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 2016年の日本において、タイの映画監督・映像作家であるアピチャッポン・ウィーラセタクン(Apichatpong Weerasethakul, 1970- )の作品上映や関連イベントが盛んにおこなわれたことはご存知だろうか。そんな一年を締めくくるにふさわしい書籍が、2016年12月21日に出版された。『アピチャッポン・ウィーラセタクン:光と記憶のアーティスト』(夏目深雪、金子遊編、フィルム・アート、以下本書)である。

 アピチャッポンは、タイ・バンコクで医師の家庭に生まれ、タイ東北部コーンケン県で育った。1994年コーンケン大学にて建築学学士号を得、その後シカゴ美術館付属美術大学に進学、1998年同大学にて美術学修士号を取得している。翌年、自身の映画制作会社を設立、短編・長編映画、美術作品など精力的に制作を続けている。その評価についてすでにここで云々する必要はないと思われるが、『ブンミおじさんの森』(Uncle Boonmee Who Can Recall His Past Lives, 2010)はカンヌ国際映画祭パルムドール、アジア映画賞最優秀作品賞、シカゴ国際映画祭最優秀作品賞、トロント映画批評家協会賞外国語映画賞を獲得、『光りの墓』(Cemetery of Splendour, 2015)はカンヌ国際映画祭ある視点部門出品、アジア太平洋映画賞最優秀作品賞を獲得している(伝記的記述、受賞歴については本書バイオグラフィーを参照した)。

 日本では、1999年という早い段階から山形国際ドキュメンタリー映画祭を中心に作品上映がおこなわれてきたが、大規模な作品上映は2012年の「アピチャッポン・イン・ザ・ウッズ」(東京都・吉祥寺バウスシアター)を、展覧会は2014年の個展「PHOTOPHOBIA」(京都市立芸術大学ギャラリー@KCUA)を待たなければならない。2016年には、「アピチャッポン・イン・ザ・ウッズ2016」として特集上映が組まれ(東京都・イメージフォーラム)、最新長編映画『光りの墓』の全国公開もなされた。また、さいたまトリエンナーレでのインスタレーション作品の出展や、東京都写真美術館で個展もおこなわれるなど、各地でイベントがおこなわれた。

 ここではアピチャッポン自身の作品それ自体についてではなく、本書の射程とその意義について概観したい。本書は四部構成であり、「Interview」、「Art」、「Anthropology」、「Cinema」からなる。まず、インタビュー「アピチャッポン、全長編映画を語る」では、タイトルの通り、時系列に沿って長編映画作品について語られる。制作に対する姿勢から資金面での苦労まで、作家が自作について率直に述べる様は非常に興味深い。一般に彼の作品は理解しやすい物語がドキュメンタルに示されるものではないが、このインタビューはその背景を補完するものとなっているだろう。

 「Art」の章では、アピチャッポンの活動の映画に留まらない広がりが捉えられている。中村紀彦の論文「映画という亡霊を掘り起こす――ヴィデオ・インスタレーション、物語、Non-Cinema」では、彼の映画館で上映される映画と美術館やギャラリーで展示されるヴィデオ・インスタレーションといった作品との連続性、内的なつながりが論じられている。中村は、ナラティヴという概念をキーに、アピチャッポン作品における映画とヴィデオ・インスタレーションにおける相互貫入を示している。他にも、インスタレーション、身体性、セクシュアリティといったその幅広い領野を描きだす論考がそろっている。

 「Anthropology」の章では、アピチャッポン作品とタイの土着的な文脈とのつながりが示されている。本書インタビューでアピチャッポンが語るように、そしてその作品にも明示されるように、彼の制作活動はその郷里であるタイ東北部の風景や歴史と強く結びついている。例えば、『ブンミおじさんの森』をふくむ「プリミティブ」プロジェクトは、メコン川流域の村・ナブア村を主題とした映画、写真、ヴィデオ・インスタレーションなどの作品群である。1960年代から80年代にかけて、タイでは国軍による共産主義の弾圧がおこなわれており、なかでもナブア村では大規模な虐殺がおこなわれた。本書に掲載されたアピチャッポンのノート「追憶のナブア――「プリミティブ」プロジェクトをめぐる手記」には、このプロジェクトをめぐる調査の様子が記されており、彼の作品群における記憶/歴史の重要性がうかがえる。

 最後の章「Cinema」において興味深いもののひとつは、その多くを占めるタイにおける検閲の現状についての文章だろう。アピチャッポンはタイ出身の映画監督でありながら、タイ本国においてその作品が正当に評価されているとは言い難いようだ。それにはタイの検閲も関係しているだろう。2006年制作の『世紀の光』(Syndromes and a Century)は、翌年四月にタイ国内で上映されるにあたり、映画審査委員会により四つのシーンを削除するよう要請される。本書所収のチャヤーニン・ティアンピッタヤーコーン「「世紀の光」へ向かう奮闘」によれば、四つのシーンは、「僧侶がギターを弾くシーン、僧侶がラジコンで遊ぶシーン、医師が酒を飲むシーン、そして、医師が恋人とキスをして性器が勃起するシーン」である。監督はこの要請を拒否し作品の完全なかたちでの上映を望んだ。その後、タイ国内においてこの検閲に対する抗議や、新たな映画法の制定における審査委員会の権限の縮小を求める運動がおこるも、事態が好転することはなかった。さらに、委員会は削除がなされるまで『世紀の光』のフィルムを返還しないとさえ主張することとなる。最終的に『世紀の光』からは七つのシーンが削除され(当初の4シーン+再審査による2シーン+担当者が間違って(!)削除した1シーン)、アピチャッポンは抗議と啓発のため削除されたシーンに傷のついた黒いフィルムを挿入し、これを上映することに決めた。このような表現に対するあからさまな弾圧と規制には驚かされつつ、月並みな言い方になるが、表現の権利の危うさを意識させる。これに対して、チャヤーニンがその意図を評価しつつも、この上映がタイ国民を啓蒙することの難しさを認めていることも興味深い。彼の作品は、前述したようにタイを舞台にその土地や歴史とかかわりながら、そのほとんどが複数の制作会社によるグローバルな資本のもと作られている。だがその一方で、作品外在的ではあるものの、こうしてローカルな文脈との衝突・交渉もまた存在しているのである。

 以上、ごく簡単ながら本書の内容を概観してきた。もちろん、各論の内容は多岐にわたり、ここで取り出したのはその一面に過ぎない。本書は300ページを越える充実した論文・批評集となっているので、アピチャッポン作品に興味のある人から、作品を見たがぴんとこなかった人までぜひ手にとってみてほしい。導きの書となるだろう。これまで紹介されてこなかったタイ語文献の邦訳が掲載されていることも、本書の大きな特徴である。作品リストやバイオ/ビブリオグラフィーなど、資料面でも目配りのきいたものとなっている。

 執筆者は編者の二名に加えて以下の通りである。相澤虎之助(空族)、飴屋法水、綾部真雄、伊藤俊治、岩城京子、カレン・ニューマン、北小路隆志、キュンチョメ、佐々木敦、チャヤーニン・ティアンピッタヤーコーン、高野秀行、トニー・レインズ、中村紀彦、福島真人、福冨渉、福間健二、港千尋、四方田犬彦、渡邉大輔。大学院生を始めとする若手研究者から、界隈の重鎮まで、幅広い書き手がそろっていることも、本書の特徴だと言えるだろう。

 また、日本の美術館での初個展となる「アピチャッポン・ウィーラセタクン:亡霊たち」展は、2017年1月29日まで東京都写真美術館にて開催中である。