イベント概要
開催日:2011年2月27日(日)14:00〜17:00(13:30開場)
会場:福岡アジア美術館 彫刻ラウンジ
スピーカー:島本浣 藤幡正樹 吉見俊哉
ゲストスピーカー:森川嘉一郎
秋葉原から『おたく:人格=空間=都市展』
第6回メディア芸術オープントークですが、今回は、森川嘉一郎さんをゲストに、マンガやアニメ、ゲームの研究や、アーカイブの状況について話題提供をいただいて話を進めたいと考えています。森川さんよろしくお願いします。
最近、マンガやアニメやゲームの研究や、そのアーカイブ計画に関わったりしていますが、もともと私は建築分野の出身です。まだ建築分野の人間だった頃、90年代の後半に、秋葉原がかつてのような白物家電、冷蔵庫とかクーラー、その後のテレビといった家庭用電気製品の街から、マンガやアニメやゲームやオタク文化の街へと様変わりしました。その渦中にあり、なぜそのような変化が起こっているのかというような研究を始めたことが、現在の活動のきっかけです。
例えば山手線のちょうど反対側に位置する渋谷は、海外を本場とする文化が中心で、日本はむしろそれを消費するという構図にあります。秋葉原はその逆で、店頭だけではなく、まさに建物の壁面を覆うようなかたちで、幼げな感じの美少女の絵が、街並みを覆っている場所というのは、世界広しといえど秋葉原をおいてほかにないという状態になっています。
このような景観レベルの街の固有性は、普通は歴史的な様式や伝統によってもたらされてきました。近代以降、「インターナショナル・スタイル」とも称される近代様式で、世界中どこでも同じようなスタイルでつくるようになり、結果として、それが写真を見ただけでは世界のどこにある場所なのか分からないような都市景観をつくっていったわけです。そうした中、秋葉原では、そこに集まる人々の趣味の偏りによって、街が個性を獲得するという、新しい現象が起こりました。そういう研究をしていたところ、磯崎新さんの後押しを頂いてヴェネチア・ビエンナーレ第9回国際建築展日本館コミッショナーを任されることになり、『おたく:人格=空間=都市』という展示をつくることになりました。
いわば秋葉原の空間をヴェネチアの日本館に再現するということを、コンセプトにしたわけです。これは国際交流基金のホームページ※に、どういう展示だったか、詳細な記録がまだ残っています。平仮名で「おたく」、片仮名で「ビエンナーレ」で検索していただけると出てくると思います。「おたく」という人格を空間の形で表現するという展示などこれまでなかったものですから、普通、展示というと、既にある展示物を借りてきて、現場でつくって、返して終了するのですが、全部を展示予算で一から製作して現場でつくったため、展示が終わった後、返すあてのない展示物が丸々残ることになりました。
そうしたことから展示物まで含めて展示什器扱いとなり、年度末に廃棄の対象になりそうになったので、これはちょっとまずいと思い、美術館などに寄贈の受け入れを募ると、結構手が挙がりました。ところが、いずれも4トントラック6台分という分量を聞いたとたんに、「収蔵庫に入り切らない」「半分に分割してもらえるであれば入る」みたいな話になってしまう。そしてこの展示は分割すると意味をかなり喪失するので、何とか一体化した状態で収蔵できないかという思いから、もう少し時間を掛けて受け入れ先を探すことになりました。その過程で、「どうせならこれをひとつの要素に、常設的なマンガ、アニメ、ゲームのアーカイブ施設のようなものをつくったらどうか」という意見を頂き、そういうコレクションを束ねていけるような施設をつくっていければと、運動めいたことに自分を巻き込んでいくことになりました。
納本制度の盲点
国会図書館には納本制度があり、出版社は出版した雑誌をそこに納める義務が課せられています。ただ、研究者からすると問題も色々あって、例えば単行本などは、収蔵の際にカバーを全部廃棄しているのです。本の、商品としての価値を大きく決定づけるカバーが、これはマンガに限らずあらゆる本についてですが、欠けているわけです。だから、研究資料として使おうとしても、当時の読者がどういう形でそれを書店で手にとったのかがわからないわけです。
また、マンガのマニアの人たちが国会図書館に出向いてしばしば閲覧しようとするのは、単行本に未収録の話が掲載されている雑誌のバックナンバーですね。すると、その号だけがヘビーに借り出され、どんどん複写されていく。漫画誌は作りがもろいものだから、どんどん壊れていって、その結果、いちばん複写したいものがしばしば「禁複写」になってしまっていたりする。
また、国会図書館は納本制度があって全部納められているようにみえて、納められたものはもちろん全部収蔵していますが、逆にいうと、納本されなかったものは入っていない。出版社のほうで納本を忘れているケースもあるわけです。しかも、大手の出版社の雑誌でもごっそり欠けていたりすることがあります。
マンガのコレクションはどこにあるのか?
つまり、マンガとかアニメとかゲームは、これまでサブカルチャーとみなされてきたことから、公共の美術館、図書館や大学の図書館で収集されてこなかったわけです。むしろそうしたものを体系的に収集・保存しているのは、個人コレクターの方たちだったりするわけです。
例えば、東京の早稲田に、もともと貸本屋を営んでいた内記稔夫さんという方が、30年ほど前に同業者が店をたたんでいく中で、このままだとみんなが親しんでいた貸本マンガがいつの間にか誰も読めない状態になってしまうと危機感を抱き、私設図書館を開設しました。内記さんとは、明治大学で進めている東京国際マンガ図書館の計画で連携しています。
非常に大雑把な試算ですが、戦後日本で発行されたマンガの出版物の点数は、雑誌・単行本含めて100万点ぐらいと推定されます(同人誌を除く)。国会図書館に収蔵されているマンガ、雑誌や単行本の数は、数え方によっても違うんですが、33万点ぐらいです。
さらに、それよりもずっと多い数の同人誌が発行され続けている状況があります。その重要な場となっているのが、毎年2回、日本でいちばん大きい展示会場である東京ビッグサイトで営まれるコミックマーケットです。3日間で55万人集めます。1975年以来、36年間にわたって営まれ続けています。
ここでは主催者が、頒布される新刊同人誌の見本誌を1冊1冊回収しています。スタッフが全てのスペースを回って回収しているわけです。それを1975年から保存し続けていて、いまやその数が200万冊になっています。200万冊というと、国会図書館に収まっているマンガの点数よりもはるかに大きい数の同人誌がそこにアーカイブされているということになります。ゆくゆくは、同人誌図書館のようなものを開ければという目的意識はの下で、収集・保存され続けています。
ゲームの分野でも、有志の方々が、廃業になったホテルなどからゲーム機を自腹で集めてきて、これまた自腹を切って借りた倉庫で、保存されたりしています。
東京国際マンガ図書館(仮称)の実現へ
いまここで紹介した方々と協力・連携し合いながら、東京国際マンガ図書館(仮称)という、マンガ・アニメ・ゲームの複合アーカイブ施設を、2014年度を目処に開設すべく、準備を進めています。
明治大学の出身者で、コミックマーケットのいわば育ての親に当たる米沢嘉博さんというマンガ評論家の方がいたのですが、2006年に亡くなり、そのときに14万冊に上るマンガ雑誌や単行本のコレクションが残された。これをまず保存・運用するために、東京国際マンガ図書館(仮称)の先行施設として、2009年に米沢嘉博記念図書館をオープンさせました。
先に述べたように、国会図書館がすべてを網羅することが難しいことと同様に、どこも単独ですべてを網羅することはできないと思います。ただ、利用者の側からみれば、複数の館にまたがってどこに何があるのかということがわかるデータベースさえ整備されていれば、それは網羅性の高いアーカイブとして利用できるわけです。そういった、どこに何があるかという所在情報を、各館でデータ共有したり、メタデータの標準化をはかっていきながら、マンガだけではなくアニメやゲームの資料に関しても利用できるようにしていきたいと考えています。そのデータベースを基盤にして、劣化が激しくて緊急性の高いものから脱酸性化したり、デジタル化して保存をはかる制度を築いていければとも考えています。
コレクションを引き受けるシステムの確立
しかし実際に、国立国会図書館の写真を見せてもらいましたが、みんなが読みたいと思っている本ほど、ぼろぼろになってしまうということも起こっているんですね。
図書館は、運用と保存という矛盾する命題を抱えています。図書館に収まっている本は、100回貸し出されたら壊れるわけです。この運用と保存を両立する手段として掲げられているのが、いわゆるデジタル化というやつですね。
東京国立近代美術館フィルムセンターのとちぎあきらさんが、第5回メディア芸術オープントークのゲストでしたが、その際に「集める、残す、見せる」ということが、アーカイブの仕事だといっていましたが、マンガも同様ですね。どうやって集めるのか、購入なのか、寄付なのか、寄託なのか。整理して直す仕事もあるし、どう公開するのかですよね。実物を渡して、破損したり汚れたりということも出てくるわけですよね。京都国際マンガミュージアムを見ていても思いますが。
収集に関しては、寄付とか申し出もありますよね。こんなに持っているけど、どうしましょうと。東京国際マンガ図書館(仮称)は、引き受けているのですか?
いまそのためのシステムをつくっているところです。重要なのは、どんなに空間があってもいずれ1館で引き受けるのは不可能になっていくので、複数の館にまたがって受け皿をネットワーク的に整備していくことなのではないかと思います。
先ほど申し上げたように、サブカルチャー的なもののコレクターの方は、そこかしこにいらっしゃるわけです。中には学術的にも非常に貴重なものも含まれていたりするわけですが、個人のコレクションには大きな弱点があって、その方が病気になったり、結婚したり、亡くなったりすると、途端にコレクションが危機に瀕するということです。ご家族の方から見ると、いかにそれがそれぞれの分野で貴重なものあったとしても、家を圧迫するゴミでしかなかったりするわけです。
アーカイブとしての網羅性と意義
東京国際マンガ図書館(仮称)で試みられようとしているのは、国会図書館でも足りないものを、全部取りあえず集めるということですね。同じものは何冊も要らないんだけれども、すべてをとにかく網羅しようという、ある種の志というか、欲望がありますよね。けれども、全部を網羅するのには1館では無理なので、全部を網羅するためのシステムをつくるためにネットワーク化する。そのためにデジタルを使おうというふうことが基本的な構想だと理解しました。
では、なぜこういうことを必要だと感じているのか? 森川さんの中に、次世代を育てていくためのベースをつくらなくちゃいけないとか、何か意識があるのではないかと思うのですが、どうお考えですか?
美術でも音楽でもそうですが、発表されたときに評価を受けるような、賞をとるような作品は何らかの形で保存されていくと思うんです。しかし、とりわけマンガやアニメやゲームといったサブカルチャーは、数十年経った後になって、発表された当時、まったくとるに足らないと思われていたような、それこそポルノだったり低劣だったりと見なされていたような作品が、実はその後のマンガのスタイルの形成にものすごい影響を与えていたことがわかったりする。そういう作品や雑誌は、ほとんど保存されずに廃棄されていくんですね。だから、何を保存すべきかという選定は、未来の人の視点を借りないと、本当はできないわけです。そのためにも極力網羅的に保存していく必要があると思っています。
マンガ、アニメの設計図
東京国立近代美術館フィルムセンターのとちぎあきらさんが映画の保存の話をして、オリジナル・ネガは映画の設計図であると言いました。設計図と技術的な情報を保存すれば、デジタルであれ、他の形態であれ、対応できるという考え方でした。
マンガの場合、アニメの場合、いろいろなプロセスがあると思いますが、保存して再活用するというときに、結果だけを保存していても限界があります。どこまで広げるのかということはあるけれども、映画のようにプロセスを保存する、その背後にある仕組みを保存するということがすごく大切だと思います。この点はどうですか?
マンガについては、マンガ家の手元にある膨大なマンガの原稿というものが、刊本、すなわち刊行された雑誌や単行本のほかにあるわけです。これをどのように保存していくかということが、大きな問題としてあります。
アニメについては、セル画、原画、レイアウトの類いです。絵コンテや設定書の類いは結構原画が保存されていますが、セル画などはかつて、ほとんど産業廃棄物のようにみなされてきました。今も原画類は、流出を防止する意味合いも含めて、廃棄処分されていると聞いています。しかしこれは、アニメーターの教育などに活用できる局面があるので、何とか対処できないかと考えています。
ゲームについては、例えば私たちは『スペースインベーダー』のテーブル筐体を収蔵していますが、それをプレイ可能な状態で展示していると、やがてブラウン管が駄目になります。単に映ればいいというなら、液晶のディスプレイに置きかえることもできますが、インベーダーゲームを液晶の画面に置きかえたら、それはもはや、かつてのインベーダーゲームとは感触がかなり違ってしまうわけです。しかしもはや、ブラウン管をつくっているところは非常に少なくなっている。これをどう乗り越えるのかということは、深刻な問題です。ゲームだけでなく、メディアアートの方々の意見も伺うと、単に「もの」だけを保存するのではなくて、環境ごと保存することを目指すことが理想だという意見もあります。
同じことはマンガにもいえて、単行本や原画だけを保存するだけでなく、当時どういう状態でそれらが刊行され、商品として売られていたのかということがわかるようにすることが、重要な意味を持つことがあります。例えば、1980年代のある街角の本屋でマンガ関連の棚がどうなっていたのか? アニメ関連の棚がどうなっていたのか? そうしたことを展示で再現できるようにすれば、非常に豊かな情報源になるはずだと考えています。
同じくアニメも、夜7時のゴールデンタイムに放映されているのと深夜25時に放映されているのとでは全然違うわけですね。そういうことも含めて、未来の人がある程度追体験できるようにしていきたい。要は、まったく新しい文脈に置きかえて眺めることと、当時の人々がどう観賞したのかをあわせて見られるようにする、このダブルでいく必要があるのかなと思います。
このジャンルの難しいところは、オリジナルじゃなくて複製物だということですよね。それも絵画の世界で議論されることの多いオリジナル対複製という議論ではない。コンテンツ・パッケージということなんです。それが商品として流通している。だから「原画、原画」とマンガ家がよくいうけれど、セルだけじゃアニメにはならないように、原画が設計図であるとも言い切れない。やはり雑誌全体まで考えないといけない。あるマンガの次にどのマンガが来ているのかという情報も重要だということでしょう。作品の順番なんかは、出版社側でプライオリティをつけていますから、巻頭を飾ったとかいう情報も重要ですからね。
アーカイブのプラットフォームが最優先
コミケのマンガで起こってくると想像されるのですが、今後、誰が描いたかわからないマンガが膨大に出てくると思うのです。そうすると、いわゆるオーファンフィルムとかオーファン著作物といわれますが、著作権者・所有権者不明の著作物が出てくる。これを維持していく、保管していく、そのぐらいだったらいいかもしれないけど、デジタル化して公開していくとか、いろいろ利用に供していくというときに、権利上の問題が出てきますね。特にネットワークでつないで、全国で共有化して、東京国際マンガ図書館(仮称)の外から多くの人たちがアクセスできるようになると問題が顕在化してくるのではないでしょうか?
これは業界と連携していろいろな仕組みを考えていくほかないと思うんです。
まずは「もの」や「作品」がどこにどういう状態で、誰の所有や管理のもとにあるのかということを明らかにして、少なくとも見たいと思ったらそこに行けば見ることができたり、権利者と話をしたりすることができたりというようなプラットフォームをつくりあげる。
プラットフォームが整って、さらにデジタル化した状態のものがそこに載れば、権利者から見てもいろいろな利用価値が出る。宣伝にも使えるのではないか、という状態が次のステップとして考えられます。
多元的な分類法を共有するシステム
マンガを考えるときにいままでの書籍と違った部分を見極めて対応していかないといけないということが出てきていますね。
さらに問題なのは、今後、ネット上でデジタルな形態で発表される作品群が、膨大に出てくるということです。例えばニコニコ動画で発表される作品群がありますが、あれはまだどこにもアーカイブされていません。
私たち自身の中の「図書館」という概念がいままで狭かった面もあると思うんです。つまり、図書館は制度が全部できていますが、もっといろいろなタイプのコレクションが図書館の中にあってもいい。本がたくさん集まってくる場所としての図書館の枠を広げていくことに可能性があることを、マンガを取っ掛かりにしてできるかもしれないですね。
いまの図書館分類法でいくと、マンガは全部ひとつの項目に収まってしまうので、マンガやアニメやゲームに特化したシステムを新たに設計する必要があります。当然、それを開発していく過程で、ジャンル分けとか目録のつくり方をどうすべきかが検討されていくはずです。みんなで知恵を絞って、有効なメタデータのつくり方を考えていくことになると思います。
マンガだけでなく、アニメやゲームを同じデータベースに入れていくと、例えば『ガンダム』というキャラクターがあったときに、それはアニメでもゲームでもマンガでも、さらにはキャラクター商品としても、それぞれ展開されているわけです。これまでは、アニメの『ガンダム』なのかマンガの『ガンダム』なのか、明確に意識していないと検索できないような構造の目録しかなかったわけですが、利用する側からすれば、『ガンダム』というキャラクターに対する関心から出発するケースが多いと思うんです。
キャラクター名がメタデータの中に入れてあれば、横串を刺すような形で、『ガンダム』でも『鉄腕アトム』でも、マンガやアニメやゲームがそれぞれどのように展開され、その刊本がどこに所蔵されているのか、雑誌の状態のものはどこで閲覧できるのか、あるいは、以前にお台場に立っていたような立体的な彫像はどこで見られるのかというように、全部見られるようにしていきたい。そのためのデータの持ち方、ジャンルの分け方を考えていく必要があります。同人誌についていうと、例えばコミックマーケットのカタログを見ると、全部細分化されたジャンルがそこで構成されているんです。分け方が、おそらく雛形として機能するのではないかと思います。
メディア芸術が、図書館でいろいろな形で収蔵されようとしているということは、すごくいいチャンスだと思うんです。新しい感じの分類。まず分類って何だ? ということを意外と考えられる場だと思うんです。『ガンダム』の例もそうですが、いまお話を聞いていると、分類学の新しいチャンスですね。
でもコミケは、僕の感じでは、まだテーマ的な、伝統的な分け方だと思います。そうじゃない分け方も、何か工夫して新しくつくれるはずで、そういうことを考えてみたいですね。
デジタル技術をベースにしたアーカイブのシステムを考えたときに、その分類は一元的である必要はまったくなくて、多元的なことができるし、そうであるべきだと思います。ただ同時に、同じ多元的なシステムが共有されている必要があると思うんです。
例えば、東京大学は大きな大学ですから、図書館はとても面白いんですが、分類体系が学部ごとに若干違ったりすることがある。そうするとこれは困るんです。だから、その多元性を共有する仕組みを、どうつくるかということは、すごく重要なことになると思います。
後半も、森川さんのプレゼンテーションからお願いします。よろしく。
『機動戦士ガンダム』とオタク
マンガ、アニメ、ゲームの業界では、メディア芸術などといって、国家に権威付けられたりすると、活力がなくなってしまうのではないかということが、しばしばいわれます。確かに、これについてはどのような距離を取るのがいちばん適切なのかを考えていく必要があると思っています。
ところが、どういう支援が有効で、逆に何がマイナスに働くのかということを考えるための材料が、あまりにも足りない。そのためにも、まずは基礎研究を進めるべきで、それには資料のアーカイブが要る。でも、公的にアーカイブ化しようとすると、それが保存に足るものであるのか? 国の資金を投入するに足るものであるのか? と問われるため、ある程度の権威付けが必要になってくる。そのような難しさがあります。
まず、それと関わるようなお話として、アニメの話から始めます。
「マンガ映画」や「アニメーション」に代わり、片仮名3文字で「アニメ」と呼ばれるようになったころからの歴史についてです。70年代の後半から80年代の初頭にかけて、「第一次アニメブーム」が起こりました。『宇宙戦艦ヤマト』『銀河鉄道999』『機動戦士ガンダム』の3作品が柱となりました。それ以降、宮崎駿さんがジブリでいくつかの作品を手掛けたり、『美少女戦士セーラームーン』が登場したりした後、95年から96年に放映された『新世紀エヴァンゲリオン』が、96年から97年にブームを起こします。この後に、『千と千尋の神隠し』がアカデミー賞を取り、それから2003年から2005年にかけて、アキバブームが起こっていくというのが大体の流れです。
この第一次アニメブームのときに、いっぱいマニア的な人がアニメに流れ込んできます。いまでこそ「アニメ」というとオタクのメディアみたいなイメージがありますが、このアニメブーム以前は、オタクとアニメというものが、結び付いたものとして全然とらえられていませんでした。そもそも「オタク」ということば自体が、まだ存在していなかったわけです。
ある時期に、「オタク」という特定の趣味的、人格的な傾向を表すようなステレオタイプと、アニメというメディアが結び付いたわけですが、いちばん大きなきっかけとなった作品をあえて名指せば、『機動戦士ガンダム』だったのではないかと思います。『機動戦士ガンダム』のキャラクターデザインを担ったメインスタッフのひとり、安彦良和さんが、興味深いコメントをされています。「ガンダムブームの始まるころだろうか、否定的なオタクが出現し始めたのは」(日本経済新聞2007年7月20日夕刊)。何か異様な、これまでいなかったような種類のファンが来るようになったという印象が語られています。
日本初のアニメ雑誌『OUT』の創刊
ガンダムブームが始まるころというと、79年から81年くらいのことです。ちょうどその直前に『OUT』という、日本で初のアニメ雑誌になっていく雑誌が創刊されます。『OUT』は、最初は、SFとかB級映画といったサブカルチャーを、ごった煮のように扱っていました。創刊号はあまりぱっとしなかったらしいですが、2号目で『宇宙戦艦ヤマト』を特集したら、即売り切れたそうです。この成功体験によって、『OUT』はだんだんアニメに関する特集が増えるようになり、3年目あたりから完全にアニメ雑誌になります。
その流れは当時のバックナンバーの表紙を並べてみるとよく分かるわけですが、アニメはヤマトからガンダムまでのころは、映画とか音楽とかロックとか、そういう数あるサブカルチャーの中のひとつとして並列に認識されていました。
「オタク」の発明
『OUT』は、その後長く、アニメ雑誌として続いていくことになるわけですが、並行して、いろいろな絵柄のスタイルの形成が起こる。象徴的なのが、この『漫画ブリッコ』という成人向けのマンガ雑誌です。当時の成人向けのマンガというと、劇画調な絵柄が主流だったわけですが、それが83年から84年にかけて、表紙の絵柄が少女マンガ調ないしはアニメ調に変わっています。
しかも非常に象徴的なのは、『漫画ブリッコ』1983年6月号に、「おたく」ということばの発明が行われた記事が掲載されています。ここで「おたく」ということばが、いまの意味で初めて用いられたわけです。『漫画ブリッコ』も国会図書館に丸ごと入っていません。だから、例えば海外の研究者たちが、村上隆を通じて知った「オタク」ということばについて調べようと思っても、その起源となった本が国会図書館にないわけですね。
こうしてマンガ、アニメ、ゲームは、おたくという人格像と結びつけられ、さらには「おたく文化」とも呼ばれたりするようになるわけですが、では国民的に親しまれているジブリの作品群、あるいは宮崎駿さんの作品群を、「おたく文化」と呼ぶと、多分多くの方が違和感を覚えるのではないかと思います。
では、その国民的なアニメーション作家、宮崎駿さんの作品群と、おたく文化は、どのような関係になっているのか?
宮崎駿のヒロインたち
宮崎駿さんがどのように監督としてアニメ映画を作るに至っているかを、さかのぼってとらえてみましょう。『アニメージュ』という、『OUT』に次ぐアニメ雑誌の草分けのような存在があるわけですが、そこに「81〜82年アニメ界10大ニュース」という特集が組まれています。
みてみるとそこに、「クラリス、ラナ......日本縦断"ロリコンブーム"」という見出しがあるわけです。ちなみに「ロリコン」ということばは、当時といまとでは意味が違っていて、当時は今で言う「萌え」とか「かわいい」に近い意味で使われていました。
記事を読むと、『ルパン三世 カリオストロの城』を上映すると、クラリス登場シーンで必ず写真を撮る30〜40歳ぐらいのおじさんがいたとか、コミックマーケットで、手製のラナシールが爆発的に売れているとか、いまやクラリスや『未来少年コナン』のラナに代表される、いたいけで、かわいらしく、愛くるしい美少女、いってみれば守ってあげたくなるような女の子のキャラクターに、男性のアニメファンの人気が集中している、などとあります。対象として挙げられているキャラクターはクラリス、ラナのほか、『パンダコパンダ』のミミコ、『太陽の王子 ホルスの大冒険』のヒルダ、『未来少年コナン』のモンスリー......。これらはすべて、宮崎駿さんが関わっているキャラクターです。
いわばアニメファンのあいだで、宮崎駿さんというスタッフが関わっている作品は、その美少女の描かれ方にものすごく強い特徴があるということが発見されていたわけです。
そのような発見を背景にして、宮崎駿さんにアニメの映画を撮らせたい、まずは『アニメージュ』に原作のマンガを連載してもらうことによって、アニメ映画を成立させようという主旨で、『風の谷のナウシカ』のマンガ版が『アニメージュ』誌上で連載されるようになります。
アニメファンと宮崎駿
『アニメージュ』では、1986年から読者アンケートによるキャラクターの人気投票が行われていて、毎月1位から20位ぐらいまで、結果が発表されてきました。初回は、ナウシカが1位を取っています。初回だけではなくて、ナウシカは驚異的な長さで1位をずっと保持し続けます。99年に至っても、まだランキングし続けます。
その間、スタジオジブリが形成されて、その第1号の作品として『天空の城ラピュタ』という作品が作られます。シータという、また非常に特徴的なヒロインが出てくるわけですが、シータも大変な人気を誇る。しかしナウシカにずっと1位を阻まれ続けていました。この人も1本の映画のヒロインにしては、かなり長い間ランキングし続けているということがわかるかと思います。
興味深いのは、この後宮崎駿さんが国民的な作家にだんだんなっていくわけですが、そのマイルストーンになった作品に『となりのトトロ』があります。『となりのトトロ』は徳間書店という、『アニメージュ』を発行している出版社が製作会社を担っていました。これまでずっと西洋的な舞台で、お姫様的に理想化された美少女がヒロインであったのに対して、『となりのトトロ』の場合は、昭和30年代の日本が舞台で、お姫様でも何でもない普通の姉妹を主人公にしています。この当時、アニメファンの間で、「宮崎駿は、お姫様をヒロインにしてしか映画を撮れないのか?」みたいな冗談があったそうですが、それを気にしていたのかは、よくわかりません。『となりのトトロ』に登場したヒロインのメイは人気投票でどうだったかというと、ナウシカやシータに比べると、ほとんど振るわないわけです。
続いて『魔女の宅急便』。ある意味アニメファン好みともいえる魔法少女をモチーフにしています。ちなみに制作は徳間書店に加えてヤマト運輸と日本テレビです。制作の母体がより手厚くなっていることがわかります。この主人公の、魔法少女キキはどうだったかというと、『となりのトトロ』のメイよりはすこし人気が出ましたが、ナウシカやシータに比べると人気は短命であったということがわかります。
今度は日本航空がスポンサーに加わった『紅の豚』。宮崎駿の趣味をかなり前面に出したような作品として作られるわけです。この場合、ある単一のヒロインがいるという構造を取っていないので単純には比べられないのですが、機械整備工のフィオというヒロインは、これもそれほどではない。
そしていよいよ電通が加わる形で、ものすごい予算をかけてプロモートされ、まさに国民的な作家の作品として喧伝された、『もののけ姫』のサンの場合はどうだったか? 瞬間風速的にナウシカを上回った後にストンと落ちています。
いよいよアカデミー賞を取る『千と千尋の神隠し』です。そのときは、これまでの面々に加えてディズニー、東北新社、三菱商事なども加わっています。非常に優れた作品であることは、ご覧になった方、皆お感じになったと思います。では、そのヒロインの千尋の人気はどうだったのか? 一度もランキングに入らない。国民的な作品なのにランキングに入らないという、不思議なことが起こっています。
一般文化とおたく文化
当初宮崎駿さんは、クラリス、ナウシカ、シータのような、おたく好みともいえる理想化されたヒロインを登場させていました。全国のアニメファンをとりこにしていたわけです。ところがその後、宮崎はそのようなヒロインから距離を置くようになっていったわけです。
興味深いことに、最初に距離を置いた『となりのトトロ』で毎日映画コンクール・日本映画大賞、キネマ旬報日本映画ベストテンを取っています。それまでアニメは映画じゃないんだ、別のジャンルなんだと見なされていたのが、初めて賞の対象になった。さらに、キャラクターランキングでは圏外だった『千と千尋の神隠し』に至っては、オスカーを取った。国際的な賞を受賞したわけです。
ヒロインがオタクから見て美少女でなくなればなくなるほど、一般的な国民の人気が高まったり、映画賞を受賞したりする傾向が強くなっているわけです。似たような道を進んだアニメ監督がもうひとりいます。押井守です。最初は『うる星やつら』という、オタク向けのアニメの元祖みたいなものを監督していた人ですが、やはり、だんだんヒロインのキャラクターのデザインが、オタク好みから距離を取る方向に振れていくとともに、国際的な名声を得るようになっていることがわかります。
このような「上昇」する一派がアニメの中に出てきたわけですが、実はこの上昇した一派というのは、アニメ全体からみれば少数派です。アニメのメインストリームは、これとは全く逆の方向性に突き進んでいるわけですね。つまり、オタクの好みへどんどん特化していく方向に、メインストリームは流れているわけなんです。いわば、「上昇」した少数が圧倒的に国民的にポピュラーであるのに対して、アニメのメインストリームはどんどんマイノリティーであるところの、オタクに振った方向に流れているわけです。80年代は混然としていたそれらが、二極分化するようになっていったわけです。
ガチョウと金の卵の関係
この状況を正確にとらえないと、国がどうやってアニメに関わるのか? という問題が考えられないわけです。公共的な機関が関わろうとすると、海外で受賞したり、一般国民に親しまれているものをピックアップしようとする傾向が、往々にして生ずるわけです。でも、その歴史を調べてみると、おたくっぽいアニメのファンダムがなければ、宮崎駿が出世作となる『風の谷のナウシカ』をつくるという状況が、成立しなかったかもしれないということがわかってくる。
公共機関は金の卵の方に目が行きがちだけれども、もとより大事なのは、それを産んでいるガチョウのほうです。ガチョウさえ大事にしておけば金の卵をどんどん産み続けるわけです。ところが、公共機関などの対応を見ていると、金の卵を持ち上げようとするあまり、それを産んだガチョウの醜さを疎んじ、卵から分離させ、殺そうとさえするケースも見受けられます。せめてそのようなことが起こらないよう、せめてガチョウの存在がどこにあるのかということの理解は必要だろうと思います。
以上、話題提供という意味でプレゼンテーションさせていただきました。
公的に保存を行う制度作り
ここで、こうした文化を醸成してきた環境を保持するために、国が何かできるのか? 国という立場は、こういう状況の中でどういう意義を持つのか? という大きな疑問が出てきますね、だから、ある特別な環境の中で醸し出されてくるものがあって、そこにいきなり(国という)特別な外部が介入してくると、どうなるか分からない。何か良い形で接点を作っていかないといけないですね。これは、難しいなと思いました。
私見ですが、国がメディア芸術ということばでサブカルチャーに関わる上でいちばん重要だと思うことは、「邪魔をしないこと」だと思うのです。「邪魔をしない」というと、何もしないのがいちばんいいと思われがちですが、「邪魔をしない」ということは、非常に主体的な理解が必要で、すごく正確な状況の把握が求められることなんです。すなわち、何をやるとどういう反応が起こり得るか、ということが認識されていないと、正確に「邪魔をしない」という状態を保つことができないと思うのです。だから、いろいろな基礎研究が必要だと、私は思っています。
森川さんの視点からだと、文化庁によるメディア芸術というカテゴリーで、サブカルチャーやアニメの潮
流をとらえることについて、その可能性はどのように考えますか? そもそも、可能なのか、あるいは違う方法でとらえたほうがいいのか?
メディア芸術でとらえることは、いまのところ、良くも悪くも大きな作用を及ぼしてはいないわけです。ほとんど作用を及ぼしていない限りにおいては、別にカテゴライズしようとしまいと関係ないともいえます。問題は、作用を及ぼすようになった場合どう考えていくかだと思います。
要はサブカルチャーと見なされていることから、巷にあふれているようにみえて保存されていないという事情があり、そして過去を振り返ってみると、取るに足らないと思われていたものが、後に非常に重要だと再発見されたりしている。他方、保存はビジネスとしてはペイしない分野なので、ある程度公的な取り組みが必要だと思うのですが、公的資金を投入しようとすると、税金を投入するにふさわしい文化芸術であるという格付けが要請されます。そのような難しさを前提にしつつ、「邪魔をしない」で保存に取り組める制度づくりをする必要があります。
マンガの気分を保存する
森川さんがいった、「環境ごと保存する」という話が面白かったです。私の世代は、参考書の中にマンガ、例えば『少女フレンド』とか、『マーガレット』を隠して読んだりしていたので、かつてのマンガが持っていた後ろめたさとか。もうちょっと前の世代ならば、貸本屋に走っていってそれを借りたとか、そういうマンガの気分みたいなもの、闇の部分も含んだパワーみたいなものを残してほしいと思いました。
いま3Dで上映したり、撮影したりといった技術が出てきていますよね。そのように、記録と再生の臨場感を高めていくというような方向性がひとつあると思っています。ただ、コミックマーケットのようなイベントをどう記録するのかという問題もあります。その場で参加していることを撮影してもらいたいと思う人は少数派です。でも、場の雰囲気ごととらえようとすると、何らかの形で記録しないと、後から再現するというか、どういうものだったのか知ることが難しくなっていくわけですから、そういう矛盾をどう解消していくのかというのは、いろいろと考えていかなければならないなと思っています。あとは、自動販売機で売られていたような本まで含めて、あまりいまの価値判断を挟まずに、ドライにすべて保存していくということだと思います。すべてが無理なのであれば、極力広い範囲にまたがってサンプリングを行うようにしていくことが基本です。極力選別は未来の人に委ねる、という考え方です。
ちょっと引いて考える時間は必要ですよね。いまわれわれが関与できるのは80年代以前という気がします。80年代以降になると、まだ新しすぎてそのまま継続しているものが多すぎる感じがします。だからアーカイブしてもう一度見直すにはなかなか難しい気がしてきました。
「気分を保存する」という話はとても面白いと思います。前回のメディア芸術オープントークで映画の話をしていたときに、映画の「集める、残す、見せる」ということがでました。「見せる」といっているのは、映画の場合、上映プログラムを組むことなんです。特集を組むタイミングですね。
東京国際マンガ図書館(仮称)ではどうなのかと思ったのですが、もしかすると50年代後半あたりのマンガの風景というような展示というのもあるのかもしれない。森川さんは、「環境ごと」とおっしゃったけれど、そこには展示のデザインをする、かなり優秀なセノグラフィ(舞台美術)の才能が必要な気がします。
マンガ、アニメ、ゲームを観賞する上でも、その分野以外のことに関しても「環境ごと」は重要だと思います。例えば、いま現在の特異な風景として、象徴的に取り上げられることも多いのが、コンビニの棚の風景。非常に現代的なものとしてありますよね。しかし、あれは企業秘密の固まりだから、なかなか撮影できなかったりするわけです。いつか、記録が残っていないと再現不可能になるわけです。コンビニの風景がわからないと、これはマンガやアニメやゲームに限らず、その当時の小説を読んだり、映画を作ったりするときに、それがどういう風景としてそこにあったのかわからなくなってしまう。
いま歴史観が問われている
でも、同時代性を残すことが可能なのか? ということはありますよね。つまり、「文化」自体が、同時代性を含み込んで文化たり得るのだろうか? 文化というのは、ある距離を取ったものですよね。例えば、4畳半のアパートで『少年サンデー』に囲まれて、「誰にももてないし」みたいな感じでマンガばかり読んでいる現実が、マンガの作り出したある風景で、生活にも関わる、価値観にも関わるとしたらそれを保存するって不可能だろうし、どこかで分類できないと文化にはならない気もします。同時代性を残すこともあるけれど、分類しながら配置することもある。同時代性をカチッと残してコレクションしていったりアーカイブ化するというのは、あまりそこにこだわりすぎると、知の体系みたいなものが、本当に作れなくなってしまう気もしました。
何を残すのかというときに、やはりプロダクションのプロセスというか、制作のプロセスに関すること、それからコンサンプション(消費)というふたつのフェーズだと考えています。まずは事実、どういう人たちがどういうノウハウで作品をつくってきたのか、可能な限りの情報と資料を残す必要がある。それは膨大なセル画だったり、原画だったり、そういうものですね。これがアーカイブの基本的なこととして必要なんだと思います。そこから先に、それがいかに享受されていたのかですが、これはかなり文化研究の領域に入る話で、当然必要です。
しかし当面は、とにかく前者に関して可能な限り保存をすることが不可欠だと思いますね。近代になってから複製技術で出てきたメディアに関して、実は圧倒的に保存されてないという現実があって、これはアニメ、マンガもそうですし、劇映画以外の記録映画、写真もそうです。私たちの社会は、どうやって文化をつくってきたのかということについて、ベーシックなものすら、まったく保存してこなかったという問題が根本にあります。
そうなんです。だからこの話はすごく新しいと思います。明治に入ってから、西欧から歴史概念が持ち込まれて、それに呼応する形で岡倉天心も『日本美術史』を書くことになるわけですが、そこで使われた歴史化の手法は西欧の方法論だった。工芸、美術、建築といった分類が、だいたいそういうところから来ているわけです。いま、僕たちがあがいているのは、これを根本から作り直さなくてはいけなくなっているということなんだと思います。僕たちがどういう歴史観で生きているのかということを問われていて、そのために資料を保存したりするという必要性と、資料が失われてゆくという危機感を持っているわけです。
ちなみに、先ほどの森川さんの図ですが、1984年に、「『萌え』からのチューン・アウト」「『萌え』へのチューン・イン」と2つにわかれますが、ここの手前の時期が重要な筈ですね。もちろん全体の資料を保存することが重要なんですが、どこがいちばん焦点かというと、80年代前半の部分ですね。なぜかというと、あるジャンルが制度化してきてわかれる手前、換言するとオタク・アニメ・カルチャーとナショナル・カルチャーみたいな、そういう形で分岐しているともいえると思うのですが、その手前で何が起こったのか? これが重要なことだと思います。
カテゴリーが確立する手前の時期は、常に非常に不思議な越境がたくさん起こるわけです。アーカイブは均質にやるべきなのですが、やはり肝というか、焦点はあって、この図はそれを示していると思いました。
「娯楽」と「芸術」のあいだ
以前ゲーム会社で十年ほど仕事をしていました。私や同僚、先輩たちは、ゲームを芸術作品とは考えたこと無かったと思います。人を楽しませるものという考えでした。特にアーケードゲームを作っていたので、いかに100円入れさせるかという部分で、商品としての魅力を常に考えていたわけです。そこで作品と商品の違いを、アートの観点から見た場合、どう考えればよいのでしょうか?
私見になりますが、芸術とは何かという考え方は多様なもので、その多様性がなくなってしまうと、芸術じゃなくなってしまうと思います。だから、プレーヤーが「あのゲームはおれにとって芸術だった」と言えば芸術になると、僕は思うんですよ。作り手だけじゃなく、お金を払った人の側によって評価されるし、50年経ったら、また違った見方をされるかもしれない、そういう考え方を持っています。
この分野では、ゲームに限らずマンガやアニメでも「芸術だと思って作ってない」という現場の方はいっぱいいます。でも芸術の歴史を見渡してみると、作り手が芸術だと意識して作っていたものは、実は少数派なんじゃないかという気がします。あえていえば、作り手がそれを芸術だと思っているかどうかは、つくられたものが芸術であるかどうかにはほとんど関係がないと、いって良いと思います。
うがった言い方ですが、何かが芸術だと見なされるかどうかは、それを芸術だと見なしたら都合がいい人たちがいっぱい出てくるかどうか、とりわけ権力やお金を持っている人たちにとって都合がいいかどうか、ということによってほとんど決まっているというのが美術史を見ているとわかることですね。
先行例として映画があります。映画を芸術だと思って作ってきた人たちは確かにいたわけです。でもこれは一部だった。かなりの人たちは、これを興行物だと思ってつくっていた。だけれども、その時代の映画のフィルムを保存しなくていいのかとか、アーカイビングしなくていいのかというと、そうではなくて、やはり興行物として作られていた映画を残しておくことの必要性は、アニメやマンガと同じようにものすごくある。残す仕組みがないという問題意識の中で、「芸術」ということばをかなり戦略的に使っている部分もあります。
『DAICON FILM』をアニメ史にいかに記述するか?
先ほど1984年の直前という話がありました。それを考えると、例えば、81年と83年に衝撃的な作品が出たと思います。それは大阪で行われた日本SF大会のオープニングのアニメーションフィルムです。これは大会の最初に上映されるものですが、素人の作品が実は、当時のプロの技術を凌駕していたという時代だと思います。後のガイナックスを形づくる庵野秀明さん、それから山賀博之さんといった、当時の大阪芸術大学の学生たちが作っていたわけですが、非常に大きな転換点だったと思います。
今日のお話を伺って、もしかしたら、そういう受け手の側から見たポテンシャルというかエネルギーも測っていく必要があるという気がしました。しかし、その当の『DAICON FILM』ですが、いったいどこでどうやって保管していくのかなと気になりました。
『DAICON FILM』に関しては、著作権の固まりだということもあって、なかなか今これをDVDで出したりということが難しいのではないかと想像されます。
他方、村上隆さんがキュレートしてニューヨークのジャパン・ソサエティー・ギャラリーで開催された『リトルボーイ展』で、ガイナックスが協力する形で、その原画類が展示され、カタログにも掲載されたりはしています。そのほかご存じのように、テレビドラマ『電車男』のオープニングでもいろいろと引用されたり、人々の記憶にかなり強く残っているので、いずれ何らかの形で、デジタルでリマスターされて出るんじゃないかとは思います。
補足すると、「DAICON」というのは大阪で開かれたSFコンベンションで、通常その行われる都市の文字を表題にとるんですね。だから、大阪の「大」をとって「DAICON」と呼ばれています。先ほどのご指摘通り、これはアニメスタジオではなくて、素人のファンの集団によって作られたことが重要な点で、アニメ史にどう記述するのかが、重要な作品の一つです。これがなければ『新世紀エヴァンゲリオン』もなかったわけですから。