2013年2月24日、NTTインターコミュニケーション・センター [ICC] にて、「ICC開館15周年/「海市」展15周年記念シンポジウム 〈都市〉はアーキテクチャか?」が開催された。出演は、建築家の磯崎新氏、高山明氏(Port B)、江渡浩一郎氏(独立行政法人産業技術総合研究所研究員)、浅田彰氏(京都造形芸術大学大学院長)。コメンテーターとして羽藤英二氏(東京大学大学院工学系研究科教授)が加わった。

「海市—もうひとつのユートピア」は磯崎氏が中国の南シナ海マカオ沖、珠海市に計画した人工島の開発プロジェクトを題材とした展覧会で、1997年にICCで開催された。磯崎氏は、この「海市」のプランを発展させ、2012年、ヴェネチア建築ビエンナーレにおいて、中国最大の人口を持つ河南省の省都・鄭州の都市計画を舞台とした「中原逐鹿(Run after Deer!)」展を開催した。シンポジウムでは、この「海市」と鄭州の2つのプロジェクトを起点に、3時間近くに及ぶ議論が繰り広げられた。本レビューではそのすべてを網羅することはできないため、前半部分に絞って紹介したい。

初めに磯崎氏のプレゼンテーションが行われ、浅田氏が補足した。磯崎氏は、1960年代〜70年代の東海道メガロポリス、1990年代の中国沿海部珠江デルタ、2010年代の中国内陸部鄭州を比較し、それぞれをソポクレスのギリシャ悲劇になぞらえて説明した。近代主義者の計画と開発の思想(=1960年代〜70年代)がスフィンクスの問いに知と意志で打ち勝ったオイディプスに、そうした開発者の意図を超えてアナーキーとも言える資本主義の大波が世界を覆った1990年代がアンティゴネに、そして資本主義が暴走し行き過ぎたところで、混沌を法によって再び統治しようとしている2010年代がクレオンに、それぞれ対応するという図式である。

続いて、海市展と鄭州のプロジェクトについて触れたのち、シンポジウムのタイトルである「都市」と「アーキテクチャ」についてのチャートが示された。(1)ウラジミール・レーニン(1870-1924)、(2)クリストファー・アレグザンダー氏、(3)故・荒川修作氏(1936-2010)+マドリン・ギンズ氏の比較である。彼らは、国家、都市、建築と異なる対象を扱っているが、広い意味では皆アーキテクトであり、それぞれに優れたアーキテクチャ論を展開したが、プロジェクトの実施段階(ビルディング)では失敗しており、その原因はコンセプトだけでなくプロジェクトまで自分自身ですべて手がけたからであると解説された。

磯崎氏はいったん退席し、続いて江渡氏が自身の作品紹介と集合知研究についてプレゼンテーションを行った。江渡氏は、Wikipediaの源流にはアレグザンダー氏のパターン・ランゲージの思想があること、パターン・ランゲージが建築の分野ではなく、むしろソフトウェア開発の分野で花開いたことなどに触れ、集合知研究の実践としてのニコニコ学会βを紹介した。また、住人が自分たち自身で都市を作ろうとした例として、コンスタント・ニューヴェンホイス(1920-2005)の「ニューバビロン」と、「バーニングマンフェスティバル」を紹介した。これに対し、羽藤氏は、自身が鄭州のプロジェクトにおいて都市の流動のシミュレーションに携わっていること、都市の発展が交通(モビリティ)の発達と密接に結びついていること、そうしたシミュレーションを行う建築家や数理モデルを扱う研究者(個人)が、資本や国家(行政)に回収されていく流れがあるという点について触れた上で、「みんなの都市計画」や「みんなの建築」が本当に我々の都市や地域や社会を支えうるのかという質問を江渡氏に投げかけた。江渡氏は、たとえばWikipediaやニコニコ動画の背後には仕組みやルールを作った少数のアーキテクトがいると指摘し、20世紀に硬直化してしまった学会というシステムも元来はもっと自由な研究者の集まりであったはずで、ニコニコ学会βはその点を部分的に回復しようとしているのだと述べた。また、都市に関していうと、例えばスラムは住民が自ら作った街と言えるが、自分はスラムの存在を肯定するわけではなく、みんなが参加して作るというコンセプトから出てきたものが結果としてよくない場合にどうするかという点については、結論はまだ出ていないと回答した。それに対し、羽藤氏は、「みんなの」というアプローチが、長期的なものや、知り得ないこと(本人しか知らない、高度な専門性を伴うもの、ビッグデータを通じてしか現れないもの)に対して、どういった「リアリティ」を持ちえるのかというところが最後の障壁になるのではないかとコメントした。

続いて高山氏が《完全避難マニュアル東京版》(2010年)と《Referendum——国民投票プロジェクト》(2011年-)の紹介を行った。ともに観客参加型の作品で、前者は山手線29駅の周辺にある場所(ホームレスの集会、禅寺やモスク、出会いカフェなど)が「避難所」として指定されており、観客はその場所を訪れるように指示され、日常の時間から切り離された時間を過ごすよう迫られるという作品。後者は、東京と福島の440人の中学生のインタビュー映像を搭載したキャラバンカーで日本各地を巡回し、観客に中学生にしたのと同じ質問をし、投票をしてもらうという作品。同時に16名の文化人を招いたフォーラムも開催された。高山氏は、自分は、通常の劇作や演出とは異なり、フレーム、プラットフォームのようなものを作るという問題意識から作品を制作していると述べた。また、2012年に開催した宮城と岩手のフォーラムで、住民から故・田中角栄氏(1918-1993)の再来を望む声が聞かれたことに触れ、例外状態の中で強烈なビジョンや政治的決断が求められていることへの危機感を表明した。それに対し、浅田氏は、そのようなことになる前に、インタラクティビティを許容するフレキシブルなメタプログラムを、羽藤氏のような人が策定すべきなのではないかとコメントした。

以上が前半部分(約2時間)のまとめである。その後は、磯崎氏が再び登壇し、会場からの質問も織り交ぜつつ議論が続けられた。

ICC開館15周年/「海市」展15周年記念シンポジウム〈都市〉はアーキテクチャか?
http://www.ntticc.or.jp/Archive/2013/ICC15/index_j.html

オープニング企画展「海市」-もう一つのユートピア 磯崎新
http://www.ntticc.or.jp/Archive/1997/Utopia/index_j.html