クリス・メイ=アンドリュース著『ヴィデオ・アートの歴史 その形式と機能の変遷』(三元社、2013年)が伊奈新祐氏(映像作家、京都精華大学大学院教授)の翻訳で出版された。原著タイトルはA History of Video Art: The Development of Form and Function(Berg, 2006)で、著者のクリス・メイ=アンドリュース氏は1952年イギリス生まれのメディアアーティスト、評論家、キュレーター。セントラル・ランカシャー大学で長く教鞭をとり、現在は名誉教授である。1970年代中頃からビデオアートの制作活動を開始し、現在も活動を続けている。

本書の特徴は、ビデオアートの歴史を技術の発展と強く結びついたものとして描き出している点にある。「この切り口に問題がないというわけではないが」と前置きをした上で著者は「メディアとしてのヴィデオがテクノロジーに依存してきたことは紛れもない事実である」と断言する。そのアプローチが顕著に表れているのが第2部「代表的なヴィデオ・アート作品について 技術的批評的背景」である。ここでは、21の作家とグループによる代表的な作品を4つのカテゴリーに分類し、解説を加えているが、うち3つが技術革新と直接的な関係を持って語られている。

1つ目の技術は「ポータパック」である。ポータパックは1960年代後半にソニーが発売した電池駆動の家庭用オープンリール式1/2インチVTRと白黒カメラである。安価で携帯可能、記録した映像と音声を即時再生できるポータパックの出現はビデオアートの歴史を変えたとしばしば言われる。しかし、ここではその革新性だけでなく、制約にも触れている点が興味深い(「録画された画質は、粒子が粗く、解像度も低く、サウンドトラックの自動音声コントロール(AVC)装置による、明らかに甲高い機械音を伴うものであった」「正確な音声と画像編集をこのレベルの機材でおこなうことは不可能であった」)。ビデオカメラをモニターに向けることで生まれる「フィードバック」を用いた表現や、再録画による画像の劣化を逆手にとった表現、ビデオと身体パフォーマンスを組み合わせる表現などはそこから生まれた。このように可能性と制約の両面を提示するやり方は本書の至る所に見られる。

2つ目の技術はビデオ編集システムの導入である(特にここではUマチック編集機の登場が強調されている)。映像と音声を別々に、かつ正確に編集することが可能になり、既存のテレビ番組や映画から特定の部分を素材として抜き出して再構成するような種類の作品が生まれてくる。

3つ目の技術はビデオ信号の操作である。ビデオが映画と異なる点の一つとして、映像を音声と同じ信号として扱うという点がある。アナログ・シンセサイザーを用いて音声信号を作り出し、加工できるのと同じように、ビデオでは、映像信号を生成、変換、変形することができる。第1部第7章「レンズを越えて 抽象ヴィデオと映像処理」で詳しく触れられているように、カメラを使わずに(レンズなしで)映像信号を生成することもできる。それらの操作はリアルタイムでも可能なため、あたかも楽器を演奏するように色、形、動きを操るようなライブパフォーマンスが可能となった。

このように述べてくると、単純な技術決定論のように思われるかもしれないが、そうではなく、著者はいわば「地」の部分として技術を共通の基盤と捉えつつ、「図」としての個々の作品内容、個々の作家の意図を浮かび上がらせるような書き方をしている。「地」の部分がはっきりと示されることで「図」としての個々の作品もより深いレベルで理解できるようになるだろう。また、本書では、記録、編集、再生を行う機器の変遷だけでなく、それらの機器をどのような場所で作家が利用できたのかという「アクセス」の問題、また作られた映像をどのように観客に届けるかという配給(上映形式)の問題についても多くのページが割かれている。

ビデオアートがどのような歴史的(社会的、思想的、芸術的)背景のもとに生まれたかについては、第1部に解説されている。実験映画について背景知識のある方は第4章「拡張映画 実験映画・前衛映画・アンダーグラウンド映画の影響と関係」、実験音楽について背景知識のある方は第5章「ミュージック・コンクレート、フルクサス、テープループ 録音と実験映画がヴィデオ・アートに与えた影響と衝撃」から入ると読みやすいだろう。実際、本書には400名近くの人物、グループが登場し、紹介されている作品数も膨大であるため、ビデオアートに馴染みの薄い読者にとってはとっつきにくい部分があることは否めない。しかし、ビデオアートを専門的に勉強したいと思っている学生や研究者にとってはまたとないレファレンスとなるだろう。

「メディアアート」との関連については、第3部第14章でビデオ・インスタレーションと観客参加型の作品について触れられているが、ここでも高性能で安価なビデオプロジェクターの出現がひとつの歴史的転換点として捉えられている。初期のビデオプロジェクターは低コントラストで解像度が低く、到底フィルム上映にかなうものではなかった。そこで空間性を問題にしようとする作家は、モニターを積み上げるなど、マルチモニター、マルチチャンネルによる表現を行った。同時代の作家や関係者にとって、このような事情は自明のことであろうが、歴史を振り返る際に忘れてはならない重要な視点と言えよう。また、初期のビデオプロジェクターを用いた作品として紹介されているピーター・キャンパス氏による《シャドー・プロジェクション》(1974年)をはじめとする1970年代の一連の作品は、影や鏡像を用いた観客参加型のもので、本書に言及はないものの、初期のメディアアートの代表作であるマイロン・クルーガー氏の《Video Place》(1969年)との類似性を感じさせる。第15章にはジェフリー・ショー氏、グラハム・ワイブレン氏、ビル・シーマン氏、岩井俊雄氏などへの言及もあり、「ビデオアート」と「インタラクティブアート」をはじめとする「メディアアート」が交差する地点について考えさせられる。

最終章は「ヴィデオ・アートの終焉? フィルムとヴィデオの境界の不明瞭化と収斂」と題され、「デジタルの台頭は『ヴィデオ・アート』という言葉をほぼ古い時代遅れのものにしてしまった」という現状認識が示される一方、「ヴィデオ・アートは、(…)新しい複雑な言説やモードの受容と発展に貢献し、芸術を見て体験するギャラリー訪問者の認識と期待を変え、知覚と参加、現実と仮想、動的なものと静的なもの、技術と芸術との間の豊かで複雑な領域を切り拓いてきた」と結論づけられる。

本書はビデオという新しいテクノロジーとアートの関係をまとめた歴史書であるが、いついかなる時代においても「新しいテクノロジー」は存在する。新しいテクノロジーを前にしたとき、ひとはどのような創造性を発揮することができるのか、という問いは普遍的である。先端的な映像技術を含む、様々なテクノロジーに囲まれた現在の私達にとって、ビデオの歴史はまだまだ「新しい」と言えるだろう。

『ヴィデオ・アートの歴史 その形式と機能の変遷』

著者:クリス・メイ=アンドリュース

訳者:伊奈新祐

出版社:三元社

出版社サイト

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