本書は、著者自身によるまとめに従うならば、3つのマンガについて書かれた本である。「手塚治虫のマンガ」「少女マンガ」「マンガ」、という3つである。どういうことか。

「手塚治虫」は言わずと知れた日本マンガを象徴するイコン、「神様」だ。その存在は様々に語られ、「手塚」と対峙することによってこの国のマンガ言説は形づくられてきた、と言っても過言ではないだろう。だが、そのように「手塚」と向きあうことで「発見」された「マンガ」を規範とし、その基準から外れたものを排除するような構造もまた、近年問題になってきている。

例えば、日本のマンガを手塚以前に遡ろうとする際、いわば「手塚らしさ」が感じられる作品が特に選ばれ、それ以外の作品はあまり顧みられない傾向がある。いわゆる「手塚史観」である。

また、新たな規範を提示するかのような手塚以降の作品に関して、その源泉を手塚作品の中に遡及的に発見する、これも「手塚史観」のひとつと言えるだろう。

さらに言えば、著者が述べるように、「手塚史観」、あるいは「手塚起源論」は、手塚自身の作品を論ずる際にも影を落としてきた。手塚作品の研究が取り扱ってきたのは、実は「手塚治虫のマンガ」そのものではなく、規範として機能するものとしての「マンガ」、つまり手塚治虫の「マンガ」、ではなかったか。

「手塚治虫」ではなく、手塚治虫の「マンガ」でもなく、「手塚治虫のマンガ」を語ること、それが本書の目的のひとつだ。そしてそのために選ばれたのが、「手塚治虫のマンガ」としての「少女マンガ作品群」である。

ところが、「手塚治虫の少女マンガ」について語ることは、「手塚治虫のマンガ」について語るよりもさらに難しい。なぜならば、「手塚治虫の少女マンガ」について語ることは、すでにして上記の「手塚治虫のマンガ」についての問題を内包していることに加え、もうひとつ別の起源論、「少女マンガ起源論」を避けて通ることができないからだ。

萩尾望都、大島弓子、竹宮惠子など昭和24年前後に生まれた団塊の世代の女性作家たちが「(花の)24年組」と呼ばれ、1970年代に「少女マンガ」を刷新したことはよく知られる。ところがこの「少女マンガ」の原点であり到達点とされる「24年組」に誰が含まれるのか、実際のところはっきりとしない。

この「少女マンガ起源論」、あるいは「24年組中心史観」も以前から問題になっているテーマだ。最近出版されたものとして、可児洋介「『24年組』をめぐる二つの運動体-増山法恵の『大泉サロン』と迷宮の『マニア運動体』-」(『マンガ研究』vol.19、2013年所収)と、杉本章吾『岡崎京子論:少女マンガ・都市・メディア』(新曜社、2012年)を挙げておこう。

このように、「少女マンガ起源論」はそれだけでも複雑なのだが、ここに「手塚起源論」がしばしば接続されるため、「少女マンガ」の起源は二重化されることになる。

つまり一方では、手塚治虫の『リボンの騎士』が「少女マンガ」の起源のさらなる起源として祭り上げられ、このとき「24年組」は「起源」というよりもむしろ「到達点」と呼ばれることになるだろう。しかしながら、ここであくまで起点となっているのは「24年組」のほうであり、しばしば両者をつなぐものとして言及される「性別越境」というモチーフもあくまで遡及的に発見されるものだ。ところが、遡及的に発見される先が手塚でなければならない、という点でこれも「手塚起源論」の枠内にあるとも言える。この観点(著者の用語によれば「マンガ観」)において、1950年代、1960年代の「少女マンガ」も「手塚治虫の少女マンガ」同様、「少女マンガ前史」として括られることになる。

また他方で、「少女マンガ」は手塚作品からの偏差において、つまり物語マンガ(=手塚治虫の「マンガ」)と対立するものとして成立してきた経緯がある。著者が「『少女マンガ』の有標化」と呼ぶこの過程において、「少女マンガ」の受け手が「少女」であることが重要視され、ジェンダーに特別な意味が付与された。だがこのように「オルタナティヴなもの」、つまり別なものとして発見された「少女マンガ」も、手塚作品からの偏差において捉えられている時点で、「手塚起源論」の範疇にあると言えるだろう。

こうして常に二重化された起源を持つ(著者の用語によれば「手塚中心的なマンガ観と1970年代を到達点としたマンガ観というふたつのマンガ観が交錯している」)「少女マンガ」をどのように語ればよいのか、それが本書の答えようとする2つ目の問いである。著者によれば、これまで「少女マンガ」をめぐる語りは、上記のように「性別越境」「少女」といったジェンダーをめぐる語りへと半ば不可避的に巻き込まれていった。著者はその意義を認めつつも、「少女」について語ることと適切な距離をとりつつ「少女マンガ」について語ろうとする。

そして最後の3つ目の「マンガ」をめぐる問いは、「手塚治虫のマンガ」「少女マンガ」という2つの問いから必然的に要請されるものだ。「手塚中心的なマンガ観」と「1970年代を基準とする少女マンガ観」というふたつの「マンガ観」を問題にする著者にとって、そもそも「マンガとは何か」という基底的な「マンガ観」に立ち戻らざるをえないだろう。そして著者は「歴史的に形成されてきたマンガ」、つまり「マンガ観」と、「形式的に規定されるマンガ」(著者は前者を<マンガ>、後者を「マンガ」と表記する)を区別し、本書では基本的に後者の視点から「マンガ」について語ることを宣言する。

ただしそれはマンガを形式的に規定し、歴史性を忘却する単純な操作でないことには注意しておくべきだろう。ふたつの歴史的な「マンガ観」を相対化しつつ「手塚治虫の少女マンガ」について語ることを意図する本書において、もはやいわゆる「マンガ表現論」的な態度、静的に決定されている形式的な「マンガ」という見方を安易に選びとるわけにはいかない。そうではなく、マンガ表現を動的・歴史的・社会的に意味が生成されていく場として捉えようとする。そうであるからこそ、本書は「マンガ表現論」ではなく、その見方をさらに一歩進めた、記号的表現の動的な関係を統御する機構(メカニズム)としてマンガを捉える「マンガ表現機構(論)」という立場を標榜しているのだろう。

これが3つ目の問い、いかにして「マンガ」について語るかという問いに対する、著者からの回答である。

実は以上のまとめは、序章と一章(および四章の一部)のまとめでしかない。著者はこのような問題意識から出発することで、第二章、第三章において「マンガ」を「表現機構」として動的なものとして捉えなおし、実際に「手塚治虫のマンガ」「少女マンガ」そして「マンガ」について語っていくことになる。その過程において、大塚英志氏の「内面」に関する議論や、四方田犬彦氏の「マンガに描かれる顔についての二つの法則」から「記号的造形」「記号的使用」という用語が区別され、伊藤剛氏の「キャラ/キャラクター」論からは「キャラ図像」「キャラ人格」「登場人物」という、「表現機構」の観点から整理しなおした三項関係が取りだされることになるだろう。その図式がどれほど有効なのかは、実際に読んでそれぞれが考えてほしい。

本書は、「手塚治虫の少女作品」を取り上げることで、この言葉に含まれる「手塚治虫のマンガ」「少女マンガ」「マンガ」という3つのマンガについて一挙に語ろうとした本だ。現代の日本におけるマンガ論で注目されているトピックがすべて詰め込まれた本だとも言える。そのため、前提となる議論に親しんでいない人にとっては、はじめ読みづらいかもしれない。だがそれは、本書さえ読めば日本のマンガ研究で何が今話題となっているかを知ることができることも意味する。扱われる作品も「手塚治虫の少女マンガ」だけではなく、「手塚治虫の少年漫画」、『ポーの一族』『半身』といった「少女マンガの聖典」、『鋼の錬金術師』『しゅごキャラ!』『山田くんと7人の魔女』といった最近のマンガなど、多岐にわたっている。マンガ研究の今を知るために、そしてこれからのマンガ研究を考えるために、ぜひ多くの人に読まれてほしい本である。

本書は2008年に東北大学で提出された博士論文がもとになっている。ちなみに著者の岩下朋世氏は男性である。

『少女マンガの表現機構——ひらかれたマンガ表現史と「手塚治虫」』

著者:岩下朋世

出版社:NTT出版

出版社サイト

http://www.nttpub.co.jp/search/books/detail/100002266