2017年2月28日に、山本さほの自伝エッセイコミック「岡崎に捧ぐ」3巻が刊行された。これを記念して東京・中野にある「墓場の画廊」というアートスポット(ギャラリー+グッズショップ)で、「岡崎に捧ぐ展」という原画展示会が開かれたので、この機を逃さずに取材を行った。
「岡崎に捧ぐ」は、小学生の時岩手から横浜市に引っ越してきた山本(女子)が、同級生の「岡崎さん」(女子、本名は記名されていない)と親友となり、以後長きにわたって続く二人の友情と、山本の体験が語られるエッセイコミックである(1巻で小学生時代が、2巻で中学生時代がそれぞれ描かれている。そして3巻で別々の学校になってしまった二人の高校生活が語られている)。
作品の執筆動機は、マンガ家を志望していたもののあきらめてOLをやっていた山本が、2014年2月に岡崎の結婚を知り、結婚式のサプライズとしてそれまでの二人の交友を描こうとした、というものだ。しかし、作品の存在を岡崎に知られ、さらに結婚式までに完結できないことが判明したため、デジタルコンテンツのプラットフォームとして知られるウェブサービスのnote(ノート)に発表する。「幼馴染みプライベート切り売りマンガ」というキャッチフレーズで「岡崎に捧ぐ」というタイトルを付けられたその作品は、1990年代のことがノスタルジックに描かれていたため、その世代の心の琴線に触れて評判を呼び、2014年10月には閲覧数は1000万件を超えた。
いくつもの出版社から連絡を受けた山本は、悩んだ末に岡崎から助言を受け、退職してマンガ家としての道を進むことを決意、2015年1月から小学館の「ビッグコミックスペリオール」で「岡崎に捧ぐ」のリニューアル版の連載を開始する。
同作品は高い評価を得て、2015ブロスコミックアワード大賞、マンガ大賞2016第10位、このマンガがすごい!2016オトコ編第8位を受賞し、山本は一躍人気作家となった。
その絵柄や、作品中の小学生たちの奔放な行動から「ちびまる子ちゃん」を想起させるのか、「第2のさくらももこ」と呼ばれることもある山本さほであるが、さくらの庶民性というか一般人感覚よりは、むしろ西原理恵子の諸作品に見られる「無頼」に近いものを感じる。まあ、西原作品に見られる過剰なまでの露悪性やピカレスク的要素と比べると、「岡崎に捧ぐ」での主人公の奇行は、許容範囲内の逸脱なのだが。
また「岡崎さん」とその家族は、少しずれた感じのメンタリティが「濃い」人々だったりするのだが(岡崎の母が不在気味で、家にいても酩酊状態だとか)、「岡崎に捧ぐ」に描かれる彼らからはさほど不快感が感じられない。たとえば清野(せいの)とおるの「東京都北区赤羽」というエッセイコミックに登場する「濃すぎる」人々は、臭気が強すぎて耐えられる限界ギリギリにあるような存在だが(もちろんそこが清野作品の魅力であるが)、山本さほの場合そのゆるい絵柄のせいもあって、「濃い人々」は嫌悪の対象にはならず、微笑ましく見えてしまうのである。
このあたりに山本作品の人気の秘密があるような気がする。つまり「味は濃いけれど、エグみや苦味や臭気が最小限」といったバランス感覚が、「岡崎に捧ぐ」を人気作たらしめているのではないだろうか(これとは別に、山本がゲーム雑誌に連載している「無慈悲な8bit」というマンガ作品だと、彼女の過激なまでのゲームへの愛が炸裂というか大爆発し、時として危うい印象を受けるのだが、それはまた山本作品の持つ別の誘引力なのだろう)。
絵柄に関しても、一見ラフに見える線であるが、主要キャラクターの区別は明確につくようになっており、読みすすめる上でストレスを感じさせない。特筆すべきは山本さほ自身のキャラクターで、やたらと上のまぶたの面積が多く上の線がつながっていない眠そうな二重の目の表現は、過去作品にもあまり例を見ず、それだけで彼女自身の記号として成立しているようだ。あえて類似を挙げれば、「シティライツ」などのマンガ作品で知られる大橋裕之の、曲線を上下に交差させて描く不思議な目が近いように思えるが、山本さほの目のように親近感を感じさせるものではない。この目に下ぶくれの輪郭、そして犬の垂れ耳のような髪型を組み合わせると、もう確固とした山本さほのアイコンとなってしまうのだ。自分のアイコンを持っているエッセイ漫画家は、それだけで半分成功したようなものである(山本さほは全部成功したわけだが)。
さらに、単行本の表紙や各回の扉絵などで描かれる街の風景は、柔らかいが描き込まれた線で、郊外の街の居心地の良さを読み手に与えてくれる。全体として、ラフでゆるいが雑に見えず、見る者にストレスを与えないバランス感覚の良さが、絵柄でも発動しているのではないだろうか。
以上の山本作品の説明を踏まえて、「岡崎に捧ぐ展」の展示紹介に移りたい。
会場である「墓場の画廊」は、2016年5月からアンダーカルチャーの聖地中野ブロードウェイの3階で営業を開始した、ギャラリーとマンガの関連グッズを扱うショップを結合させた新しい形のアートスポットだ。
店舗に近づいてまず目に入ったのが、入り口横のガラスウィンドウ内に並べられた山本さほの小・中学生時代の絵と、1980年代後半から2000年代を席巻した数々のゲームマシン(ファミリーコンピュータ、スーパーファミコン、ゲームギア、セガサターン、ドリームキャスト、たまごっち)である。「岡崎に捧ぐ」の導入部分で、山本が岡崎の家に入り浸りになる原因が、岡崎家の遊び放題のスーパーファミコンなので、ゲームを激しく愛する山本を象徴する展示と言えよう。小・中学生時代の絵も、「岡崎に捧ぐ」の単行本に収録されているものが多いが、やはり色の付いた現物を目の当たりにすると、そのエネルギーに感動する(保存状態が良いのにも驚くが)。
一歩画廊内へ入ると、壁には4色カラーの原画や生原稿、サイン入りカラー複製キャンパスパネル等が並ぶ。面白いのは、マンガの中で扱われた事件に登場するモノや人の写真が、対応する原稿と並べて展示してあることで、こういうことは実録ものであるエッセイコミックならではの趣向といえるだろう。
展示コーナーの一番奥にはモニターが置かれており、「岡崎に捧ぐ」で背景として描かれたものと同じ風景写真が、原稿と対比しつつ鑑賞できるようになっており、疑似聖地巡礼気分を味わうことができる。
これ以外にも、「岡崎に捧ぐ」の絵が用いられたスマホカバー、缶バッジ、ノート、「岡崎さんのお母さん」が飲むお酒をイメージした梅酒などが販売されており、レジに並ぶ購買者の列は途切れることがなかった。
取材に応じてくれた「墓場の画廊」経営会社である株式会社クレイジーバンプの三森(みつもり)氏によると、グッズはすべて同社が作成しており、ここだけでしか手に入らない商品を扱っていくのだという。今後も展覧会を中心にサイン会、トークライブ、ワークショップの開催を予定しているとのことだ(3月11日には山本さほサイン会があった)。
さらに取材当日は、山本の小学校からの友人で、重要な作中キャラクターの一人である「杉ちゃん」が1日店長を勤める日であった。彼は作品そのままの人柄の良さで、訪れたファンに気さくに話しかけていた。エッセイ漫画の登場人物が、このような場に出てくれる例をあまり知らないので(西原理恵子が高須院長を連れてくるくらいであろうか)、「岡崎に捧ぐ」というエッセイ漫画の力の凄さを改めて認識したわけである。
山本はインタビューで「それまでマンガをあきらめていた自分を煽って、漫画を描かせるように仕向けたのは杉ちゃんで、岡崎さんと杉ちゃんにマンガ家にしてもらったようなもの」と語っているが、そういった強い信頼関係が「岡崎に捧ぐ」の根底にあるならば、とりあえず3巻で高校を卒業した彼らの今後も楽しみながら見ていけると感じたのである。
ウェブが今後ますます進化してゆくならば、noteやそのバリエーションのサービスから、エッセイ漫画のみならず思っても見なかったようなマンガ作品が配信されることになるだろう。「岡崎に捧ぐ」はそんなウェブコミックの可能性を、エッセイマンガという形で改めて示した注目作だと思うのである。まだ大いに伸びしろのある山本さほという作家が、今後どのように日本の漫画界で進化していくのか、楽しみながら見守っていきたいと考える次第である。