フランス・アングレームで毎年1月に開催される「アングレーム国際マンガ・フェスティバル」創設者のひとり、フランシス・グルー(Francis Groux)氏の回想録が出版された。

『記憶の片隅』(Au Coin de ma Mémoire, P.L.G, 2011)と題された本書は、当時の写真とイラストが豊富に載せられ、スタート時のフェスティバルの雰囲気を知る貴重な資料となっている。

アングレーム国際マンガ・フェスティバルは1974年に第1回目がひらかれており、まもなく開幕する2012年度で39回目をむかえる。パリから南西へTGVで約2時間半のところにあるアングレームは、普段はとても静かな田舎町だ。

フェスティバルは町全体を使って4日間にわたって繰り広げられる。1日チケットが14ユーロ、4日間通しのチケットが30ユーロ(ともに大人料金)。例年、約20万人がフェスティバルに参加するという。

アングレームのグルー氏とジャン・マルディキアン(Jean Mardikian)氏、そしてパリのクロード・モリテルニ(Claude Moliterni)氏の3人が中心となってフェスティバルは始められた。当時、グルー氏とマルディキアン氏は市の文化事業に関わっており、モリテルニ氏はパリでSOCERLIDというマンガ愛好家/研究家の団体を率い、ルーブルの装飾美術館でマンガの展覧会(1967年)をひらくなど精力的に活動していた。

1973年の秋、モリテルニ氏の手引きで、イタリアのルッカでひらかれていたルッカ国際マンガ・サロンを訪れたグルー氏とマルディキアン氏は、アングレームでもおなじイベントをおこなう許可をとりつける。そしてその約2ヶ月後に実現したのがアングレーム国際マンガ・フェスティバル(当時の名称はアングレーム国際マンガ・サロン)だった。第1回目のポスターに使われたのは、イタリア人マンガ家ユーゴ・プラット氏のイラスト。初年度の参加者は約1万人だったという。

本書にはいくつもの興味深いエピソードが綴られている。たとえば、第1回目のフェスティバルで、14歳の少年がポルノグラフィックなシーンがふくまれたファンジン(同人誌)を購入した。そのファンジンを見ておどろいた父親はすぐさま警察に通報し、主催者は警官から注意を受ける。こういった事件にまだ慣れていなかったグルー氏は、販売していたスタンド(ブース)に頼んでそのファンジンを引っ込めてもらったが、やがて他のファンジン・スタンドや商業出版社のスタンドは連帯と抗議の姿勢をあらわして、スタンドを閉めてしまう。ようやくひらいたフェスティバルは、はやばやと中止に追い込まれそうになったのだ。その時、こういった問題に詳しい知り合いのジャーナリストが警察に詳しい説明を求めると、警察は主催者に知らせただけであり、販売を禁止したのはあくまで主催者だと言う。この回答にはじめて警察の「やり口」を知ったグルー氏は、怒りをすこしおぼえながらふたたびファンジンの販売を許可し、ひとまず騒ぎはおさまったという。

そのほかにも、政治的に左か右が、あるいは極右かという違いが、運営自体やスタンドの許可と深く関わるさまなどは、いかにもフランスらしいし、アングレームのフェスティバルに「反乱」をおこし、多くのスタッフを引き連れグルノーブルでフェスティバルをおこなったピエール・パスカル氏についての詳しい記述など、興味はつきない。

アングレームがお手本にしたルッカが始まったのは1965年。アメリカ・サンディエゴのコミコンは1970年に始まっている(東海岸でひらかれていたコンベンションも忘れるべきではないだろう)。そして日本の漫画大会は1972年にひらかれ、その運営方針への反発から生まれたコミックマーケットは1975年に始まった。各国のマンガをめぐる状況を比較して考えるためにも必読の書と言える。

『記憶の片隅』(Francis Groux, Au Coin de ma Mémoire, P.L.G, 2011)[PDF]

http://plg-editions.com/wp-content/uploads/2011/09/au-coin-de-ma-memoire_Francis-Groux.pdf