日本マンガの海外における受容を考えるために

多くの日本マンガが1990年代以降、アニメをきっかけに世界に広がっていくことになるが、手塚治虫のマンガは必ずしもその例にあてはまらない。手塚作品はどのようにして世界で読まれるようになっていったのか。また、手塚治虫は生前から積極的に海外との交流を行っていた稀有な漫画家でもあった。今回は、リストをより深く理解する糸口として、手塚の生前から手塚プロダクションに勤務し、現在出版局局長である古徳稔氏に、プロジェクトのディレクターである幸森軍也さんと共に話を聞いた。

第2回 古徳  稔 (株式会社手塚プロダクション出版局局長)

 

聞き手 幸森 軍也 (大阪芸術大学キャラクター造形学科客員教授)

 

進 行 原  正人 (バンド・デシネ翻訳者)

 

椎名 ゆかり(文化庁「メディア芸術情報拠点・コンソーシアム構築事業」コーディネーター/海外マンガ翻訳者) 

手塚生前の海外版

今回、リストを作ってみて、手塚治虫作品が世界のさまざまな国でたくさん翻訳されていることが、改めて確認されました。海外版出版は、手塚の生前からあったのでしょうか.

古徳
大半が後ですね。手塚の生前から海外出版のオファーはあったんだけど、当時はまだ海外で日本のマンガを出す場合も、その国の慣習に合わせて左開きだったんです。全部、逆版で出版しなきゃいけないっていうのが当たり前で。そうすると、洋服だったら合わせが逆になっちゃうし、野球だったらサードに走っていっちゃうしっていうので......。

幸森
日本人はみんな左利きになるしね。

古徳
そうそう。手塚は、自分で描き直すって言ってたんだけど、そんなことできるわけない(笑)。夢のまた夢みたいな話で、本格的には実現しなかったんです。

となると、手塚の生前に存在していたものは、基本、海賊版ということですか。例えば、1970年代後半にフランス語圏で『Le Cri qui tue』という雑誌が出版されていて、ここにある号には『鳥人大系』が一部分翻訳されているのですが......。

古徳
これは許諾していますね。

幸森
今回のリストは、海外版単行本主体で、雑誌に掲載された翻訳は入れていないんですよ。

古徳
雑誌はアメリカでもいくつか翻訳を許諾していますね。台湾の雑誌でも、結構長く、連載のような形で翻訳を載せていたはずだけど。女性の編集長が、すごく熱心にやってくれて。そういうのを除けば、海賊版です。アメリカでも『鉄腕アトム』の下手くそな絵の海賊版があったりしましたね。それから、80年に中国の中央電視台で『鉄腕アトム』のモノクロの放送があって、それで、そのときに連環画1っていう、中国の昔ながらのマンガの形式で海賊版が出ました。後にうちが無料で全部編集をして......。

1 中国で20世紀の初頭に数多く出版された小さい判型の本。物語は、挿絵と見出し文で描かれた。

『ブラック・ジャック創作秘話』に出てくるエピソードですね。

古徳
こう言うのもどうかと思うけど、それが、手塚治虫作品の海外出版の始まりじゃないかな(笑)。

正規版翻訳の始まり

そういう状況が変わって、"正式な"翻訳のオファーが来始めたのはいつ頃でしょう。

古徳
僕の記録によると、その連環画の後、1990年に韓国の高麗苑というところから『ブッダ』が出ている。ここはコミック出版じゃなくて、宗教書か何かを出しているような出版社だったようですが。その後、1992年頃、インドネシアのグラメディアグループという、今でも存在している大きなメディアグループから『鉄腕アトム』のオファーが来ました。そこから本格的に始まる感じですね。ただ、これは僕の担当ではなくて、僕は93年の台湾から担当し始めてるんです。

なるほど。

古徳
90年代初頭は、必ずしもうちだけではなく、日本のマンガ全体に対して、海外の出版社が目を付け始めた時代という印象がありますね。うちに関して言うと、93年には、台湾の時報出版、香港のカルチャーコムというところと、全集をほぼすべて翻訳する契約をしましょうという話がいきなり出て来ました。結局、全部は出なかったのですが、それでもそれぞれ200巻ぐらいは出ました。

すごいですね。

古徳
時報出版は、かなり本を出していて、特に『ブラック・ジャック』がよく売れたんです。香港でも『ブラック・ジャック』は、むちゃくちゃ売れて。さっき調べたけど、『ブラック・ジャック』の第1巻は10刷ぐらいまでいっている。トータルでは、1巻につき、4〜5万部はいっていると思います。

幸森
部数の話が出ましたが、海外版の部数というのは、なかなか日本の出版社が教えてくれないんですよね。

古徳
向こうの出版社が、セールスリポートをなかなかくれないということもあると思いますね。

幸森
手塚プロさん的にいうと、国によっても、作品によっても初版の刷部数はバラバラだとは思いますけれども、一般的にいうと、東南アジアなんかは例えば100円ぐらいのペラペラの本を、3000部ぐらい刷って、8%入ってきますと。でも、これじゃ「お金にならないよね」っていうレベルじゃないですか。

古徳
うちは、手塚作品を世界に広めるほうが第一義で、お金じゃないから(笑)。

幸森
なるほど。参考までに、フランスでも翻訳がたくさん出ていますが、初版はどれぐらい刷るものですか。

古徳
今は、平均して2,000部ぐらいじゃないですかね。作品によっても違うだろうし、台湾とかでは、もっと部数が多いかもしれませんね。時代によって変わる部分もあります。

幸森
台湾で日本マンガブームがあったころは、刷部数も結構ありましたよね。

古徳
そうですね。出版社も10社以上あったんじゃないかな。

幸森
でも、今は結構下火になってきてるでしょう。

古徳
そうです。台湾東販さんというところが代理店をやっていて、ここは歴代、熱心にいろいろやってくれているんですけど、概して、世界中で出版業界は難しい状況です。やっぱり『ドラゴンボール』隆盛のころが一番、世界中の出版社に元気があった感じね。

幸森
90年代半ばから後半ぐらいですね。

海外版を通じて知る日本と海外の違い

例えば、アメリカでは、90年代に一度日本マンガブームの波が来て、2000年代以降に、もう一度インターネットで波が来るという感じ、と聞いていますが......。

古徳
うーん。どうかな。Viz Media(元Viz Communications、現VIZ Media。以下Viz)が色々試しているようですが、やっぱり限られた人の文化なんですよね。欧米は、ある年齢が来たらマンガとアニメは卒業するものという大前提がある。だから本当に限られた強烈な人たちの固まりが、サンディエゴのコミコンになったり、ジャパンエキスポになったりするんだろうけど。

幸森
東南アジアもそういう意味では子どものものじゃないですか。大人が仕事をやりながら読んでるマンガなんて、当然ないわけだから(笑)。だからやっぱり、マンガというのは、世界的に見ると、子どもの文化なんですね。

古徳
そう。だから、やっぱり日本のマンガが特殊なんだろうな。もちろん例外はあるにしても、概してどの国でもマンガは単純明快な話を表現してきた歴史が長いから、その先入観が大人たちは強かったりするところもあったりして、いろんなことを表現できる日本のマンガというものが、理解されていないというかね。逆に、海外のマンガが日本に入りづらいのは、日本のマンガの多様性の部分にどうしても勝てないというところがあるんじゃないのかな。

どの国のマンガも異なる文脈で発展してきているので、そこを知らないと、ある作品の意義というのは、本当の意味では理解できないということもあるかもしれませんね。それはおそらく手塚作品の海外における受容に関しても言えることで、地域によって受容される作品が異なっています。例えば、アメリカやフランスを中心にした欧米では、子ども向けの作品よりは、劇画的な作品のほうが多く翻訳されている印象があります。

古徳
アメリカのバーティカルという出版社では、右とじと左とじを使い分けていたりしますよ。大人向けは、現地の習慣に合わせて、左とじにしたり、子ども向けだったら右とじにするというふうに。集英社が、うちの本は右とじじゃないと許諾しないよというふうになってから、大体、今は海外でもみんな、右とじのマンガが主流なんだけど、バーティカルは大人に読ませようと思うのは左とじにして、さらにハードカバーにして出したりしてる。逆に、子ども向けはソフトカバーにして値段も下げて、としているところもあるし。

ちなみに海外版の翻訳に当たって、何か特別な措置が必要になったことはありますか。

古徳
東南アジアはアダルト規制が強くて、乳首は基本的に駄目だから、消してくださいと言われたことがありました。あと、『アドルフに告ぐ』のユダヤ教会の表現が違うという指摘があって、さすがに絵を塗りつぶしたりすることもできないから、絵の横に説明書きを入れて出版をしたりとか。それから、『火の鳥』の中で、屋根の上にスヌーピーが寝てるやつがあった。それはNGが来たかな。

逆に、手塚プロダクションのほうから、海外版に対してダメ出しをなさったりすることはあるのでしょうか。

古徳
翻訳については、その内容なり質なりは、見ても分かんないから、向こうを信じるしかないですね。ただ、一回だけ、フランス語の『鉄腕アトム』の最初の翻訳について、別の出版社から「あの翻訳は駄目だよ」って言われたことがあったな。「あの訳は今のフランスの若い子たちが使ってる言葉になっているから、手塚さんらしさが損なわれてるよ」って言われた。少し重厚な感じは必要かもしれませんね。

英語版の『ブッタ』は、そういうところにすごく気を使って、知的な層に響く翻訳になっているそうですが、表紙はいかがでしょう。表紙を見て、これは駄目だというのはありますか。

古徳
あるある。全集の表紙をまんま持ってくるのとかね。

それは駄目なんですね。

古徳
個性を出しなさいというか、ちゃんとマーケティングして、ちゃんとふさわしい表紙を作りなさいっていうのはありますよ。

古徳
逆にびっくりするのはスペインだよね。地元のイラストレーターの絵を表紙に使っているのかな。この絵でいいんですか、みたいなね。びっくりするような、不思議な感じの絵でね。

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左から:スペイン版『陽だまりの樹』、『火の鳥』、『ブッダ』(いずれも1巻)

台湾の『ブラック・ジャック』も別の意味で印象的ですね。イケメンっぽい、ジャニーズ系男子の『ブラック・ジャック』という感じで。

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左から台湾版『ブラック・ジャック』 1巻、4巻

古徳
ああ、そうそう。あれはイラストレーターがすごいですね。平凡・陳淑芬(ピンファン&チェン・シュウフェン)という、日本でも展覧会やったりするような、すごい有名なイラストレーターで、『ブラック・ジャック』に限らず、あの文庫の本は彼らが表紙を手がけています。あとね、ブラジルで最初に本出したとき、表紙と裏表紙が同じデザインっていうのがありましたね。

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ブラジル版『リボンの騎士』左:表紙 右:裏表紙

どっちが表か分からないじゃないですか(笑)。

古徳
右とじ左とじの問題があって、読み方が違うから、どっちみちひっくり返しちゃうので、同じデザインにしてということだったような......。確か最初のブラジルの出版のときはそんなことがありました。日本人が経営している会社でしたけどね。

今公開されているリストにはまだ反映されていないのですが、数ある翻訳の中でも異色なのは、エスペラント版です。

古徳
エスペラント何十周年のときに出したいという話があって、1冊だけやったんです。手塚は、マンガは国際語=エスペラントだって言っています。言葉がなくても表情を描けば通ずるよっていう。だから、エスペラントで世界に行くっていうのは、それはそれで、本望なんじゃないかな。あれも亡くなってからだと思うけど。

手塚治虫自身の海外交流

手塚治虫自身、非常に国際的な人だったようですね。若い頃から海外の作品を吸収し、作品が海外に紹介され、海外に実際に足を運び、海外の作家と積極的に交流をなさっています。そのいくつかの様子については、『ブラック・ジャック創作秘話』にも描かれています。

古徳
手塚の名が海外で認識されるようになったのはやっぱりアニメが最初です。アニメの国際的なフェアがたくさんあるから、それには結構行ってる。

海外で評価されることについては、意識的だったのでしょうか。

古徳
『鉄腕アトム』のアニメ版は、1963年の後半から、アメリカのNBCでも放映されました。手塚治虫という人は、話す相手によって言うことがころころ変わっちゃう人なんだけど(笑)、『鉄腕アトム』のアニメ版については、自分が当初やろうと思っていたものと違う、小さいかわいいロボットが悪い大きいロボットをやっつけるような単純明快なものになってしまったということで、嫌いだというようなことを言いつつ、『アトム』があったから自分はインターナショナルな人間になれたっていうことも言ってましたね。国際的な仕事ということで言うと、スタンリー・キューブリックの『2001年宇宙の旅』の美術監督に声を掛けられたということもありました。

どういう経緯で断ることになったんですか。

古徳
『鉄腕アトム』のアニメがもう始まってたから。

幸森
1年間、アメリカに来い、みたいな話でしたよね。

古徳
『アトム』の放送が始まってて、スタッフがいるので、1年間も空けられないと。手塚は80人の家族を養わなきゃいけないみたいなことを返事に書いたらしいですよ。映画『ミクロの決死圏』も、手塚の作品からアイディアを取っているという話もあったし、自分の作品が海外でも評価されているってことを意識している部分はあったと思います。

海外から作家さんとの個人的な交流も多くあったそうですね。2009年にメビウス2が来日したときも、かつて手塚さんの自宅だかスタジオだかに招待されたことがあると語っていました。

2Mœbius。1938年フランス生まれのバンド・デシネ作家。本名Jean Giraudジャン・ジロー。1963年からジル名義で『ブルーベリー』という西部劇シリーズを描き人気を博す一方、1970年代半ば以降、メビウス名義でSF作品を描き、世界中のクリエイターに影響を与えた。

古徳
メビウスについては、アニメの『時の支配者』を通じて知ったのかな。うちのアシスタントの背景の指定に、「メビウスの雲」っていうのがあるぐらいですよ。どこかで書かれていたと思うけど、メビウスが手塚から「ご招待しますよ」って言われて、ただの社交辞令だと思っていたら、本当に日本に招待されたって。

当時来日したときの様子は、『スターログ』という雑誌で記事になっていたりしますね。

古徳
後はマウリシオ・デ・ソウザっていう人を知っていますか。ブラジルのディズニーといわれる人で、ちょっと前にブラジルで手塚のキャラを使って本を出して、新聞記事にもなりましたよ。手塚の生前から交流があって、ようやく共作が実現したんです。ご自身の作品では、モニカという有名なキャラクターがいます。海外のブックフェアなんかに行っても、個人のマンガ家でブースを出すのは、うちとマウリシオぐらいなんですよ。

なるほど。当時、相当忙しかったと思いますが、そんな中でも海外の作家さんたちとの交流を大事にし、誰か来日することがあると、わざわざ時間を作って国内を案内したり、自宅に招いたりと、歓待したわけですね。

古徳
そうそう、食事会を開いたり。関西に連れていくことが多かったですね。あと、アニメの関係者が来ると、バスを仕立てて、日本のアニメーション業界の人間に声を掛けて、一緒に旅行とかしてましたよ。そういう国際交流についてはすごく意識的でした。マンガにしろアニメにしろ、インターナショナルな交流が地位の向上につながるという考えで。また、自費でそういうことができたのは、手塚ぐらいだったんじゃないですかね。

手塚プロダクションの国際交流

古徳
手塚が亡くなってから、何年間かは、手塚プロダクション主催で、海外のマンガ家を呼んで、シンポジウムのようなものをやりましたよ。

そうだったんですか。それはすごいですね。

古徳
もうなくなったけれど、八重洲の富士屋ホテルを借りて、かなり大御所を呼んで、通訳はフレデリック・ショットさんにしてもらって。手塚の遺志を継ぐみたいな感じで、3〜4年はそんなこともやったんじゃないかな。

一般のお客さんも聞くことができるものだったんですか。

古徳
いや、向こうのマンガ家と日本のマンガ家の交流会みたいな感じですよ。

個人のプロダクションがそういうことまでしているというのがすばらしいですね。どこかに記録は残っていたりするのでしょうか。

古徳
うちのどこかにあったかな。もしかしたら録音はないかも。参加メンバーとかそんなのは、調べれば出てくると思いますけど。

日本のマンガは日本国内で完結している印象があるので、実はこんな国際交流があったというのはとても貴重な情報だと思います。

古徳
そういった作家との交流とは別に、あるとき、アメリカ人のファンが、うちに来始めるようになったんです。海軍の軍人だったりとかね。当時、サンディエゴのコミコンの縮小版が、アメリカ各地で開催されるようになって。僕らは、ニュージャージーのホテルでやるのに呼ばれて、行きましたよ。そこでブースを出して、いろんなグッズも売ったりしました。向こうは小切手文化で、「小切手でいいか」とか言うので、こっちもよく分からなくて、「いいよ」と言ったら、後で実は不渡り食らってることがわかって(笑)。経理に「これ、お金になりませんよ」って言われたりというのがあったな。何か賞をもらったりしたこともあった。

それはいつ頃なんですか。

古徳
先生が亡くなってからだから、90年代だね。2回ぐらい、そんなのが続いたかな。ホテル丸々借り切っちゃって、アメリカ中からマニアが集まってくるみたいな。

幸森
SF大会みたいな感じですかね。

そういえば、手塚治虫自身もサンディエゴのコミコンに行ったことがあるそうですね。国際交流基金が1980年に日本のマンガだったか、現代文化だったかを紹介するという枠組で、手塚治虫や永井豪さんを始め、10人のマンガ家で行ったと聞いています。実はその後、1982年には、アングレームの国際漫画フェスティバルにも行っているんですよね。

古徳
アングレームは何で行ったんだっけ......。とにかく、サンディエゴに行ったときに、手塚は自分の宣伝のためのチラシを作ったんです。裏に英語で自分の履歴が全部入ってるもの。それをアングレームにも持っていきました。もしかしたら招待じゃなかったかもしれませんね。何か別の予定のついでに寄ったのかもしれない。渡航歴とか全部記録に取ってはあるんで、ちょっと調べればわかるんだけど。

それはぜひ拝見したいですね(笑)。

古徳
実は、僕も1991年にアングレームに行っているんですよ。

1991年というのはアングレーム国際漫画フェスティバルが日本を大々的に特集する予定だった年ですよね。

古徳
そうなんです。ただ、ちょうど湾岸戦争があって、大手はほとんど辞退しちゃって。

作家さんは結局、谷口ジローさんと寺沢武一さんと田中政志さんの3人が行かれたと聞いています。それから当時の『モーニング』の編集長。

古徳
うん。あと呉智英さんとか。そのとき、僕も一緒に行きました。

そのときは、やはり手塚関係で何かをやったんでしょうか。

古徳
そうそう、一応小さいブースか何かを出したんですよ。ものを売ったりはしなかったとは思うけど。

なるほど。案外、そういったことが、後々、フランスで手塚作品が多く翻訳されることにつながっているのかもしれませんね。

手塚プロダクションの海外戦略

手塚プロダクションさんには、明確な海外戦略というものはあるのでしょうか。

古徳
いや、こちらから攻めるっていうことは、会社の体質として、もともとないというか。今は大分違ってるけど、手塚がいたときは、オファーの電話が山ほど来て、それを選択してればよかったわけです。それは僕らが選択するんじゃなくて、手塚が選択して、「この仕事をやります」で済んできちゃってて。電話を待っていれば成立しちゃうような会社だったんで。だから、いまだ、頭下げてお願いしてっていうのが、なかなかできづらい会社ではあるかもしれませんね。

幸森
そうすると、基本的には、翻訳出版したいというようなオファーが向こうから来るわけですね。

古徳
そうですね。ボローニャを始めとするブックフェアに出展することもありますが、基本的には、もともとヨーロッパでライセンスしている出版社と、そこでミーティングをするという感じですね。飛び込みで来る連中が「お話を」っていうこともたまにはありますが。

幸森
特に売り込みに行ってるわけでもないんですね。

古徳
売り込みに行くわけでもない。

ブックフェアは、今でも継続的に出展しているのですか。

古徳
3年ぐらい前からやめています。最初はフランクフルトのブックフェアに行ったのですが、1回だけで、そのとき、「手塚さん、ここよりボローニャのほうがいいよ」って、推薦してくれる人がいたんです。ボローニャは絵本のブックフェアで、マンガも入り始めてたんで、そっちがいいんじゃないのと。フランクフルトは総合的なブックフェアで、今はマンガも盛んだけど、僕が初めて行った十何年前ってまだそれほどでもなかったんです。ボローニャには、結局、十何年通ったかな。

そもそもそういったブックフェアに日本の出版社は出展するものなのでしょうか。

古徳
そんなに多くはないですかね。大きいところは単独で出すこともあるんだけど、共同ブースを借りるんです。絵本の出版社なんかは、自分のところの代理店が棚貸しをするんですよ。例えば、JFCさんっていう、日本著作権輸出センターっていうところが、活字の本のセールスなんかも結構やっていて、そこが全部棚貸しをしていくのね。1冊いくらっていうやり方もあったり、棚何段でいくらっていうやり方もあったり、その出版社の規模に合わせてスペースを販売するんですよ。フランクフルトのときは、僕らもそこにのっかっていったんだけど、その後は、ブースを出すようになったんです。いつも大体決まったところが出ていました。

その後、小学館や集英社がブースを出すのをやめちゃって、僕らもやめた。会場には行くんだけど、ホテルを借りて、ホテルのミーティングルームに出版社を呼んでミーティングするようにして、ブース代がかからないようにしたんです。出版不況もあったし。大体、最低3人ぐらいで行って、ブース代やホテル代や旅費がかかって、ペイなんかするわけないんです。うちらの規模だったら絶対に。そもそも広告宣伝の意味のほうが強いから、そこで飛び込んできて商談で成立してっていうのは、基本的にはないですね。

海外に積極的に売り込んでいくというのも、お金がかかってなかなかたいへんということですよね。そうすると、今後のビジョンというのも......。

古徳
ビジョンというのはね......。国と言語は広げていきたいんだけど、やっぱりアニメが先に入っていかないと。マンガをいきなり出しても、結局、読者を育てていくという作業をしない限り、絶対手に取ってもらえないから。アニメなり何なりでそのタイトルを覚えてもらうとかがない限り、いきなり出版しても、それは無理がある。

うちは、ロシアでも2つ、『罪と罰』と『リボンの騎士』を出してるけれど、やっぱりロシアでは『罪と罰』から入っていくみたいな。何かきっかけになる入り口がないと、どんな名作だって、なかなか手に取ってもらえないからね。

それは作品の質とは関係なくですよね。日本マンガが海外に出ていく上で抱える課題だと思います。

古徳
今、東南アジアもそんなに出てないからね。ベトナムやフィリピン、マレーシアという地域は出てないから。インドネシアも当初だけだし。漢字文化圏はいいんだけど。タイもね、今、あんまりよくないんだよね。

幸森
インドで『巨人の星』を新たに作ることが話題になったりと、インドにはマーケットがあるかもしれないですよね。

古徳
インドにも、英語版のアニメとマンガが入ってるかと思うんだけど、結局、正式言語が十いくつあったりすると......。

幸森
そうですよね。

古徳
あと中国なんかもそうなんだけど、取次網の配本システムが基本的にはなくて結局、マンガというとキヨスクみたいなところで販売されることになって、長く置いてもらえなかったりとか。ヨーロッパもそうなんだけど、なかなか難しいですね。

幸森
日本みたいに、書店にマンガが並んでる国ってあんまりないですよね。

古徳
フランスなんかはね、専門店があったりするけど。

幸森
普通に書店に入っていってマンガがバーッと並んでいる国って、一時期、台湾がそうだったんですけども、やっぱり世界的には少ないですよね。

古徳
マンガというのは、向こうでは大人の文化じゃなくて、やっぱり子どものものっていうのが、どうしても欧米にはあるんじゃないかな。

ここのところ、いろいろと状況が変わりつつあるようでもありますが......。

日本国内での展開

対して、日本国内ではいかがでしょう。今でもさまざまな場所で手塚キャラを見かけます。

古徳
コラボの企画に対しては、積極的に売り込んでいます。それをよしとするかは別として、僕らにしてみれば、手塚のキャラクターの本流をしっかりやってくれて、その枝葉でコラボをしてもらえれば、一番美しい姿だと思っています。うちの場合は作品数が多いから、何周年って冠が付くのが毎年のようにあるのね(笑)。

今はバスケットのbjリーグと、バレーボールの火の鳥ニッポンと、あと新日本プロレスと、読売巨人軍と、あと埼玉西武ライオンズ......。西武はもともとやってたんだけど。bjリーグはブラック・ジャックに引っ掛けて、こちらから電話して「コラボしませんか」とアイディアを提供してコラボが成立しています。そういうコラボは、結構こっちから声掛けをしていますね。

ちなみに、『ブラック・ジャック創作秘話』はどちらですか。

古徳
それは編集部からですね。

幸森
でも、いまだに手塚プロって、「いろいろ提案したいんだけど、ハードル高そう」みたいなイメージがありますよね。本当は全然違うんだけど。

古徳
勘違いしてる人たちは多いかもしれませんね。

幸森
多いですよね。だから、そういうプロモーションって結構効くんじゃないかなっていう気がしますけどね。

なるほど。ただ、やっぱり海外だとこういうことは......。

古徳
海外はないね。ハリウッドだなんだって、いろいろ話はあるけど、向こうは形になるまでがなかなか難しいですよ。

海外の手塚治虫研究

もう一度手塚マンガのほうに話を戻して、どうでしょう、海外における受容で、ここ最近変わってきたところはありますでしょうか。

古徳
今は研究者が世界中に結構いますよね。だから論文なんかで、カット貸してほしいとか、そういう要請が結構増えています。海外では論文を少ない部数でも書籍にするという文化があるんですね。手塚の研究書も何冊か出ています。

例えば、Osamu Tezuka : dissection d un mythe(『手塚治虫―神話の分析』)っていう、フランスのエディション・アッシュというところから2009年に出た論文集があるんですが、巻末に『品川心中』の翻訳が入っていたります。これはさすがに使用料が払われているのでしょうか。

古徳
これはちゃんと許諾してますね。

なるほど。いずれにせよ、まだ翻訳されていないものを、こういうふうにきちんと著作使用料版権料を払って、研究書の中で翻訳するというのは立派ですよね。

古徳
『手塚治虫の芸術』という本が出たばかりだけど、それはご存じですか。ゆまに書房というところから出た翻訳書で、もとはヘレン・マッカーシーさんという女性がイギリスで出版した本です。値段は結構高いんですが、オールカラーで図版が豊富に入った本です。フランスとドイツなんかでも翻訳が出たんじゃないかな。原書版は特典として『創作の秘密』3のDVDが付いていました。

32008年にNHKで放送されたNHKスペシャル『手塚治虫・創作の秘密』。DVD化されている。

手塚リストについて

「手塚治虫・海外出版作品リスト」では今年、倉庫に保管されていた本を新たに調べていますが、事前にいただいた資料に含まれていないもの、例えば、中国やイギリスのものなども出てきました。それらを踏まえて、来年はさらに精査したリストが出てくる予定です。

古徳
イギリスなんかは、アメリカの出版社がサブライセンスをやっているものが、きちんと反映されていなかったかもしれませんね。いずれにせよ、そういうものを含めると、いいデータになるとは思います。

あらためてこうやってリストにしてみると、これだけ膨大な翻訳があったのかっていう驚きがありますよね。

古徳
うん、すごいよね。

日本の作家さんでこれだけ海外版が出てるっていう人は、もしかしたらいないかもしれないですよね。

幸森
いないかもしれないね。

古徳
だって手塚が残した作品数が違うもん。やっぱり質と量がそろって天才っていうのかな。片一方だけでは駄目なんですよ。

幸森
日本のマンガ作品が海外で評価されているとの報道から、実態について調査をはじめたわけですが、このリストから手塚作品がかなり早い時期に海外に許諾され、今ではいろんな国に広がっていることがわかりました。マンガ家さんのプロダクション単位や出版社単位ではどんな作品がどこの国で出版されたかをある程度知っていたのかもしれませんけれども、これほどまでのデータが公開されたことの意味は大きいと思います。翻訳マンガ作品を研究するうえでの、第一歩になればと思います。

本日はどうもありがとうございました。