1983年パリ市立近代美術館である展覧会が開かれた。美術史家フランク・ポペール (Frank Popper)氏の企画で、題名は「Electra」、副題は「20世紀の芸術における電気と電子技術」。
この展覧会に参加したアーティストの中に、日本のメディアアートの先駆者として知られている山口勝弘氏がいた。当時山口氏は「グループ・アールジュニ」を結成し、アーティストと科学者、技術者による新しい文化創造を模索していた。
「グループ・アールジュニ」による1980年代の一連の「ハイテクノロジーアート展」は、1989年名古屋国際ビエンナーレARTECに継承され、1997年まで続いていく。「ハイテクノロジーアート展」に、『光・運動・空間』(商店建築社、1970)、『現代の美術』(Edward Lucie-Smithと共著、講談社、1984)などを書いた批評家の石崎浩一郎氏が関わっていたことと、ポペール氏が1989年のARTECに審査委員として招待されたことは、美術史の中のひとつの流れ、すなわち後にメディアアートと呼ばれる分野の前史を語っている。
ポペール氏自身は謙虚に自分のことを「非主流の美術史家」と称したことがあるが、客観的には非主流であったのはポペール氏ではなく、氏の研究対象となるメディアアートであった。ポペール氏の業績は、その非主流の美術の歴史のなかにひとつの「連続性」を見出し、20世紀という「時代の世界的現象」として位置づけたことに他ならない。
その意味で、氏が発表した2冊の古典、『Art of the Electronic Age』 (Thames and Hudson Ltd, 1993)と『From Technological to Virtual Art 』(The MIT Press, 2007)は非常に重要である。特に1960年代の芸術として浮上した、「参加」や「開かれた作品」の概念が、いかにメディアアートの中で「インタラクション」と「コミュニケーション」の概念として発展的に受け継がれたのかをめぐる分析は、これから深化されていくと期待される「インタラクティブアート」の歴史的意義の究明作業に方向性を提示している。
また、ポペール氏の2冊を読むにあたって、出版社の指針により、本来の題目「Technoscience Art」の代わりに、副題だった「電子時代の芸術」を題名にすることになった前者には『Art of the Digital Age』(Bruce Wands篇, Thames & Hudson Ltd, 2006) が、そして、後者には推薦文を書いた、IAMASの初代学長坂根厳夫氏の著作、『メディア・アート創世記—科学と芸術の出会い』(工作舎、2010) が参照点となる。
パリ8大学の名誉教授であるポペール氏は、同時代のフランスの知性、ジャン・ボードリヤール(Jean Baudrillard, 1929-2007)やポール・ヴィリリオ (Paul Virilio)氏などとは対照的に、科学技術と芸術についてポジティブであった。その理由に関する質問に対して、氏は、自身が科学技術を用いた芸術表現に携わるアーティストとその作品と近い距離を持ち続けてきたからだと答えた。1918年生のポペール氏は、プラハ出身であったため、当然世界大戦中に移民と追放を経験したにも関わらず、その経験の中のポジティブな部分は、すべてを包容する創造的ノマディズム(遊牧主義)として作用し、自身の基本的な態度に影響を与えたという。ひとつの世紀を貫く芸術史観はひとつの人生観と共鳴するのである。
書籍のウェブページ
http://mitpress.mit.edu/catalog/item/default.asp?ttype=2&tid=10448
ポペールによるジャーナル『LEONARDO』のバーチャルアート・プロジェクト
http://www.leonardo.info/isast/spec.projects/virtualartbib.html