1990年代から欧米で、芸術の理論と実技を横断する新しい知識についての議論が活発におこなわれてきた。リサーチャーとしてのアーティスト、具体的には、作品制作を通したアーティストの博士学位習得問題をめぐって、特に2009年以来、数多い関連書籍が刊行された。以前、このメディア芸術カレントコンテンツにて言及したように、大学における学際的リサーチ活動と密接な関係を持っているメディアアートの立場からみると、非常に興味深い動向だといえる。

デジタルテクノロジーが芸術のリサーチの方法論に及ぼした影響に関する『Art Practice in a Digital Culture』(Hazel Gardiner, Charlie Gere編, Ashgate, 2010)は、このような動向をメディアアートと接続させている点からして注目に値する。ここには、ステラーク(Stelarc)氏、ポール・ブラウン(Paul Brown)氏、ベリル・グラハム(Beryl Graham)氏、ポール・サーモン(Paul Sermon)氏など、長年に渡ってメディアアートに携わってきたアーティスト、理論家、キュレータの活動が、実践に基づくリサーチ(Practice-based Research)の先行した例として紹介されている。メディアアートの歴史と今後の展開を考える際、参考になる書籍であるように思われる。

例えば、「身体はすたれた」と宣言し、精肉屋のお肉と同様に自分の裸身を天井に吊り下げたり、自分の意志とは独立したロボットの人工器官に身を任せたり、自分の細胞から複製培養した第3の耳を腕に移植したりするなど、極端に過激なパフォーマンスと作品で知られているアーティストのステラーク氏。今まで身体とテクノロジーというテーマで議論されてきた氏の実験が、『Art Practice in a Digital Culture』では、最先端の医学、生物学、機械工学の協力と膨大な研究費支援無しには実現不可能なリサーチとして紹介されている。ステラーク氏は、展示や公演よりは、査読付きの論文発表の実績が優先されてきたアカデミックな評価基準の中で、自分のような実践を今後いかに価値付けていくかが課題だと述べている。

その一方、ポール・サーモン氏は、開館準備段階だったICCの「On the Web: ネットワークの中のミュージアム」展(1995)でも紹介された代表作「Telematic Dreaming」以来、通信・情報科学を利用した、インタラクティブアート作品を作ってきた。大学のリサーチプロジェクトと連携して制作された近年の作品を例として、サーモン氏は観客の参加が前提されるオープンシステムを記録・保存することの困難さを指摘している。

ステラーク氏やサーモン氏のように、大学や企業の研究所で、他分野の専門家との共同リサーチをおこなうアーティストの活動が、メディアアートの源流を形成してきた。その中で制作された作品は、ギャラリー、美術館、アートフェアよりは、学術大会で発表されてきたことが多かった。この事実は、メディアアートには常に「新しい知の発見」が求められてきたことを意味するのであろう。

振り返ってみれば、1967年、第1回草月実験映画際で発表された、日本の最初のCGアニメーションの「風雅の技法」は、東京大学大学院で工学を専攻していた山田学氏と月尾嘉男氏によって制作された作品であった。最先端リサーチの現場から、新しい表現のための創造性が芽生えることは、決して偶然ではないのである。『Art Practice in a Digital Culture』が示唆するように、芸術における実践に基づくリサーチというコンテクストの中で、一貫してこの創造性を追求してきたメディアアートが再評価されることは、歓迎すべきことである。

書籍のウェブページ

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