80年代から現在まで、一貫してアニメ・ゲームの音楽を専門に創造し続ける稀有な作曲家・田中公平さん。作曲家としてのキャリアをスタートさせたのはCMやドラマ関連の音楽だったが、アニメの挿入歌の編曲をきっかけにアニメ音楽を手掛けるようになる。後編では、アニメ音楽からゲーム音楽の世界にも活躍の幅を広げていく経緯、またジャンルを横断して音楽を制作することについてうかがった。

左より、広井王子氏作詞・田中公平氏作曲による『サクラ大戦』の主題歌「檄!帝国華撃団」(1996)、『サクラ大戦2 ~君、死にたもうことなかれ~』主題歌「檄!帝国華撃団(改)」(1998)のジャケット。アニメ・ゲームファンならずとも一度は聞いたことがあるような曲

アニメ音楽だけでなくゲーム音楽も手掛ける

田中さんは、実写映画やドラマの仕事をほとんど引き受けず、アニメ・ゲーム音楽を専門的に手掛ける作曲家として、草分け的な存在だと思うのですが……。

田中:レコード会社勤務時代に音楽業界や芸能界の古い体質をいろいろと見知ってしまったので、その影響が強い実写作品で仕事していくのはちょっと難しいだろうなと、考えていました。作曲家の仕事を始めた当初は、何本もテレビドラマの音楽を担当していたんですが、そのうちアニメだけになっていきましたね。今は基本的に実写作品はお断りしています。先日、30年ぶりにNHKのドラマ『ゴールド!』(2020年3月27日放送/第43回創作テレビドラマ大賞受賞作)の音楽を手掛けましたが、かなり例外的なことでした。
日本のアニメの音楽は、小林亜星先生(註1)、渡辺岳夫先生(註2)、渡辺宙明先生(註3)、菊池俊輔先生(註4)たちが黎明期から徐々に形をつくり上げ、独特な文化として育ててきていました。私がデビューしたのは、ちょうどその次の世代が求められていたタイミングだったのではないかと考えています。そこに飛び込んでみてまず感じたのは、とにかく音楽予算が少ないことです。アニメ本編のクオリティが高いのに、明らかに音楽に予算が回ってない作品が多かった。私と同世代の川井憲次さん(註5)、大島ミチルさん(註6)、和田薫さん(註7)、佐橋俊彦さん(註8)などは、次世代組としてそういう部分を改革したかったんですよ。そこでレコード会社の人たちと話し、「ちゃんと予算をかけた音楽をつくって、劇伴のCDをしっかり売ろう!」と提案しました。『勇者エクスカイザー』(1990~1991)、『機動武闘伝Gガンダム』(1994~1995)、『勇者王ガオガイガー』(1997~1998)などは最初からそういう戦略で予算を組み、クオリティの高いぶ厚い音楽をつくりました。そうすればCDもちゃんと売れるんです。それを証明して見せたかったわけです。そうしていくうちに徐々に音楽にもお金が付くようになってきました。OVA『機動戦士ガンダム 第08MS小隊』(1996~1999)では、プロデューサーが「ぜひチェコ・フィルハーモニー管弦楽団を使いたい、それが書けるのは田中さんしかいない」と言ってくれて、プラハでのレコーディングが実現しました。うれしかったですね。こうしてだんだんと音楽の予算規模が変わっていきましたね。
逆に言えば、OVA『トップをねらえ!』(1988~1989)などは予算がとても少なくて、ほとんど全編打ち込みで対応せざるを得ませんでした。でも作品の人気が高くてCDも売れました。こういう場合、「じゃあ、次回もその予算でお願いします」と言われてしまいがちなんですが、そこはガンと突っぱねるんですよ。「そうじゃないでしょ?」と。「売れた分はぜひ次の作品の音楽予算に回してください」と提言し続けてきました。熱意を持って話をすると会社の方も、「なるほど確かにそうだな」と、わかってくれるんですよ。こうしたアニメ音楽のビジネスモデルを80年代から提案し、形にしてきたという自負が、私にはありますよ。
そのおかげで十分な予算が付き、いい音楽がつくれてCDがいっぱい売れた後輩作曲家も大勢いるけど、まぁ、あんまり言いませんよ(笑)。うどん屋を繁盛させたかったら、となりにうどん屋ができても怒るなと。いっそ何軒も並べて「うどんストリート」にしてしまえと。自分のことだけじゃなく、業界全体の共存共栄をねらったほうが、最終的に絶対いいに決まってるんです。大阪人の商売感覚ですよ(笑)。

90年代に入ると、「ゲーム」という新たなフィールドにも進出されますね。

田中:私は、『ドラゴンクエスト』(1986)からやり込んでますから、ゲーム音楽に関わる前からそもそもゲーマーなんですよ。『ドラゴンクエストIII そして伝説へ…』(1988)なんて、発売日に秋葉原をさまよってようやく手に入れましたからね(笑)。だからゲーム音楽の依頼が来ないかと待ち望んでました。ゲームは制作期間が長いので発売は前後しますけど、最初に声をかけてもらったのは、RPGゲーム『ジャストブリード』(1992)ですね。『ドラクエIII』と同じ4音で書いてますけど、今でも自信作です。次いで、『ウィザードリィV 〜Heart of the Maelstrom〜』(1988)、『レナス 古代機械の記憶』(1992)、『天外魔境 風雲カブキ伝』(1993)、『空想科学世界ガリバーボーイ』(1995)、『バウンティ・ソード』(1995)などが続いていきます。メロディだけを提供するんじゃなくて、ゲーム内での音の出方まできっちり自分でつくりますよ。『アランドラ』(1997)などは、生音をたくさん入れたくて、グラフィックチームとの容量の奪い合いでしたね(笑)。

90年代後半には、ゲーム『サクラ大戦』(1996)と、テレビアニメ『ONE PIECE』(1999~)という田中さんの代表作とも言える大作と次々に出会われますが……。

田中:『天外魔境 風雲カブキ伝』のときに広井王子さん(註9)とお会いして、その当時からすでに「いつかゲームでミュージカルをやってみたいんですよ」「いいね! 私に書かせてよ!」みたいな話はしていました。それが『サクラ大戦』に結実します。発売は1996年ですけど、制作は約2年前から始まっていました。「ミュージカル」というテーマがあればこそ、『サクラ大戦』はあらゆるメディアを横断したメディアミックス型ゲームの先駆けとして大ヒットしたんだと思います。ゲーム音楽、アニメ音楽、舞台音楽を、すべて統一的な個性で書くというのはなかなか難しいことです。私の場合、バークリー音楽大学に留学していたとき、ボストンに住んでいたので、グレイハウンドという長距離バスに乗ると4時間半でニューヨークに行けたんですよ。週末は深夜バスでニューヨークに乗り込んで、友達の家に泊まりながらミュージカルを観まくって、またバスでボストンに帰る……という生活を繰り返していました。『サクラ大戦』や、そのミュージカル公演「歌謡ショウ」の音楽には、その時の経験がメチャメチャ生きてます。なんでも勉強ですよ。
アニメに加えて、ゲーム作品からの依頼が増え始めて、ひとつヒットすると、挿入歌やキャラクターソング、OVA、続編と連鎖的に作品が増えていきました。この時期は年間に約650曲書いていましたね。また私の悪い癖で、アフレコ見学やラジオにも出かけていくので、この頃が忙しさのピークでした。この時期に、実はテレビアニメ『ポケットモンスター』(1997~2002)の音楽依頼が来たんですけど、忙しくて断ってるんです。プラハ録音の『機動戦士ガンダム 第08MS小隊』も同時期でしたしね。少し前ですが、テレビアニメ『クレヨンしんちゃん』(1992~)も多忙でお断りしています。両方とも息の長い名作になっちゃったから、惜しいことしたかもしれないね(笑)。
『ONE PIECE』は、「週刊少年ジャンプ」で連載が始まったときから読んでいましたし、おもしろいマンガだなぁ、アニメ化するなら音楽をやりたいなぁ……と思っていました。積極的に営業したわけじゃなく、向こうからお話が来ましたね。「来たか!」と運命的なものを感じました。劇伴(浜口史郎氏(註10)と共同)とともに初代主題歌「ウィーアー!」も任せてもらいました。海外での人気も高いですね。『ONE PIECE』のコンサートは、海外で既に20回以上開催しています。海外のプロモーターはさすがにコンサート慣れしていて手際が良いですね。なので私は運営側には入らず、完全に請負仕事に徹しています。宣伝も楽団手配も会場準備も現地の方たちに任せて、私は呼ばれて行くだけ。そのほうがスムーズに進みますね。逆に日本での開催は運営側に立たないといけないので大変です。さらに言えば、日本は演奏のギャランティ、会場費、人件費などの経費がとにかく嵩みます。なので『ONE PIECE』コンサートは、海外では20回以上を数えるのに、日本ではまだ一度も実現していません。本当に残念なことです。
海外でのコンサートは、私は呼ばれて行くだけと言った通り、まったく儲かりませんよ。赤字になるくらいです。でも、サイン会もトークショーもテレビ出演も全部断りません。それもこれも日本のアニメ音楽を世界に広めたいから、世界にパイを広げたいからなんですよ。後輩の作曲家やアニソン歌手たちにも、もしも海外から呼ばれる機会があったらできる限り出向いたほうがいいと、常々言っています。
『サクラ大戦』と『ONE PIECE』……この2作品が今のところの私の代表作と言えるでしょうね。最終的にはもう一作、「ファイナルファンタジー」シリーズのような世界的な大作RPGの音楽を手掛けてみたいという夢がありますが。それを言ったら、仲間みんなに「贅沢だ!」と怒られましたけど(笑)。

40年にわたる制作活動から思うこと

田中さん流の「アニメソングづくりの秘訣」のようなものがあれば、ぜひお聞かせください。

田中:実を言うと、私が書いた「主題歌」のヒットって、『サクラ大戦』の「檄!帝国華撃団」や『ONE PIECE』の「ウィーアー!」くらいまで、ほとんどないんですよ。ずっと劇伴の作家というレッテルを貼られていたので、主題歌を任されること自体がそんなに多くありませんでした。「檄!帝国華撃団」や、『勇者王ガオガイガー』(1997~1998)の主題歌「勇者王誕生!」あたりから、そのレッテルを剥がすことに成功しましたね。「勇者王誕生!」の遠藤正明さん(註11)、「ウィーアー!」のきただにひろしさん(註12)、『OVERMANキングゲイナー』(2002~2003)主題歌「キングゲイナー・オーバー!」の福山芳樹さん(註13)、『ジョジョの奇妙な冒険』(2012~2013)主題歌「ジョジョ 〜その血の運命〜」の富永TOMMY弘明さん(註14)……と、並べてみるとハードロックやファンク系のパワーのある歌手の方と、それに負けない豪快でハードなアレンジの曲が多いでしょう? これも勉強と挑戦ですよ。クラシック少年だった私からは、最も遠いところにあるハードロックやヘヴィメタルにあえて挑戦する化学反応のおもしろさです。本物のメタルにしたければ、それはメタルのアーティストに書いてもらうほうがいいに決まってますよ。でもこれは「アニメソング」ですから、本物のメタルにしちゃいけないんです。アニソン映えさせるための本物とニセモノの絶妙な配合比率、世界のアニメファンの魂を掴むためのテクニックのようなもの……長年の経験から、私にはそれがわかるんです(笑)。
ひとつ憂いているのは、この10年くらいはアイドルグループもののアニメが大ヒットして、声優さんたちが歌うアイドルソング的なアニメソングが大量生産されたでしょう。アニソン業界の活況としては嬉しい一方、どうしてもアイドルソングの範疇から抜け出しにくいので、アニソンとしての個性が希薄になりがちだと思っています。私がくぐり抜けてきた80年代、90年代は、アニメとあまり関係ない内容や作風の、アニメ愛のないJ-POPが突然起用されて、「主題歌でございます」みたいな顔してオープニングに収まるようなことが多々ありました。私の初期に主題歌アニソンが少ないのは、アニソン業界自体がそういう波に飲まれてしまっていた時期で、そこに参加する機会自体がグッと減ってしまっていたことも一因だと思っています。「檄!帝国華撃団」や「ウィーアー!」は、そういう流れを変えたい、アニソンらしいアニソンを取り戻したい……という一心で書いた曲です。結果、ファンの皆さんにずっと覚えていてもらえる息の長い主題歌になったんです。「アニメソングらしさ」というカルチャーは、やっぱり必要なんですよ。
私のモットーを簡単に言うと「逆張り」ですね。世間の流れとは違う方向に勝負するんです。打ち込みが流行る前に打ち込みをやり尽くしたり、打ち込みが当たり前になったらオーケストラサウンドに戻したり、アイドルソング風が流行ったら正統派のアニメソングをぶつけたり、というような具合ですね。皆がやっていることにそのまま乗っかるだけでは、新しいものは生まれてこない……と常々考えています。

アニメ・特撮・ゲームなどの分野で、長年にわたって「音」の領域を開拓してきたご経験から、映像作品における音の役割や、その重要性についてはどのように考えられていますか?

田中:例えばね、高倉健さんを崖の上に一人で立たせておいたら、風の音と波の音だけで10分は絵が持ちますよ。でも、アニメのキャラクターやCGでそれをやっても1分も持たないんです。そこは音楽で助けなくちゃいけない。私はその役目を果たしたいと思ってるんです。二次元はどこまで行ってもやはり二次元なんですよ。映像作品で、キャラクターの息遣いや感情、立ち居振る舞いの表現を成立させるためには、どうしても音楽が必要なんです。私は、そのための技術の積み重ねが、BGM音楽「劇伴」という領域の現在の姿だと思っています。
ガラパゴス的な土壌から生まれたからこそ、世界が魅力を感じてくれているのが日本のアニメですけど、こと音楽に関しては、だからこそ逆に、まだまだ世界レベルに達していないというのが、私の本音です。いまやアニメは、日本で放送された直後にはネットで世界中の人たちが見られたり、Netflixなどの配信サービスで世界同時公開が当たり前になりつつあります。映像と同じく、音楽も世界に対して恥ずかしいものであってはいけません。私は自分でつくる音楽は、世界のどの国に行っても通じるよう、最新の世界レベルを目指して書いているつもりです。最高のテクニックを盛り込みながらも、誰にとっても聴きやすくわかりやすい……そうした音楽でなくてはならないと、日々心掛けています。さらに言えば、日本のアニメファンも、もっと世界の最新の音楽に耳を傾けるように変わっていってほしいと思っています。日本のアニメファン、アニソンファンだけが理解できるような濃くて内輪なおもしろさももちろんありますけど、それだけでは世界的な要求に応えられてないところまで、時代は来ています。

アニメ・ゲーム業界を40年間にわたって見続けてこられた視点から、この業界の未来に向けて、なにか提言などはありますか?

田中:「クールジャパン」なんて言葉があるけど、あれ、日本人が自分で使っちゃだめだよね(笑)。海外の人がクールと言ってくれるからこそ価値があるんであって。日本のアニメやゲームは、お上が放っといてくれたからこそ、ガラパゴス的だけど多様な文化として成長した側面があるから、もし可能性があるならお上にも支援はしてほしいけど、どうぞ口は出さないでほしいというのが本音のところです(笑)。あとはアニメ・ゲーム業界を根底で支えているアニメーターさんやプログラマーさんの処遇改善をなんとかして進めてほしいですね。印税の一部を彼らに回すような仕組みはできないものでしょうかね。声優さんも本業で十分に稼げず、イベントやグッズ販売に時間を取られている方が大勢います。収益構造に歪みが生じているのは間違いないですよ。音楽家は著作権使用料のシステムがあるので、作品が売れたらちゃんと潤う構造になっています。アニメ・ゲームの実作業している人たちにも、作品が売れたなら、それに伴って実入りが増えるような仕組みをつくらないと。そのための法改正なども本当に必要だと思いますよ。このままでは、産業としても文化としても先が見えません。

田中さんご自身がアニメ音楽の新世代、ゲーム音楽の先駆けとして時代を切り拓いてこられたわけですが、さらにそれに続く後進の世代に向けて、なにかアドバイスがあればぜひお聞かせください。

田中:最近の、特にアニメの主題歌などは、「曲先」と言って、曲を先につくってオーディションをして、後で歌詞を付ける形式が増えていますが、あまりにそれが多いと作曲家が無意識に使ってしまう「手癖」でつくられた、サウンド先行の歌が増えてしまうのではないかと、ちょっと心配しています。逆に、歌詞をもらってそこにメロディを付けていく「詞先」方式での作曲は、作曲家の手癖を封じて、まったく新しいメロディを生み出す良い方法なんですよ。作曲する身としては、歌詞とにらめっこしながら、「メロディをこう進めたいのに、この歌詞じゃ行けないじゃないか!?」という戸惑いの連続ですけど。さらにアニメソングの場合は、原作者さんや監督さんなど、専門家じゃない方が作詞をする場合も多いので、なおさら苦しみます(笑)。でも、その苦しみが思いもよらない魅力的なメロディにつながることもあるんですよ。
あとは、ストックなどはつくらず、いただいた仕事ごとに一曲一曲、絶対に手を抜かず、これが人生最後の作品だと思って書く……これに尽きますね。そういう意気込みが作品に魂を宿らせるんだと信じています。元ジャイアンツの投手の桑田真澄さんとお友達なんですが、これが野球人生最後の一球だと思って投げていた、そういう気概が乗り移って打者を抑えることができると信じていた……と、彼も同じことを仰っていましたね。以前、阿久悠先生(註15)や荒木とよひさ先生の書かれた歌詞に曲を付けたとき、その直筆の歌詞原稿の文字の姿や行間の一つひとつに、ものすごい個性を感じたんですよ。なので私は今でも、どんな大編成オーケストラの場合でも、すべて手書きで譜面を書いていますが、その線の濃さや太さ、筆圧の強さなどを通じて、魂を込めているような感覚がありますね。だから、手書きをやめられないんですよ。

本日はありがとうございました。今後も益々のご活躍を期待しております!

田中:アニメ音楽・ゲーム音楽の世界の第一線で活躍し続けることはマラソンみたいなものなんです。マラソンのテレビ中継って、先頭集団しか映らないでしょう? あのグループに食らいついて、絶対に落ちないぞという覚悟と努力が大切です。常にトップである必要はないんです。トップはまともに風を受けて走らないといけないから(笑)。疲れたら5番手、6番手に下がって休んでもいい。でも、良い新作や大作の作曲家候補として、制作者がつくるリストに載り続けるには、先頭集団から落ちてはいけないんです。この20年間、私の名前がテレビ番組のスタッフ欄に出なかったのは、わずか2週間だけです。それが1年間途絶えたら、もう消えてしまうかもしれない。だから自分で決めて課しているんです。テレビに映り続ける先頭集団にいようと。若手には「そろそろ引退してくれませんか?」とかよく言われますけどね。「先頭集団にいるだけだから、まだいいでしょ?」と返しています(笑)。

田中公平氏

(脚注)
*1
作曲家、編曲家、俳優、タレント。1932年生まれ。慶應義塾大学経済学部卒。作曲家の服部正に師事。レナウンのCMソング『ワンサカ娘』(1961)の作曲で一躍脚光を浴び、以降、ドラマ、アニメ、CMソング、歌謡曲などの作曲で活躍。アニメ・特撮関係の代表作は、『狼少年ケン』(1963~1965)、『魔法使いサリー』(1966~1968)、『ひみつのアッコちゃん』(1969~1970)、『科学忍者隊ガッチャマン』(1972~1974)主題歌「倒せ!ギャラクター」「ガッチャマンの歌」など。

*2
作曲家、編曲家。1933年生まれ。1989年、56歳で没。武蔵大学経済学部および仏スコラ・カントルム音楽院卒。アニメ・特撮関係の代表作は、『0戦はやと』(1964)、『巨人の星』(1968~1971)、『アタックNo.1』(1969~1971)、『天才バカボン』(1971~1972)、『緊急指令10-4・10-10』(1972)、『キューティーハニー』(1973~1974)、『アルプスの少女ハイジ』(1974)、『ザ・カゲスター』(1976)、『キャンディ・キャンディ』(1976~1979)、『機動戦士ガンダム』(松山祐士と共同/1979~1980)など。

*3
作曲家、編曲家。1925年生まれ。東京大学文学部心理学科卒。作曲家の團伊玖磨、諸井三郎に師事。1953年、中部日本放送のラジオドラマ「アトムボーイ」で作曲家デビュー。アニメ・特撮関係の代表作は、『忍者部隊月光』(1964~1966)、『人造人間キカイダー』(1972~1973)、『マジンガーZ』(1972~1974)、『鋼鉄ジーグ』(1975~1976)、『秘密戦隊ゴレンジャー』(1975~1977)、『宇宙刑事ギャバン』(1982~1983)、『神魂合体ゴーダンナー!!』(2003)など。

*4
作曲家、編曲家。1931年生まれ。日本大学芸術学部卒。作曲家の木下忠司に師事。映画『八人目の敵』(1961)の劇伴作曲でデビュー。アニメ・特撮関係の代表作は、『タイガーマスク』(1969~1971)、『仮面ライダー』(1971~1973)、『新造人間キャシャーン』(1973~1974)、『電人ザボーガー』(1974~1975)、『ゲッターロボ』(1974~1975)、『ドラえもん』(1979~2005)、『Dr.スランプ アラレちゃん』(1981~1986)、『ドラゴンボール』(1986~1989)など。

*5
作曲家、編曲家。1957年生まれ。フュージョンバンド「MUSE」を経て、自宅録音派の劇伴作曲家としてデビュー。押井守監督作『紅い眼鏡』(1987)の音楽で脚光を浴びる。アニメ・特撮・ゲーム関係の代表作は、『機動警察パトレイバー the Movie』(1989)、『ソーサリアン PCエンジン版』(1992)、『GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊』(1995)、『YAT安心!宇宙旅行』(1996~1998)、『コレクター・ユイ』(1999~2000)、『信長の野望Online』(2003)、『仮面ライダービルド』(2017~2018)など。

*6
作曲家、編曲家。1961年生まれ。国立音楽大学作曲科卒。在学中から作・編曲家としての活動を始める。アニメ・特撮・ゲーム関係の代表作は、『七つの海のティコ』(1994)、『レガイア伝説』(1998)、『ゴジラ×メカゴジラ』(2002)、『鋼の錬金術師』(2003~2004)、『四畳半神話大系』(2010)、『エアリアルレジェンズ』(2017)、『リトルウィッチアカデミア』シリーズ(2013~)、『夜は短し歩けよ乙女』(2017)、『はいからさんが通る』(2017~2018)など。

*7
作曲家、編曲家。1962年生まれ。東京音楽大学作曲科卒。作曲家の伊福部昭、池野成、指揮者の汐澤安彦らに師事。アニメ関係の代表作は、『劇場版サイレントメビウス』(1991)、『機神兵団』(1992~1994)、『ゲゲゲの鬼太郎』(第4期・1996~1998)、『金田一少年の事件簿』(1997~2000)、『犬夜叉』(2000~2004)、『甲虫王者ムシキング 森の民の伝説』(2005~2006)、『聖闘士星矢 THE LOST CANVAS 冥王神話』(2009~2011)、『パズドラ』(2018~)など。

*8
作曲家、編曲家。1959年生まれ。東京藝術大学音楽学部作曲科卒。作曲家の小林秀雄、黛敏郎らに師事。1990年までプログレッシブ・ロックバンド「KENSO」のキーボーディストとしても活動。アニメ・特撮・ゲーム関係の代表作は、『GS美神』(1993~1994)、『キューティーハニーF』(1997~1998)、『激走戦隊カーレンジャー』(1996~1997)、『THE ビッグオー』(1999)、『仮面ライダークウガ』(2000~2001)、『ウルトラマンメビウス』(2006~2007)、『魔人と失われた王国』(2011)、『デジモンアドベンチャー: 』(2020~)など。

*9
マンガ家、マンガ原作者、演出家、プロデューサー。1954年生まれ。食玩『ネクロスの要塞』やアニメ『魔神英雄伝ワタル』(1988~1989)などの企画・原作で脚光を浴びる。ラジオ番組『広井王子のマルチ天国』他でもパーソナリティを務める。アニメ・特撮・ゲーム関係の代表作は、『魔動王グランゾート』(1989~1990)、『天外魔境』シリーズ(1989~)、『空想科学世界ガリバーボーイ』(1995)、『サクラ大戦』シリーズ(1996~)、『魔弾戦記リュウケンドー』(2006)など。

*10
作曲家、編曲家。1969年生まれ。東京藝術大学音楽学部作曲科卒。1996年より作曲活動を開始。2005年・2006年はバークリー音楽大学に留学。アニメ・特撮・ゲーム関係の代表作は、『ダイノゾーン』シリーズ(1998~2000)、『ONE PIECE』(田中公平と共同/1999~)、『劇場版ああっ女神さまっ』(2000)、『おおきく振りかぶって』(2007)、『花咲くいろは』(2011)、『とある飛空士への追憶』(2011)、『ガールズ&パンツァー』(2012~2013)など。

*11
歌手。1967年生まれ。1995年のシングル『Forever Friends』でデビュー。1997年、テレビアニメ『勇者王ガオガイガー』主題歌「勇者王誕生!」(作曲:田中公平)のヒットで脚光を浴びる。2000年設立のJAM Projectに参加。アニメ・特撮関係の代表作は、『魔装機神サイバスター』(1999)主題歌「戦士よ、起ち上がれ!」、『健全ロボ ダイミダラー』(2014)主題歌「健全ロボ ダイミダラー」(遠藤会名義)、『爆竜戦隊アバレンジャー』(2003~2004)主題歌「爆竜戦隊アバレンジャー」、『ウルトラマンZ』(2020)主題歌「ご唱和ください 我の名を!」など。

*12
歌手。1968年生まれ。1994年、3人組ロックユニット『Stagger』のボーカル&ギターとしてメジャーデビュー。アニメ『め組の大吾 火事場のバカヤロー』(1999)主題歌「Red Darkness」でアニソン歌手として再デビュー。同年、『ONE PIECE』初代主題歌「ウィーアー!」が大ヒット、以降、「ウィーゴー!」「OVER THE TOP」など、田中公平が手掛ける『ONE PIECE』主題歌を歌い続けている。2002年JAM Project加入。アニメ・特撮関係の代表作は、『魔弾戦記リュウケンドー』(2006)主題歌「魔弾戦記リュウケンドー」、『ガイストクラッシャー』(2013~2014)主題歌「爆アツ!ガイストクラッシャー」(作曲:田中公平)など。

*13
歌手。1963年生まれ。1988年バンド「ハミングバード」結成。1990年、「AXIA・ミュージック・オーディション」にて歌部門最優秀賞を受賞し1991年6月に「ハッピーバースデイ」でメジャーデビュー。1994年、福山芳樹単独でアニメ『マクロス7』(1994~1995)の主題歌、主人公「熱気バサラ」の吹き替えボーカルを担当し、FIRE BOMBER名義でリリースしたアルバム「LET’S FIRE」が大ヒットする。2003年JAM Project加入。アニメ・特撮関係の代表作は、『武装錬金』(2006~2007)主題歌「真赤な誓い」、『放課後の不適格者』(2014)主題歌「鵺の森」など。

*14
歌手。1964年生まれ。東洋大学在学中にソウルバンドを結成、都内ライブハウスにて活動を開始。並行してタレントとしても活動、テレビ朝日系列「地球キャッチミー」などにレギュラー出演。2007年、SPECTRUM、C-C-B、TOPS等のメンバーにより結成されたブラス・ロックバンド「BLUFF」にヴォーカリストとして参加。アニメ関係の代表作は、『FNS地球特捜隊ダイバスター』(2005~2009)主題歌「FNS地球特捜隊ダイバスター」、『遊☆戯☆王VRAINS』(2017~2019)主題歌「With The Wind」など。

*15
作詞家、放送作家、小説家、詩人。1937年生まれ。2007年、70歳で没。明治大学文学部卒。1959年に広告代理店「宣弘社」に入社。退社後、放送作家、作詞家としての活動を本格化させる。アニメ・特撮関係の代表作は、『ウルトラマンタロウ』(1973~1974)主題歌「ウルトラマンタロウ」、『宇宙戦艦ヤマト』(1974~1975)主題歌「宇宙戦艦ヤマト」、『スーパーロボット レッドバロン』(1973~1974)主題歌「レッドバロン」、『デビルマン』(1972~1973)主題歌「デビルマンのうた」、『ファイヤーマン』(1973)主題歌「ファイヤーマン」、『宇宙船サジタリウス』(1986~1987)主題歌「スターダストボーイズ」など。


田中公平
1954年大阪生まれ。東京藝術大学音楽学部作曲科卒業後、ビクター音楽産業(現:JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント)に3年間勤務。その後、米国ボストンのバークリー音楽大学に留学。帰国後、本格的に作・編曲活動を始める。人気アニメ『ONE PIECE』(フジテレビ系)のBGMおよびオープニング(「ウィーアー!」「ウィーゴー!」)、『ジョジョの奇妙な冒険』(MXTVほか)の第1部オープニング「ジョジョ~その血の運命~」をはじめとして、アニメやゲームの音楽を多数手掛ける。また、ゲーム『サクラ大戦』では主題歌「ゲキテイ」こと「檄!帝国華撃団」が大ヒット。同ゲームから派生したアニメ、舞台等の音楽も手掛け、その数はボーカル作品だけで500曲を超える。近年は作曲活動のほか歌手、演奏者として国内外でライブも行っている。
2002年、新世紀東京国際アニメフェア21でアニメーション・オブ・ザ・イヤー音楽賞を受賞(受賞作品:『ONE PIECE』)。2003年、第17回 日本ゴールドディスク大賞アニメーション・アルバム・オブ・ザ・イヤーを受賞(受賞作品:『サクラ大戦』、対象作品:『サクラ大戦4 ~恋せよ乙女~ 全曲集 檄!帝~ 最終章』)。