末大×寒川裕人 “SPORT×ART“ 創造性と鍛錬の先にあるもの」同誌(22-23ページ)にも記載されている。

*7
共生の定義について、寒川氏は「本来の共生とは、物事はつねに分けられるものではなく、そのあいだにあって矛盾すらはらんでいるという状態のことだと思います。これは他者性、多視点性、表裏、光と影、矛盾がひとつのなかにあるというかたちで、僕の作品や、今回の作品とのあいだに多く見出すことができると思います。」と話している。「寒川裕人 インタビュー」『美術手帖 EUGENE STUDIO After the rainbow ユージーン・スタジオ 新しい海』(15ページ)参照。


(information)
ユージーン・スタジオ 新しい海 EUGENE STUDIO After the rainbow
会期:2021年11月20日(土)~2022年2月23日(水・祝)
会場:東京都現代美術館 企画展示室 地下2F
入場料:一般 1,300円、大学生・専門学校生・65歳以上 900円、中高生 500円、小学生以下無料
主催:公益財団法人東京都歴史文化財団 東京都現代美術館
https://mot-solo-aftertherainbow.the-eugene-studio.com

※URLは2022年2月15日にリンクを確認済み