アート、エンターテインメント、アニメーション、マンガの4部門において優れた作品を顕彰するとともに、受賞作品の鑑賞機会を提供するメディア芸術の総合フェスティバル、文化庁メディア芸術祭。本連載では、同芸術祭に深く関わる人たちへのインタビューを手がかりに、文化庁メディア芸術祭について考えていきます。(全4回)。 12月13日に今年度の受賞作品が発表され、アニメーション部門の大賞を受賞した大友克洋さんの短編アニメーション『火要鎮』に注目が集まっています。今回はアニメーション部門の審査委員を務めた古川タクさんにお話を伺いしました。自身もクリエイターとして1960年代から数々のユーモラスな短編アニメーションを手がけてきた古川さんに、近年の応募作品の傾向から今後のメディア芸術祭への期待をお聞きしました。
日本のアニメーションのおもしろさとは?
古川さんは日本の応募作には「勝手気ままな個性が光る」作品が多くある一方、海外は「スキルを全面に押し出している」作品が多い、と指摘されています。国内外の応募作品の違いについて教えていただけますか?
海外にも個性的な作品をつくるアニメーション作家はいますが、一方で学生作品などでは就職活動の一環として、自分のスキルをアピールするためにつくられたものも多いと感じます。ヨーロッパでは、学校で勉強した後はCGやアニメーションスタジオなどに就職するというコースが一般的なことも理由のひとつでしょう。
ですが、日本国内で見ることのできるヨーロッパのアニメーションは映画やテレビといった商業ベースではなく、近年アートアニメーションともいわれるような個人制作の短編アニメーション寄りの印象があります。そういった作品はじつはごく少数である、ということでしょうか。
そうですね。多いのは、将来長編作品制作にかかわることを前提にしたパイロットフィルム的なものでしょうか。そして、基本的に映画を志向して作品づくりをしている。短編、長編問わずアニメーション映画をつくりたい人たちが欧米には多いと思います。
一方、日本の若い人たちの作品は、もっとプライベートでインディビジュアル(個人的、独特)。テーマも多種多様で、勝手気ままな個性が光る作品が多い。必ずしもアニメーション映画をつくりたいわけではなくて、物語というよりはイメージを追求するものや、自分たちが子どもの頃から見てきたアニメーションやマンガ、ゲームの影響を潜在的に受けながら動く絵をつくっている印象があります。
だからストーリーテリングや演出も、欧米の作家と比べて映画的ではないし、カメラのカット割りも僕らの世代からすると「ちょっとなあ......」と言いたくなることもある(笑)。でも、既存の映像制作の方法論とはまったく違う次元から現れたものも多い感じがして、そこが非常におもしろいですね。
大友克洋さんの『AKIRA』が登場して以降、海外では、日本のアニメーションというと、骨太な物語があって、キャラクターの個性が立っているハイクオリティーな商業アニメーションであるとされてきました。いわゆるアニメと呼ばれるような。
けれども、ずっと個人的な作品をつくってきた先輩たちもいて、異なる進化をしてきた。その遺伝子が若い人たちに受け継がれて、この10年で大きく花開いたように感じます。
若い作家たちは「ヘンタイよいこ」?
そういった変化は文化庁メディア芸術祭の応募作からも感じられますか?
メディア芸術祭に限らず、いろいろなところで強く感じています。大きいのはYouTubeなどに代表される発表環境の変化でしょう。
音楽のほうが映像よりも10年〜20年ぐらい先行してきたと思いますが、自分でつくった楽曲を個人で発表、配信できるようになり、そのなかで収益を上げるシステムができたことで、音楽を楽しむ環境が一変しましたよね。
それは僕らのような個人制作を主とするアニメーション作家にとって羨ましい環境でもありますから、「映像も今に同じようになるぞ!」なんて8ミリ映画時代から若い人たちに言い続けてきた。そうしたら、本当にそういう世界がやって来ました。
古川さんは、1960年代から個人的なイメージに寄りそった作品をつくり続けてきましたが、古川さんたちの世代と若い世代の作品のあいだに違いは感じますか?
扱うテーマがより幅広く、より個人的になっていると思います。80年代初頭に糸井重里さんの『ヘンタイよいこ新聞』(※)という連載があったじゃないですか。
現在は「ネオ・ヘンタイよいこ」的な若者がたくさんいて、1人ひとりが全然違う方向を向いて、勝手なことをやったり言ったりしている。そういう面白い感じが最近は特にしますね。
※1974〜85年まで発行された読者投稿を主とする雑誌『ビックリハウス』の人気コーナーのひとつ(当時は読者投稿雑誌が人気で、一般人時代の大槻ケンヂ氏、ナンシー関氏、みうらじゅん氏らも投稿していた)。糸井重里が責任編集を行い、「キモチワルイものとは何か」「カワイイものとは何か」などのお題に対して読者が投稿するというスタイルを採っていた。
逆に60〜70年代のほうが個性的でアグレッシブな時代だったように感じるのですが、今のほうがもっとパワーを感じるということでしょうか?
短編アニメーションに関してはそうだと思います。むしろまったくアグレッシブじゃない方向に向いたパワーがいい。すごくおもしろいです。
学生の作品を見る時も、一人ひとりが全然違うことを考えているから、「こうしたほうがいいよ」って横ヤリを入れるのではなくて、どうしたら彼、彼女の独自性が膨らんでいくかを一緒に考えるようにしています。むしろ、「それを伸ばしてあげないでどうするんだ」というか(笑)。
最初の頃は「もうちょっとちゃんとつくれよな〜」とも思っていましたよ(笑)。外国の作品を見ると、大人っぽかったり、ちゃんとしたテーマがあったりするから、なおのこと「これでいいの?」と思ったこともありました。でも途中から「あ、待てよ」と思うようになった。
彼らの方が、もしかするともっと先のことをやろうとしているのではないか。僕たちはどちらかというと映画に影響を受けながら作品をつくってきた世代ですが、今やまったく新しい世代が確実に育ってきています。やはり音楽、マンガやゲームの影響が大きいと思う。若い作家たちは、一般的に本もたいして読んでいないし、映画もほとんど見てない、何も知らない。でも、だからこそ変なものをつくってしまうんですよね。
制作環境の変化も大きいですよね。いまや、ノートパソコンで映像作品をつくることも珍しくありません。
僕らの若い頃は、現場のスタジオを使っていたから制約がたくさんありました。プロのカメラマンに手伝ってもらわないといけなかったし、商業撮影のない時間を狙って、頼み込んで安く使わせてもらったりしていました。出来に必ずしも満足できなくても仕方がなかった。
でも今は自分のアパートでなんでもできるでしょう。四畳半の部屋で、朝起きて、カップ麺を食べながらパソコンをぽんと立ち上げればすぐに作業の続きができる。即プレイバックしては、直す。そういうふうに作り方もどんどん変わっている。
そんな状況を踏まえてあらためて自分のことを思い返すと、映画に影響を受けたとは言いつつも、そんなに映画的な文法に従ってつくってきたわけじゃないようにも思います。半分は「動く絵」みたいなものに興味があったわけだから。
若い人も古川さんも、根っこはいっしょということですね。
うん。根っこはいっしょ、ただのアニメーション好き(笑)。
「接点」をつくりたい
そういった自分の世界を追求する作家たちと、商業アニメーションとの間にも接点をつくれないだろうかと、おっしゃっていますね。
商業アニメーションの世界は制作システムがほぼ完成されています。もちろんそのなかにも問題はあって、経済的に不安定で、若いアニメーターが育たない、空洞化しているなんて言われている。それを改善しようとしている人たちもいますが、大変だと思う。
でも、あえて言いたいのは、こちら(短編アニメーション)側には変なヤツがたくさんいるよ、ということ。異なる感性を持った人間が関わっていくことで、商業の世界でも新しいものをつくっていける可能性が広がると思います。
でも、例えば実際のテレビ番組制作の現場やプロモーションビデオのディレクターに、そういった作家が起用される例も多いですよね。古川さんがおっしゃっている「接点」とは、もう少し異なるものでしょうか?
単発の仕事でのつながりや関係ではなくて、恒常的に関係が持てる場所が欲しいです。例えば同じスタジオに所属して、ちょっとコラボしてみようとか。とにかく、日本の短編アニメーションと商業アニメーションの間にヘンな距離を感じる。
もちろん、日本のアニメーションはプロフェッショナルの世界がばしっと動いているし、社会も不況だから「ちょっと面白いヤツがいるから使ってみようぜ」なんて考える時間も余裕もないのが現実でしょう。でも、日本のアニメーションの未来を考えたときに、こちら側にいる才能をみすみす放っておくのはもったいない。欧米のスタジオがどんどん力をつけているなかで、日本だからこそできるクリエイティブを考えてもいい。
スタジオに限らず、出会いの場所が必要ということですね。例えば、このWEBサイトを運営する「メディア芸術コンソーシアム構築事業」では、商業アニメの第一線で活動するアニメーターが学生を指導する「アニメーションブートキャンプ」を開催しています。
よい試みだと思います。でも、これはプロを志向する人たちを集めて、徹底的に育成しようというものでしょう。僕は真逆のなんだかよくわからないところを、フラフラしているような才能を集めたら面白いと思っています。
若い才能が集まるトキワ荘、梁山泊みたいな場所をつくりたい。アニメーション作家ってみんな個人的な作業になりがちだから、酒でも呑みながら意見を交換してね。業界情報交換じゃなくってもっとバカ話をして欲しい。「アニメーションブートキャンプ」だって、参加した後はみんな仲良くなるでしょう? 場があることが大切なんです。
文化庁メディア芸術祭は「幕の内弁当」
今後、文化庁メディア芸術祭が作家同士のつながりを生む「接点」や「場」として機能していくのではないでしょうか?
フランスの「アヌシー国際アニメーション映画祭」にしても「広島国際アニメーションフェスティバル」にしても、郊外や地方でやっていますよね。泊まるところも一緒で、遊ぶところもないから、夜はみんなヒマを持て余している。有名無名を問わず、いろんな作家がそのあたりをうろうろしていて、等身大の距離で仲良くなれる。それが楽しいんです。
広島の映画祭では、外国の若い作家たちもそんなにお金がないから、一緒にホテルで缶ビールを飲みながら一晩中話したりする(笑)。そんなふうにワイワイやっているわけです。意外とそういう場所から新しいプロジェクトや新作の構想が生まれてくる。会場前にあるなんでもないスナックが、今やアニメーション関係者の伝説の場所になったりしてね。
でも、東京は生活圏が近いし、遊ぶところもたくさんあるから、なかなか合宿みたいな雰囲気にならないでしょう。だから、カフェなどでよいから期間中に誰でも夜通し溜まることのできるような場所をつくってほしいです。そこでは商談をしてもいいし、雑談してもいい。勝手にビラを貼って、「ここで上映会やります!」なんて宣伝してもOK。そういうお祭り感のある場所が必要だと思います。
今年「コンソーシアム構築事業」では、六本木ヒルズ内にあるヒルズカフェで「メディア芸術ライブラリーカフェ」を開催します。トークイベントなどを行いつつ、より広く「メディア芸術」に触れる場として活用する予定です。
いいですね。学生が入りやすい場所にしてあげてください。やっぱり、見に来る人が増えてほしいですから。業界関係者がつきあいで顔を出す、っていうだけじゃ面白くないもの。芸術のお祭りにしてはまだまだ硬いよね。祝祭感がないもの。
最後に伺いたいのですが、文化庁メディア芸術祭の魅力とはなんだと思いますか?
ありえない組み合わせが起こる場だということですね。さっきも言ったように、作家も観客も、アニメーションだけじゃなくて、音楽、ゲームとかマンガとか、いろいろなものから影響を受けている。このゴッタ煮感が、メディア芸術祭の特徴。他の国を見回してみても、アニメ、エンターテインメント、アート、マンガ......それらが同じ場所に集まる芸術祭なんてありません。
特にヨーロッパの芸術祭は伝統や歴史を重んじる傾向が強いので、あったとしてもマンガとアニメーションが一緒になるぐらいです。
海外ではゲームやアートなど異分野のコンテンツとは一緒に並べてほしくない、というような反応があるのでしょうか?
アニメーション作品同士でもそうだし、メディアアートと一緒だなんてとんでもない、と言うと思います。海外で審査をしていても、僕が新しい発見があるような作品を評価したいと思っても、なかなか理解してもらえない場合もある。こんなのはアニメーションじゃないとか。
そこがきれいに同居しているのが日本の強みだと思います。ゴッタ煮と言っても、俯瞰してみると幕の内弁当みたいに調和がとれている。それが日本全体、今の日本という感じがします。だからメディア芸術祭の審査対象に、音楽、映画、ファッションなんかも入ってもいいのでは、と僕は思っています。
実際に作家・作品レベルでの領域横断は日常的に行われていますね。
異質なものが生まれる可能性もある。メディア芸術祭の魅力とは「幕の内弁当」であること、かもしれませんね(笑)。
聞き手・文章:島貫泰介
撮影:御厨慎一郎
プロフィール
1941年、三重生まれ。TCJ、久里実験漫画工房を経て、70年代よりフリーのひとコママンガ家、イラストレーター、アニメーション作家として活動。アヌシー国際アニメーション映画祭審査員特別賞、第25回文藝春秋漫画賞、文化庁メディア芸術祭優秀賞など受賞、紫綬褒章受章。東京工芸大学客員教授。近著に古川タク瞬間漫画集『ブルブル』(文源庫)、絵本『かんがえるのっておもしろい(かがやけ詩―ひろがることば)』(小池昌代編、あかね書房)など。
2012年12月13日に発表された第16回文化庁メディア芸術祭の受賞作品は、2013年2月13日(水)〜2月24日(日) (※2/19(火)休館)までの間、東京・六本木の国立新美術館他で見ることが出来ます。
詳しくは文化庁メディア芸術祭公式サイトhttp://j-mediaarts.jpをご覧ください。
平成24年度[第16回]文化庁メディア芸術祭
主催:文化庁メディア芸術祭実行委員会
企画・運営:CG-ARTS協会
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