「湯浅政明」とは誰なのか?
アニメーション映画の新時代到来と騒がれた2016年が過ぎ、『君の名は。』のようにオリジナル長編作品が邦画の主役となる時代が来るのか? その試金石となる2017年が幕を開けた。オリジナル作品ではディズニーの『モアナと伝説の海』、ユニバーサル・スタジオの『SING 〜シング〜』、神山健治監督の『ひるね姫 〜知らないワタシの物語』などの話題作が早くも名を連ねているが、ここにもう一作、湯浅政明監督による初の劇場用オリジナル作品『夜明け告げるルーのうた』(5月19日公開予定)が連なっていることに注目したい。湯浅監督の映画はそれに先行して、森見登美彦の同名小説を原作とした『夜は短し歩けよ乙女』も4月7日に公開が予定され、さながら我が世の春を謳歌するがごとき勢いが感じられる。
しかし、そもそも「湯浅政明とは誰なのか?」と本稿を読む人の多くは問うかもしれない。確かに一般の視聴者、観客で、このクリエイターの名を知る者は多くはないだろう。1965年に福岡県に生まれた湯浅政明は、1987年にアニメーション・スタジオに入社し、まずテレビの『ちびまる子ちゃん』(第二期・1995年〜)の原画やオープニング&エンディング・シーンの作画で頭角を現している。『ちびまる子ちゃん』をモチーフに自在にイメージを紡ぎ出していく想像力の豊かさと、個性的な画力とが評価されたのである。
さらにフリーランスとなってからは『クレヨンしんちゃん』に関わり、湯浅政明はテレビシリーズばかりか劇場版のスタッフとして、1993年の第一作から原画、設定デザインなどを随時担当して現在に至っている。この間、1996年の『ヘンダーランドの大冒険』と2014年の『ガチンコ!逆襲のロボとーちゃん』では絵コンテも担当し、オカマの魔女コンビが野原一家を追いかけるクライマックス・シーンなどを記憶している観客も少なくないのではないだろうか。しかし湯浅が本領を発揮するのはやはり監督になってからで、2004年にロビン西原作の劇場用作品『マインド・ゲーム』の初監督を務める。主人公の運命が神様によって翻弄される奇想天外なシーンの連続が観客を沸かせたばかりでなく、脚本も手掛けたこの作品でモントリオール・ファンタジア国際映画祭など、世界の多くの映画祭で受賞に輝くことになった。
続いてテレビシリーズでもオリジナル作品の『ケモノヅメ』(2010年)を初監督した湯浅政明は、続く2008年放映の『カイバ』でも監督・原作・脚本を手掛け、2010年には森見登美彦の同名小説をテレビアニメ化した『四畳半神話大系』が、東京キー局による地上波での初放映作品となった。ちなみに『マインド・ゲーム』が文化庁メディア芸術祭アニメーション部門の大賞を受賞した後、『カイバ』は同芸術祭同部門優秀賞、『四畳半神話大系』は同芸術祭同部門(2度目の)大賞を受賞しており、湯浅政明は日本のメディア芸術振興の旗手ともなっている。また近年では2014年放映の『ピンポン THE ANIMATION』が原作の松本大洋のタッチを踏まえつつも、監督ならではのダイナミックな映像でアニメ化され、こちらも2015年のTAAFアニメオブザイヤーTV部門グランプリを受賞している。
さらに日本ばかりでなく、2014年にはアメリカのテレビアニメ『アドベンチャー・タイム』(2010年〜)のエピソード製作(監督・脚本・絵コンテ)も担当し、このエピソードはアニー賞のテレビ部門監督賞にノミネートされるほど好評を得た。
アニメドラマとアニメーション
このようにアニメーション・クリエイターとして華々しいキャリアを重ねてきた湯浅政明だが、『ちびまる子ちゃん』や『クレヨンしんちゃん』を除けばファミリー層に手が届く作品やビッグタイトルを手掛けていないため、これまでは業界人や固定ファンを中心に知る人ぞ知るといった存在であった。だが注目されてしかるべきはその独特の作風であり、自ら描く"平面的で不安定なパース"、"ライブ感あふれる描線のタッチ"、"ポップで素朴かつシンプルな人物デザイン"、"緩急自在なアクション"、"フラットな色彩感覚"などを特徴とする"童話的にしてファンタスティックなイメージの創造"にかけては、商業アニメーションの分野でも際立った作家ということができるだろう。幻惑的な映像の創出にかけては押井守や新房昭之のような監督がそれぞれ独自の才能を見せているが、それらの作家が現実に根ざして非現実のイメージを生み出していくのに対して、湯浅政明は反対に、非現実のイメージを現実につなぎとめる形で生み出していくところが傑出している。
そして先に「商業アニメーションの分野でも」と記したとおり、そのような抽象的な表現が「リアルなアニメドラマのストーリー展開に馴染みにくい」、「抽象的なイメージである分、作画が困難(手間がかかる)」といったような理由から日本の商業アニメではなかなか取り上げられない中で、湯浅政明がそれを率先して行ってきた稀有な作家であることも強調しておかなければならないだろう。8つの物語をイメージだけで紡いでみせたディズニーの『ファンタジア』(1940年)が初公開時には不評だったように、アニメーション表現の本領発揮ともいうべき"イメージのワンマン・ショー"は、しばしば意味するものがつかみにくいとして一般の観客から遠ざけられる傾向がある。その一方でアート・アニメーションという括りで、『ファンタジア』やビートルズをモチーフとした『イエロー・サブマリン』(1968年)などは高い評価を受けているのだが、それとて人口に膾炙しているとは言い難いところがある。つまりアート・アニメーションとしてならともかく、一般向け作品としてイメージ中心に綴られたようなアニメーションは、おおむね商業作品には向いていないということだ。
日本のアニメーション業界の中でもそういう認識が持たれる中で、しかしドラマに付随する形で展開される奔放なイメージの創出を好んで請け負い、かつ開拓し続けてきたクリエイターこそが湯浅政明なのである。そしてそれを可能にしたのが、『クレヨンしんちゃん』のようなファミリー向け作品の中にすんなりとファンタスティックなイメージを溶け込ませてしまう"ポップで素朴かつシンプルな人物デザイン"の持ち味と、それをギャグとして表現しうる"明るく健康的なイメージ"のスタイルであり、子供が持つ非現実的な童話感覚との親和性こそが、湯浅政明をアート・アニメーションの作家でなく、商業作品の監督たらしめてきた大きな要因だったと言うことができるだろう。単純にくくってしまえば湯浅政明の中に潜む(いい意味での)幼児性こそが、彼の描くイメージを観客の子供たち、そしてかつて子供であった大人たちに近しいものとし、エンターティメントとの両立を可能にしたといっていいだろうか。
2017年の邦画界を飾る2作品によせて
しかも湯浅政明はそのようなファミリー向け作品ばかりでなく、『マインド・ゲーム』や『四畳半神話大系』のような作家性を強く出さざるをえない(=観客や視聴者を選ぶ)作品においても高い評価を得て、自らの才能がエンターティメントとしての要求にも応えられるものであることを証明してきた。これから公開される『夜は短し歩けよ乙女』と『夜明け告げるルーのうた』は、そのような"湯浅政明イズム"の集大成として『君の名は。』以降の邦画状況に投じられるものであり、実写映画と並ぶステイタスを獲得したアニメーション映画がその一般向け映画としての実力を問うことを期待させずにはおかない。
先に公開される『夜は短し歩けよ乙女』は京都を舞台に、大学生男子と可憐な女子との奇妙な恋の顛末を描いたもので、装飾的にデザインされたキャラクターたちがファンタジックな青春コメディを繰り広げていく。原作者が同じなだけに『四畳半神話大系』と世界観(の一部)を共有していて、そちらに親しんだ視聴者には敷居が低いのも利点といえるだろう。
一方で続く『夜明け告げるルーのうた』は湯浅政明監督によるオリジナル作品であり、脚本を湯浅と吉田玲子とが共作。キャラクターデザインの原案をマンガ家のねむようこが担当している。少年と人魚の子供の出会いを描くストーリーは宮崎駿の『崖の上のポニョ』(2008年)を連想させるが、むしろそれとの比較で、湯浅政明の作家性がより際立って確かめられる作品になるのではないだろうか。
なおこの2作品は、湯浅らによって2013年に設立されたアニメーション制作株式会社「サイエンスSARU」の制作によるもので、EunYoung Choiら、湯浅が組む実力派スタッフの総力が劇場作品という形で試されることになる。つまりそこではクリエイターとしてばかりでない、経営者としての彼の実力も試されるわけだが、オーケストラとして考えれば『夜は短し歩けよ乙女』も『夜明け告げるルーのうた』も、指揮棒を振る湯浅政明の作品として味わうことになることに変わりはない。2017年の邦画戦線にこの2作品が加わることで、2017年が特筆すべき年となることはすでに決まったようなものだが、どうせなら『君の名は。』に劣らぬ大ヒット作になってほしいというのは湯浅作品の観客や視聴者のみならず、作家主義の映画の復興を目指す邦画界全体の願いでもあるに違いない。