◯HDRの持つ可能性(2)

◯アニメの色数?

 その昔...おそらく『クラッシャージョウ』(1983)の特集記事ではないかと思うのだが、安彦良和氏が『機動戦士ガンダム』(1979)でセル着彩に使用した塗料の色数は70色だったのだが、『クラッシャージョウ』で120色も使えて驚いた(※1)、と語られているのを読んだ事がある。それまで70色しかなかった色数が、急に増えて逆に困ってしまった、といった文脈だったと記憶しているが、私は逆に、たった70の色数で『ガンダム』の数十話に及ぶ作品世界全体を塗り分けていることに大変驚かされた。想像してみよう、例えば「肌色」と呼ばれる色にしても、人種やキャラクター付けによるバリエーションがあり、一人の人間であっても様々な場所・天候・ライティングの下で演技をするため、沢山の塗り分けが必要になることは間違いない。そのすべてを、70色という限られた数の絵の具から工夫して割り振って、ひとつの作品を作り上げるのは、信じられない程困難な作業だと当時の私は思ったのだった。

 その当時のパーソナル・コンピューターは、Macintosh II(1987)に高価なオプションを追加すれば、「約1670万色」(現代で言うところの「フルカラー」)が使える、といった状況であった。しかし、普及価格帯では、多くても256色、大部分は16色の同時発色が限界であった(※2)。256色で描かれる「CG」は、表示解像度が低かったこともあり、写真とは程遠く、所謂「アニメ絵」の表示にさえとても十分とは言えなかった。初代ファミリーコンピューター(1983)の色数が25色(約50色中の25色を同時に使える)であったが、「70色」→「120色」というのは感覚的にはそれに近いレベルであり、いかにも少ないように感じられた(※3)。

 当時はもちろん『HDR』等という言葉は使われていなかったが、今までより幅広い色域を表示し、10倍もの明るさを実現できる潜在力のある『HDR』と比べて、70色のセル画の表現力は極めて乏しいものに思えるが、果たしてどうだろうか?

◯絵の具の数と、色の数

 「肌色」とされる色がただ「肌を塗る」ためにしか使えないわけではなく、白い紙の影の部分や茶色い物のハイライト部分に使えるかも知れない。実写のように、刻一刻と光が変化する訳でもない。しっかり色設計をすれば、「70色」という数字は、少なくはあっても決して不可能でないことが、『ガンダム』で証明されている訳だ。(アニメ誌のスチール写真を穴のあくほど見比べて、当時の私もようやく納得した。)

 セル画の着彩はベタ塗りが基本であり、「色数」≒「絵の具の数」ではあるのだが、画面全体の「色数」はそれだけで決まる訳ではない。セル画と重ねられる背景画は「筆による絵画」であり、グラデーションもある。それらを撮影する際の照明やフィルターで様々な要素が加えられるし、レンズやフィルムの特性によっても変化する。結果として、一画面に存在する色の数は、70色どころか無限とも言って良い数になり、絵の具の数とコンピューターの色数との単純な比較はあまり意味がない。

○透過光(トーカ光、T光)

 1980年頃から、セルアニメーションの撮影で多用されたテクニックに「透過光」と呼ばれる物がある。これは、通常の絵の具で書かれた背景とセルを重ねて出来るイメージに、実際の「光」を多重露光する技術だ。基本的には、キャラクターなどが描かれた通常のセル画の他に、「光」専用のセル画を用意する。「光」セルの光らせたい部分以外を黒で塗りつぶしたり、黒い紙を切り抜いて「マスク」を作り、その下からライトを当てて漏れてくる「光」を撮影する。これを、普通に撮影されたアニメ映像と多重露光すると、絵の具で描かれた「光(の絵)」よりも、さらに明るい輝きが表現できると言う訳だ。

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(透過光の例...Photoshopでシミュレーションしたもの。左右の絵の「白」は数値上は等しい。)

 マスクを透過した光は、撮影カメラのレンズを通ってフィルムに当たる。とても明るいので、フィルムの照らされた部分が光って、リアルなにじみが出来るのだが、これは人間の網膜で起こっている状況をシミュレートしているとも言える(※4)。透過光の撮影時は、ピントをぼかしたり、フィルターを通してさらに「にじみ」を強調することも出来る。ある意味では、アニメという「絵」に、実写の「光」を取り込む技法と言える。現在でも、デジタル撮影の際に光の加算として扱ったり、「グロー」フィルターを使うことで同様の効果が多用されている。

○露出調整的爆発

 『風の谷のナウシカ』(1984)をはじめとする宮﨑駿作品は、アニメーションの範疇に収まらない、あらゆる映画技法の教科書としての価値があると思うが、多彩で的確な「光」の見せ方もまた素晴らしい。ある爆発カットをコマ送りで見ると、爆発する一瞬前に真っ黒のコマがあったり(これは、続いて起こる爆発との明るさの差を強調する)、ほとんど真っ白なコマがあったり、一瞬だけ背景部分がノイズのようなテクスチャーになったり(急激な明るさの変化に眼がくらんだ表現だろうか)、複数の爆発が少しずれたタイミングでアニメートされていたり...等々、シンプルな描画の組み合わせにも関わらず、炸裂する爆発のエネルギーと混沌の状況を見事に表現しているのが分かる。

 様々な効果の中で、ここで特に取り上げたいのは、爆発が起こった瞬間、それまで普通だった背景が真っ黒になるところである。実写に置き換えて考えると、爆発という高輝度の被写体に対して、カメラの自動露出が働いているような状態である。爆発の強烈な明るさに合わせてカメラが絞りを閉じ、それまで普通の明るさだった背景が相対的に露出アンダーに(さらには真っ暗に)なっているのを、手動でシミュレーションしているとも言える。

 これはセルアニメの「画材」による限られたダイナミックレンジを、露出差を利用して擬似的に拡張する手法であると言えるだろう。前回紹介した「HDR」のうち、デジカメの機能として複数の露出差のある画像を合成して、従来の映像フォーマットの中に圧縮した広いダイナミックレンジを表現しようという手法があったが、それを時間軸に展開したような具合である。この手法の名前を私は知らないのだが、「アクティブ・ダイナミックレンジ画法」とでも呼べるだろうか。

 おそらくこの技法は、核実験の記録フィルムの印象から発案されたものだと予想するのだが、核実験のフィルムが、爆発の撮影にそなえて予め露出が決められ、爆発が起こる前から暗く設定されているのに対し、宮崎アニメの爆発はその1カット内で露出が急激に変化したように描かれる。先程はそれを「カメラの自動露出」に例えたが、これは同様に、私達の眼の瞳孔の反応や、網膜細胞のモード切替えによる「暗順応・明順応」を模してもいる(※5)。

○フィクションとしての視覚体験

 私がこの効果が好きなのは、透過光が「本物の光」を撮影することで「光」を表現しているのに対し、こちらが「意識としての光」を表現しようとしている様に思えるからだ。ただ絵を動かして、キャラクターに魂を吹き込むだけでなく、見ている私達の感覚を「アニメート」しているのだ。

 そもそも、アニメーション(あるいは映画)とは、沢山の画像を連続して表示することで、私たちに「絵が動いている」錯覚的感覚をもたらしているものだが、この錯覚が錯覚であると意識されるギリギリの境界に、視覚的快感があるのではないかと思う。絵が動いている感覚そのものが、本質的に「ハック(裏技)」であるのだが、それがハックであることを意識できないときよりも、自分が騙されている事を認識しつつ、騙す側の手際の見事さを賞賛する様な、仕掛ける側と鑑賞者のフィードバック・ループがこの感覚の肝であるように思う。
(私は、実物よりも見立ての方が粋である、と言いたいだけなのかもしれないが...)

○アニメーションとHDR

 ここまで、すでに2Dアニメーションにおいては様々な「高ダイナミックレンジ」を表現する方法があるという例を挙げた。それらは前回紹介した「疑似HDR」の一種と言えるだろう。その上で、新映像フォーマットとしての「HDR」がアニメーションにもたらすものは何であろうか? さらに迫力のある爆発だろうか、さらに威力のあるビームや魔法だろうか、深い宇宙の闇だろうか。

 既にいくつかの2Dアニメーション作品が、HDRの4K Blu-rayディスクで発売されている。デモを見る限り、実写映像のHDR化と同様、深い色合いと豊かな階調、眩しい光が表現できるようになっているのは確かだ。今後、音楽CDのハイレゾ・リマスターの様に、従来のフォーマットで作られた作品をHDRにリマスターした商品も多数登場するだろう。そうした中で、HDRを従前の拡張としてだけでなく、新しい「ハック」として使うことは出来ないだろうか?

 私はまだ、HDRの視聴経験も浅く、その中での思いつきを書いているだけなのだが、既に確立しているアニメーションの疑似HDR効果はそれとして、その上の、全く別の世界を表現するような、新技術の活用方が必ずあると思うのだ。制作者が意図したもののみが存在できるアニメーションだからこそ、現実を模倣するだけでない、豊かな表現が可能になるはずだし、そうあってほしいと思う。

 現在は、ひょっとしたら作品を作りにくい時代ではないのか?コンピューターとインターネットによって、誰でも作品を作れ、世界に発表できる現代。しかし、それが逆にビギナーの創作意欲を削ぐことになってはいないだろうか。次回は、ネット以前と以後の個人アニメーション制作の環境を比較し、将来のクリエイター育成について考える。

※1:『ガンダム(TV版)』と『クラッシャージョウ』の間に位置する『ガンダム(劇場版)』(1981〜82)の新規追加カットでは、約100色が使えたという。増えた色数と、色指定や描画の工夫で、薄いイエローやピンクの爆発が、まるでHDRの様に鮮やかで美しい。(これらの作品の正確な色の数は曖昧にしか記憶していなかったが、『クラッシャージョウ』のDVDのブックレットの高千穂遙氏との対談に、色数に関しての記述があり、ここから補完した。)

※2:コンピューター上で扱える「色の数」は、現在では約1670万色が基本であり、新しい機種では「数兆色」にも達する物も普通に見られる様になってきた。

※3:色数とダイナミックレンジはイコールではない。前回の繰り返しになるが、ダイナミックレンジは「黒と白の差の幅」であり、色数はそれをどれだけの段階に区切るか、である。

※4:コンピューターグラフィックスでは「ブルーミング」とも言う。100%を超えるような明るさを持つ部分の「光」が外に溢れているようなイメージだ。これも疑似HDRのひとつである。

※1:3DCGを使ったゲーム等でも、同様の効果が使われる。例としてPlayStation3のレースゲーム『グランツーリスモ5』では、プレーヤーの車がトンネルに入ると、トンネル内は最初は暗いのだが、数秒遅れて目が慣れて明るく見えるようになる。逆に、トンネルから外に出て数秒間は、風景は白く飛んで見える。