東京都江東区にある森下文化センター内に設置された「田河水泡・のらくろ館」では、2013年8月3日から9月1日にかけて、「『漫画少年』とトキワ荘の時代〜マンガが漫画だった頃展」を開催している。

「漫画少年」は、「少年倶楽部」の元編集長であった故・加藤謙一氏が戦後の公職追放によって講談社を退社し、昭和23年(記載は昭和22年12月10日発行)に創刊した、伝説のマンガ雑誌。

手塚治虫の東京進出を象徴する作品『ジャングル大帝』はこの雑誌に掲載され、またその読者投稿欄に日本各地のマンガ少年が競って応募していたことでも知られる。

投稿者の中には、横尾忠則氏、筒井康隆氏、篠山紀信氏など、現在では別のジャンルで成功した人々が含まれていた。だが何よりも、寺田ヒロオ、藤子不二雄、石森章太郎といった、後に「トキワ荘」へ集うことになるマンガ家たちが投稿を繰り返し、戦後日本マンガの母体となった点で特筆される雑誌だろう。

しかしながら、「トキワ荘」メンバーが結成した「新漫画党」や新人の投稿グループが誌面で活躍するのは雑誌の売れ行きが衰えだした後半期のことであり、創刊当初は加藤氏が『少年倶楽部』時代から築き上げたネットワークによって、戦前のマンガ家たちが数多く活躍していた。その中に、『のらくろ』を「少年倶楽部」で連載していた田河水泡が含まれている。戦前から紙芝居の世界で活躍していた山川惣治も、『あしたのジョー』の原型となったと言われる絵物語『ノックアウトQ』を連載していた。当時の山川人気は絶大で、一時期は高額納税者番付で手塚よりも上位にいたほどだ。また、朝日新聞夕刊で連載が始まる前の長谷川町子『サザエさん』も掲載されている(初登場は福岡の地方紙『夕刊フクニチ』)。

「田河水泡・のらくろ館」の特色に合わせ、「トキワ荘」メンバーら、「手塚治虫の影響を受けた漫画家たち」だけでなく、これらの「田河水泡と戦前の漫画家たち」「手塚治虫以前のこども漫画家たち」も紹介されているのが興味深い。

今回の展示では、田河水泡の弟子で「新漫画党」にも加わった「トキワ荘通い組」の永田竹丸氏が協力をしており、それぞれの作家についての思い出をコメントしている。また、「漫画少年」および、「漫画少年」の精神を受け継ごうとした手塚の、これもまた伝説的な雑誌「COM」が、一部ではあるが実際に手に取って読めるようになっている。

関連イベントとして、永田竹丸氏による「『漫画少年』とトキワ荘を語る」と、「トキワ荘の跡地を訪ねて」が予定されているので、申し込み方法などはホームページで確認してほしい。

「『漫画少年』とトキワ荘の時代〜マンガが漫画だった頃展」

http://www.kcf.or.jp/morishita/event_detail_010200400104.html