「メディア芸術連携促進事業 連携共同事業」とは
マンガ、アニメーション、ゲームおよびメディアアートに渡るメディア芸術分野において必要とされる連携共同事業等(新領域創出、調査研究等)について、分野・領域を横断した産・学・館(官)の連携・協力により実施することで、恒常的にメディア芸術分野の文化資源の運用・展開を図ることを目的として、平成27年度から開始された事業です。
*平成28年11月8日、中間報告会が国立新美術館にて行われました。
*平成29年2月26日、最終報告会が京都国際マンガミュージアムにて行われました。
*平成28年度の実施報告書はページ末のリンクよりご覧いただけます。
本事業は日本のゲーム産業とそのイノベーションがいかにして生まれたのかを記録・研究するため、産業の草創期に活躍した人物のオーラル・ヒストリーの収集(=聞き取り調査)によって基礎資料を作成することを目的とした事業です。具体的な作業としては1970年代以降のゲームコンテンツ及びゲームビジネスに携わった人々を念頭に、分野横断的に調査対象を設定すると共に、3年間に渡る事業の一年目として、聞き取り調査の雛形となるフォーマットの確立を計画しています。
●中間報告会レポート
報告者 一橋大学 清水 洋氏
本事業の目的は、日本のゲームビジネスの草創期に活躍した人物を対象とするオーラル・ヒストリーの収集である。登壇した一橋大学の清水洋准教授によると、既存の商業メディアにおいては、一般にクリエイターと称されるゲームの開発者インタビュー記事の類がこれまでに数多く掲載されているが、横断的なものとはなっておらず、取り組みが散発的で発言記録も散在しているのが現状という。
よって、日本のコンピュータゲーム、およびビジネスの草創期を理解するためには、体系的な聞き取り調査を行ったうえで、これを記録する必要があるのではないかとのこと。そこで、ゲームおよびゲームビジネスの生成、確立に携わった人々の意図や行為にフォーカスし、「どのようなプロセスが、ゲーム分野において積み重なった結果、後にグローバルな巨大ビジネスへと成長したのか?」という問いに答えるための、基礎資料の作成を進めることこそが、本事業の目指すものであるとしている。
なお、本事業は一橋大学のほか立命館大学、筑波大学との共同事業によって進められている。また、僭越ながら筆者も研究アシスタントという形で、ゲームメーカーでの勤務経験や日々のゲームメディアでの仕事で得た経験をフィードバックする形で協力をさせていただいている。
オーラル・ヒストリーの収集にあたっては、まずは1970年代以降のゲームコンテンツ、およびビジネスに携わった人から証言を得ることを念頭に置いた。そこで、インタビュー対象者を大手ゲームメーカーの株式会社タイトー、任天堂株式会社の2社で草創期から活躍している人物を、それぞれ1名ずつを核に据え、その生い立ちから掘り下げる形で、数回に分けて聞き取り調査を行うこととした。
1回あたりのインタビュー時間は、対象者の集中力や時間的な拘束等の制限を考慮し、2時間から4時間程度を想定したうえで、合計40〜50時間分のインタビューの実施をする計画と定めた。現時点では、インタビューは5回分、10時間弱の実施を終えている。また、今後は調査を進めているうちに、話題に上がった別の人物などを中心とした、いわゆるインタビュー対象者のスノーボール・サンプリングを計画している。さらに、複数の産業界の有識者を招いき、証言を集めるための座談会の実施も予定しているとのことだった。
上記のような調査を経て得られた証言は、テープ起こしを経てワーキングペーパーにまとめて公開へとつなげることで、分野横断的なオーラル・ヒストリーの方法論の確立を目指すとしている。ただし、収集したオーラル・ヒストリーの公開は今年度中ではなく、次年度以降に広く公開するためのパイロットを行う予定である。今後、本年度中はその実現に向けた準備、議論を参加メンバーのほか、webサイト構築も専門家を加えたうえで行う計画であるとの報告がなされた。
また、オーラル・ヒストリーの方法論として、本事業がモデルとしているのは、IEEE(The Institute of Electrical and Electronics Engineers)のオーラル・ヒストリー収集事業(http://ethw.org/Oral-History:List_of_all_Oral_Histories)であるとのこと。ただし、上記は電気・電子の領域に関するものであり、本事業が目指すような領域横断的なものにはなっていない。対象者は、ゲームビジネスの生成に関与した人物という共通点こそあるが、そこで担った役割は非常に多岐にわたると思われるため、既存の画一的な方法論を導入することは難しいという。
そこで、今後は本事業の参加メンバーと議論を重ねつつ、既存の方法論をまとめたうえで新しい方法論を生み出していく必要があるとのこと。そして最終的には、成果物として以下の3点を完成させることであるとしている。
1: インタビューをワーキングペーパーとしてまとめたもの
2: オーラル・ヒストリーの方法論についてのワーキングペーパー
3: 公開についてのあり方の提案書
質疑応答では、「日本ゲーム産業においては、海外とはクリエイティビリティを産業化していく事情が違うと思われるが、この違いをどうやって整理し、どう聞いていくのか?」との質問がまず挙がった。
これに対して清水氏は、「IEEEの場合は、本事業とは違ったクリエイティビリティでやっていると思うが、我々としても実際にゲームを作り上げた人が、どこにクリエイティビティがあったのかを聞き出すのが重要だと考えており、一番の関心事であるので当然ながら聞いている。ただし、それだけではなくて、ビジネスとして成立させるにあたりどう工夫したのか、あるいは何か削がれたのかを聞いていくことも大事であると考えている。」と回答した。
「対象者の選定が大変重要になると思うが、今回のところは2人だけに絞って聞き取り調査をしているが、他に誰の調査を予定しているのか? また、今のやり方で分野横断的につながるのか?」との質問には、「今年度に関しては、2人に絞り込んで徹底的に聞き取り調査を進める方針である。調査中は、他にどんな人が重要だったかも合わせて聞き出し、後日その人たちを招いた上での座談会の実施も予定している。もし来年度以降も実施できるのであれば、これを機にどんな営業担当者や業者が重要であったかなどがわかるようになり、横に広がるのではないかと考えている。」との説明があった。
●最終報告会レポート
報告者 一橋大学 生稲 史彦氏
本事業の目的は、日本のゲームビジネスの黎明期に活躍した人物を通じたオーラル・ヒストリーの収集である。登壇した、本事業の協力者の1人である筑波大学の生稲史彦准教授によると、オーラル・ヒストリーの収集がなぜ大事であるかの理由として、「ゲームは『メディア芸術連携促進事業 連携共同事業』の対象分野の中では最後に出てきたメディア芸術であり、さまざまなところから影響を受けている。しかし、それがどうやってできたのか、日本から世界に広がった文化はどのように広がったのか、記録が十分にできているとは言えない。歴史をきちんと調べて保存することは、我々研究者にとってもチャンスである。」ことを挙げた。
そのうえで、「産業の成り立ちをきちんと残し、後世の人たちが『当時はこんな人がいたから、こんなビジネスやゲームが作られたのだ。』などとわかるような根本史料が現状はあまり存在しない。二次資料から補う形での研究することはできるが、本当に当事者の肉声で残しておくことは、実はできそうでできない新しいプロジェクトである。制作秘話などの記録は、有名作品ばかりに偏っているのが現状なので、そこを打破したい。作品だけでなく、流通や広告、研究、批評などの声を残すことによって、1960〜70年代の歴史をパッケージにしたようなコンテンツを残していきたい。」と、本事業を通じたオーラル・ヒストリー収集の必要性を説明した。
また、「ゲーム産業の黎明期に活躍した人物で、残念ながらすでに鬼籍に入られている人もいる。今のうちにやらなければ、後からではもう絶対にできない事業になりつつある。」(生稲氏)という危機的な状況にあるとの見解も示した。
オーラル・ヒストリーの聞き取り調査を実施したのは、元任天堂株式会社の開発部長で、現在は立命館大学の特任教授を務める上村雅之氏、株式会社タイトー顧問の西角友宏氏、元ナムコのゲーム開発者で、現在は東京工芸大学教授の岩谷徹氏の3名で、3名分の聞き取り調査を合計11回、およそ37時間にわたり実施した。このほかにも、上村、西角氏と元任天堂の波多野信治氏、元タイトーの仲昭雄氏の4名を招いたうえでの座談会も実施し、開発者だった上村、西角両氏に加え、営業職だった波多野、仲両氏による営業や販売、流通の視点も加えた、オーラル・ヒストリーの収集を行った。
聞き取り調査を行った主な成果として、生稲氏は「ゲーム産業が興る過程において、ゲームメーカー以外にも大手電機メーカーが大きく関与し、アメリカの影響をかなり受けていたことがわかった。また、高度成長から余暇の時代へ、メカからエレクトロニクス、コンピューターの時代へと移行する、当時の日本の社会背景がゲーム産業においても起きていたこともわかった。」ことであると述べた。
公開にあたっては、「IEEEのオーラル・ヒストリーのように、広くwebで公開して研究や構成の作り手の参考になるものを作りたい。オーラル・ヒストリーの方法論は、行政・政治の分野では蓄積があるが、それに比肩しうる、イノベーション研究に役立つような方法論の確立を目指し、検討も行った。IEEEのような形で、閲覧性や検索可能性を高めるため、分類項目を適宜付加して研究資料として活用できるようにし、また文化庁メディア芸術データベースとの連携も重視したい。ゲーム以外にもマンガ、アニメ、音楽など、さまざまな分野につながるようなものにしたい。」と、今後の目標と併せて説明した。
質疑応答の際には、企画委員から「『スペースインベーダー』のように、40年も前の昔の話になると記憶があいまいなところが多々あり、非常に伝説的なゲームなので、幾度も幾度も面白おかしくその開発秘話を語る過程で、こう言っては何ですが記憶が改ざんされている可能性すら見る必要があるような気がする。」との指摘があった。
これに対し生稲氏は、「タイトーなりパシフィック工業(※筆者注:タイトーの関連会社)なり、あるいは任天堂なりでの活動については、かなりクリアな情報を、時系列で取っても年単位とか、月単位でお話しくださったという意味では、とても恵まれたインタビューになった。ただし、幾度も話すことによって、ある種の話が懐古的にまとめられている可能性はなきにしもあらずであり、そういう意味でも座談会なり、あるいは複数の方へのインタビューでそれを補い、あるいは後世の人が研究資料として読むときに、それらを組み合わせて使うことで、単なるヒーローストーリーではない、チームや会社の中でのという話で、バイアスを取り除いていくような読み方をされるような、そういう意味での資料になればいいかなと思っています。」と回答した。
「オーラル・ヒストリーについて、ゲームに関して言うとエレクトロニクス分野ということになると思うが、国立科学博物館の産業資料情報センターでは結構やっているが、ゲームはやっていないと思う。実は、かなり断片的なものもあって、オーラル・ヒストリーがあまり素晴らしいものだと考えてしまうと、正確性という話だけではなくて、ちょっと言い方は悪いが落とし穴があるのでは。」との指摘には、「我々は研究者であり、逆に研究ではないオーラル・ヒストリー、二次資料に対する欲求が強い。また、もしここでうまくできれば、産業の始まりをきちんと記録として残した国あるいは分野ということで、違うオーラル・ヒストリーの可能性が見せられたらいいなという、研究者としての野心はある。きちんとやって期待以上の成果を上げたいと思っている。」(生稲氏)と答えた。
今後の課題としては、聞き取り調査の記録をまとめたワーキングペーパーのwebサイトを通じた公開であるとのこと。今年度は、公開のためのパイロットとしてサイトの構築・デザインのみ実施しており、また公開の実現には時間やコスト、手間がかかるのが一番の問題であるとのこと。生稲氏は、「メーカーとは機密保持契約を超えて公開できるようなものを目指したい。」と述べた。
なお、webサイトでの公開は来年度以降、2017年中の予定としている。