現在、筆者が研究員として所属しているimai(inter media art institute、ドイツ・デュッセルドルフ )は、主にビデオ・アートのディストリビューションや展覧会企画、メディアアートの記録と保存に関する研究などを実施する組織である。imaiは、デュッセルドルフ市やノルトライン・ヴェストファーレン州などの文化助成を受けて2006年に設立された非営利団体だ。imaiがコレクションするビデオ・アート作品や関連資料は全て1982年からケルンで活動するメディア企業235 Mediaから寄贈されたものである。
筆者はimaiにおいて2013年3月から約1年間、ビデオ・アートのコレクションのデータベース構築および、関連するアーカイブ編成のプロジェクトに携わった。ディストリビューションするビデオ・アート作品約1500件の他、展覧会やインスタレーションのドキュメンテーションも含む、オーディオ・ビジュアル資料が約1500件ある。また、1980年から2000年代初期にかけてヨーロッパ/東ヨーロッパ/北米/南米/日本で出版されたカタログや書籍が約700件、関連資料(写真、契約書など)もある。
同アーカイブの特徴は、メディアアートに関するオーディオ・ビジュアル資料が豊富な点にある。さらに、235 Mediaが映像編集事業も展開しているため、その多くがデジタル化され、オンラインで閲覧することができる。残念ながら現状のオンライン・カタログは作品とドキュメンテーションが明確に区別されておらずその貴重さが伝わりにくい(とはいえ、ドキュメンテーションが作品になる場合もあり、どのように両者を扱っていくかが大きな課題である)。今後、アーカイブ資料の編成と平行して、オンライン・カタログも改善される予定だ。
また、同アーカイブからは、235 Mediaの活動を通して、1980年代のビデオ・アートの成熟期から1990年代後半に狭義のメディアアートがピークを迎えるまでの一側面を辿ることができる。235 Mediaの活動期は、大きく4つのフェーズに区分できる。
まず、1982年以前。1970年代後半のパンク・ムーブメントやその後のニュー・ウェーブの流れである反権力やDIY精神の影響下で、音楽レーベルを立ち上げ、カセットテープをヨーロッパ、北米、日本を中心にメール・アートのように交換しながら、独自のネットワークを形成していた時期である。235 Mediaの創設者であるアクセル・ヴィルツ氏もミュージシャンとしてメンバーの一人であった。
第二期は、活動を始めたころは「235」であった名称を「235 Video」とし、音楽で培った独自の活動フィールドをビデオ・アートへ応用し始め、配給やテレビ番組のプロデュースなどに携わった。第三期は、1980年代後半から1990年代にかけて「235 Video」を「235 Media」に改称し、ビデオ・アートのみならず、インスタレーションやISDNや衛星回線を使ったネットワーク・アートのプロデュースを2000年前半まで実施した。2006年のimai設立以降も、メディアアートに関連する企画にも従事するが、現在は日本のライゾマティクスのようにクリエイティブなコマーシャル事業が中心である。先月のインタビューで、ヴィルツ氏は「活動形態の変容はあるが、「オルタナティブ」を目指す理念は今も変わらない」と語った。
235 Videoから235 Mediaへ(カタログ「4. Videonale in Bonn」1990, p.3)
imaiが保管する資料はヴィルツ氏が立ち会ったメディアアートの約25年間の歴史を俯瞰できる資料である。とりわけ、美術館制度の外側で活動が始まったメディアアートの創成期に関する資料の多くは個人資料である場合が多い。235 Mediaアーカイブは半パブリック資料となり閲覧可能性を模索している段階である。メディアアートをコレクションする美術館は作品の保存リスクの問題から未だ稀少といえる。しかし、アーカイブ資料を収集することも、美術史においてももはや無視することができないメディアアートがなかったことにならないようにする手段の一つではないか、と考える。
なお、2014年の秋に日本でヴィルツ氏がアドバイザーとして携わり、ドイツのパンク・ムーブメントを扱った展覧会が開催されるようだ。ビデオ・アートとパンク・ムーブメントの意外なつながりを再発見できる機会になるだろう。
235 Media