LGBT(註1)という言葉がメディアに浸透して久しく、性的マイノリティが社会的権利や認知、偏見の是正を求める運動や議論は、近年活発に行われている。そんな中、第19回文化庁メディア芸術祭マンガ部門で優秀賞に冠された田亀源五郎『弟の夫』は、ゲイ当事者から発信された同性婚がテーマの作品として注目を集めた。

図1 第1巻表紙

エロティック表現の鬼才が、ポルノを封印して挑んだ家族の物語

1960年代より勃興した同性愛者の権利を求める社会運動を経て、性的マイノリティの状況は、21世紀に入って急速に変化した。2001年にオランダで世界初の同性婚が合法化されて以来、同性同士での結婚が可能となった国、結婚に準じた関係権利を保証する制度が設けられた国は、それぞれ20数か国に及ぶ。日本においては、2015年の東京都渋谷区における「パートナーシップ証明書」条例公布を皮切りに、6つの自治体(註2)が同様の制度施行に踏み切っている。
マンガ家/ゲイ・エロティック・アーティスト(註3)の田亀源五郎が、『月刊アクション』(双葉社)に2014年11月号(9月25日発売)から連載を開始(註4)した『弟の夫』は、この世界的動向に呼応して国内で発信された、数少ないマンガ作品の一つだ(註5)。
田亀はデビューからの約30年間、ゲイ雑誌を中心に活動してきた(註6)。卓越した画力で彫り上げるように描かれた肉体美の男性たちによる、ハードでインモラルな性愛を軸とした物語。その芸術性は、日本以上に海外で高い評価を受けている(註7)。また、同性愛者であることを公にしている表現者という立場からの意見表明も、SNSなどで盛んに行ってきた。そんな田亀の、初の一般青年誌への連載。しかも得意のポルノ的な表現を封じたファミリードラマへの初挑戦というニュースは、大きな話題を呼んだ。そして連載が開始すると、当初の触れ込みのセンセーショナルな興味を軽く凌駕する物語の魅力に、回を重ねるごとに注目が集まっていった。

柔軟な視点の切り替えで追体験する「偏見」と「排除」

『弟の夫』は、弥一とその娘・夏菜(かな)の家へ、カナダ人男性のマイクが訪れて、再び去っていくまでの数週間の物語だ。弥一には一卵性双生児の弟・涼二がいたが、10年前にカナダに渡って永住資格を取り、当地で出会ったマイクと入籍し、そして先月、亡くなった。マイクはその涼二の配偶者、つまり未亡人である。

高校生の頃に一度、弟からゲイであることは告白されていたものの、それ以上を聞くことはないまま死別した弥一にとって、突然現れたマイクは、人種、習慣、性的志向、そのことごとくが困惑の対象だ。だがともに過ごす日々の中で、少しずつ自身の偏見や無理解に気づき、やがてありのままのマイク、そして涼二の存在を受容していく。

物語前半の弥一の反応は、多くの読者にばつの悪い共感を呼び起こす。涼二に詳しく聞かなかったのは、黙って受け入れたからではなかった。決して差別心などないつもりだが、「普通と違う」人に「どう接していいか」わからない。内心は下世話な好奇心もあるが、先入観のない夏菜のようにズバリと疑問はぶつけられない。ゆえに「そのことについて話す」のを避け、結果として疎遠になっていった。このあからさまではないが根強い距離の置かれ方は、日本の社会でくり返し受けてきたものであることを、田亀は述べている(註8)。

田亀がすくい上げる「異物排除」の事例は、性的マイノリティへのものにとどまらない。弥一とマイクが出かけたスポーツジムではタトゥーを入れた外国人が入館を断られ、弥一自身も夏菜の担任教師から、夏菜が「男と結婚した叔父」の話を学校でしないよう要請されるだけでなく、シングルファーザーという立場への差別にもさらされる。穏やかな日常でふいに現れる、ひりつくような居心地の悪い場面をさまざま切り取って見せながら、自分にとっての「普通」を他に押し付けることの不毛さを、読者一人ひとりの当事者性に託して喚起する。

さらに、ゲイをカミングアウトせずに生きる選択(クローゼット)をした涼二の旧友・加藤、ゲイであることを自覚し始めたが周囲に相談できず悩む中学生の一哉などを登場させ、性的マイノリティの在り方も一つではなく、その多様さは異性愛者と同じであることも示唆している。

自分の隣人が、友人が、同僚が、肉親が性的マイノリティであったらどうするか。どんな選択も自由だが、その決断の前に、知ろうとしないままに勝手な思い込みを拗らせている可能性はないだろうか。読者は状況を身近に引き寄せ、弥一とともに逡巡し、いつしか、わずかずつだが確実に広がっている視野に気づく。

これを説教がましくなく、あくまでエンターテインメントとしての高い完成度を保ちながらなしとげる巧みさに、あらためて作家の力量がうかがえる。

長年日本のゲイ・カルチャーに携わってきた田亀が、初の一般誌連載で、同性婚や性的マイノリティの置かれた状況を取り扱うのは、必然といえた。そこで田亀が選択したのは、上質のファミリードラマを肩の力を抜いて楽しませるうちに、凝り固まった視点をそっともみほぐす手法。そこにあるのは声高な糾弾ではなく、「互いを認め合うことで、この世界は少し生きやすくなるのではないか」という、穏やかだが真摯な問いかけだ。

『弟の夫』は大きなヒットとなり、同タイトルでの実写ドラマ化も決定した(NHKBSプレミアムにて、2018年3月4日より)。エロティシズムを追究したコアな表現のみならず、コアなテーマを普遍的な文脈に置き換えて幅広い層へ届ける表現にも秀でた作家として、新たな段階に突入した田亀。稀有な才能がつむぐ次なる物語を、楽しみに待ちたい。

図2(p.48上部)
マイクを泊めることになり、風呂上がりにいらぬ心配をする弥一。異性愛者が同性愛者を、人格を持った対等な存在でなく、性的な部分のみの存在として捉えてしまう、無自覚な差別の事例。
挿図はすべて『弟の夫』1巻(2015年、双葉社)より。
図3(p.125)
近所の公園で出会った知人に、とっさにマイクを「弟の……友人です」としか紹介できない。
図4a(p.88)
図4b(p.175)
ゲイへの知識も先入観もない夏菜は、マイクの存在をすんなり受け入れていく[図4a,b]。
図5(p.122)
しばしば弥一の影として暗示される涼二。理解し合うことのないまま永別した涼二は、マイクとの出会いで偏見を解きほぐされてきた弥一にとって、語り合いたいが叶わない存在だ。作品内での感情の起伏は、このようにつとめて象徴的な情景に置き換えられ、より強い効果を残す。
図6(p.160)
性的な表現が抑えられた物語運びのなか、突如登場するマイクや弥一の入浴シーン。おもに男性の異性愛者が対象のマンガ作品で、特に脈絡もなく「サービス」として挟まれる女性キャラクターの入浴シーンの存在を逆の形で投げかけている、と田亀は数々のインタビューで述べている。

(脚注)
*1
性的マイノリティである、レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダーの英語の頭文字から取った総称。なお「ゲイ」は同性愛者全般を指す場合もあるが、本稿では男性の同性愛者のこととして統一する。

*2
2017年6月までの条例成立順に、東京都渋谷区、東京都世田谷区、三重県伊賀市、兵庫県宝塚市、沖縄県那覇市、北海道札幌市。パートナーの入院時の付き添いや、公営住宅への入居などが可能となっている。しかし遺産相続などは不可能であり、法的効力はほぼないのが現状といえる。

*3
画家のトム・オブ・フィンランド(1920-91)や写真家のブルース・ベラス(1909-74)などは、田亀に大きな影響を与えた。日本においてもゲイ雑誌への挿絵を中心に多くの作家がおり、田亀は散逸直前の彼らの原稿を発掘、編纂し、『日本のゲイ・エロティック・アート』(ポット出版、既刊2冊)にまとめて記録、再評価する作業を続けている。

*4
2017年7月号(5月25日発売)まで連載され、全28話で完結。

*5
同時期に発表された、中村キヨ(中村珍)の『お母さん二人いてもいいかな!?』(2015年、ベストセラーズ)なども、同性婚カップルの当事者が描いたマンガ作品である。

*6
単発作品であれば『弟の夫』以前にも、レディースコミック誌やホラーコミック誌で、男性同性愛以外をテーマとした作品も発表している。

*7
これまで単行本が欧米各国で翻訳出版され、パリ、ニューヨークで個展が開催されている。また、ヨーロッパ最大のマンガ祭といわれるアングレーム国際漫画祭(フランス)において、『弟の夫』が2017年度のオフィシャル・セレクション(賞候補ノミネート作品)となった。

*8
「私の実体験として、私はゲイを一八のときからカムアウトしているわけですけれど、いろんな場面で「その話題には触れたくない」というような周囲の気配を感じることは、そこそこありました。そういった自分の体験から生まれたキャラクターが弥一です。」―インタビュー集『ゲイ・カルチャーの未来へ』(2017年、Pヴァイン)p.29より。


(作品情報)
『弟の夫』
発行年:2015年〜2017年
連載媒体:月刊アクション
出版社:双葉社
巻数:全4巻
© TAGAME Gengoroh / Futabasha