2014年1月26日、平成25年度文化庁メディア芸術情報拠点・コンソーシアム構築事業の一環として、「<連続シンポジウム>マンガのアルケオロジー2:マンガ研究とアーカイブ」が開催された。このシンポジウムは、2013年10月12日に学習院で開催された「マンガのアルケオロジー:視覚的な物語文化の系譜」(このシンポジウムについてはここにレポートが掲載されている)の第2回として位置づけられており、前回がマンガの歴史を再考するため、歴史の射程を時間的および地理的に広げることを目指すものであったのに対し、今回はそのような研究をするために必要不可欠な施設、つまりアーカイブに焦点を合わせたものであった。

近年、いくつかのマンガに特化したアーカイブ施設が新たに設置されてきたが、入手可能性と場所の物理的な制約があり、あらゆるマンガを収蔵することはほぼ不可能である。また、そもそも、どこまでをマンガに関するものとするかが問題となってくるだろう。第1回目のシンポジウムで取り上げられたマンガ史研究は、取捨選択という決断と密接に関わってくるものであり、これからのアーカイブを考えるうえで欠かすことのできないテーマだ。つまり第1回目と第2回目のテーマは、相互に依存し循環する問題であった。

このような問題意識のうえで開かれた今回のシンポジウムについて、以下簡単にではあるが、レポートをお届けする。

マンガ史研究の二段ロケット

まず始めに、今回の主催者である文化庁から文化部芸術文化課支援推進室長の石垣鉄也氏が開会の辞を述べ、各地のマンガ関連施設が所蔵する資料を一元的に把握するためのデータベースを現在構築中であり、今後のさらなる施設間連携を深めるため、今回の議論を参考にしたいという主旨の発言があった。

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第1回目に引き続き、シンポジウム冒頭の講演を行った夏目房之介氏。

続いて学習院大学大学院人文科学研究科身体表象文化学専攻教授の夏目房之介氏が、自身が大学時代に歴史学を学んでいたことをふまえ、マンガにおける歴史研究の重要性と難しさについての指摘を行った。これまでの日本のマンガ研究は、まるで二段ロケットのように戦前と戦後を一旦切り離し、戦後だけに注目することで発展してきた。しかしながら今、自らの世代が作りあげてきたマンガ史観をより広い視野から再検討するため、これまで一旦脇においてきた戦前のマンガについて研究する必要性を強く感じている。その際に問題となるのは、実際に経験していない世代が戦前のマンガについて書かれたもの、そして戦前マンガそのものを再検討するために何が必要になるのかということだ。それは資料、つまりアーカイブに他ならない。歴史学において、集められた資料の上に自分で何かを作り上げていくことは当然とされる。マンガ史の研究においてもそれは同様なのだが、実のところ、資料自体はすでにいろいろなところに分散して所蔵されている。ただしそれらをインデックス化し、検索・参照可能な状態にしておく必要がある。一番の問題は、そのための人手が足りないということだ。

現在主流をなしているマンガ史観を作りあげてきた世代のひとりとして、これまでのマンガ研究を客観的に振り返りつつこれからのマンガ研究がとるべき道を示した、真摯な問題提起であった。

 


マンガ300年構想

これに引き続き、京都国際マンガミュージアム顧問で日本仏学史学会会長でもある清水勲氏による講演が行われた。清水氏は数多くのマンガに関する著作を発表し、しかも日本におけるマンガ・アーカイブの形成に大きな貢献を果たしてきた人物である。とりわけ、川崎市市民ミュージアムと京都国際マンガミュージアムのコレクション形成には多大な影響をおよぼしてきた。しかしながら、その興味・対象は戦前からのマンガ研究の流れを受け継ぐもので、現在主流となっているマンガ史観とはいささか異なる。図式的に言ってしまえば、それは、「かつて」主流だったマンガ史観を色濃く引き継ぐものである。そのようなマンガ史観をいかにして抱くようになり、そして発展させていったか。また実際にどのようにしてアーカイブを形成してきたかについて述べた貴重な証言であった。

明治時代に来日し、居留フランス人向けのマンガ雑誌「トバエ」を発行したマンガ家ジョルジュ・ビゴー、そしてマンガ史家であり自身マンガ家でもあった須山計一、このふたりから自分のマンガ研究は始まっている、と清水氏は述べる。ビゴーと同時代のマンガ、つまり近代マンガを調べるなかで実際の資料を集めていくことになった。それは須山の歴史記述において十分に触れられていなかった時代でもあった。

ビゴーについての著作を発表した後に専門のマンガ研究家となったころ、川崎市がミュージアムを立ち上げるという話があり、その準備室に加わった。資金が比較的潤沢にあったので、「マンガ300年構想」のもとで、江戸から現代までの資料を集めた。「300年」というのは1720年に大阪で出版された鳥羽絵本から現代のマンガまでを含んだ時代区分である。

この時代区分を設定したのにはいくつか理由がある。ひとつには、鳥羽絵本が初めて商品として量産されたマンガであるということ。また近代は近代だけとか、現代は現代だけで論を展開すると説得性の面で弱くなるため。そして、200年、300年というマンガの歴史がある国との比較研究をするためには、どうしても300年というレンジを取って研究しなければならない。この成果として「日本の漫画300年」という展示も開いている(図録へのリンク)。

その他に、神奈川に関するマンガ資料、特にビゴーやワーグマンに関するものも収集した。ワーグマンの「ジャパン・パンチ」や、彼が最も学んだイギリスのマンガ雑誌「パンチ」などはほとんど揃っている。有名なマンガ史研究家の資料も川崎は受け継いでいる。須山計一コレクション、松山文雄コレクション、片寄みつぐコレクションなどを遺族から入手した。須山コレクションは大正・昭和のマンガ雑誌、松山コレクションは中国関係、片寄コレクションは、中国、ソ連、東欧など、社会主義国関係の資料に特色がある。また江戸期の資料も学芸員である湯本豪一氏が中心になって集めた。

川崎市には清水氏自身が集めた資料の譲渡ももちかけられたが、この時はまだコレクションが完成していなかったので断っている。後にこの資料は京都国際漫画ミュージアムに所蔵されることになった。ただし、ビゴーのコレクションは外してある。京都のコレクションは、赤本マンガなど特に戦後の昭和20年代が充実している。

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基調講演を行う清水勲氏。

 

清水氏の講演で何度か繰り返し指摘されたのは、研究者が自分自身のマンガ史観を広げることの重要性であった。それは、出発点となるマンガ史観が異なる以上、結果として得られるものが一致するとは限らないにせよ、夏目氏が目指すものと少なくともその方向性において共通している姿勢であったと言えるだろう。


マンガ・アーカイブの抱える問題と可能性

ついで、近年開かれたマンガ専門のアーカイブである京都国際マンガミュージアム、明治大学米沢嘉博記念図書館・現代マンガ図書館、北九州市漫画ミュージアムが、それぞれ約15分で現状報告のプレゼンテーションを行った。また、川崎市市民ミュージアムについても、司会の佐々木果氏からの簡単な報告があった。その後休憩をはさみ、報告者同士による討議も行われた。その内容は多岐にわたったが、いくつか印象深いものを記しておく。

京都精華大学教授の吉村和真氏からは、京都国際マンガミュージアムはアーカイブ自体を目的としているのではなく、あくまでそのアーカイブによって何ができるのかということに重点を置いているという主旨の発言があった。これは京都国際マンガミュージアムが京都精華大学と京都市との協同事業であるがゆえに求められた視点でもある。また、コレクションについては年間約1万点の寄贈があり、重複するものについては国内外の施設への再寄贈を行っている。この方式によって集められたコレクションは、もちろん体系性という観点からは問題をはらむものであるが、それ以前に現実問題としてこの目の前に積まれた資料を整理することが要求されている。その際にやはり重要となるのは人手の確保であり、人件費の問題だ。また、近年廃刊となった「漫画サンデー」のバックナンバーを出版社から受け継いだ。このケースのように資料を維持しきれない出版社や個人のコレクターに対する受け皿としても機能している。

明治大学准教授の宮本大人氏は、すでにオープンしている米沢嘉博記念図書館と現代マンガ図書館、そして現在計画中の東京国際マンガミュージアムについての簡単な報告を行い、現状では大規模な大学による運営が継続性において高い保障があると指摘する。それは大学、特に私立だと学内の了承さえ得られればよいからであり、一般の市民全体を説得するよりも容易な側面があるからだ。ただし、学内においてもマンガのアーカイブが存在して当然という人もいれば、なぜそんなものが必要なのかという人もいる。最近の大阪府立国際児童文学館の統廃合問題なども考えると、やはりマンガのアーカイブが必要であると主張するためのロジックを確立しなければいけない。

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各館の現状報告を行う登壇者たち。左手前から、佐々木果氏、吉村和真氏、宮本大人氏、表智之氏。

北九州市漫画ミュージアム専門研究員の表智之氏は、京都が大学と市の協同運営、東京が大学による単独運営であるのに対し、北九州市は市の直営であるという違いがあることをまず述べた。そのため、施設が担う役割としては地域の活性化、集客がまず初めに挙げられる。また、北九州市漫画ミュージアムの特徴のひとつとして、マンガ全般でもなく、また作家個人でもなく、地域出身のマンガ家あるいは地域というものを大きく取り上げている点がある。また、公営の施設として、ゾーニングの問題にも気を配る必要がある。この問題に関しては性的な表現だけでなく、暴力表現や反社会的勢力に関する表現についても考慮に入れなければならない。さらに、地域出身のマンガ家の原画も収集しているが、その収蔵能力には限界があり、なんらかのコンセプチュアルな視点が要求されるだろう。その際には、北九州という地域のみに注目するのではなく、その一地域から日本全体を見渡すことを視野に入れるべきではないか。現在では東京に一極集中してしまっているが、本来は文化の発信地も含めて日本全国に多極的な文化が存在し、つまりは多極的な日本の歴史というのがあったはずである。地域というテーマは、そのような視点をもたらす可能性を孕んでいるはずだ。

次世代へ送り届ける責任と恐さ

最後に行われた聴衆からの質疑応答でも、電子化の問題、マンガ・アーカイブ施設間や国会図書館との連携構築、研究のためだけでなく民間での活用可能性など、様々な論点が挙げられていたが、なかでも印象的だったのは、このような問題が実際に討議されること自体、以前からすると夢のような出来事であるという指摘であった。それは、以前よりもマンガ研究、あるいはマンガ自体の社会的な認知が進んだということを意味する。ただし、このような現状がいつまでも続くとは限らない。今どのようなアクションを起こすか、それは後々まで大きく響いてくることだろう。

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聴衆からの質疑応答に答える各氏。聴衆からも熱意のこもった意見がいくつも提出された。

 

そもそも宮本氏が延べていたマンガ・アーカイブを擁護するロジックとは結局のところマンガ研究を擁護するロジックに他ならない。そしてそのロジックはアーカイブ、あるいはミュージアム・図書館という社会的な制度装置の設置と両輪の関係にある。つまり両者は円環する問題なのだ。この意味で、吉村氏が述べていた、伝統というのは昔からあるんじゃなくて今つくられていく、そしてそこには責任と怖さがつきまとう、という現場からの言葉は重みがあった。これまで様々なアーカイブから恩恵を受けてきた世代が、これからマンガ分野だけでなく他分野も含めた次世代の研究者たちへいかにマンガ関連資料を残していくか、それが今まさに問題とされているのかもしれない。