イベント概要
開催日:2010年11月27日(土) 14:00〜16:30
会場:3331 Arts Chiyoda 地下1F
スピーカー:島本浣 藤幡正樹 吉岡洋

『メディア芸術』ってよくわからないぞ

「メディア芸術がわからない」ということを誰もが言うんです。Googleで「メディア芸術 わからない」と検索すると、たしか28万件ぐらいの検索結果が出てくるわけです。メディア芸術の分野であなたは受賞しましたと言われて、授賞式に行ったけれども、何で賞をもらったのかわからないと、もらった本人が言っているというような話まで出てくる状況なんですね。多分「わからない」という言葉の中にメディア芸術に関して、言葉の意味がわからない人と、どの領域を指すのかがわからない人と、何のためにメディア芸術という名前を作って、文化庁がプロモーションしているのかがわからないという人がいるのだと思います。

言葉の意味がわからないというのは、例えば「メディア」というのはそもそも外来語だからわからないというところもあります。「メディアアート」という言葉は、西欧で使われてきた言葉で、その場合には電子メディアとか、デジタルメディアというものがアートだからという場合のメディアなのですが、本来「メディア」というと、やはりマスメディアでしょうね。それから、「芸術」という言葉についても、何でメディアアートじゃなくて、メディア芸術なのか。「アート」と言ったり、「芸術」と言ったり、巧妙に使い分けているのが現状です。

確かにメディア芸術という言葉が作られて、その分野というのがある程度、制度的に決められているという状況は、かなり恣意的というか、偶然だと思いますね。けれども、そういうことに対して、メディア芸術なんていう言葉に整合性がないのではないかとか、そんなことを言って、結局これは何かお上が決めたこと、みたいな立場から批判的な発言をしているのは、ある意味、楽なんですね。それはやはり良くないんじゃないかと思っています。

藤幡さんが設定した「『メディア芸術』ってよくわからないぞ」というタイトルが、また本当によくわからないぞという感じで、これから「よくわからないぞ」ということを「よくわからないぞ」というところから始めるミーティングをやりたいと思っています。メディア芸術ということは、実際に概念的な図式として、僕たち学者が枠づけていかねばならないといった使命感はあまりないんですよ。こういう場を通じて話していくことで、何となく「ああ、メディア芸術ってこうなんじゃないかな」と、定義はできないけどディスクリプションはできたと、そのように思える展開になっていけば良いと思っています。

この前、コアメンバー4人で事前に打ち合わせをしていたときに、島本さんの話がとても新鮮だったんです。何が新鮮かというと、メディア芸術ってよくわからないねという話を改めてしてくれたからです。とにかく僕も吉岡さんも、最初は、メディア芸術? こんなバカな言葉遣いがあるかと、小学校の先生みたいに、これは国語的におかしいという話をしていたわけです。でも、国語的におかしいということが、実はすごい日本だなというところで、じゃあ、それを面白がろうというところまで考えていたので、改めて島本さんが入って「これ、わからないじゃん」というようなことを言われて、新鮮だったのです。

明治からこのやり方をずっとやってきているんです。アートとは、美術とは何かと、皆、かんかんがくがく。いつもある言葉のコンプレックスなり重層性にみんな悩んで、そういう議論をずっとやっているんです。ただ、大体その議論で終わっちゃうという感じで、どうせならできた言葉を生産的に使うにはどうしたら良いかという議論が明治以来ないのです。


メディア技術の進展と芸術としての認知変遷

1445年頃のグーテンベルグの活版印刷術発明以来、近代から現代に向かって急速に新しいメディアがぼこぼこと生まれてきています。ENIACというデジタルの計算機が初めてできて、それから現代まで眺めていくと、次々にすごいイノベーションが来るという、ある種の強迫観念みたいなものがアメリカから押し寄せてきたというのが今まで続いている。それに対して日本の行政はそのイノベーションを社会に組み込んでいくにあたって、省庁は同じアソシエーションがガラガラと名前を変えながら、時代に対応していくということをやってきました。

これは、国としてこういった新しいメディアが生まれてきたときに、どういうふうに振興・支援をすれば良いかということで、悪い言い方をすると泥縄的というか、よく言うと非常に努力して名前を変えたり、目的を変えたりしながら、たどってきた歴史があるということです。

たとえば文化庁の芸術祭について調べてみると、何と戦争が終わった1945年に既にそういうことをやろうという動きがあって、翌年の1946年に第1回芸術祭が行われている。このとき実は、まだ文化庁はないんです。文部省の中に芸術課があって、そこが主催して、まだそこら辺じゅうが焼け野原のところで、残っている劇場を借りて、戦争の間、全然見られなかった踊りであるとか、演劇などを上演したということで、意気消沈している人たちが非常に勇気づけられたという話で残っています。

1950年に文化財保護法ができて、1968年、戦争が終わって22年たって、やっと文化庁ができるのですが、基本的には文化財の保護が目的であったと思います。そして前述した芸術祭が50年続いて、52年目の1997年にメディア芸術祭というのができるんです。そして、それはこれまでの芸術祭では取り上げてこなかった分野をメディア芸術祭という名前で扱ったという経緯のようです。

こうやって考えると「メディア芸術」というのは、戦後に生まれた新しいメディアの上で生まれた芸術表現だと呼んでも良いんじゃないかと思います。メディア芸術というのは、文化芸術振興基本法という法律があって、その中の第9条に定義があって、そこには実は映画も入っているわけです。『戦後日本の芸術文化史』という芸術祭50周年を記念して出された出版物があって、この中で著者の一人である加藤秀俊さんが、実はメディア芸術に関する文章を書かれているのです。

加藤さんの文章は4つの段落があって、1つ目が廃墟の中から、2つ目がメディア芸術で、3つ目がアマチュアの登場、4つ目が地域の力、世界の力となっていて、3つ目のメディア芸術の冒頭部分でメディア芸術について「重要なのは、日本人みずからがつくり上げた文化だった。それを代表するのが『リンゴの唄』である。」と書いています。戦後、焼け跡の中でラジオを通して聞こえてきた美空ひばりが、何とメディア芸術のトップです。これにいかに人々が喜びを見いだしたかというと「ふつうの人間のふつうの生活が暗黒の中にあったとき、『リンゴの唄』はひと筋の光明をあたええてくれた『文化革命歌』だった、といってもよい」と(笑)。さらに「そのことは戦後社会が『大衆の社会』であるということを象徴するものであった。」と。「大衆の社会」というふうに漢字で書いてあると、過激と思いつつも、ああ、そうだと思いますね。これは「Popular Society」であると。

「大衆化」ということを一方で言っていて、聴取者参加型ラジオ放送で『のど自慢』が出てくるとか、「街頭テレビ」の前でみんな立ち尽くしてテレビを見たとか、「一億総白痴化」という話があって、そういう中で「すぐれたテレビ芸術作品があらわれた」と書いています。「たとえば、昭和三十三年十月にTBSが制作、放映した『私は貝になりたい』はC級戦犯の悲劇をえがいた名作として芸術祭賞を受賞した。じじつ、放送というメディア芸術が、芸術祭の大賞になったことの意義が、この作品によって実証されてもよい。」という風に書かれています。その次に、「テレビというメディア文化、メディア芸術が登場したことで、いちばん手痛い影響をうけたのは映画である」というようなことが触れられており、この流れで行くと映画はメディア芸術に入っていないことになるんです。この場合、やはり加藤さんがおっしゃっているメディア芸術はマスメディアですね。ただマスメディアだけど、新聞は入っていないんですね。でも、この場合、言われているメディア芸術という言葉は理解が全然難しくないですね。なるほどというふうに素直にわかるものです。


誤解の元での「文化」受容

ちょっと言葉にこだわっていきたいのが、日本語の外来語の扱いです。書かれた文章だと、もともとの「Art」というのを、「アート」とカタカナで書いたり、「芸術」と訳したり訳さなかったりというダブルスタンダードになりやすいという部分の話をしたいと思います。

メディア芸術という言葉が耳になじんだときに、また何だかわからなくなってきたんです。「アート」という言葉が使われ始めたのは、もちろん昔から使われてはいるのだけれども、今のような意味で「芸術」と言わずに、あえて「アート」と呼ぶようになったのは、この20年ぐらいかなと思います。

社会学者の吉見さんがこの間、話しているときに「アートという片仮名の表記が行われているときは、それは本来の意味のカルチャーという意味で使われているんじゃないですか」と言ったんです。僕は個人的に「文化」という日本語はすごく良くないといろんなところで言ってきています。本来「カルチャー(culture)」という言葉は、「カルティベーション(cultivation)」から来ているから「耕す」という意味で、要するに社会を文化的にするというのは、社会を耕して、その上に種をまけるようにすると。だから、文化がない社会はあり得ないという言い方を西洋の人たちがよくします。一方で、日本語の「文化」というのは、文字どおりに訳すと「リテレイト(literate)」という意味で、文字化する、文字を読み書きできるという意味だろうという風に思っていたんです。

でも、この間、吉見さんとその話をしたら、それは「文明開化」の真ん中を抜けて、文明開化が「文化」になったんだということを教わり、さらなるショックを受けました。

僕は、1956年は生まれなのですが、もはや戦後ではないと言われている時代にあって現在とあまり変わらない用法にて「文化」という言葉が使われていました。文化住宅とか、文化包丁とか、そういうのが何で「文化」なんだろうと思っていました。今から見ると、文化住宅と呼ばれたのは、すごく安いアパートです。だけど、そのほうが良いとされていたわけで、結局、文化というのはそういう形で外から入ってきた新しい合理化された生活様式、スタイル、世界感、すなわち文明開化と結びついていたわけです。一方で、それがある程度続くと反動的な形として、今度は古い土間のある家が、より高尚な「文化」として捉えられていくようなダイナミクスがいつもあるように思います。何か「文化」という言葉の中に、一面でぺらぺらの安っぽいニュアンスがあると同時に、それを明るい流し台のあるところで近代的な生活をするということへの憧憬が混ざりこむ形で、ある種「文化」という言葉が持っているポテンシャルになっていると思います。

「文化」という言葉が使われるようになったのは、大正時代からですね。

そのときに「文化」というのは、基本的にはものすごく「便利な」という言葉がついていて、便利な物、生活便利、それが「文化」という感じだったのです。不思議なことに、当時の「文化」は現在でいうところの芸術がイメージとして付随したのでなく、イラストとかポスターといった、大衆的で商業的なメディアが「文化」に付随しているものだったのです。また、急速に日本では、ここ何十年、みんなが「文化」と言い出して、「文明」という言葉を使わなくなりましたね。「文明」に対して「文化」というのにすごく重きが置かれているなという感じがします。

問題なのは、再解釈をして、自分たちの土壌に海外の用語をうまくアダプテーションをしていくということが、この国の文化的なスタンダードだというか、よく使われる方法、そのものなのです。

メディアアートという言葉が既にあるにも関わらず、メディア芸術という言葉が生み出されていく、それを提案し始めた人も知っているはずなのですが、結局、メディア芸術という言葉を使用する方向で押し切られちゃったんです。僕を含め他にも何人かの人が「これはおかしい」と言っていた。だけど、全く反映されなかった。

「文化」という言葉にひきつけて話すなら、ドイツと日本の共通性は、基本的に後進性という意識でしょうね。自分たちよりも進んだ文明とかがあって、芸術であれ、文学であれ、そういうものの影響を受けているという意識がすごく強くあるときに、島本さんが言った「文化」という言葉の意味が出てくると思います。「メディア芸術」に関しては、僕はやっぱりそれは「芸術」という言葉をあえて使った意味、理由があると思います。それは、やっぱり近代国家というのはやはり芸術なしには成立しないからだと思う。つまり「メディアアート」の「アート」では軽過ぎて、国が推進するようなものにはならないと思う。


創造のサイクルとアーカイブ

メディア芸術という分野では、何か作る人がいて、受け手がいるというふうな構図で見られている。僕はこれを正しいと思っていないわけです。特に経済活動として芸術や文化を見られる場合なのですが、必ずそれがお金に換えられるということが前提の話なんです。ただ、本当は、作家がいて、出版社がいて、本屋があって、読者に届くのですが、神話的なレベルになると、話がずれてくるかもしれませんが、モダンな意味では、やっぱり読者がいつか作家になる。そういったプロセスを強化するのが学校の役割だと思います。その場合、美術はどうなっているかというと、美術館という場所があって、学校にも美術館があったりしますが、そういう見せる場所がある。しかも、美術の場合は多くは無料なのです。さらに美術館というのは、単に見せているだけじゃなくて、ちゃんとストックを持っている。残すべきものは残さなきゃいけないというのが、これも社会的にあるコンセンサスに基づいて、収蔵品を持っている。そういったサイクルがちゃんとできている。単に作って見せるだけではなくて、そのストックがあって、リファレンスとしてそれが見られていく。たとえば、誰か映画を作ると、「おまえ、それは何年も前に似たようなシナリオを誰かがやっているよ」というようなことを言えるようにならないと、進化しない。いつまでたってもクリシェで同じことの繰り返しで前進しないわけだから、そういう環境が必要だと思います。

では、国は何をすべきかということで、今の話で言えば、リポジトリですね。作ったもの、過去に作られたものを、リファレンスとして見ることのできる場所と、それを使って、次のジェネレーションに勇気を与える場所。教育じゃなくていいです。最後に肩を押して「いいぞ、おまえはやれ」というような場所が作ることだと思います。これまでアーカイブ化というのはかなり簡単だったんです、現在のメディア芸術が直面しているアーカイブ化に比べれば。選別システムがものすごくはっきりしていた上に選別にかけるべき対象も量的に少なかった。

クオリティというものがモダニズムの中で了解として決められていて、それに従ってアーカイブしていけばよかったからですね。でも、この大衆とかカルチャーに結びついた現代のこの膨大な量を、どういう形で、どういうふうにアーカイブ化するのかというのは、このメディア芸術というひとつの文化的な制度の中で、やっぱりコアな問題として考えていかないといけない。いくらメディア芸術がどんなもんだと規定してみても、それから補助金を与えてメディア芸術祭をやったとしても、要するにアーカイブの問題をきちっと押さえないと、何となくうまく立ち上がっていかない。ここがわりと固まると、メディア芸術という言葉、概念が固まってくるんじゃないかなとさえ、僕は思ったことがあります。例えばマンガにしても、たくさん集めるのは意外と大変なんです。そういったものを、どのくらい集めるのか。それから例えば、テレビのコマーシャルとか、ものすごく量的にあふれているメディア芸術といわれているものもあると思います。あれをどういうふうに保存して、さきほど藤幡さんが言っていた創造のサイクルの中にもってくるのかというようなことは、これからの重要な議論になるんじゃないかなと思います。

日本には国以外にも民間においても、いろんなものを集めるのが好きな人がいるわけで、国が何もかも本格的な収集保存を始めると、そういった人たちからは疑問や反発が湧くことがあるかと思います。ただ、そういったところはきちっと役割のすみ分けをしなくちゃいけないのは事実です。国のレベルでしか取り組めないことも当然ありますので。また、集めている人たちは、集めているモチベーションがあるわけで、そのモチベーションが何かということが伝わってくると、また見えてくることがある。どういうことかというと、さっき言ったようにアーカイブがあるから、次の作品が生まれてくるのです。つまり、次の作品を作るきっかけになるようなものが、アーカイブされていないといけないわけです。どういうものが、次の世代をつくるものなのかという視点からスタートしないといけないと思いますね。だから、やはり学校は重要なんだと僕は思います。

また、初めから巨匠がいるかのように語られているのが、おかしいんです。まだまだ僕たちが見過ごしている娯楽作品の中に、実は見落としている巨匠がいるかもしれない。例えば、ゲームでもヒットしなかったゲームの中に、「これは」みたいなものがあるかもしれない。それをまた発見する喜びというものもあるわけで、結局、そういった創造性の背景を探るところから始まって、どのように文化というものが作られていくべきかという話につながってくるわけです。

<前半終了>


メディア芸術の中のメディアアート、日本独自の可能性

今、文化庁ではメディア芸術という中に、メディアアート、マンガ、アニメーション、ゲームを含んでいますね。でも、英語にすると、メディア芸術はメディアアートになってしまうのかなと思ったりして、その中で藤幡さんがやられているようなメディアアートとの整合性が、また非常に複雑になってくると思うのですが、そのあたりはどう考えていますでしょうか?

僕は個人的には単純に耳慣れてきたところはあります。一方でコンテンポラリー・アートとしてのメディアアートは「s」がついていない。メディア芸術の訳としては「s」がついています。たとえば、外国の人たちは、この「s」を今後どう説明していくのかというのは気になります。基本的には外国の人に何の説明も無いと、この文脈は伝わらない。だから、こちらで一回立場をきちっとして、「s」つきのメディア芸術そのものを伝えていく必要がある。ちょうどラーメンが海外の辞典に入っていったような感じで、いっそ世界語にしてしまう必要がある。

僕は、さっき質問された整合性のなさというのが、我々の歴史のコンセプトだと思っています。僕らはそれで納得できるかもしれないけれど、外から見たときに、やっぱり壁ができてしまう。メディア芸術という日本独特の概念について理解したくない人には、全く無視されることになってしまう。ですので、例えば同じ日本語でも「かわいい」とか自然にすでに流通していくものは問題ないと思うのですが、あまり日本側から無理に文脈を限定したり、ある種の訳語を強制するようなことはしないほうが良いと思っています。

整合性がなく混乱を招くというのはネガティブなことですけれども、むしろ、それをぶつけていったほうが良いと思います。つまり、日本語で「メディア芸術」と呼んでいるものが、何でこんなことになっているのかということを、混乱した状態そのもの含めて、はっきりと言語化しておいたほうが良いと思う。ある程度は学ばなければいけないところがあると思いますけど、基本的にはヨーロッパの芸術というものと国家との結びつきというのはものすごく強力で、芸術は疑い得ない価値として成立しているので、メディアアートも映画も写真も、それから第○芸術とか、そういう形で社会的なシステムとして組み込まれているのです。それに対して、日本においてはそういった確立された価値を持っていないと思います。ただ、その日本における芸術という言葉、芸術という概念が持っている脆弱性が使いようによっては非常に良い、フレキシブルな可能性を秘めていると思います。

僕は混乱を収拾していくような方向での可能性は諦めていますね。僕が関わっていたはずのメディアアートというのは、ある種コンテンポラリー・アートの中の、アバンギャルドだと思うのですが、これはいずれ歴史化していくとアバンギャルドでなくなります。なので、メディアアートと誰も言わなくなるんじゃないかと思います。逆に日本でメディアアートが化石のように残っていくとしたら、それは面白いなと。その場合の日本のメディアアートというのは、僕は家電に対するリアクションだというふうに解釈しています。

戦後生まれた新しいメディア技術をベースにした表現を考えた場合に、ベースになっているのは家電であると。なぜ家電かというと、ウォークマンが最初出てきたとき、ソニーが出したわけですが、その後にアイワだとかナショナルだとか、ほとんどすべての電機メーカーがウォークマンに似たものを出す。それも3カ月おきに新製品が出てくる。それは一体何なのか。おそらく、兵器産業が禁じられていたため、もっている技術というものが、ものすごく微に入り細に入り、徹底な差異化を技術屋たちに求められてから、ああいう文化ができたのだと思います。

それが、日本のメディア芸術祭的なメディアアートの中に見られるのが、面白いなと思って、それはそれで残せば良いじゃないかと思っています。いわゆるメディアアートは、ヨーロッパ的な意味でのコンテンポラリー・アートの中に完全に吸収されてしまうと思います、「キネティック・アートってあった」とか、「ライト・アートってあった」という感じですね。それに対して伝統芸としてのジャパニーズ・メディアアートというのを、メディアアーツの中に残せば良いと思います。

明治以降、我々は文化国家になるために、西欧化をやったわけです。西欧文化の受容イコール近代化みたいな形で。それに対して、僕はこのメディア芸術と呼ばれている分野は、はじめて我々が独自に培ってきた価値観なので、これはちゃんと取り組まないとまずいと強く思います。


海外におけるジャパンクールの受容

フランスのアングレーム国際漫画際に行った際に、現地の中学校の女の子に話を聞いたら、BD(ベーデー)というフランスのマンガはうっとうしいと言うんです。「今、何を読んでいる?」と聞いたら、『NANA』を出してくる。「日本のマンガはすごく夢がある。それで映画も見た」と言うのです。今、クールジャパンというのを使うと何か格好悪いような感じで、日本だけ自慢するなというようなことになっているんですが、もうちょっと素直に、自然にガラパゴス島から出て行ったもので、面白がられているものは何かというようなことを、やっぱり海外現地で受容している人たちにいろいろ聞いていかなきゃいけないんじゃないかなとすごく感じています。そうしないと、いつも悪循環のようになっていってしまいます。西洋から日本、後進国対先進国という二元論的な議論に取り込まれてしまう。

さっき言ったクールジャパンが、格好悪く聞こえるというのは、金儲けの匂いがするからですね。そして日本はすごいんだぞというお仕着せというのでしょうか。そうじゃなくて、彼らは、日本のことを全然知らないときからジブリの映画を見て、ドキドキしていたというのが前提にあって育ってくる。

今、日本研究をしたいという海外の若年層の中で、本当にここで「メディア芸術」と呼んだものに触れてきて、そこから日本研究へというのが、ものすごく多くなっていて、それはある程度まともに受け止めなきゃいけないなという感じはしています。

3〜4年前かな、ベルリンの日独センターというところに招待されて日本の話をしたときに、ライプチヒ大学から日本学の先生が10人ぐらいの大学院生を連れてきました。日本学を教えているので結構日本語も話せる。僕らの世代の日本学をやっている人たちは、文学とか美術から入るんですが、彼らが教えている学生は、もうほとんどマンガとアニメですね。その中の1人が僕のところに来て、「私は腐女子です」と言いましたよ、日本語で(笑)。

マンガとかアニメとかそれ自体が研究対象としても面白いんですけれど、ある種、媒介、それこそメディウムとして働くときがあって、僕は今、京都精華大学の大学院で講義をさせてもらっていますけれど、そこにはマンガ学科の研究科の留学生とかたくさん来ているんですが、そこで最初、みんなと話し合って、何の話をしようかと考えます。僕のバックグラウンドが哲学だから、哲学の話をするかということで始まったのですが、もうひとつノリが悪いので、あるとき『哲学男子』という本を持ち込んだのですね。BL本なんですけれども、要するに西洋哲学の哲学者をめちゃめちゃあり得ないようなイケメンに描いたものなんですよ。いいかげんな本なのですが、これは一部ではかなり話題になっています。それをちょっと見せて、「この中から誰がタイプ?」と聞いたら、一番プラトンが人気あるんです(笑)。これは、よく考えたら厳密な意味で哲学史と何の関係もないわけです。だって本物の哲学者のイメージとは似ても似つかないのですから。でも、そこにBLというものを差し挟むことによって、すごく食いついてくるところがある。

メディア芸術に相応しいアーカイブとは

国や文化庁が、ある文化を保護するに当たって、どのような視点を持つべきか、という点と、今後、アーカイブの形式・形態がどうあるべきかについてお尋ねします。

なぜアーカイブが重要かというと、どういう背景があってその創造性が生まれたかがわかるということなんです。結果が完璧であれば完璧であるほど、そこにどうやってたどり着いたか本当にわからなくなる。でき上がったものは面白いけれども、なぜ、これがこれだけ面白くなったかということを知るには、その背後にある創造性が生まれた場所が必要。その過程を含めてアーカイブする必要がある。

あと、メディア芸術と言っているものの中には、iPadみたいなものに対応して、マンガをiPadで読むようなことにもなるだろうと思います。そうすると、別に美術館で収蔵展示するようなものじゃなく、インターネットで誰でも落とせるみたいなことになってくる可能性もあると思います。そういった将来のことを考えると、アーカイブの形式や形態について線引きがほとんどないような世界になるだろうという気はしています。また逆の言い方ですけれども、美術という枠組みがどうこれに対して対応してくるのかというのも大きなテーマです。すでにマンガを展覧会で展示をしたりしていますが、そういうものをどういうふうに美術という枠組みで扱うかに関しても、ちゃんといつかは議論したいなと思っています。


日本のメディアアートをきっかけに日本に興味を持ったとか、これがクールジャパンだ、みたいな意見を海外からなかなか聞かない。それがメディア芸術の中でマンガやアニメと比較してメディアアートが埋もれがちになっている原因のひとつではないかと思うのですが、その点いかがでしょうか。

海外の人たちがメディアアートと聞いたときには、それは明らかにコンテポラリーアートの一部ですよ。しかも、コンテンポラリー・アートのメインストリームから見るとアバンギャルドで、まだ何だかわからないものなんですよ。でも、その何だかわからないものを、さっきの彼女の話でいうと、メディアを批判的にとらえている人たちなので、それは明らかにアバンギャルトが好き——好きという言い方はよくないな——本気でアバンギャルドな人たちが特にヨーロッパはいっぱいいるのよ。そういう人たちのコミュニティはとっても強い。

僕はむしろそのコミュニティの中に入っちゃっているので、その中ではこんなややこしいことを言わなくても、普通に言葉がしゃべれるわけ。でも、例えばそのコミュニティではないコンテンポラリー・アートのもうちょっと制度がきちんとしているところの人たちと話をするときには、「メディアアートって何? メディアアートの何をやっているの?」みたいなことにもなる。例えばメディアアートと彼らが言った場合には、普通はビデオ作品のことなんだ。というように、向こう側でもメディアアートという言葉に関してのコンフリクトは起こっている。だから、向こうのメディアアートはやっぱり美術の枠組みなんです。日本人がメディアアート作品を作って、海外で展示をすると、それは美術の枠組みで見られるんです。

さっきここで話をしていたのは、大衆的な芸術なわけです。マスメディアなんですよ。だから、やっぱり全然アートと関係のない人のところまでリーチできるんです。それで、共感できるから、コスプレしちゃうわけだね。だから、西欧で言われている、西欧という言葉も良いかどうかわからないけれど、近代芸術の中のメディアアートと言われているものと、日本でメディアアーツの中のメディアアートと僕は同質なものじゃないとしか思えないんですよ。

さっきマンガとかが外国でうけている話は今、全国に溢れていますね。どこに行ってもこの話をみんなよくしている。ただし、本当は受け入れられていないマンガだってあるんですよ。要するに面白いのに全然引っかけられないような。つまり、それぞれの領域にすごく幅があるんだろうと僕は思います。

おそらくメディアアートも海外であればコンテンポラリーアートとして制度的に確立されている状況があるのではないかと思います。ちゃんとしたコンクールや大きなフェスティバルがあり、協会が作られている中で、そこで扱われるメディアアートの中には単に内容が飛んだ感じのビデオクリップなども入ってくるわけです。そういう意味で、メディアアートと言われている領域も実際は幅があるようなジャンル、カテゴリーじゃないかなという気が僕はしています。同様に、一概にマンガがすべてうけているということはなくて、むしろうけているマンガは意外に少ないのだと思います。

人を育てるコミュニティーと仕組み

今、問題なのは、なぜこれが良いのかということを、彼らに説明できるようにならないといけない時期にきているということだと思う。そこの言説が上手く作られていないんですよ。ハードコアなところを言語で攻めてくる西欧の人たちにはレトリックが必要で、それをどうやって説明できるかという時期だと僕は思うんだ。

国内の作家をどう援助するかということにつながってきますが、そうすると意図的に活動する場所を援助するような、あるいはサポートするような状況を作らないと、現実的には対等に対抗できるようなものも作れないんじゃないかというのは感じます。コミュニティとして同じ共通意識で情報交換しながらやっていくような事態がつくり得るような状況では、海外にはあるが今の日本だとないわけです。学校という守られた中ではできるけれども、一度出てしまうと、その中で活動ができる状況ではないので、そこで活動ができるような状況を作り出す育成のプログラムみたいなものは必要なのかなと思います。

多分、取り組む気はあるんですよ。そして、やっている人もいますけど、新しいアーティスティックなコミュニティはお金がないので、そういうところのをやはりウォッチをよくして、京都にも金沢にもできているので、そこにどうやってお金とかシステムをつくっていくのかというのが、大きな課題だなと思いますね。

基本的には人材育成を文化庁がうまくやってきていないからなんです。文化庁の使命はやっぱり文化財保護であって、人材育成は大学だから文科省でしょうという話だけれど、そうではないでしょうと。学校を出てしばらくたった人たちが、次にステップアップするためのプログラムが必要でしょう。海外派遣の若手のプログラムというのが唯一あるぐらいです。

アーティストだけじゃ無理なところもあるけれど、オーストリアはインディペンデントで、ノンプロフィットで、例えばギャラリーとかそういうスペースを3年間維持していると、やっと助成金の申請ができるんです。ゼロだとだめで、3年間は継続しないとだめ。それは面白いなと思いましたね。

それと、文化庁にいわゆるアートカウンシル的な機能を持ったものが外側にないことが問題。アートカウンシルには専門家がいるべきなんだ。その人たちが事情を知っていて、その人たちは恒常的にそこに勤めて継続性のある活動をできれば、年度毎の入札による不毛な企画競争と無駄遣いも回避できる。

情報交換の場の必要性

大学でコンピューターのプログラムを書いて映画を撮っている者です。今日、ここでお話を聞いていて、非常に疎外感を感じたんですね。先ほど奨励金を出そう、制作費を出そうという話があったと思いますが、ちょっとそれは違うと思います。僕がやってほしいことは、僕が作った作品を売ってほしいことなんです。要するに、制作費は自分で稼いで何とかするから、それをちゃんと売って、ペイできるようにしてほしい。一番そこで疎外感を感じちゃったところです。

映画を作っているんだったら、やっぱり自分と意見が合うような映画制作者、プロデューサーを探すしかないですね。自分の映画を面白がってくれる人とタッグを組むしかない。こういうオープントークのような場所を通して、僕らがやりたいと思っているのは、映画監督はどうやってデビューしているのか、マンガ家はどうやってデビューしているのか、音楽家はどうやってデビューしているのか、みんなちょっとずつ違う、そういった仕組みを見せていく、紹介していくことでもあるんです。

この場に来ている一番若そうな人が「おれ、売りたいんだよ」と言ってくれたこと自体、このオープントークの可能性の一端に触れています。例えばいろんな関係者、いろんなミックスした年齢層、制作、いろんな違う人が情報交換するということが、すごく重要なことです。もちろん基本的には個人の問題ですが、こういった場を構築していく必要はある。

今日はどんなタイプの人たちが集まってきてくれているかというのは、名簿で把握可能な部分もあるのですが、やっぱり例えばアニメーションのプロデュースをずっとやってきたけれども、マンガに興味を持っている人もいるし、かなりいろいろな人が来ている。そういった多様性を背景に、何かいろんなことが起こると思っています。そして、そういう場所をもっとつくらないといけません。僕らもわからないなりに、もっとこういったことをやりたいと思っています。先ほどの方が、疎外感というのはすごく良かったんだけれど、表現をするというのは、つまり作り手がいて読み手がいたとすると、読み手から作家になるきっかけというのは、疎外感なんですよ。つまり、僕はこのマンガじゃ満足できない。この映画じゃ満足できないというのから始まるんですよ。それは明らかに既にスタンダードから外れています。スタンダードから外れていないと、誰も作らないのです。なぜなら、今あるもので満足しちゃうから。「良い映画だった」で終わってしまいます。そうではなくて、「何だよ、あれ」みたいなことから、やっぱり作り手へと意識が転換していくことになります。僕は学校で教えていて、唯一ハッピーなのは、そういう転換のタイミングに際して、転換していきそうな生徒の後ろを押していくことなのです。崖っぷちに落ちる人もいれば、飛ぶ人もいる。要はいいから行けということなんだけれど。

本当はもっとここにもテーブルがいっぱいあって、みんなとお茶を飲みながらやる感じを連想していたのですけれども、次はそういうのがあったほうが良いと思いますね。あと、僕は最後に言いたいのは、さっき藤幡さんが問題にていたので繰り返しになりますが、言説を、我々がやっていることについて外に持っていくときに、やっぱり海外の人と堂々と渡り合う必要があります。言葉の問題もあり、文化的差異もあるでしょう。だからこそ、確かに僕も海外で話をするときに、もっと堂々とできたら格好良いなと思うのですが、なかなか難しいです。まともに相手の顔を見据えて堂々としゃべる必要はなくても、時々目をそらしながら上ずった声ででも、しかし話し続けるということが大事じゃないかと思っています。