世界初の家庭用ゲーム機「ブラウンボックス」および「オデッセイ」の発明者として知られ、「テレビゲームの父」と称されるラルフ・ベア氏が2014年12月6日に92歳で逝去した。
ベア氏は1922年にドイツで誕生したが、ユダヤ人だったためナチスドイツの迫害から逃れて第二次世界大戦の直前、アメリカに渡った。ラジオの修理工として身を立て、戦後テレビ工学の学士号を得ると、いくつかの企業を経て軍需企業のサンダース・アソシエイツに入社。エンジニアとしての業務のかたわら、ゲーム機や玩具の発明などを行った。1978年に発売された電子玩具「サイモン」(日本では米沢玩具が発売)の発明者としても知られている。
ブラウンボックス(木製キャビネットに入っていたため、こう呼ばれた)の試作を始めたのは1966年で、他に類似商品がなかったこともあり、1972年にようやくマグナボックスからオデッセイとして発売された(キャビネットはプラスチック製で、白くモダンなイメージになった)。世界初のテレビ向け光線銃も開発し、後にオデッセイ用の拡張パックとして発売された。
オデッセイには複数のゲームが収録されており、そのうちの一つがパドルを操作してボールを跳ね返す、ピンポン風のゲームだった。内覧会でデモを見たノーラン・ブッシュネル氏は、このゲームからヒントを得て部下のアル・アルコーン氏に開発を命じ、業務用ゲームの「ポン」を開発。あわせてポンを開発・製造する会社としてアタリを設立した。アルコーン氏のアイディアでゲームの完成度を増したポンは大ヒットを記録し、ゲーム産業の礎を担った。
もっとも、テレビゲームの基本特許はサンダースとマグナボックスが抑えていたため、後にアタリをはじめとした、複数の企業と訴訟になった。アタリは早々にマグナボックスに対してライセンス料を支払うことで合意。他の企業に対しては勝訴を重ね、両社は大きな成果を得た。1989年にセガの家庭用ゲーム機、ジェネシス(海外版メガドライブ)に対しても同様の訴訟を起こしており、セガは約16億9千万円の支払いで和解している。
こうした訴訟の中で、当時一介の会社員にすぎなかったベア氏の功績は長く忘れられた存在になっていたが、2000年代以降になって再評価が進んだ。アメリカ政府は2006年に国家技術賞を授与。ゲーム業界からはGDCで2008年、パイオニア賞が贈呈された。電気電子業界では、2008年に米国電気電子学会(IEEE)から、ソニー創業者の井深大氏の名前を冠したIEEE Masaru Ibuka Consumer Electronics Awardを贈呈。2014年には電気電子工学においてノーベル賞に匹敵するとされる、IEEEエジソンメダルが贈呈されている。
なお、ベア氏は2008年にはGDCでアルコーン氏と共に講演を行っており、資料サイトで動画を視聴できる。
ラルフ・ベア氏 公式サイト
http://www.ralphbaer.com/
GDC2008で講演するアル・アルコーン氏(左)とラルフ・ベア氏(右)