2013年2月13日から24日まで、国立新美術館をメイン会場に六本木各所で開催された平成24年度[第16回]文化庁メディア芸術祭受賞作品展。国内だけでなく、海外71の国と地域から応募された作品総数は過去最大の3503点を数え、これまでにない盛り上がりを見せました。
今回の「文化庁メディア芸術祭を語る」は、受賞作品展の模様をレポートします。メイン会場だけでなく、ライブパフォーマンスが行われた東京ミッドタウン、映像作品の上映が行われたシネマート六本木などのサテライト会場の様子もあわせてお伝えします。
※敬称略
※作品名についてはマンガ・アニメーション作品とその他の芸術作品を分けて表記統一しております。
第16回文化庁メディア芸術祭 受賞作品展会場(国立新美術館、以下会場)の様子
鑑賞しやすくなった会場構成
メイン会場になったのは国立新美術館。ここでは、文化庁メディア芸術祭(以下、芸術祭)が顕彰するアート、エンターテインメント、アニメーション、マンガの4部門の受賞作品を中心とした展示が行われています。サテライト会場での、パフォーマンス公演やプログラム上映などもありますが、まずはここを訪れることで今年の芸術祭の雰囲気を掴むことができます。
作品数と来場者の多さのために、ゆったり鑑賞することが難しいという印象を受けた例年から比較すると、今年の芸術祭は、会場がシンプルに構成されています。
会場の様子
それでは、各部門の作品をいくつか紹介していきます。
アート部門 機械じかけのオペラ
まずは、アート部門大賞を受賞したCod.Actの《Pendulum Choir》。18の油圧ジャッキを備えた什器の上に、9名の歌手が拘束されるように直立不動で立ってオペラ曲を合唱するという同作は、13日と14日の2日間にわたり東京ミッドタウンにて全4回の公演が行われ、すべての回が満員御礼、立ち見も出るほどの盛況ぶりでした。
全身黒づくめのオペラ歌手たちがそれぞれのポジションに自分のからだをしっかり固定し、いよいよ開演。部分的に電子音による伴奏はありますが、楽曲は基本的にアカペラの肉声で構成されます。歌唱するパートの内容に応じて、機械が駆動し、普通だったら転げ落ちてしまいそうな角度までオペラ歌手のからだを傾けたり、ゆっくり移動させたり......。身体にかかる負荷は相当なものに見えますが、ビブラートを連続で利かせるパートでは、左右3名ずつが交互にせり出してきたり、また戻ったりとコミカルです。
機械によって制御される身体という同作のコンセプトから、歌手たちは無表情であることを強いられているのだろうかと思いきや、パートによっては大きな身振りや表情も加えて歌います。なるほど、たしかにこれは「メディアアート」であると同時に「オペラ」なのだ、と確認させられます。
東京ミッドタウンでの公演の様子
写真提供:文化庁メディア芸術祭事務局
国立新美術館では、《Pendulum Choir》のような奇抜なアイデアの作品だけでなく、現代美術的な文脈で理解される作品も受賞作品に選ばれ展示されています。Neil BRYANTの《Bye Buy》は、1950〜60年代の商業的なCMや映像を素材にして、そこに登場する人物の目を拡大させる、看板をバーコードに加工する、などの映像処理を施した作品です。顔の大半が巨大な瞳で占められる「萌えキャラ」のように畸形化された人間たちが、サプリメントや美容品のように見える製品を宣伝する様子は、なんともグロテスクです。
アート部門優秀賞受賞 《Bye Buy》 Neil BRYANT
©Neil BRYANT
また、Mikhail ZHELEZNIKOVの《On Pause》は、ロシアのとある空港から見た風景をとらえただけの、一見するとなんの変哲もない映像ですが、そこにはある男の現実とも妄想ともつかない空港にまつわるモノローグ音声が重ねられます。
アート部門優秀賞受賞作品 ≪On Pause≫ Mikhail ZHELEZNIKOV
©Mikhail Zheleznikov, 2012
壮大な構想と、高い技術力を示す《Pendulum Choir》と比較すると、この2作は、きわめてシンプルな手法で制作された、対極的な内容です。ですが、現代社会における閉塞感、資本の論理や国家の枠組みの限界を予言する不穏さに満ちています。けっして心地よい気持ちを鑑賞者に与えるものではありませんが、アートが社会において果たすべき役割を端的に示していると言えるでしょう。
エンターテインメント部門 インターネット以降のクリエイション
エンターテインメント部門で大賞を受賞したのは、真鍋大度、MIKIKO、中田ヤスタカ、堀井哲史、木村浩康の《Perfume "Global Site Project"》。同作はきわめて今日的なプロジェクトといえます。女子3名のテクノポップユニット「Perfume」の新曲プロモーションの一環としてスタートした同作は、特設サイト上で新曲の音源データと振り付けのモーション・キャプチャーデータをオープンソース※ として公開し、ユーザーがプロモーションビデオを自由に制作することができるというものです。展示スペースでは、新曲の音楽とともに、実際に多数のユーザーが二次創作した「Perfume」の映像が上映されています。紙人形風のPerfume、幾何学模様の記号のようなPerfume、似ても似つかない謎のキャラクター......。多種多彩なPerfumeが集合した空間は、インターネット登場以降の、不特定多数のユーザーによって作品が構築され、増殖していくような集約/離散型の制作スタイルを象徴しているかのようです。
もちろん、ここで紹介されている作例は高い技術によって制作されたものであって、誰もが手軽にプロレベルの映像ディレクターになれる、というものではないでしょう。しかし、このようなクリエイション(あるいはクリエイションしようとする精神)の拡がりを目にする時、新しい時代の作品制作が生まれつつあることへの高揚感を覚えます。芸術祭会場内でも、特に賑やかな音響空間になっていた同プロジェクトの展示ブースは、身も心も踊りだしたくなるようなテンションのたかまりを来場者に与えていました。
※ソフトウェアの設計図にあたるソースコードをインターネットなどを通して無償で公開し、誰でもそのソフトウェアの改良や再配布が行えるようにすること。また、そのようなソフトウェア。
エンターテインメント部門大賞受賞作品 ≪Perfume "Global Site Project"≫ 真鍋大度/MIKIKO/中田ヤスタカ/堀井哲史/木村浩康
©株式会社ライゾマティクス + 株式会社アミューズ + ユニバーサル ミュージック合同会社
エンターテインメント部門は、Webサービスだけでなく、ミュージックビデオ、ゲームなど幅広い表現を対象にしていることもあり、バラエティー豊かな、よい意味でのカオスを感じさせます。人間が搭乗可能な巨大ロボットを実際につくってみるという奇想天外なプロジェクト、倉田光五郎、吉崎航による《水道橋重工「KURATAS」》、やアナログな手法を使った絵作りの浮遊感が楽しい新井風愉(あらい・ふゆ)監督のミュージックビデオ《永野亮「はじめよう」》などが存在感を示していました。また受賞には至りませんでしたが、宇田道信の自作楽器《ウダー》は、作家自身による実演・演奏なども行われ、来場者を楽しませていました。
エンターテインメント部門 審査委員会推奨作品 《ウダー》 宇野 道信
©宇野道信
写真提供:文化庁メディア芸術事務局
マンガ部門/アニメーション部門
バンドデシネの台頭と、日本のアニメーションの層の厚さ
アートやエンターテインメントと違い、マンガ部門とアニメーション部門は原画やダイジェスト映像の展示がメインになります。そのため、作品そのものを楽しむのとはやや異なる空間ですが、単行本を自由に閲覧できるサテライトスペース「マンガライブラリー」の設置や、映画館であるシネマート六本木での上映などによって、補完されています。
マンガライブラリーの様子
写真提供:文化庁メディア芸術事務局
今回、マンガ部門では、はじめてフランス、ベルギー発祥のマンガ表現であるバンドデシネが大賞を受賞しました。会場では大賞を受賞したブノワ・ペータース/フランソワ・スクイテンの『闇の国々』、そして優秀賞を受賞したエマニュエル・ルパージュの『ムチャチョ-ある少年の革命』の原画・複製画が展示され、その緻密でアーティスティックな描写を食い入るように見つめる来場者の姿が印象的でした。
マンガ部門 会場の様子
日本のマンガを愛読する1人の読者からすると、日本勢の不振はやや残念ですが、今回の芸術祭に寄せられた審査委員会推薦作品にまで視野を広げてみると、むしろ日本のマンガ表現の多様性を感じることができます。商業雑誌の連載作はもちろんのこと、同人誌から生まれたおざわゆきの『凍りの掌 シベリア抑留期』、連載25周年を迎えた学習マンガ、あさりよしとおの『まんがサイエンス』など、じつに多彩です。
そして、アニメーション部門大賞を受賞したのが大友克洋の『火要鎮(ひのようじん)』です。商業ベースの制作体制を取りながら、約12分の短編のために要した制作期間はなんと1年。贅沢に時間をかけただけあり、かつて見たことのないほど濃密な映像表現を同作では堪能できます。江戸時代の「明暦の大火」などに着想を得た本作は、時代考証や美術設定に凝りに凝っただけでなく、画面づくりの面でも時代性を意識したと言います。会場内で大友監督本人に話を伺うことができました。
大友克洋監督
大友
シーンの多くを絵巻物のような鳥瞰図にしたのは、江戸時代の人たちの世界把握の方法が鳥瞰図的であったからです。
ライティングも同様で、江戸時代は行灯のあかりだけが闇のなかにじんわりと浮かぶような陰影の世界だったはず。『火要鎮』では、刺青や着物の柄の他に、髪のほつれなんかもCGでつくったんですが、ライティングにこだわるうちにどんどん見えづらくなってしまった(笑)。残念でしたけど、時代のリアリティーにどうしてもこだわりたかった。
大友克洋『火要鎮』
©SHORT PEACE COMMITTEE
12分間に凝縮されたディテールへのこだわり。男女の狂おしい恋の行く末を端正に描いた演出。これらへの評価が大賞受賞へとつながりました。
アニメーション部門 会場の様子 写真提供:文化庁メディア芸術祭事務局
撮影:若林勇人
この他にもアニメーション部門では商業、個人制作を問わず、非常にレベルの高い作品が見られました。上映会場であるシネマート六本木で『火要鎮』を見た際は、胡嫄嫄の『夕化粧』、中田彩郁/サキタニユウキの『ヨナルレ』などの審査委員会推薦作品が併映されていましたが、劇場アニメーションに匹敵するようなハイレベルな作品であっても受賞には至らないことに驚かされるとともに、日本のアニメーションの成熟を実感しました。
現在を肯定するために
これまで4部門の作品を見てきましたが、全体を通してみると、「浮遊感」と「肯定感」という共通項が浮かびあがってくるように思います。
機械のテクノロジーによって、9人の声楽家がまさに浮遊するアート部門大賞の《Pendulum Choir》の他にも、エンターテインメント部門優秀賞を獲得したゲーム、外山圭一郎(GRAVITY DAZEチーム)の《GRAVITY DAZE/重力的眩暈:上層への帰還において、彼女の内宇宙に生じた摂動》は、重力を操り空を舞う主人公を操作する独創的なゲームシステムが高く評価されました。あるいは《Perfume "Global Site Project"》も、これまで作り手に多く与えられていたクリエイトすることの特権を、より開かれた創造の可能性へと解放=浮遊させるものと言えるかもしれません。
これらの作品に共通して見られる浮遊感は、先行きが見えず、定まることの困難な時代の不安さと関わり合っているように思えます。しかし、未知であるがゆえに、どんなものへも自在に変化しうる可能性を、クリエイターたちは新しいメディアのテクノロジーや、SNSなどの情報環境に見出しているのではないでしょうか。
これは、二つ目の共通項である「肯定感」にも通じるものです。東日本大震災を結節点として、これまでの生き方を考え直す機会を得た人たちは大勢いたはずです。そして同時に、これからの日本で生きることを「肯定」する意志の兆しを覚えた人もいるはずです。おそらく今回の芸術祭に参加したクリエイターたちは、そのことをいち早く感じているのではないでしょうか。
アニメーション部門優秀賞を受賞した『おおかみこどもの雨と雪』の監督である細田守監督は、会場でこのように語ってくれました。
細田守監督
細田
2000年につくった『劇場版デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム!』では、新しいテクノロジーに興味があって、初台のNTTインターコミュニケーション・センター[ICC]のメディアアートを取材したりしました。
『デジモン〜』を発表した頃はパソコン通信もまだ盛んで、今のようなインターネット環境が出始めた時期でした。にも関わらず、デジタル技術を小学生が自由に活用する世界を描いたのは、未知なものと子どもたちを結びつけることで、未来を明るいものとして肯定したかったからです。
それは『おおかみこどもの雨と雪』をつくった今も変わりません。前作の『サマーウォーズ』以降、「家族」を描くことが主題に移り変わってきていますが、これも多くの人にとって最初は見知らぬ他人である「家族」や「子どもたち」をどのように肯定できるのか、という意識が根底にあるからです。現在ではインターネットにまつわるトラブルも多くなってしまいましたが、新しい環境のなかでかたちづくられる「共同体」や「家族」のあり方がきっとあると思います。
さいごに
全3回にわたって連載してきた「文化庁メディア芸術祭を語る」では、これまでグラフィクデザイナーの佐藤卓、アニメーション作家の古川タクにインタビューしてきました。インタビューのなかで両氏は、メディア芸術祭の魅力として「多様性」を挙げていました。それは今回の「第16回文化庁メディア芸術祭」会場においても強く感じられるものです。
この「多様性」とは、単に個性豊かな作品群がバラバラに並び立つわけではなく、時代や世代の空気感を共有しながら生まれたものと言えるでしょう。細田監督が語ったように、わずか10年のあいだにメディア芸術を巡る環境は大きく変わりました。そしてその変化のスピードは年々加速しています。来年度以降のメディア芸術祭、そしてこの場所に集う作品群はどのように変わっていくのでしょうか。今年のメディア芸術祭は、その期待と予感をあらためて感じさせるようでした。
文:島貫泰介
写真:エスエス東京(個別記載の無いもの)