多様な専門や経歴をもつ人たちが一つのプロジェクトでアイデアを出し合うとき、有効になるのがこの「アイデアスケッチ」だ。芸術と科学の融合を建学の理念に掲げる「IAMAS(イアマス)」で10年以上にわたって培われた、その実践方法をつぶさに解説した一冊となっている。
『アイデアスケッチ』表紙
摩擦を突破する共通言語とは?
「アイデアスケッチ」とは、読んで字のごとくアイデアをスケッチすること。アーティストやデザイナーにとってのスケッチとは当たり前のスキルかもしれない。だが本書で紹介されているのは、新しいプロジェクトを起こすとき、新しい製品を開発するとき、そのステークホルダー全員がアイデアをスケッチするためのワークショップの方法だ。依頼する側もされる側もその間に立つ者も、さまざまな関係者が社会的な立場を超えてフラットにアイデアを出し合うことで、関わる全員が当事者になる。
その方法論とは、メディアアートの分野で多くの優秀な人材を輩出してきた、岐阜県大垣市にある情報科学芸術大学院大学(Institute of Advanced Media Arts and Sciences、通称:IAMAS〈イアマス〉)で実践されてきたもの。IAMASは、アート、デザイン、エンジニアリング、映像、音楽、哲学など多様な分野を学んできた学生が集まり、プロジェクトベースで研究課題に取り組む、日本でも画期的な学校だ。異なる背景をもつ者同士の議論は、その方法論や価値観の違いから摩擦を生みやすい。だが、このアイデアスケッチを用いることで、それらを劇的に改善できるという。
2005年、アイデアスケッチをIAMASに導入したのは、この本で解説を務める一人、ジェームズ・ギブソン准教授だ。ギブソン准教授はロンドンにてサービスデザインのコンサルタントとして設立された「live|work(リブワーク)」に参加し、デザイナーとして活動していた。リブワークでも実践されていたアイデアスケッチは、IAMASに導入され学内外の授業やプロジェクトで発展し、教育現場の方法論としても確立した。
具体的で明快なワークショップの手順
この本では、アイデアスケッチを実践する手順が細かく記されている。アイデアスケッチを行うワークショップに必要な道具-4種のペンと3種のワークシート、テーブルの数、椅子の座り心地、壁の大きさ-、最適な人数やチーム構成、そして自分で出来る練習方法まで解説され、具体的にイメージしながら読み進められる。
さらにアイデアスケッチを行う際、「デザインチャレンジ」と呼ばれる課題の設定も大事だという。例えば自転車部品メーカーが「来期の売り上げを5%増やすにはどうすればいいか」と課題を設定するよりも、「市内の自転車の利用をもっと促進するにはどうすればいいか」としたほうが、実現可能性と創造性の高いアイデアが生まれてくる。
準備が整ったら、いよいよワークショップ本番。ワークショップの進め方だけではなく、アイデアが生まれやすくなる雰囲気づくりやスケッチを促す方法、参加者への声の掛け方など、ファシリテーターの悩みに答えてくれるような具体的なアドバイスも盛り込まれている。スケッチは描いて終わりではない。数が揃ったら、壁に張り出し参加者に良いと思ったアイデアに投票してもらう。投票後には、アイデアを実現可能性等に基づき並び替え(ソート)や位置付け(マップ)も行うことで、アイデアがさらに「醸成」される。
アイデアは創出や生成ではなく「醸成」するもの
本書の副題にこの「醸成」という言葉が使われているが、アイデアとは「創出」したり「生成」したりするものではなく「醸成」するものだという。アイデアスケッチの現場は日本酒の樽のなかのように、初めは静かでも徐々に「発酵」が進み、さらに参加者の創造力が活発になり、最終的にはすばらしい成果物になる。異なる立場の参加者が互いを触発し、さらに発酵は進む。繰り返し実践し、粘り強く挑戦することで、なんとか実現しようという当事者意識と擁護の気持ちが醸成されていくそうだ。
これほど詳らかな手順を導けるのも、10年以上にわたり学内外で幾度もアイデアスケッチのワークショップを実践してきたIAMASの教員である著者たちならではの成果だろう。本の後半ではIAMASで実践された5つの事例が紹介されているほか、巻末には専門用語などを解説した用語集や、ファシリテーターがワークショップでどのような言葉を話すかというフレーズ集なども収録されている。
デザインシンキングなどが企業や自治体でも注目される昨今、このアイデアスケッチは、デザインやアートの学校が提案する新たな共通言語として、アイデアの「醸成」が求められるあらゆる場面で適用されていくだろう。
(information)
James Gibson、小林茂、鈴木宣也、赤羽亨
『アイデアスケッチ アイデアを〈醸成〉するためのワークショップ実践ガイド』
発行元:株式会社ビー・エヌ・エヌ新社
発行日:2017年10月
http://www.bnn.co.jp/books/8887/