パフォーマンスとデジタルアートを中心に展示を行うロンドンのギャラリー兼スタジオであるアルカディア・ミサ(Arcadia Missa)で「(ネットワーク化された)すべてのささやきは私の耳ですさまじい音をたてる」という複数の展覧会や刊行物から構成されるプログラムが企画され、そのトップバッターとして2013年6月28日からアマリア・ウルマン(Amalia Ulman)氏の「ETHIRA」が開催されている。ウルマン氏は1989年にアルゼンチンのブエノスアイレスに生まれ、現在はロンドンとスペインのヒホンで活動しているアーティストで、社会の階級格差が人々の社会的インタラクションや感情にどのような影響を与えているのかをテーマにして作品を制作している。今回は「ETHIRA」というiOSアプリを中心にした展示を行っている。
「ETHIRA」はツイッターのように140文字以内のメッセージが投稿できるアプリであるが、投稿のためのユーザー名、アカウントは必要がなく、さらにメッセージがアーカイブされることもなく、App Store には「『ETHIRA』は匿名性の自由とともにあなたにあなた自身の表現をさせる」と記されている。このアプリでできることはメッセージの投稿のみである。投稿されたメッセージは投稿者の眼の前のディスプレイに数秒間表示され、そして消えていく。メッセージが誰かに届いたとしても、そこにあるのはそのテキストと付加された地理情報しかなく、それもすぐに消えてしまう。「ETHIRA」では最初から最後まで徹底的に匿名であるがゆえに、メッセージを自由に入力・投稿できるのである。
ソーシャルメディアとともにある日常では、「(ネットワーク化された)すべてのささやきは私の耳ですさまじい音をたてる」ように「140文字の言葉」や「ひとつのクリック」といった微小な行為とその情報が社会的に大きな衝撃をもたらすことになった。それは現在のネット上のコミュニケーションの前提となっている情報の属人性と拡散性、及びその記録がいつまでも残ることに起因している。
これらの前提ゆえに、ツイッター やフェイスブックといったソーシャルメディアに投稿する際、私たちは「リプライ」や「リツイート」、「いいね!」といったリアクションをどこかで期待している。しかし、私たちはネット上の情報伝達の前提を問い始めている。受信したメッセージや画像を一度しか見ることができないフェイスブックの iOSアプリ Poke が注目を集めていることはその一例である。Poke では「一度しか見れない」という制約によって情報の記録性と拡散性という前提を崩しつつも、属人性を残すことで「メッセージ送信者への返信」というリアクションが生じる設計になっており、このことが新しい情報伝達の感覚を生み出しつつある。
だが、ウルマン氏の「ETHIRA」はこれらの前提すべてをなくして、リアクションが生じる余地を完全に排除してデザインされている。このように考えると「ETHIRA」が私たちに問いかけているのは、匿名性ゆえに自由に情報発信を行えるということではなく、リアクションが生じないところ、つまり社会的インタラクションが全く起こらないところに情報を発するということであり、そのような無反応状態でも私たちがメッセージを発し続けられるか否かなのではないかという気がしてくるのである。
ETHIRA