以下は日本映画製作者連盟発表による、興収10億円以上をあげた2016年公開映画のタイトルを、邦洋とりまぜて10位まで、興収順に整序したものである。

順位 公開月 作品名 興収(億円) 配給会社
1 8月 君の名は。 235.6 東宝
2 2015年12月 スター・ウォーズ/フォースの覚醒 116.3 WDS
3 7月 シン・ゴジラ 82.5 東宝
4 4月 ズートピア 76.3 WDS
5 7月 ファインディング・ドリー 68.3 WDS
6 4月 名探偵コナン 純黒の悪夢(ナイトメア) 63.3 東宝
7 2015年12月 映画 妖怪ウォッチ エンマ大王と5つの物語だニャン! 55.3 東宝
8 7月 ONE PIECE FILM GOLD 51.8 東映
9 1月 信長協奏曲 ノブナガコンツェルト 46.1 東宝
10 8月 ペット 42.4 東宝東和

 一見して東宝やディズニーが配給する作品、またキャラクターや世界像の浸透した作品の強さが分かるが、これは既に特筆すべき傾向ではない。だがこの10作中、第1〜5位および10位の計6作が、いずれも劇場映画をコンテンツの基盤として製作されたものであることには、注目すべきだろう。対照的に第6〜9位の作品は、マンガ原作やテレビアニメを前提として製作されている。

この順位はアニメやマンガ原作、キャラクターものが強いといった既存の傾向から理解しやすい情勢をある程度引き継ぎつつも、同時になにか新たな展開の兆しを示しているのではないだろうか。本稿ではこの点について、日本の映画市場動向から掘り下げてみたい。

1.劇場アニメ映画の脱テレビ的傾向

 スタジオジブリ作品の存在感の大きさとは裏腹に、国産アニメ映画のヒット作は長らく、テレビアニメの放送を前提としたスピンオフが主であった。原作や原案がどのような媒体のものであれ、まずテレビシリーズがあって、そこから劇場版が製作される構図が、1970年代以来、長らくあったのである。

この構造は近年、深夜放送枠のアニメが映画化される際にも同様であった。『劇場版 魔法少女まどか☆マギカ[新編]叛逆の物語』(2013年、興収20.8億円)、『ラブライブ! The School Idol Movie』(2015年、興収28.4億円)、『ガールズ&パンツァー 劇場版』(2015年、興収24.5億円)なども、テレビシリーズ放送が前提だった。

 ところが2016年の日本の映画市場においては、テレビシリーズを前提としない映画がベスト5を占めた。洋画であればそれも当然かもしれないが、『君の名は。』と『シン・ゴジラ』の2本が、並みいる近年のヒットシリーズを押さえてベスト3に入った意味は非常に大きいだろう。

もちろん「妖怪ウォッチ」「ドラえもん」「ワンピース」「名探偵コナン」がヒットしたことも確かである。未だテレビ放送を主要なウィンドウとしたキャラクター路線も強力なのであり、それが縮小したというわけでは全くない。むしろ「ドラえもん」や「名探偵コナン」などは、興収を伸ばしてさえいる。

しかし2016年に公開された、いくつかのアニメ映画が、この路線とは別のあり方を示していたのも確かである。『君の名は。』は新海誠による完全オリジナルの劇場作品であったし、『映画「聲の形」』(興収23億円)や『この世界の片隅に』(現時点で興収23億円)も、マンガ原作があったとはいえ、テレビシリーズの放送を経ていない。

『君の名は。』には製作委員会にもテレビ局が参加していない。これはジブリ作品や近年の細田守作品が、テレビシリーズを前提にせずとも、日本テレビを主要な出資者としていたこととの大きな違いである。このことからすれば『君の名は。』は、「ポスト・ジブリ」のアニメ映画とは言えなくなる。

 付言するならば『シン・ゴジラ』もまた東宝の単独製作であり、昨年の邦画2大ヒット作は、いずれもテレビ局の出資を仰がない作品だったことになる。東宝主導型企画がテレビ局の参入を経ずしてヒットするこの動向は、2010年代に入って東宝が企画・製作を強化してきた一連の組織改編の成果とも思われるが、その経緯はひとまず措く。

 ここで注目したいのはむしろ、その動向自体が、『踊る大捜査線 THE MOVIE』(1998年、興収101億円)以降に本格化したテレビドラマの映画化や、テレビ局の映画製作会社化という流れから外れていることである。『世界の中心で愛をさけぶ』(2004年、興収85億円)、『HERO』(2007年、興収81.5億)、『BRAVE HEARTS 海猿』(2011年、興収73.3億円)など、テレビ局が主導して映画を製作し、テレビドラマ版も製作された一連の企画は、テレビと映画の垣根を崩すことで、邦画を娯楽の一つとして再び認知させることに成功してきた。加えて言えばアニメ映画は、それに先駆けて、「東映まんがまつり」や「東宝チャンピオンまつり」の時代から、テレビと密接な関係を築いてきていたと言える。

 この前提からすると、2016年に公開された『君の名は。』『映画「聲の形」』『この世界の片隅に』の特異性が浮き彫りになる。これがアニメ映画の公開本数増加の中から生じた一時的な事例であるのか、あるいは新たな枠組みが形成されつつあることの表れなのか、ここ数年のうちには結果が見えてくるのではないだろうか。

 近年、アニメ映画が増加を続けてきていることは、しばしば指摘されてきた。アニメーション業界はこれを、主としてパッケージソフト販売の伸び悩みの中で、リスクはあれどもファーストウィンドウから収益を得られる劇場作品への関心の移行があることから説明している。

 この傾向をより広く、メディア産業やエンタテインメント産業の動きから見なおすならば、アニメ映画の増加、とりわけてヒット作の続出は、テレビというメディアないしテレビ局という出資者を必須としない枠組みに至る、一連の流れの中にあるように思える。そこではまた、テレビでお馴染みのキャラクターや物語を楽しむ映画体験とは全く異なるそれが提供されている。

 テレビを前提とした映画のヒットの時代は、映画を自宅でも楽しむことのできるコンテンツと連続的なものにすることで、観客との距離感を縮めてきたと言える。しかし今、我々の前にある映画体験は、むしろライブ性やインタラクティブ性、イベント性を強く打ち出すことで、劇場でしか味わうことのできない、脱テレビ的体験を提供しており、またそうした作品がヒットすることで、そのムーブメント自体がより強固になりつつある。

2.映画体験のライブ化

 2000年代に入り、シネコンのシェア拡大とデジタル上映の普及によって増加してきたのが非映画コンテンツ、すなわちODS(Other Digital StuffおよびOnline Digital Source)である。ODSは、ここ数年で興収、公開本数ともに大きく拡大した。

 ODSには、コンサートやライブなど音楽イベントや、オペラや歌舞伎など舞台演劇の生中継からなる中継コンテンツと、それらを収録・編集したドキュメンタリーなどに加え、映画公開だけを目的とせず、パッケージソフトや関連商品の先行・限定販売などを行うアニメの連作上映が含まれる。

 たとえば松竹の公式サイトでは、『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』や『黒子のバスケ ウインターカップ総集編』などのイベント上映を、映画とは異なる「OVA、ODS、その他」のカテゴリで掲載している。

 ODS大手配給元であるライブ・ビューイング・ジャパンの公式サイトなどによると、ライブ・ビューイング独自の意義は以下のようになる。第一に観客側の利点として、チケットを入手できなかったか、近隣に施設が無い地域のユーザーが、映画館の大スクリーンと音響設備により、座席の配置にかかわらず高精細・高音質のライブ鑑賞をできること。第二に権利者や興行側の利点として、観客が入場料や遠隔地からの交通費を節約できる分、関連グッズ購入の消費を誘いやすいことである。ライブ・ビューイングは、ソフト市場縮小とライブ市場拡大に伴い360度ビジネスを推進する音楽産業や、常設された複数スクリーンの効率的運用を常に迫られるシネマ・コンプレックスにとって、短期間に集中してコアな観客層を集め、利益をあげうる機会と考えられている。

 アニメ映画のイベント上映については後に触れるとして、ここではまず、映画館の映像・音響設備を利用した、ライブ性の高い映画作品との関連性について考えてみたい。

 映画館で様々な映像や音楽を体感するという需要は確実に伸長してきた。ライブ・ビューイングの利点として示されていたように、映画館――特にシネコンには、どんなに家庭用モニターの大型化や高精細化が進んでも比肩しえない大スクリーンと、立体的なサラウンド環境が整っている。これは映像付きの音楽体験を堪能するに適した条件であり、その需要が高まりを見せてきたと思われる。

 この傾向は、近年大ヒットした2つのアニメ映画にも関連しているのではないか。『アナと雪の女王』(日本公開2014年、興収255億円)と『君の名は。』(2016年)は、いずれも劇中歌を非常に重視した作品であった。言うなればミュージッククリップ的側面をもったアニメ映画2作が、200億円を超える興行収入をあげたのである。特に前者は、歌詞を表示した合唱上映も好評であった。

 音楽映画のヒット例は他にも見ることができる。たとえば『マイケル・ジャクソン THIS IS IT』(日本公開2009年)は、興収52億円をあげた。また、ヴィクトル・ユーゴーの小説を原作としたミュージカルの映画版『レ・ミゼラブル』(日本公開2012年)も、興収58.9億円を記録している。映画館の設備を利用した音楽/映像体験の需要に応えうる映画が定期的にヒットして来たと言えるのである。

 音楽とは異なる領域での、映画のライブ性の高まりにも注目したい。3Dや4D、IMAX上映などの定着である。

 2015年の日本市場で興収第1位を記録した映画は『ジュラシック・ワールド』(興収95.3億円)であった。そして同年12月に封切られた『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』もまた、2016年の洋画では第1位の興収116.3億円を記録した。この背景には、3Dや4D、IMAXなど、いわばオプション料金をとる興行形態による観客単価の上昇がある。

 かつて3D上映を強力に推し出した『アバター』(日本公開2009年)が興収156億円をあげたのを皮切りに、2010年代はこうした有料オプションを伴う大作映画興行が定着する時期となった。また、ほぼ同時期にシネコンへ、IMAXデジタルシアターや、ライド型設備である4Dが設置されたことで、映画館はただ映像を鑑賞するだけでなく、より幅広い体感娯楽施設としての存在感を放ち始めたと言えよう。

 この傾向は、マスに浸透を見せた大ヒット映画から、よりコアな層を直撃した映画まで、様々な観客をライブ性の高い映画へと集客し、また話題を喚起してきた。たとえば『マッド・マックス 怒りのデスロード』が、興収18.1億円を記録したのも、2015年のことであった。本作は「極上爆音上映」へのリピーターが注目を集めたことが記憶に新しい。これを行った立川シネマシティは、本作の国内興収中に占めるシェアで約4%を占めたとされる。以降も同館は、『ガールズ&パンツァー 劇場版』などで同様の設備を利用した興行を行い、話題を呼んでいる。さらに先述の『マイケル・ジャクソン THIS IS IT』でも「ライヴスタイル上映」を、そして『君の名は。』では「極上音響上映」を実施し、音響にこだわりを持つ館として独自性を発揮している。

 『君の名は。』にしても期間限定で、新海誠作品に特有の細密な背景美術を鑑賞できるIMAX上映版を各地で公開した。充実した映像・音響・アトラクション的設備による、映画上映のイベント化の需要は、実写かアニメかを問わず高まりを見せてきたのであった。

 このアニメと劇場設備とライブ性という文脈で、2016年の出来事として記憶されるべきは、おそらく『KING OF PRISM by Pretty Rhythm』のヒットであろう。もともとアイドルの少女たちを主人公としたアニメだった『プリティーリズム レインボーライブ』から、男性アイドルユニットをスピンオフした本作は、その目玉であった「応援上映」の過熱とともに上映館を増加させ、イベント上映としては異例の興収8億円を記録した。

 本作はアニメ・キャラクターのライブ映画であるが、単にキャラクターが劇中でライブを行うのを座席で鑑賞するだけでなく、サイリウム使用や発声を許可する回を設け、キャラクターと疑似的に、インタラクティブなやり取りを楽しむことを可能にした。その応援上映はソフト販売後も熱心な観客が途切れなかったようで、むしろソフトでセリフや応援のタイミングを確認して来場するファンもいたという。このヒットは『機動戦士ガンダムUC』などのイベント型アニメ上映と、ライブ・ビューイングとの需要が結合した結果なのだろう。

 ライブ性やインタラクティブ性、イベント性を重視した映画が観客の注目を集める傾向が強い現下の状況において、『KING OF PRISM by Pretty Rhythm』のヒットは上映規模や観客層の違いを超えて、『君の名は。』や『アナと雪の女王』『ジュラシック・ワールド』などのヒット、そして各種ライブ・ビューイングの好調などと同じ根を持つ一つの現象が、別の側面から表れたものではなかったか。

3.ライブ化がもたらす問題点

 映画をライブとして享受するこの傾向は、おそらく今や劇場の外にも広がっている。『君の名は。』のヒットについて、SNSなどの「口コミ」がしばしば注目されたことや、『この世界の片隅に』がクラウドファンディングによって一部資金を調達したことは、映画の製作や宣伝にさえ観客が参加し、社会現象としてそれを盛り上げていく過程の表れと考えられる。

 もっともここには危うさもある。SNSは確かに個人の発言が発信されるという意味で「口コミ」ではあるが、基本的には一対多を前提としたコミュニケーションでもある。その意味でSNSは、かつてのようなミニコミとしての口コミではなく、それ自体が直接にマーケティングリサーチの対象として用いられるほどのマスコミなのである。

 ライブとして映画に「参加」する現象が、脱テレビ的傾向とともに表れたのは象徴的である。テレビに浸透しておらず、テレビ局が出資してもいないアニメ映画が相次いでヒットし、それをテレビが「現象」として報じる頃には既にSNSが盛り上がっていて、それ自体がニュースソースとなる。つまり現象をとらえるメディアとしては、テレビはSNSに遅れたことになる。テレビがかつて持っていた同時性がSNSのそれに追い抜かされた時、この新たなコミュニケーションツールの担い手は、テレビに参加するより規模も情報量も多大で刺激性の強い、映画館でのメディア・イベントを選ぶのは、必然だったろう。

 アニメ映画が様々な文化現象の結節点として機能している現下の状況においては、それがアニメ自体に資するところも大きいだろう。しかし、一度その結節点が別のメディアや別の現象へと移行したならば、受容者の関心の変化は驚くほど速やかに完了するだろう。

 その意味で、理想的には2016年に起こった『君の名は。』のような現象を前提とせず、堅実に企画を進めることが安全とは言える。しかしながら、消費者の目下の動向に左右されるのもまた、商業の常である。この意味で気がかりなのは、ライブ性の強い、つまり何らか参加度の高いアニメ映画が突出して享受されるならば、そうした「場」になりえない、いわば観客の側が作り手の世界観を受け入れて味わい尽くすような映画体験は、結果的に市場から排除されていくのではないかということだ。

 この点で、スタジオジブリが協力して製作された『レッドタートル ある島の物語』が興収1億円を割り込んだとされる「現象」が象徴的であった。ジブリのブランド性をもってしても、日本のアニメーションと異質なキャラクター・デザインや、全体を俯瞰して見なければ味わいにくいその作風は、受け入れられなかったのである。

 これは少し前、『かぐや姫の物語』(2013年)が24.7億円の興収に「留まった」こととも共通しているように思う。監督の世界観が絵にも台詞にも音楽にも、隅々にまで浸透しきった作品は、むしろ観客の「参加」する余地が少ないものでもある。

 どちらかが正しいあり方というわけではない。アニメ映画を歌いながら見るのも、短編アニメ映画黄金時代の米国や、児童向けアニメ映画の興行などで見られた光景であり、決して新しい現象ではない。映画館は観客が作品に参加する場であるとともに、作り手が自らの芸術を観客に問う場でもあった。

 しかし映画のライブ性が、これほど大きな規模で成果をあげる一方で、その枠組みに当てはまらない作品がより小さな成果しか上げられなくなるならば、市場原理は後者を排除する働きを伴う。結局のところ、観客である我々自身が、その選択がもたらす結果に自覚的であるしかないのだが、それはライブ性によってその時々の刺激性を求める嗜好と、はたして親和性があるだろうか。

(後編に続く)