アメリカで「2012年の言葉」に選ばれた「GIF」だが、2013年になってもその勢いは続いている。先日、『GIF BOOK─コンテンツ制作者のためのGIFガイド』が刊行され、また、「Web Designing」2月号では「GIFアニメ再起動!」という特集が組まれた。これらの特徴は「制作者」がGIFについて語っている点にある。
映像作家UKYO Inaba氏は『GIF BOOK』に収められたインタビューで、勝手に再生されるGIFアニメは見る人に「再生ボタン」を押す覚悟を要求しないので、制作者もラフな気持ちで実験的な表現ができると述べている。また、TYMOTEの井口皓太氏をはじめ多くの制作者が、YouTubeやVimeoにあげた動画と異なり、尺が短いGIFアニメは映像を飛ばされずに見てもらえると指摘している。動画なのに「再生ボタン」がないことと再生時間の「短さ」という制約が、映像をフルに見てもらえる方向に働き、GIFアニメは映像制作者にとって魅力的な表現媒体になっている。
「GIFアニメ再起動!」の中の座談会「なぜ今、GIFアニメなのか?」で、アーティストの谷口暁彦氏が「モノっぽいから所有欲が満たされる」と言い、それを受けてエキソニモの千房けん輔氏が「Flashと違ってブラウザからドラッグして保存できるのも、モノっぽいよね」と、GIFの「モノっぽさ」とその「所有」について語っている。「所有」に関しては、メディアアーティストのyang02氏が『GIF BOOK』のコラムに、GIFアニメはネットで作品を最も流通させやすい(=コピーしやすい)形式であるからこそ、VJの素材としてのリスペクトを示すためにそれを買える場所があればいい、と書いている。また、映像クリエイターの大賀頌太氏は、Tumblrにアップした自作のGIFを「第三者的な視点でリブログ数をぼーっと見ている」と述べている。これらのことからGIFの「モノっぽさ」は、コピー可能な画像に対しての「所有」感覚を、ウェブを流れてくるものだけでなく、自ら制作したものに対しても変化させつつあると考えられる。
動画なのに「再生ボタン」がない、画像なのに「モノっぽい」、自分の作品なのに「第三者的な視点」で見てしまうなど、多くの相反する要素を抱えるGIF。この「矛盾」の本質を描いているのが『GIF BOOK』に掲載されたコラムで唯一4ページの長さになる渡邉朋也氏の「なか卯山口湯田温泉店午前2時」であろう。渡邉氏は牛丼・うどん・親子丼チェーン「なか卯」のトップページの画像形式の変遷を追いながら、Flashが現実を「完全」に捉えるのに対して、GIFは「圧縮」によって現実を「不完全」に捉えていると比較する。そして、そもそも現実自体が時間とともに劣化していく「不完全」なものであるならば、GIFこそが現実の不完全さを「完全」に捉えていると指摘する。これはとても示唆的である。
現実の不完全さに即した表現でありつつ、ネットで映像を見せるのに最適化した表現として、多くの制作者からの支持を集めているGIFは、現実とネットとの間に漂うパラドキシカルな存在と言える。この先、多くの矛盾を抱えたGIFという画像形式はどうなっていくのであろうか、とても興味深い。
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オックスフォード大学のアメリカ出版局が「GIF」を2012年の言葉として選ぶ
http://mediag.bunka.go.jp/article/gif2012-634/
「GIF BOOK」で取り上げている画像などをリブログしているTumblr
http://gifsamples.tumblr.com/