2022年9月16日(金)から26日(月)にかけて「第25回文化庁メディア芸術祭受賞作品展」が開催され、会期中にはトークセッション、ワークショップなどの関連イベントが行われた。9月17日(土)には、日本科学未来館にて、『浦沢直樹の漫勉neo 〜安彦良和〜』でエンターテインメント部門大賞を受賞した上田勝巳氏(プロデューサー)、倉本美津留氏(企画)、ゲストとして番組発案者の浦沢直樹氏(漫画家)、ファシリテーターとして伊藤遊氏(京都精華大学准教授/マンガ部門選考委員)を迎え、「エンターテインメント部門大賞『浦沢直樹の漫勉neo 〜安彦良和〜』トークセッション」が開催された。本稿ではその様子をレポートする。

左から、伊藤氏、浦沢氏、倉本氏、上田氏
以下、撮影:畠中彩

「白い紙から漫画が生まれる瞬間を見せたい」

漫画家は仕事場で、どのように漫画を描いているのか。そして作品とはどのように生まれていくものなのか。漫画家の人数だけ存在する、制作過程と作画の技巧を世の中に伝えるドキュメンタリー番組「浦沢直樹の漫勉」(以下「漫勉」)。現在は最新シーズンとして「浦沢直樹の漫勉neo」(以下「漫勉neo」)というタイトルが冠されている。これまで取り上げられてきた漫画家は、全シーズンを通してのべ32人(2022年10月現在)。今回大賞を受賞したのはこのうち「漫勉neo」のなかの1本で、アニメーターとしても一時代を築いた安彦良和氏を取り上げた回(2021年6月9日放送)である。

『浦沢直樹の漫勉neo 〜安彦良和〜』
©︎ NHK

本作をメディア芸術祭エンターテインメント部門に応募したのは上田勝巳氏で、独断での応募だったという。「本作品はカテゴリーとしてはドキュメンタリー番組であり、事実その通りなのですが、浦沢氏とゲストの漫画家との解説や分析が入ることによって、上質のエンターテインメントたりえていると思いました。万が一選に漏れたときのことを考え、ダメもとでこっそり応募させていただきました」と、受賞の喜びとともに応募の経緯を語った。

企画の発端は、親交のあった倉本美津留氏と浦沢直樹氏とが2008年頃にかわした会話だったという。浦沢氏が語る。「テレビ番組が漫画特集を組むとき、漫画を紹介する役割としてよく呼ばれて、そのたびに喜んで出演していたんですね。でも、プロデューサーもディレクターも演者も、そして視聴者も、漫画に関しては基本的に、興味、知識、すべてのゲージがほぼ0の状態の人たちであって、そこで1時間頑張って話しても、伝わられることは0から1にもならない。これをずっと続けても不毛だなと感じていたときに倉本さんと話す機会があってプロとプロが5ぐらいから話し始めて、10ぐらいまでに行ける漫画の番組をつくれないかと相談したのが始まりでした」。

伝わらない思いとは具体的には何だったのか。浦沢氏が続ける。「子どものときから、漫画を描いているといろいろな人がすごいと褒めてくれる。でも、それを聞いて嬉しいよりも釈然としない思いが当時からあった。このわかってもらえない感じは何なのかと考えていくうちに気づいた事実が、読む人はできあがったものしか見ていないということでした。漫画家は白い紙に漫画ができあがっていく過程こそが漫画の一番おもしろいところだと知っている。でも描かない人はそれを知らない。そこをいくら機会あるごとに言葉だけで伝えても伝わらないのは当然だった。じゃあ、その白い紙から漫画が生まれる瞬間をなんとか見せられないだろうかと思ったわけです。そこが伝われば、次にその人が漫画を読むときに、それを踏まえた読み方をしてもらえる可能性が上がるし、漫画の見方も変わるんじゃないかなとも」。

浦沢氏

倉本氏はこのときの浦沢氏との話から、即座に番組実現への企図を描いたという。「まだ具体的な撮影方法も何もわからない段階でしたけれど、浦沢さんのその話を聞いているだけで、ぞわっと、こう、鳥肌が立った。これはもう絶対に僕自身が見たいものであるし、今までどこもやっていないことでもあるし、何より当事者の浦沢さんが伝えたいのに伝えられていないと思っていることがよくないと思った。番組をつくる側として、今まで誰も見たことのないものをつくって見せたい思いが人一倍強い人間なので、浦沢さんの思いを番組にすることは、絶対俺しかできないと思ったんです」。企画書を携えテレビ局各局を回るなか、唯一OKを出してくれたNHKで、企画は実現へと動き出した。

漫画家は「鶴」で「プレーリードッグ」――撮影環境の最適解を模索

話題はここから、「漫勉」独自の撮影と構成が生まれた経緯へ。「漫勉」の特徴である、漫画制作過程の克明な記録は、漫画家の仕事場に複数設置された、リモート操作可能なビデオカメラによって成立している。上、左、右、手元など必要かつ最小限の台数を、制作に影響のない位置に配置すると、撮影スタッフは別室に控え、制作が終わるまで静かに経過を見守る。この発案も浦沢氏で、自ら実験台となり、制作を細かく追いながらその邪魔をしない取材システムを構築すると同時に、「制作中の作家の背後に立たないこと」など細かく決めごとをつくったという。そこに浦沢氏が「撮られてるなと思わせてしまっては、やはり生の制作現場に近づいた撮影はできない。「漫勉」の撮影でまず大事にしてほしかったのは、いかに作家の周りに誰もいなくするかでした。制作中の漫画家って『鶴の恩返し』の鶴の機織りみたいに、ほかの誰の気配も感じずに集中する必要があるんです。一方で撮影側には、『穴の中に棲んでいるプレーリードッグの生態を撮るドキュメンタリーのつもりでお願いしたい。カメラの気配を徹底的に消して、漫画家にリラックスした状態になってもらってこそ、いつもの仕事をしている状況が撮れる。そこまで目指したい』と言って話を進めました」と背景を補足した。

「0から1まで」ではなく「5から10まで」を目指して

そうして撮影した制作過程の映像から選りすぐった箇所を、浦沢氏と漫画家がスタジオで見ながら思い思いに話し合うのが、「漫勉」シリーズの基本的な番組構成である。この構成の方針についても、番組制作側との辛抱強い擦り合わせの時間を要したという。

漫画家を取材対象としたドキュメンタリーは同番組以前にもつくられている。しかしその多くは創作に苦悩する姿など「制作サイドが見せたい漫画家像」であり、執筆風景の撮り方も踏み込みの浅いものが一般的だった。NHKも当初はその従来型の方向で進めようとしていたというが、浦沢氏のイメージは違っていた。倉本氏が振り返る。「当時はNHK制作陣もですが僕自身も、今までのこの手の番組をつくってきたときの蓄積しかなかった。スタジオがメインで、話している作家さんの顔は大きく映して、みたいなね。でも、浦沢さんはそういうことではないという。じゃあ浦沢さんを会議に呼んでもう本人に語らせたほうがいいなということになりました」。

倉本氏

会議に出席した浦沢氏は、NHKの会議室のホワイトボードに、一般的なテレビモニターの縦横比をふまえたうえで、その画面の分割からの詳細なプレゼンテーションを行った。「メインの画面は手元と制作中の絵にフォーカスして、なるべくノーカットで映しっぱなし。そして漫画家の顔はアップの必要はなく、対談しているところは小さなワイプでいい。そして会話中、あまり一般的でない漫画の専門用語が出てきたときには脚注を画面下に出す。その間メインの画面では作画が進められていく映像が途切れず流れている、そういう番組にしたいと。このスタイルにすることで、『0から始めて1』ではなく、『5から始めてうまくいけば10まで伝えられる』が実現できると思いました」と浦沢氏が振り返る。のちに、制作過程撮影後の映像編集の取捨選択にも、氏は大きく関わることとなった。

撮影システムの構築と同時に、パイロット版(「シーズン0」)の企画を進行。この未踏の番組で初の出演者となることに手を挙げてくれたのが、山下和美氏とかわぐちかいじ氏の2人だった。これが2014年に放送され、翌2015年にレギュラー放送(「シーズン1」)が開始。以後4シーズンを重ね、そして現在の「漫勉neo」に連なって現在に至る。

出演依頼は浦沢氏が主となり行っているが、承諾率は高くはないという。「やはり覚悟がいることですから、やりましょうと言ってくださるのは勇気ある方で、無理にとは言えません。でもこれからもなるべく機会をみながら、多くの方に登場していただけたらと思っています」と語る。そこに倉本氏が「どの作家さんもそれぞれに素晴らしい回ですが、特にご高齢の先生に登場いただき、作画の詳細を見せていただけたのは本当によかったなと思っています」と続け、記録に残せたことの意義を噛み締めた。

今回の大賞受賞作である安彦良和氏の回は、安彦氏が70歳を過ぎて「最後の連載」と意気込む『乾と巽─ザバイカル戦記─』(講談社の月刊誌「アフタヌーン」にて2019年より連載中)の作画作業を追ったもの。作画方法は漫画家により百人百様だが、安彦氏の場合、ネーム(話の筋やコマ割りなどの下描き)は用意せず、いきなり原稿に筆で描き始める。白い紙の上で重ねられる筆の線がやがて生き生きと動く人物となり、ホワイトはまったく使わず墨ベタの塗り残しによって雪の舞う夜の光景ができていくさまは、これまで安彦氏の作品や功績を知っている人にとっても初見の超絶技巧であり、多くの驚愕と感動をもたらした。

浦沢氏の軽快な語りにより、会場では終始笑いがたえなかった

日本中に、そして世界に。引き継がれていく漫画文化

漫画家当事者の目線で、一人の漫画家の「白い紙に漫画の線が生まれてくる瞬間」そのものに興味の照準を絞り、つぶさに追いかけ、その技巧の独自性やすごさを正確に分析してみせる番組を。浦沢氏の思いとそれに共鳴した倉本氏、上田氏の手腕が具体化した「漫勉」シリーズは、「漫画誕生」の瞬間を視聴者が同時体験できる、映像記録の手法として画期的なものとなった。

現在、安彦氏の回はNHKオンデマンドで世界配信されており、国外からの反響も大きいと上田氏が述べ、浦沢氏も、特に安彦氏回のような紙とペン(安彦氏は筆)は、デジタル作画の環境が整えにくい国でも入手がたやすいことに触れ、「自分が幼い頃そうやって描き始めたように、たった2つのシンプルな道具で無限の世界がつくり出せることのすごさが世界に届いてほしい」と同意した。

ファシリテーターの伊藤遊氏からも、漫画という文化の継承性について「漫画というアートは、誰かの創作を見ることで、自分もできるかもと思った人たちが、こう描いたらこういうふうに見えるんだという表現手法を、いい意味で盗むことで、受け継がれ、発展してきた。「漫勉」はこの漫画文化の継承の部分がより解像度を上げて、テレビを通して日本中、世界中でなされたものだといえるし、そういう点でも漫画文化と非常に親和性の高い番組だと思いました」と見解が述べられた。

伊藤氏

また倉本氏はSNSを中心に番組放送中と放送後の反響を追いながら、気づいたことがあったという。「漫画家志望者やプロの漫画家、そのファンなど、漫画が好きな人はもちろん大勢が見ている。同時に、普段は漫画との接点が少ない人が、テレビをつけたらたまたま放映していた「漫勉」を見て感動したというつぶやきも非常に多いんです。興味がなくても、あの番組に少しでも触れたら、ずっと心に引っかかっていくだろうし、その人自身も自分の仕事を頑張ろうとすら思うかもしれない。それだけの熱量をもった番組だという自負があります。ですから結果的にNHKという、日本全国で見ることができる、さらには世界配信も可能なテレビ局から送り出せたことは、よかったなと思います」と感慨を新たにした。

漫画の世界への恩返し

さまざまなエピソードが語られたトークセッションも終盤となり、登壇の3名から締めの言葉が語られた。上田氏は今後の展望として「まずは、大変ですが、地道にいろいろな先生を撮らせていただくこと。あとはもうちょっと発展させたスペシャル番組とか、そういうものも提案できればよいなと思っています。そして、まだ時代劇とか和服が得意な作家さんがあまり紹介されていないので、今後はそういう方にもお願いするなど、見る人がより楽しめるように、ジャンルを広げて展開していけたらいいなと思っています」と展望を語った。

倉本氏は「世界中で見ていただける環境が整えられたので、どんどん視聴者が増えてほしいし、海外でも「漫勉」ファンが増えて、日本の漫画の情報発信や影響のひとつの基点になっていったらいいなと思います。基本的にはこれからも現在のペースで、制作現場のすごさを浦沢さんが引き出していくスタイルを少しでも多く続けたいです。そのためには、参加してもいいよっていう作家さんが今後も出てくださることを祈りながらですが……」と述べた。

上田氏

最後に浦沢氏は、この番組をつくり続けている根本的な動機について「かっこいい言い方になってしまいますけど、恩返しなんです」と切り出した。「貧乏な家の子だった自分が、手塚治虫先生の『ジャングル大帝』(1950~1954年)と『鉄腕アトム』(1952~1968年)を見てすぐに紙に鉛筆で漫画を描き出して、そこから今、こうして漫画で生活できていることを考えると、漫画に対する恩返しをしなきゃいけないと。そして「漫勉」で僕は自作の歌をエンディングテーマにして披露させてもいただいてるんですが、「漫勉neo」の「漫画描きのバラード」の歌詞の最後のフレーズに書いた『どこかで描いてるもう一人の僕へ/くじけないように』という気持ちです。どこかに悩んでいる孤独なもう一人の僕がいたら、この番組で何か力を得てほしいなと、そういう気持ちでずっとやっております」と結ぶと、会場からは大きな拍手が起こった。

会場の様子。234名の定員が満席となった

(information)
第25回文化庁メディア芸術祭
エンターテインメント部門大賞『浦沢直樹の漫勉neo 〜安彦良和〜』トークセッション
日時:2022年9月17日(土) 13:00~14:30
会場:日本科学未来館 7階 未来館ホール
登壇者:上田勝巳(プロデューサー/エンターテインメント部門大賞『浦沢直樹の漫勉neo 〜安彦良和〜』)
    倉本美津留(企画/エンターテインメント部門大賞『浦沢直樹の漫勉neo 〜安彦良和〜』)
    浦沢直樹(漫画家)
    伊藤遊(京都精華大学准教授/マンガ部門選考委員)
主催:第25回文化庁メディア芸術祭実行委員会
https://j-mediaarts.jp/
※トークセッションの模様は、後日上記公式サイト内(https://j-mediaarts.jp/festival/talk-session/)でも配信された

※URLは2022年11月9日にリンクを確認済み